学位論文要旨



No 126408
著者(漢字) 徐,知勲
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ジフン
標題(和) 精密リン脂質ポリマーインターフェイスの設計を通じたタンパク質の相互作用の制御
標題(洋) Regulation of protein interaction at the bio-interfaces prepared by well-defined phospholipid polymer
報告番号 126408
報告番号 甲26408
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7371号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 准教授 吉田,亮
 東京大学 准教授 高井,まどか
 東京大学 准教授 山崎,裕一
内容要旨 要旨を表示する

タンパク質はアミノ酸がペプチド結合でつながっている生体高分子であり水を除いた生体構成要素の80%を構成している。タンパク質の表面にはそれぞれのアミノ酸の残基に由来した多くの疎水性と親水性残基が混在しており、これらの表面残基は水素結合や疎水的相互作用など分子内あるいは分子間と複雑な相互作用を起こす原因となる。このようなタンパク質表面の性質は、多くの生体材料の設計において重要な考慮事項となる。例えば、人工材料が生体環境で使用される際、タンパク質と人工材料表面との間に相互作用がはたらき表面吸着が起こる。その結果、血栓形成や異物反応などの生体反応を引き起こすこととなる。このようなタンパク質・材料間の相互作用は"非特異的な相互作用"と呼ばれる。一方、タンパク質の独特な折り畳み構造は、代謝活動や免疫反応など様々な生体反応で特異的に関与することとなる。このようなタンパク質固有の機能性に由来した相互作用はタンパク質の"特異的な相互作用"と呼ばれる。

非特異的な相互作用によるタンパク質の吸着は、異物反応による免疫システム活性化の観点からは抑制すべき問題点であるが、生体内埋め込み材料においては組織再生を促すために必要な性質でもある。したがって、タンパク質と材料表面間の非特異的な相互作用の精密制御技術は組織工学を基にした医療デバイスの設計において極めて重要な課題となっている。一方、機能性タンパク質の固定化によって形成されたインターフェイスは、タンパク質の特異的な相互作用を促す表面となり、バイオセンサー及びバイオフィルターなど様々な医療デバイスの開発に応用されている。しかし、タンパク質は熱や光など外部の刺激により変性されやすいため、タンパク質の特異的な機能性を長時間維持するための新規バイオインターフェイスの開発が必要とされている。

本研究では 分子レベルでの表面構造を精密制御し、非特異的相互作用に基づくタンパク吸着制御可能な新規バイオインターフェイスの創製を目標とする。また、特異的な機能性の向上のためのタンパク質の安定化技術を確立することを目標とする。そのため主に疎水性相互作用に由来したタンパク質の非特異的な相互作用の抑制及び分子間相互作用によるタンパク質の変性の防止に優れた効果を有している細胞膜リン脂質由来の2-methacryloyloxyethyl phosphorylcholine (MPC)ポリマーを利用した新規バイオインターフェイスの構築を行い、タンパク質相互作用の制御を試みた。

