学位論文要旨



No 126437
著者(漢字) 勝野,和美
著者(英字)
著者(カナ) カツノ,カズミ
標題(和) 草原の森林化に伴う土壌炭素動態の変化 : ススキ草原における黒ボク土の変化を例にして
標題(洋) Change of Soil Carbon Dynamics Accompanied with Secondary Succession of Grassland : A Case Study on Andosol of a Miscanthus grassland
報告番号 126437
報告番号 甲26437
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第627号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 准教授 ザール,キクビツェ
 東京大学 准教授 松崎,浩之
 東京大学 准教授 田村,憲司
内容要旨 要旨を表示する

生態系の炭素循環において土壌は大気の約2倍、植物バイオマスの約2.6倍の炭素を貯留しており、重要な炭素のリザーバーとして注目されている(Schimel 1995)。しかし、土壌は推定が困難な部分であり、いまだ研究の余地を残しているといえる。

また、今までの炭素循環研究は定常状態の極相生態系を調査対象にしたものが多く、植生遷移途中の変化しつつある生態系を調査した研究は少なかった。また、一次遷移においては遷移の進行とともに土壌有機物が蓄積されることが知られているが(Tezuka 1961)、土壌がはじめから存在する二次遷移において土壌炭素がどのように変化するかはまだ明らかにされていない。

また、土壌炭素動態を包括的に捉えるツールとしての炭素の安定同位体である13C/12C比を用いた研究が行われてきている。また、近年では微量分析手法である加速器質量分析法(AMS)が普及したことによって、従来の手法では測定することが難しかった放射性同位体である14Cを用いた検討も海外では報告例が出始めている(Trumbore 1996)。この手法は前述のように日本では適用の事例がないが、このような同位体を用いた手法では採取するサンプルが少ないため、狭い調査地にも適用できるという特徴がある。このことは、日本のような広大かつ均質な調査地のないような場所における、大規模野外実験は難しいという問題を解決できるものと考えている。

研究の目的

本研究では二次遷移に伴う生態系炭素貯留量および土壌炭素動態の変化を明らかにするため、遷移途中にある草原と森林においてこれらを植物生態学的見地から調査し、比較した。まず、日本の草原および森林における土壌炭素動態評価への炭素同位体測定の有効性の検証を行った。植生変化は土地利用変化、植生遷移などの要因で起こるものと考えられるため、植生変化によって土壌に供給される有機物の量および質が変化し、土壌の質を変化させるのかを検討した。

本研究ではススキ草原に多くみられる黒ボク土に着目した。黒ボク土の腐植は多くの腐植酸を含み、アルミニウムと配位結合することによって安定している。その形態は特徴的なもので黒ボク土の炭素貯留システムを明らかにすることには意義がある。しかし、黒ボク土にアカマツが侵入するとアカマツリターより有機酸が供給され、配位結合を破壊することによって腐植を不安定にする。それによって腐植は分解され、黒ボク土の炭素量は減少するとされている。しかしその分解過程はまだ明らかにされていない。

本研究では、まず、人為的に維持されてきたススキ草原の植生遷移に伴う植生変化が土壌に与える影響を明らかにすることを第一の目的とし、最終的には黒ボク土の分解に関する仮説を同位体の観点から検証し、土壌炭素減少のメカニズムを明らかにすることを目的とした。

3.分析・解析手法

調査地は筑波大学菅平高原実験センター(36°31´N, 138°21´E, 標高1,320m, 年平均気温 6.5℃, 年降水量 1,102mm 冷温帯, 長野県)内のススキ草原、アカマツ林の土壌を使用した。

まず、土壌調査を行い、土壌サンプルを採取、炭素量の測定を行った。土壌サンプルのδ13C値を測定しC4植物であるススキ起源炭素量の推定を行った。Δ14C値を測定し土壌炭素の平均滞留時間の推定を行った。1980年代に同じ調査地で採取された土壌のΔ14C値を測定した。Trumbore(1993)モデルを適用して平均滞留時間スケールごとの土壌炭素の割合を推定した。国際標準土壌分画法(IHSS法)によって、腐植成分を抽出、Δ14C値を測定し、比較した。

