学位論文要旨



No 126442
著者(漢字) 川原,志郎
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,シロウ
標題(和) 化学物質の複合影響に関する研究 : ヒメダカへのエストロゲン作用に関する化学物質の複合影響
標題(洋)
報告番号 126442
報告番号 甲26442
学位授与日 2010.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第632号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,充
 東京大学 教授 影本,浩
 東京大学 准教授 吉永,淳
 熊本大学 教授 有薗,幸司
 国立環境研究所 主任研究員 鑪迫,典久
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

現在環境中には膨大な量の化学物質が存在し, ヒトや野生生物は常に複数の化学物質に曝露されている。これは実際に野生生物の体内からは複数の外因性の化学物質が検出されていることからもわかる。複数の化学物質に曝露された場合の生体への影響は単独の化学物質に曝露された場合とは異なると予想されるが, 現在のところその知見は限られたものとなっている。環境基準をはじめとする化学物質の規制値などは単独化学物質曝露時の毒性値を基に安全係数を掛けた値に設定されており, 化学物質が複合的に曝露した場合の影響については必ずしも考慮されていない。今後, より安全な環境を構築するためには複数の化学物質に曝露された場合の影響の変化を考慮した化学物質の管理が必要である。

化学物質の複合影響を検討するにあたり, バイオアッセイを用いることが有効であると考えられる。バイオアッセイは, 対象とする生物が棲む環境中から受ける全ての影響を総合的に評価できるという利点があり, 現在までに環境調査に用いた報告は多くなされている。しかしながら, 化学物質の複合影響を評価するという観点から行われた研究報告は少ない。ここで, 本研究では化学物質の複合影響を検討するにあたり, バイオアッセイの有用性を検証した。

また, 本研究では水生生物であるヒメダカを用い, エストロゲン作用のバイオマーカーである血中VTG濃度を指標として, 作用機序の異なる複数の化学物質に曝露された場合に, その影響に変化があるのか, またあるとしたらどのように変化するのかを明らかにすることを目的とした。

化学物質の複合影響と一言に言ってもその組み合わせは無数にあり, 影響を予測し, 化学物質の管理をしていくためにはある程度の仕分けが必要と考えられる。そこで本研究では化学物質の曝露影響を変化させるひとつの主要な生理メカニズムである薬物代謝酵素活性に着目した。

2. 実験

2.1.1 エストロン(E1)と β-naphthoflavone(βNF) および α-naphthoflavone(αNF)の複合曝露

水環境中の総エストロゲン活性には天然のホルモンであるestrone(E1)が大きく寄与している。一方, 環境中の代表的汚染物質として多環芳香族炭化水素(PAHs)がある。多くのPAHsは体内に取り込まれた後, アリルハイドロカーボンレセプター(AhR)に結合し, 薬物代謝酵素CYP1A(EROD活性)を誘導する。

薬物代謝酵素が誘導されている状態でE1が体内の取り込まれた場合, 代謝が促進されることにより体内からの排泄速度が増すため, その影響は小さくなる可能性がある。一方でE1は体内において17β-Hydroxysteroid dehydrogenaseによりE2に変化することも知られおり, 代謝の過程における水酸基の導入位置により, エストロゲン活性を大幅に上昇させる可能性を有していると考えられる。これらのことより, E1の曝露時に体内において酵素系になんらかの異常が起きていればE1の生理作用は大きく変化する可能性がある。

環境中の代表的汚染物質であるPAHsの生理活性面から見たモデル物質として広く用いられている物質にβNFおよびαNFがある。βNFおよびαNFはどちらもAhR-ligands(AhRに結合する化学物質)である。βNFはAhRに結合した後, CYP1Aを強く誘導する。一方, αNFはAhRには結合するものの, βNFやTCDDなどのCYP1Aの強い誘導剤と共存した場合にはCYP1Aの誘導を阻害し, 自身はCYP1Aを誘導しない, あるいは僅かに誘導すると報告されている物質である。ここで本実験ではE1とβNFあるいはαNFを複合曝露し, VTG生成への影響を検討した。曝露影響の指標として血中VTG濃度とEROD活性を測定した。

