学位論文要旨



No 126454
著者(漢字) 孫,軍悦
著者(英字)
著者(カナ) ソン,グンエツ
標題(和) <誤訳>のなかの真理 : 現代中国における日本現代文学翻訳に関する一考察
標題(洋)
報告番号 126454
報告番号 甲26454
学位授与日 2010.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1017号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 教授 エリス,俊子
 東京大学 教授 山田,広昭
 東京大学 教授 代田,智明
 フェリス女学院大学 教授 島村,輝
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、現代中国における日本現代文学の翻訳をめぐる歴史研究である。すなわち、一つの文学テクストがどのように翻訳を通して、ある社会の具体的な歴史的時空に浸透し、その社会構成体の不可欠な一部として多様な機能を果たしていくのか、という翻訳と社会の動態的な相互形成史を浮き彫りにすることである。論文の内容は以下の通りである。

序論はまずこの研究の対象と方法を明確に提示した。すなわち、特定の文学テクストがどのようにわれわれの視野に留まり、如何に翻訳されたかを、原作と翻訳者を取り巻く具体的な社会的、歴史的、文化的コンテクストのなかで検討し、翻訳テクストがどのように多様な読者群によって受容され、またどのようにその受容の様式を部分的に規定するかという問題を、個々の翻訳テクストに関する綿密な分析を通して、翻訳テクストと読者の置かれた歴史的時間と空間のなかで考察する。さらに、翻訳の受容がどのように翻訳を取り巻く現実社会そのものに影響を及ぼし、翻訳の生成過程と受容様式自体に新たな変化をもたらすのかを検討することである。

また、この論文で行われる翻訳研究の方法を次のように規定した。

第一、翻訳対象の選択基準を、既存の時代に対する紋切型の観念から想像するのではなく、具体的な歴史的状況における社会全体の権力構図のなかで捉えること。

第二、翻訳過程に現れた「誤読」、「誤訳」をそれぞれ無関連の個別的な誤りとして、それぞれの誤りの言語的、文法的、文化的起因を考えるのではなく、互いに関連する一つの全体として捉え、訳者と読者の解釈を構造化している知識と信念の体系を浮き彫りにする痕跡として分析すること。

第三、翻訳を、原テクストの言語を理解しない読者に向けられた伝達の様式として理解するのではなく、隠蔽された欲望、抑圧されたメッセージが顕われる場として捉え、翻訳研究を、翻訳テクスト、すなわち原テクストに対して施された翻訳作業(変形、拡張、圧縮、置換など)を遡及的に分析することによって、その無意識的な欲望を析出する方法と考えること。

第四、「誤訳」を単に翻訳行為の結果として考えるのではなく、現実社会においてイデオロギー的な効果を発揮するものとして捉え、翻訳がいかに正しく伝達することを通してではなく、いかに「誤認」、「誤解」、「誤読」、「誤訳」を通して現実社会に働きかけているかを考えること。

第五、中国語と日本語という二つの截然と分かれた言語共同体を前提とせず、その人為的な境界地域で彷徨う言語に注目し、語の「多数性」と「多様性」が翻訳過程においていかに変化し、またいかなる変化を巻き起こすかを考察すること。

第六、原テクストから翻訳テクストへの一方通行的な発想に囚われず、翻訳テクストに関する研究を通して原作の読み直しを試みること。

具体的な研究対象に関して、本研究の目的に合わせ、現代中国社会に深く溶け込み、多様な機能を果たしていた文学テクストを選んだ。

第一章「翻訳の歴史と<歴史>の翻訳―井上靖の『天平の甍』の中国語訳について―」は、1960年代において、安藤更生の『鑑真大和上伝之研究』と井上靖の『天平の甍』という二冊の書物を契機に、これまで無名であった鑑真という人物が日中友好の象徴として歴史の地表に浮上した経緯を明らかにした。1963年に突然行われた鑑真記念行事と『天平の甍』の翻訳によって、鑑真は中日文化交流の上に不滅の業績を遺した英雄として発見され、日中両国において広く知られるようになった。その背後に、鑑真の物語を、中日両国の「2000年余」の友好的な文化交流の歴史を宣伝する格好な素材として象徴化し、鑑真記念行事のような「民間文化交流」を通じて中日国交樹立を推進する、という二重の政治的目的があったのだ。そして、逆説だが、『天平の甍』の中国語訳に描かれた戒師招請という歴史的事件がまさに政治性を帯びない純粋な文化的事件に翻訳されたことによって、この政治的役割を果たしたのである。さらに、その翻訳テクストの分析を通して浮かび上がったのは、遣唐使の派遣を「宗教的、文化的なもの」として意味づけ、その「政治的意図」よりも、「留学生、留学僧」に注目するよう読者を予め方向付ける、原テクストそのものの構造である。