4.結果

・δ13C値は、C3植物とC4植物の中間の値を示し、両サイトでC4植物(ススキ)の影響を受けており、それらに大きな違いがなかった。土壌炭素の平均滞留時間(MRT)は、A層上部で長かった。

・MRTスケールごとの土壌炭素の割合は、ススキ草原では深さとともに100年の成分から10000年の成分がメインに変化するのに対し、アカマツ林では中層において10年の成分が多く、100年の成分がなくなることがわかった。腐植成分のΔ14C値はヒューミンと腐植酸ではほぼ同じ傾向を示した。フルボ酸では、アカマツ林でよりヒューミン、腐植酸に近い傾向を示した。

5.議論

MRTが長くなった理由には、「MRTが短い成分が減少した」「MRTが長い成分が増加した」の2つの場合が考えられる。ただし、以下の理由から後者は考えにくい。すなわち、δ13C値より、アカマツ(C3植物)による土壌炭素の増加は極めて少ないと考えられる。また、土壌炭素量が植生変化により激減していることから、「MRTが長い成分が増加した」は考えにくい。このことから、植生変化に伴ってMRTが短い部分が減少し、土壌炭素量が減少したものと考えられる。

ススキ草原は管理され続けており土壌が定常状態にあるのに対してアカマツ林は管理放棄されたことによる植生遷移とそれに伴う土壌有機物の形態変化が現在も続いており、土壌有機物が不安定になり、土壌有機物貯留量が減少していると考えられる。

特に活性アルミニウムなどと結合した土壌有機物中の腐植酸が減少し、フルボ酸になることによって土壌有機物が不安定になって、有機物組成が変化しているものと考えられる。

6.結論

全炭素および腐植酸が分解されることが同位体比測定を通しても明らかになった。ススキ草原の黒ボク土はアカマツの侵入によって腐植が不安定化し、土壌炭素量が減少する。植生の遷移条件下での黒ボク土の土壌有機物形態ごとの滞留時間を測定した。ススキ草原の森林化に伴って腐植酸が不安定化してフルボ酸のかたちで溶脱するという仮説に整合的であった。植生変化によって土壌炭素貯留に量的および質的変化が引き起こされる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,本論文は,ススキ草原の黒ボク土に蓄積された土壌有機物が,アカマツ林への二次遷移に伴って減少するメカニズムを,土壌炭素の同位体比測定によって明らかにしたものであり,6章からなっている.第2章から第5章までは,松崎浩之,田村憲司,宮入陽介,大澤雅彦,福田健二らとの共同研究であるが,研究計画,データ収集,解析において申請者が中心的な役割を果たしており,申請者の寄与は十分であると判断した.

第1章においては,まず,陸域生物圏における炭素蓄積として大きな役割を果たしている土壌有機物の動態について,特に草原が森林へと遷移することに伴う土壌有機物の蓄積量の変化に関する既往研究を整理し,本研究の背景と目的を述べた.日本は温暖多雨な気候条件により,国土のほぼ全域において極相は森林であるが,刈り取りや火入れなどの管理によってススキ(Miscanthus sinensis)などが優占する草原として長期間維持されてきた土地が,全国各地に存在する.しかし,戦後の高度成長に伴う生活様式の変化や農林業の衰退,山村の過疎化などに伴って,これらのススキ草原がアカマツ林などの森林へと遷移している例がしばしば見られるようになった.このような土地利用変化に伴う土壌有機物動態の変化については,さまざまな異なった報告がなされている.特に火山灰を母材とするススキ草原の黒ボク土は,土壌有機物を多量に蓄積していることが知られているが,アカマツ林への二次遷移に伴って,蓄積されていた土壌有機物が減少する例が報告されている.このような土壌有機物の蓄積量の減少のメカニズムを明らかにすることを本研究の目的とした.

第2章においては,調査地として選定した,長野県上田市に位置する筑波大学附属菅平高原実験センター内のススキ草原およびアカマツ林の概要を記述した.調査地は,標高1320mで冷温帯に属し,極相はブナ林である.菅平高原実験センター内には,それぞれ約5haのススキ草原とアカマツ林が隣接して存在している.このススキ草原とアカマツ林は,1960年代までは一つのススキ草原として同様に刈り取りなどの人為管理が行われていたが,1971年から植生遷移の実験地として,東半分のみ管理を中止して二次遷移を進行させ,西半分は毎年10月に刈り取りを行ってススキ草原として維持してきたものである.現在,東半分はアカマツが優占する森林へと遷移している.