1. 非特異的な相互作用制御に向けた新規バイオインターフェイスの創製

タンパク質の非特異的相互作用の制御に向けた新規バイオインターフェイスの創製を行うためMPCポリマーを用いた表面修飾方法を次の三つのカテゴリに分けて研究を進めた。

a. PMPC共重合のコーティング表面による非特異的タンパク質吸着抑制が可能なインターフェイスの創製

b. PMPC共重合の相分離構造を用いた非特異的タンパク質吸着抑制および細胞接着制御が可能なインターフェイスの創製

c. 膨潤‐収縮挙動を用いた表面修飾法による非特異的タンパク質吸着抑制が可能なインターフェイスの創製

a. 本研究ではpoly(dimethylsiloxane)(PDMS)の表面上での非特異的な相互作用の抑制技術を研究目標とした。PDMSは 成形性がよく透明でかつ弾性力や酸素透過性が優れていることからマイクロ流路をはじめとしたバイオチップやコンタクトレンズなど生体材料として幅広く応用されている材料である。しかし、一般的に疎水性表面はタンパク質の非特異的な吸着を起し、ノイズの増加、または生体内埋め込み材料としての炎症反応を誘発する短所がある。特にPDMSの場合、表面の疎水性が親水性表面処理剤の溶解性と大きく離れていることから濡れ性の問題などが生じ、均一な表面処理が難しい。そのため、現在報告されている多くの研究は表面開始重合や化学架橋による親水性ポリマーの表面固定化方法である。しかし、これらの表面処理法は反応、精製の段階を含んだ多数の工程を必要とし、さらに残留モノマーやラジカルによる副反応の恐れもあり生体材料の工学的な作製においての効率性や安定性の問題が存在している。本研究ではPDMSとの相互作用向上のためdimethylsiloxane(DMS)ユニットを有するモノマーをMPCと共重合させブロック及びランダム共重合体の分子設計を通じてPDMSの表面を容易に処理できる最適化された分子構造を調べた。その結果DMSの組成が70%以上のランダム型ポリマーが最も安定に固定化できることを明らかにした。またコーティング時間や濃度の調節により、PDMS表面でタンパク質の非特異的な吸着の抑制が可能な表面処理技術を確立した。

b. 細胞―材料表面間相互作用の接着抑制技術は再生医療や細胞分化ツールの開発など医療デバイスの開発において必要とされる技術である。しかし細胞―材料間相互作用の制御は複雑な表面作製が必要とされるためより簡単な方法で細胞―材料間相互作用を制御できる技術を確立することが重要である。本研究では細胞と材料間相互作用の制御技術としてMPCブロック共重合体の相分離構造を利用した新規バイオインターフェイスモデルを提案する。PMPCによって形成されるポリマー表面は高い水和度を維持するためタンパク質の吸着に由来した細胞の接着が起こりにくい表面である。したがってタンパク質の吸着が起こりやすい疎水性のPDMSユニットとブロック共重合体を作製し、自己組織化による相分離構造を形成させることで親水性でありながらもタンパク質の選択的な吸着が可能な表面を作製する。その結果、表面と細胞間の接着力及び増殖率をナノドメインサイズの制御だけで簡単に制御できると期待される。選択的なタンパク質の吸着を誘発させるため種々の組成のPMPCとPDMSのブロック共重合体を重合し、キャスティング法により相分離構造を作製した。その後、タンパク質吸着実験後の透過型電子顕微鏡観察や定量分析した結果、疎水性ドメインのサイズが増加することによりタンパク質の吸着量も増え、疎水性ナノドメインでのタンパク質の選択的な吸着が起こっていることを明らかとした。細胞の接着実験の結果、疎水性ドメインが増えていくことにより細胞の接着及び増殖の制御が可能であることを明らかとした。

c. 細胞培養環境での機械的な刺激は細胞の形状や分化誘導において重要な変数となる。例え細胞培養中のストレッチングは細胞の整列が可能とさせ、神経及び筋細胞の培養に有用な環境を提供できる。また細胞培養表面の硬さは心筋細胞など特定細胞への分化に大きな影響を与えると知られ、機械的な環境が制御可能な細胞培養ツールの開発は重要な研究課題となっている。さらに培養組織に損傷を与えずに回収できる技術の確保も求められている。本研究では機械的な特性が簡単に制御可能なPDMSを利用しタンパク質の可逆的な吸着を誘導できる新規バイオインターフェイスの創製を通じ、機械的な刺激及び可逆的な細胞の培養・回収が可能な新規培養ツールの開発を目標とした。PDMSの膨潤―凝縮特性を利用し、PMPC-PDMSのブロック共重合体をPDMSの中に浸透させ、水中での拡散効果を応用することでPMPCセグメントの表面拡散を誘導し、親水性表面への転換が可能なPDMS表面を作製した。拡散時間によって表面の親水性の増加やそれに伴ったタンパク質の吸着量低下が見られ、拡散時間による可逆的なタンパク質の吸着表面の作製が可能であることを明らかとした。また親水性の増加によって細胞の接着も大きく低下し、細胞の接着及び増殖の制御可能性を示した。この表面修飾法と架橋度を変えることで硬さ等の機械的な性質を変えたPDMS基材とを組み合わせることにより新規培養ツールの開発へつながると期待される。