2.1.2 結果および考察

本実験では環境中でのエストロゲン作用に及ぼす化学物質の複合影響を考慮して, E1とβNF あるいはαNFを複合曝露した。その結果, E1によって誘導される血中VTG濃度はβNF あるいはαNFとの複合曝露により影響を受け, どちらもE1のエストロゲン作用は抑制されることが明確に示された。

一方で, βNFの曝露時にはEROD活性の有意な誘導が確認できるのに対してαNFの曝露時にはEROD活性に有意な変化が見られなかったことから, VTGの誘導抑制にはEROD活性は直接関係がないことが明らかとなった。

βNF およびαNFがどちらもAhR-ligandsであること, また既往の研究においてAhR-ligandsに抗エストロゲン作用があることが多く報告されていることを考慮すると, 本実験において示された血中VTG濃度の誘導抑制は"AhRと結合すること"と関係しているとする説を支持するものとなった。一方で, βNF およびαNFではAhRへのアゴニスト活性に差があることが報告されていることから, AhRとは直接関係のないメカニズムも存在する可能性が示唆された。

本実験における化学物質の複合曝露影響は拮抗的な作用となったが, 単独の化学物質の曝露と比較して明確な差が検出されており, 化学物質の複合影響を検討するにあたりバイオアッセイが有用なことを示した。一方で, 化学物質の管理にバイオアッセイを用いる場合, その環境中に存在する化学物質どうしが拮抗的な作用をしていることにより, 汚染を見逃す危険性があり注意すべきことが示された。

2.3.1 トランススチルベン(t-S)とβNFの複合曝露

化学物質が体内に取り込まれた場合, 体外に排泄させやすくするために薬物代謝酵素が誘導される。この薬物代謝酵素の働きにより化学物質は構造変化を起こすが, その過程で本来の構造よりも強い生理作用を獲得することがある。これを代謝活性化という。現在までに, S9(薬物処理をした肝臓ホモジネートを9000gで遠心分離した上清)や薬物処理をしたラットやヒトなどの肝ミクロソーム区画を用いた代謝活性化試験に於いて, 基の化学物質と比較してエストロゲン活性が増加する化学物質がいくつか報告されている。それらの物質の中でも基の構造ではエストロゲン活性を持たないにもかかわらず, 代謝生成物のエストロゲン作用が特に強いものとしてtrans-stilbene(t-S)がある。t-SはヒトおよびラットのCYP1A1/2によりエストロゲン活性を持つ代謝物が生成することが報告されている。

ここで, 本実験ではCYP1Aの誘導剤であるβNFと, CYP1Aによる代謝の結果エストロゲン作用が増加する可能性のあるt-Sを複合的に曝露し, エストロゲン活性への影響を検討した。

2.3.2 結果および考察

t-SとβNFを複合曝露した結果, t-Sの単独曝露でも血中VTG濃度の上昇が確認され, 同時にEROD活性の誘導も確認された。t-S自身はERに結合しないことがレセプターバインディングアッセイにおいて示されており, t-Sはヒメダカの体内において構造変化を起こしエストロゲン活性を獲得したものと考えられた。また, 同時にEROD活性の誘導も確認できることから, t-S自身が誘導したEROD活性により, t-Sが代謝活性化されたものと考えられた。

一方, t-SはβNFと複合曝露した場合, βNFによって誘導されるはずのEROD活性を抑制するとともに, t-Sによって誘導される血中VTGの誘導が抑制される結果となった。t-SとβNFを複合曝露した場合に βNFがAhRに結合し, 正常に転写が行われればEROD活性の上昇が確認されるはずであることから, βNFはAhRに結合しなくても, あるいは転写まで行かずとも血中VTG濃度の誘導を抑制する作用を示す可能性が考えられ, AhRとは関連のないところにも, 血中VTG濃度の誘導を抑制するメカニズムがあることを示唆するものとなった。

3. 総括

本研究においては, ヒメダカを用いて血中VTG濃度の変化をエンドポイントとして, 化学物質の曝露影響に変化をもたらす主要な因子のひとつである薬物代謝酵素活性を考慮しつつ, 化学物質の複合影響について検討した。