第3章においては,この調査地のススキ草原およびアカマツ林の土壌炭素貯留量を=ヒ壌断面調査とサンプルの炭素含有率の測定によって明らかにした.いずれも土壌型はEAOの土壌分類においてMelanic Andosolに分類される黒ボク土で,ススキ草原のA層の厚さは60cm,アカマツ林では40cmであった.各層位の土壌炭素蓄積量の測定の結果,Ah1層の炭素蓄積はススキ草原の10.7kgC・m2からアカマツ林の4.4kgC・m2へと減少し,深さ1mまでの土壌全体では53.1kgC・m2から282kgC・m2へと大幅に減少していることが示された.

第4章においては,炭素同位体を用いた土壌炭素動態の推定を行った.まず,安定同位体である13Cの同位体比(δ13C)を各土壌層位について測定し,土壌炭素として蓄積している有機物の由来を検討した.光合成時の同位体分別の程度の差異によって,ススキなどのC4植物由来の炭素は,アカマツなどのC3植物由来の炭素に比べてδ13Cが高くなる.調査地の土壌炭素のδBCは,ススキ草原で-23‰~-18‰,アカマツ林では-31~-26‰であった,この結果は,いずれの土壌でもススキ由来の土壌有機物が大きな割合を占めていることを示唆した.

次に,放射性同位体である(14)Cの同位体比(Δ14C)を各層位について測定した.植物およびその遺体や腐植のΔ(14)Cは,植物が生存している時には大気のCO2のΔ(14)Cと等しいが,枯死後は,(14)Cの放射性崩壊によって一定の割合で低下していく.また,過去の大気中の(14)C濃度は,1960年代に行われた核実験によって大きく上昇し,その後ふたたび低下した.このBomb effectを利用して,Δ(14)Cから土壌炭素の平均滞留時間を推定することができる.このBruunのモデルを利用し,調査地の土壌炭素の平均滞留時間(MRT)を求めた.その結果,Ah1層では土壌炭素のMRTはススキ草原とアカマツ林でほぼ等しかったが,Ah2層およびAh3層ではススキ林に比べてアカマツ林の土壌炭素のほうがMRTが長かった.一方,より深いAh4層では,ススキ草原の土壌炭素のほうがMRTが長かった.これらの結果から,植生の二次遷移に伴って,A層の上部~中部では,ススキ草原の土壌中に蓄積していたMRTの短い化合物が分解されて減少したこと、A層下部ではMRTの永井有機物が減少したことが推測された.

さらに,1980年代に同じ調査地において採取された土壌試料を用いてΔ(14)C測定を行い,前述の試料と比較した.採取年の異なる試料を比較することで,土壌表層では比較的新しく供給されたリター由来であり,アカマツ林化に伴って土壌炭素プールの回転が早まっていることが示唆された.

第5章では,土壌有機物を,国際標準土壌分画法(IHSS法)に従い,腐植酸,フミン酸,ヒューミンに分画し,それぞれのΔ(14)Cを測定した.ススキ草原,アカマツ林ともにフルポ酸のΔ(14)C値は,腐植酸,ヒューミンに比べて高く,腐植酸とヒューミンの値はほぼ等しかった.フルポ酸のΔ(14)C値は,Ah2,Ah3層においてアカマツ林のほうがススキ草原より低かった.このことから,アカマツ林においては腐植酸,ヒューミンがフルポ酸へと分解され,不安定化していることが示唆された.

以上のように,黒ボク土上を持つススキ草原の管理放棄によって,アカマツ林への二次遷移が進行すると,土壌中の腐植の不安定化によって,土壌中の炭素蓄積量が減少することが明らかにされた.

土地利用や植生の変化に伴う生態系の炭素蓄積量および炭素動態の変化を明らかにすることは,地球温暖化をもたらす大気中CO2濃度の変化と密接な関係があり,環境学における重要な課題の1つである.本研究は,高度経済成長以後の日本の農山村の変化の1つであるススキ草原の管理放棄による森林化が,黒ボク土に蓄積されていた腐植の分解をもたらすメカニズムを,炭素同位体を用いて初めて明らかにしたものである.

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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