2.タンパク質の特異的な機能性の保持安定化に向けた新規バイオインターフェイスの創製

抗体及び酵素などの機能性タンパク質の固定化表面はバイオチップを中心とした医療診断分野や生理活性システムを模倣したバイオリアクターなど幅広い分野で応用されているバイオインターフェイスである。これらの分野はタンパク質が有している独自の特異的な機能性をそのまま生かし体外環境での応用を目指す分野であり、タンパク質機能性の高効率発現及び長期安定化が可能なインターフェイスの開発が重要である。タンパク質の特異的な機能性は主にタンパク質の二次、三次構造から由来するものであり、この構造は外部の環境、主に熱によって変性されやすいため、機能性タンパク質の応用においてタンパク質の安定性確保は極めて重要な課題となる。したがって、本研究ではタンパク質の安定性保持に向けた新規リン脂質ポリマーインターフェイスの構築を目指して研究を行った。MPCポリマーは他の親水性ポリマーに比べ、高いレベルの水和度を維持するため、タンパク質とのコンジュゲーションは、タンパク質周辺に厚い水和層を形成させることで、分子内部の非特異的な疎水性相互作用による変性を効果的に抑制できると期待される。ここでは、MPCポリマーとタンパク質の精密コンジュゲーション技術の確立とタンパク質の安定性向上を目的とした。その結果、MPCポリマーとコンジュゲートされたタンパク質の場合、天然状態に比べ熱に対する構造安定性が大きく改善されることを明らかにした。また、コンジュゲートポリマーの疎水性を変数とし、タンパク質の安定化に及ぼす影響を調べた結果、コンジュゲートポリマーの親水度がタンパク質の安定化において重要な変数であることを明らかにした。今後、この変数は、機能性タンパク質の安定な応用において材料設計の重要な基準になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

マテリアルへのタンパク質の吸着は、異物反応として誘起される免疫システム活性化や細胞応答観点からは抑制すべき問題点であるが、生体組織と一体化して長期間作動が求められる生体内埋め込み医療デバイスにおいては必要な現象でもある。したがって、マテリアル表面でのタンパク質の接触・吸着および構造変化・活性化の一連のプロセスを任意に制御する技術の確立は、先端医療において極めて重要な課題である。また、機能性タンパク質を固定化したマテリアルは、タンパク質の特異性を活かして分析、診断、治療などに応用されている。ここで、タンパク質の機能を長期間維持するための新規バイオインターフェイスが重要な役割を担うと考えられる。本研究では ポリマー構造を分子レベルで精密制御し、タンパク質の吸着プロセスを制御できる新規バイオインターフェイスの創製を目標としている。すなわち、タンパク質の吸着・構造変化の抑制に効果的な2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ポリマーをリビング重合系により精密合成し、これを一成分としたマテリアル創製により新規バイオインターフェイスを構築している。さらに、タンパク質の吸着プロセスを制御する因子について、官能基の親・疎水性、密度および分布状態の3つの観点から系統的に検討している。

本論文は全4章から構成されている。

第1章は、本研究の背景と意義を解説している。すなわち、マテリアル表面に対するタンパク質の吸着プロセスと、これを制御するバイオインターフェイスの設計概念を説明している。一方において、タンパク質機能発現に重要なマテリアル構造についても言及し、ポリマーとタンパク質との複合化における機能発現機序について記述している。

