学位論文要旨



No 126429
著者(漢字) 石井,梨恵子
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,リエコ
標題(和) 層状遷移金属酸化物 Rb4M (MoO4)3 (M=Mn,Cu)における幾何学的フラストレーションと低次元磁性
標題(洋) Geometrical Frustration and Low Dimensional Magnetism in the Layered Transition Metal Oxides Rb4M(MoO4)3 (M=Mn,Cu)
報告番号 126429
報告番号 甲26429
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第619号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中辻,知
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 廣井,善二
 東京大学 教授 森,初果
 東京大学 准教授 三尾,典克
内容要旨 要旨を表示する

I. 背景

二次元三角格子反強磁性体は, 幾何学的フラストレーションをもつ格子系において最も単純な例の一つであり, 幾何学的フラストレーションが顕著に現れる例として, 実験と理論の両面から盛んに研究されてきた. 近年は低温で実現する120度相におけるカイラリティの秩序化やこれに由来するマルチフェロイクスなどの新しい相転移現象が注目されてきている. さらに, より完全な理解のためには理論と実験との間で定量的な整合性が重要となる.

二次元三角格子反強磁性体における最近接相互作用のみを考慮した最も単純なモデルは, 次式の様に表わされる.

ここで, JとDはそれぞれ, 交換相互作用と異方性定数である. Dの符号により異方性はイジング(容易軸)型 (D > 0), XY(容易面)型 (D > 0), ハイゼンベルグ型 (D=0)に分類され, カイラリティの効果として異方性に応じてそれぞれに特異な相転移や臨界現象を示すことが理論的に示唆されている.

しかしながら, 現実の多くの三角格子反強磁性体は強い三角格子面間の相互作用や次近接相互作用, Dzyaloshinsky-Moriya相互作用などのより複雑な相互作用の存在の為, そのような定量的な整合性が見られる場合はほとんどなかった. そこで, 我々は, 高い二次元性を有し低温まで正確な三角格子を形成するS=5/2二次元三角格子反強磁性体Rb4Mn(MoO4)3を開発し, その物性について詳細に調べた. さらに, S=1/2低次元性や幾何学的フラストレーションなどの効果により, 磁気秩序状態が抑制されたスピン液体状態などの興味深い物理現象への興味から, より量子効果が強く働くS=1/2の系Rb4Cu(MoO4)3の開発を行い, その磁性について調べた.

II. 目的

新しい擬二次元三角格子反強磁性体の候補物質 Rb4Mn(MoO4)3を合成し, 磁性を調べることから, この系における幾何学的フラストレーションが果たす役割を検証する. また, Rb4Cu(MoO4)3における, 量子ゆらぎの効果を明らかにし, 基底状態について検証する.

III. 結果と考察

(1) Rb4M (MoO4)3(M=Mn,Cu)の試料合成と結晶構造

我々は, Rb4M (MoO4)3 (M=Mn,Cu) の多結晶を固相反応法で, 単結晶をフラックス法 (溶媒 : Rb2Mo2O7)で合成した. 単結晶X線回折による構造解析を行った結果, Rb4Mn(MoO4)3は空間群P63/mmc (hexagonal)に属し, 格子定数はa=6.099 Å, c=23.712 Åであると特定された. この結果は, 多結晶試料を用いた中性子回折実験におけるリートベルト解析の結果ともほぼ一致しており, 少なくとも1.5 Kに至るまでは構造相転移や歪みがなく, S=5 / 2の磁性を担う Mn2+が正確な三角格子を形成している. Mn2+は周りに5つの酸素を配位しており, t2g3eg2の高スピン配置をとり軌道の自由度がない為, スピンはHeisenberg的である. また, 三角格子面間は, 非磁性のRb+と四面体MoO4により隔てられており, 大きなaspect ratio=1.91からもその二次元性が高いことが分かる. 一方, Rb4Cu(MoO4)3 の結晶構造は, 単結晶X線回折実験からRb4Mn(MoO4)3とは異なるPnma (orthorhombic)に属し, a=10.581 Å, b=23.213 Å, c=6.078 Åであると特定された. そして, 歪んだsquare plaquette であるCuO4 がa軸方向に四面体MoO4を介してa軸方向に連なっており, 磁性を担うS=1/2のCu2+が一次元的な量子鎖を形成していると考えられる.

(2) Rb4Mn(MoO4)3の低温物性

1.3 Kでのパルス強磁場磁化過程において, H // c 方向 (図1(a)) では, Hc1 < H < Hc2の磁場領域, S=5/2の系の飽和磁化5μBの1/3付近に磁化プラトーが観測された. 一方, H // ab 方向については, 飽和に至るまで磁化は単調に磁場に増加する. このことは, Rb4Mn(MoO4)3が容易軸異方性を持つことを示している. 理論と実験結果との厳密な比較から両者が定性的・定量的に非常に良い一致を見せ, H // abについてはほぼ完全に一致する. プラトー領域における磁化の滑らかな増加は, 有限温度の効果と考えられる. また, 磁化率の温度依存性から, 反強磁性的なスピンの相関が発達すると考えられるワイス温度Θは-20 K, 交換相互作用Jの大きさは1.2 Kと見積もられた. ワイス温度に対し抑えられた転移温度 (|Θ|/TN2~7.1)は幾何学的フラストレーションの効果と考えられる.