本研究においては, 作用機構の異なる化学物質の複合曝露によりそれぞれ単独の曝露によるエストロゲン作用に変化が起こり得ることが明確に示すことが出来た。また, 抗エストロゲン作用に関しては新たなメカニズムの存在の可能性を掘り起こすことが出来た。生体内では様々な機能が働いており, 化学物質の複合影響を評価するにあたり, 個別のメカニズムのみではなく, 生体の反応をより統括的に考えるべきことを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「化学物質の複合影響に関する研究~ヒメダカへのエストロゲン作用に関する化学物質の複合影響~」と題し、化学物質の複合曝露による影響の変化を明らかにするために行った研究の成果をまとめたものであり、5章からなる。

第1章は序論であり、複数の化学物質に囲まれて生活する生物の現状と化学物質の複合影響を検討することの重要性について解説している。

本研究では化学物質の複合影響を検討するにあたり、バイオアッセイを用いることの有用性を検証している。対象生物としてヒメダカを用い、エンドポイントをエストロゲン活性の指標となる血中ビテロゲニン(VTG)濃度としている。また、化学物質の影響に大きく影響を及ぼすと考えられている薬物代謝酵素、中でも環境中の代表的な汚染物質である多環芳香族(PAHs)やダイオキシン類の曝露によって誘導される薬物代謝酵素CYP1A(EROD活性)に着目し、作用機序の異なる化学物質を曝露した場合に、その影響がどのように変化するのかを明らかにすることを目的とすると述べられている。

第2章では、以降の章で行う具体的な実験方法について記されている。

第3章では、水環境中の総エストロゲン活性のうち高い寄与率を占めるエストロン(E1)と、代表的汚染物質であるPAHsやダイオキシン類と同様な生理作用(AhR-ligands)を有するβ-naphthoflavone(βNF)およびα-naphthoflavone(αNF)を複合曝露した結果、どちらの物質もE1による血中VTG濃度の誘導が抑制されることを明確に示している。また、同時にβNFとαNFではEROD活性の誘導能に差があるにもかかわらず、血中VTG濃度の抑制が同程度で起きていることから、この血中VTG濃度の抑制効果にはEROD活性は直接関係が無いことを明らかにした。この現象はβNFとαNFがどちらもAhR-ligandsであることと既往の研究を考慮すると、AhRに作用することと抗エストロゲン作用との関連性を示唆させるものである。また、一方でβNFとαNFではAhRへのアゴニスト活性が異なるとの報告があることから、AhRとは関係のない抗エストロゲン作用のメカニズムの存在が示唆されるものとしている。本実験では化学物質の複合曝露により、影響が拮抗的なものとなり、バイオアッセイを環境管理に用いる場合には汚染を見逃す危険性があり、注意が必要であろうことが述べられている。

第4章ではヒトおよびラットのCYP1A1/2によって代謝活性化し、エストロゲン活性を獲得することが知られているtrans-stilbene (t-S)とβNFを複合曝露している。その結果、t-Sは単独曝露においても血中VTGを誘導することを示し、これはt-S自身が誘導したEROD活性により、代謝活性化したことによるものと述べられている。一方、t-SはβNFと複合曝露した場合、βNFによって誘導されるはずのEROD活性を抑制するとともに、t-Sによって誘導される血中VTGが抑制されることを示した。t-SとβNFを複合曝露した場合に βNFがAhRに結合していれば、EROD活性の上昇が確認されるはずであることから、βNFはAhRに結合しなくても血中VTGの誘導を抑制する作用を持つことが示された。このことより, エストロゲン作用の抑制にはAhRとは直接関係しない別のメカニズムが存在することが強く示唆された。

第5章は総括であり、本論文の成果をまとめている。

以上、要するに本論文は、化学物質の複合影響を検討するにあたり、バイオアッセイを用いることで単独の曝露と比較してその影響の変化を検出できることを明確にし、抗エストロゲン作用に関してはAhRに直接関連しない新たなメカニズムが存在する可能性を掘り起こすとともに、生体内の個別の作用メカニズムは必ずしもin vivoでの影響には反映されず、複合影響を評価するためには生体の反応をより統括的に考えるべきことを明らかにしたものであり、環境システム学の発展に寄与するところが少なくない。

よって、本論文は博士(環境学)の学位請求論文として合格と認められる。

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