第2章では、医療やバイオ分野で利用されているポリジメチルシロキサン(PDMS)を基材として、このPDMS表面でのタンパク質の非特異的な吸着を抑制するポリマー設計と合成について述べている。さらに、様々な界面科学的手法により、バイオインターフェイスとしての機能発現を解析している。MPCと側鎖にシロキサンユニットを有するモノマーからなるランダムポリマーが、両親媒性を有するために、選択的にPDMS表面に吸着することを見いだしている。これにより、簡便に疎水性のPDMS表面を親水的にでき、タンパク質吸着量もPDMSに比較して30%程度にできることを明らかにしている。さらに、PDMSセグメントの両端にPoly(MPC)セグメントを導入したブロック型ポリマーを合成し、この薄膜を作成することでPDMSとPoly(MPC)のナノドメイン構造表面の調製に成功している。このナノドメインのサイズは、Poly(MPC)セグメント長に依存し、PDMS鎖が凝集して数nmから20nm程度まで変化できることを示している。この表面に対してタンパク質は、PDMSナノドメインにのみ選択的に吸着することを見いだしている。これは、タンパク質のナノ吸着制御に関連する初めての知見であり、その後の可逆的な細胞接着挙動と関連させて、新しいインターフェイスを提供するものと評価できる。さらに、PDMS/Poly(MPC)ブロック型ポリマーを、基材となるPDMS膜の溶媒に対する膨潤・収縮特性を利用して、表面に固定化でき、親水性となることを示している。さらにこの表面処理により、タンパク質吸着量が25%以下となることを示している。これはブロック型ポリマー溶液中で、PDMS基材を膨潤させると、溶液とともにポリマーが基材中に侵入し、一方、溶媒が揮散する際に、基材と親和性の高いPDMSセグメントが中に取り込まれ、親水性のPoly(MPC)セグメントが表面に濃縮される機構によると考察している。いずれの方法も、ポリマーの溶解性および相溶性を巧妙に利用した表面構築であり、タンパク質吸着や細胞接着などマテリアル表面での生体反応の抑制を実現している。

第3章では、タンパク質側をMPCポリマーで修飾することによる構造安定化について記述している。タンパク質の吸着は、マテリアル表面におけるタンパク質構造の変化が大きな原因となる。そこで、修飾ポリマーの精密合成とタンパク質への位置選択的結合を実施している。ポリマー鎖の片末端に反応性官能基を導入し、タンパク質として選択したアルブミンとリゾチームを修飾している。Poly(MPC)で修飾すると、熱によりタンパク質の構造変化が誘起された場合でも、完全に可逆的に戻ることを見いだしている。また、これらのタンパク質として、基質の加水分解反応を観察した結果、未修飾のタンパク質では反応活性が70%程度に低下するが、Poly(MPC)で修飾するとほぼ100%を維持できることを明らかにしている。このことは、Poly(MPC)鎖が効果的に水の構造を維持するインターフェイスをタンパク質分子に提供するためと結論している。また、ポリマー鎖に親水性ユニットや疎水性ユニットを導入している。これよりタンパク質の熱による構造変化の抑制には、親水性ユニットが重要であることを確認している。このポリマーインターフェイスをタンパク質分子に担持させる考え方は、タンパク質を利用した工学において問題となっているタンパク質の構造変化、活性低下などの解決に有用であると結論している。

第4章では、ポリマー精密設計・合成を基盤として、タンパク質の吸着や構造変化を効果的に制御するバイオインターフェイスに関して得られた知見を述べ、本研究をまとめている。

以上のように、本研究では精密合成されたMPCポリマーを一要素として新しいインターフェイス構築法を提案し、これに基づきマテリアル表面におけるタンパク質吸着プロセスの制御に成功している。これは、先端医工学、細胞工学などの分野で新しいデバイスを創出することに結実する成果である。このように本研究は、バイオマテリアルの研究領域に新しい概念を導引しており、マテリアル工学の新たな発展をもたらす研究と評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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