さらには, ゼロ磁場比熱の温度依存性において, 逐次相転移 (TN1=2.42 K, TN2=2.8 K) の存在が明らかになった. また, 通常の三次元秩序化に伴う転移に比べて, TN2でのブロードなピークは高い二次元性による強いスピン揺らぎの効果であると考えられる. 磁場の印加に伴い, H // cについては, TN1 < T < TN2の中間相が安定化する一方, H // abについては, 中間相は4 T以上の磁場で消失する. 最近接相互作用のみを考慮した二次元反強磁性体モデル(1)式における古典モンテカルロシミュレーション (H=0, 1.3 K)を行い, 実験値と比較することから, 磁気異方性の大きさを見積もった結果, 実験と理論がほぼ一致する異方性定数D /J ~0.22が最も適当であるとの結果を得た.

これらの結果から, 磁場-温度相図を作成した. その結果, 少なくとも(A)-(F)の6つの相の存在と各相でのスピン構造(図中の矢印)が明らかになった. T < TN1の基底状態では容易軸異方性の為にスピンがc軸方向に僅かに傾いた120度構造 (Phase(A))を形成している. H // c では, 磁場の印加に伴い, 'up-up-down (↑↑↓)' 構造 (Phase(B)) が安定化し, V型構造 (Phase(C))を経て, Phase(D)においてスピンが完全に飽和する. 一方, H // abでは, 磁場方向にスピンが扇型構造をとりながら (Phase(E)), 飽和に至る. TN2, TN1の転移は, それぞれスピンのz成分とxy成分の秩序化によるものであり, 中間相では 'up-up-down (↑↑↓)' 構造が形成されていると考えられる. 磁場の印加に伴い, ↑↑↓ 構造はH // c では安定化, H // abでは不安定化し, 4 T以上の磁場で消失する. このPhase (A)における120度基底状態は中性子回折実験におけるメインピークの特性波数が (1/3,1/3,1) であることからも確認され, 三角格子面間は反強磁性的な相関が働いていると考えられる. また, ほとんど全てのピークは, 図に示す様に指数づけにより特定され, 擬二次元磁性体の磁気散乱の球平均のモデルを用いたフィッティングの結果とも良く整合性がとれている. 相関長はζab ≧ 53.7(6) A=9a, ζc=19.1 A=0.8cと見積もられた.

これらの実験事実から, Rb4Mn(MoO4)3は, 容易軸異方性をもつS=5/2 二次元三角格子反強磁性体の良いモデル物質となると結論づけられる. また, 実験と理論との一致は, 次近接相互作用をはじめ, 他の複雑な相互作用が競合する幾何学的フラストレーション物質では大変珍しく, 特に, 二次元三角格子反強磁性体においては初めての例である.

(3) Rb4Cu(MoO4)3の低温物性

Rb4Cu(MoO4)3の単結晶の2 Kでの磁化測定において, H // acとH // b方向ともに, 磁化は磁場の印加に伴い増加し, 下に凸の振る舞いをみせる. これは, 量子効果に由来するスピンの短縮によるものと考えられる.

2-20 K, 0.01 Tと7 T下での帯磁率の温度依存性から, 両磁場ともに, 2 Kに至るまで, 磁気相転移を示す異常は見られない. これは, 量子効果によるスピン揺らぎの為に, 磁気転移が抑制されていると考えられる. 0.01 Tでは 5 K 付近に観測された, 短距離的なスピン相関を表すブロードなピークが, 7 Tでは低温側に移動する. Curie-Weiss fitting より, ワイス温度と交換相互作用は, それぞれΘ~-5 K, J~10 Kと見積もられ, 反強磁性的な磁気的特徴を持つ. この様な, ブロードなピークは, 一次元反強磁性体に顕著な特徴である. そこで, Eggertらにより与えられた理論式を用いて, 0.01 Tのデータについてfittingを行ったところ, 非常に良くフィットすることが出来た. また, 見積もられたJとgの値もCurie-Weiss fittingの結果とほぼ一致する.

また, ゼロ磁場での全比熱の温度依存性の結果から, 0.1 Kに至るまで磁気相転移を示す異常は見られない. 5 K付近での比熱のブロードなピークは, |Θ|~5 Kとも近いことから, スピン間の短距離相関の発達によるものだと考えられる. Rb4Zn(MoO4)3の格子比熱を見積もり, Rb4Cu(MoO4)3のゼロ磁場磁気比熱CMを求めた. その結果, CM / T の温度依存性では3 K付近にスピンの短距離相関を示すブロードなピークが現れ, その後, γ= CM / Tは一定値0.64 [J/mole-Cu K2]に近付いていく. このことは, 1K以下でCMがTに比例する振る舞いとも一致する. また, Wilson-Sommerfeld ratio RWは~2.2となり, 一次元反強磁性体の理論値2に近い. 即ち, Rb4Cu(MoO4)3は, 結晶構造と同様, その磁性においても一次元反強磁性体に特徴的な振る舞いをみせ, 少なくとも0.1 Kに至るまで長距離秩序を示さず, 特に, 0.8 K以下で量子スピン液体状態になっていると考えられる. これらの振る舞いは強い量子効果によりスピンが揺らいだ, 一次元反強磁性体に特有のものでる. これは, 層内のCuの3d軌道の波動関数dx2-y2が異方的に結合していることによると考えられる. 一次元反強磁性鎖の多くの物質は, 鎖間相互作用との競合などから, 基底状態ではスピンシングレットを形成し, 励起状態との間にエネルギーギャップをもつことが多く, この様な量子スピン液体的な振る舞いは, Sr2Cu(PO4)2などの限られた物質でのみで報告されていた. Rb4Cu(MoO4)3は, 新しいS=1/2 一次元反強磁性体として, Luttinger Liquid, Spinon Excitation などの量子現象を理解する上で非常に重要な物質となると予想される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章においては論文の趣旨と導入、第2章においては実験の手法の解説と研究対象物質である層状遷移金属酸化物Rb4M(MoO4)3 (M=Mn,Cu)の結晶構造、第3章においては、博士論文の主な結果である層状遷移金属酸化物Rb4Mn(MoO4)3の磁性、第4章においては、第3章で述べた実験結果と理論との定量的比較、第5章においては、層状遷移金属酸化物Rb4Cu(MoO4)3の量子磁性、第6章においてはまとめと展望について議論されている。博士論文において、詳細な実験と理論との比較の結果、石井梨恵子氏は以下の2点について、磁性分野における重要な知見を得ている。(1)層状遷移金属酸化物Rb4M(MoO4)3 (M=Mn,Cu)について、単結晶を育成し、その低温磁性を詳細に調べた結果、Rb4Mn(MoO4)3はMn2+が低温まで正確な三角格子を形成しており、高い二次元性を有していることを見出した。さらに、その低温磁性は、容易軸異方性を持つ二次元三角格子反強磁性体として説明することができ、定性的・定量的に実験結果と理論の計算結果が一致することを突き止めた。この様な一致は、二次元三角格子反強磁性体において初めての例であり、Rb4Mn(MoO4)3はこの系の典型例であることを示している。(2)Rb4Cu(MoO4)3はa軸方向に強い軌道の混成が存在し、一次元鎖を形成する。そして、CuがS=1/2の磁性を担う為、強い量子効果によりスピンが揺らいだ、一次元反強磁性鎖に特徴的な振る舞いを帯磁率や比熱測定において見出した。Rb4Cu(MoO4)3は、新しいS=1/2一次元反強磁性体として、Luttinger Liquid、Spinon Excitationなどの量子現象を理解する上で重要な物質と考えられる。

石井氏は博士課程からの入学後3年足らずの間に、上記の2種類の物質をその単結晶合成から数々の物性測定実験に到るまでを自らこなし実験研究を完成させたことは大きく評価される。また、どちらの研究においても学術論文を完成させている。一報は米国化学会雑誌に掲載済みであり、また、一報は米国物理学会雑誌に投稿中である。いずれも、化学的にはすでに知られている物質であったものの、精密な構造解析や物性測定はこれまでなされておらず、今回の報告はそれらが示す物理現象が興味深いことを示すだけでなく、磁性の分野においても重要な知見をもたらすものである。これらの成果は博士論文審査の基準を十分に上回るものである。

なお、本論文第2章は、Dixie P. Gautreaux、Melissa Menard、Julia Y. Chanとの共同研究、第3章は、徳永将史、榊原敏郎、小沼圭介、南部雄亮、前野悦輝、中辻 知、Collin H. Broholmとの共同研究、第4章は、田中 宗、川島直輝との共同研究、第5章は、小沼圭介、町田 洋、前野悦輝、中辻 知との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析をおこなってもので、論文提出者である石井氏の寄与が十分であると判断する。

審査委員会の委員の先生から、1.研究成果として理解された部分とそうでない部分を明確にわけて記述することにより、研究結果の今後の課題をはっきりさせること。2.アブストラクトや結論において、理論と実験が一致している内容についてより詳しく記述すること。とのコメントいただいた。これらについて、審査委員会から確認の委託を受けた主査が改訂された論文を確認し、コメントを十分に反映していると判断した。

以上を持って、石井梨恵子氏の学位論文の論文審査の結果、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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