さらに、鑑真の物語によって強化された「2000年余にわたる友好の歴史」と「数十年の不幸の歴史」を区別するという歴史観は、侵略戦争の加害者である極少数の軍国主義者と被害者である大多数の日本国民を峻別する中国政府の戦争責任に対する態度とも呼応し、不幸な歴史と友好の歴史、戦争の加害者としての軍国主義者と被害者としての日本国民、敵と友、批判と交流、という今日なお根強く存在する二項対立的な「日本認識」の一部として機能しているのである。翻訳と翻訳を取り巻く現実的環境が常に互いに形成しあうのである。

第二章「論理・推理・法―1970年代末から80年代末における日本推理文学の受容―」は、「推理小説」という名称、推理小説という文学ジャンル、推理小説を原作とする映画が、それぞれどのように変形しながら中国社会の歴史空間に浸透し、多様な機能を果たしていたかを、80年代にわたる中国社会の変動のなかで追跡したものである。

まず、日本において「探偵小説」と同義の記号に過ぎぬ「推理小説」が1970年代末に中国に翻訳されると、その「推理」が論理学の専門用語である「推理」の同義語として理解され、「推理小説」は論理学と法学に結び付けられたのである。それによって、「推理小説」は、「法」と「科学」に密接にかかわる、独自な題材、表現手法と効用をもつ新しい文学ジャンルとして立ち現れるのである。また、それと並行的に、日本文学研究者が「社会性推理小説」の社会的批判性を強調することによって、「ブルジョア階級の典型的な文学」と指弾された「探偵小説」に合法性を与えた。こうして「推理小説」は、資本主義社会の科学技術、司法経験を見習うことと、資本主義制度を批判すること、という相矛盾する二つのイデオロギー的機能を課されることとなった。そのため、外国推理文学の翻訳と受容は、資本主義化を警戒する勢力と、改革開放を強力に推進しようとする勢力が闘争を繰り広げる場となったのだ。

一方、推理小説を原作とする映画は小説と違い、その翻訳過程においてさまざまな編集が施され、現実において諸々の効果を発揮していたのだ。例えば、『君よ憤怒の河を渉れ』は翻訳と編集によって、反権力、反体制的志向と法に対する批判的視点が消され、勧善懲悪的な道徳の物語と自由奔放な愛を謳歌するメロドラマに変貌した。法を新たな社会統制の規範として打ち立て、警察と検察の権威性と法律の不可侵性を盛んに宣伝する時代状況のなかで、法の権威を守ろうとする編集は逆に、法をこの映画から消してしまったという皮肉な結果を招いたのである。『人間の証明』と『砂の器』は、日本語の社会派推理小説から中国語版の映画になる過程において、自己と他者とを和解する免責装置として形成され、文化大革命を経験した民衆のなかに深く根を下ろしたのだと思われる。そして、映画のヒットによって巻き起こったミステリーのブームは、「法制文学」という新しい概念が生まれる契機となったのである。1980年後半に、法と権力そのものに矛先を向けるノンフィクションが「法制文学」の実体となり、「法制文学」という概念を実質的に領有したのだ。そして、「法制文学」に組み込まれてからますます「猥褻、暴力」に傾斜する「推理小説」の通俗性とノンフィクションの批判性が合流し、1989年の政治運動を引き起こすエネルギーとなっているのではないかと筆者が考えている。

第三章「<誤訳>のなかの真理―中国における『ノルウェイの森』の翻訳、出版と受容―」は、翻訳テクストに関する綿密な分析を通して、1989年に翻訳された村上春樹の『ノルウェイの森』の受容史を90年代の中国社会の具体的な転変過程において考察したものである。

90年代に入ると、市場経済体制の確立に伴い、かつて社会主義計画経済体制下で一体化した文学の生産・出版システムが大きく変容した。『ノルウェイの森』の中国語訳は、ベストセラー生産モデルの確立や、文化市場における市場戦略の浸透、また90年代に上海をはじめとする都市建設の政治性、様々な外来文学、文化の輸入における相乗効果など、これら諸々の要素から織り成される90年代の中国社会全体のダイナミズムで読まれていたのである。特にグローバル化が進む90年代末の上海において、《〓威的森林》は、資本主義的世界システムとしての「世界史」に最初から組み入れられた、新たな歴史記述をつむぎだすための一つの装置として機能していたと理解することができる。これは『ノルウェイの森』の独特な翻訳と密接にかかわっているのである。中国における村上春樹の受容過程を辿ると、浮かび上がってくるのは、政治の文学に対する単純な支配ではなく、文学と市場経済と国家イデオロギーとの複雑な絡み合いであり、グローバリズムとナショナリズムの対立ではなく、両者の互いに抱き合いながらせめぎあう錯綜した関係にほかならない。

以上の三つのテーマに関する分析を通して、本論は、翻訳と歴史との相互形成の動的様相を浮き彫りにし、翻訳と歴史との内在的な関連性を捉える翻訳研究の方法を探究した。翻訳そのものに対する理解を深めることだけでなく、翻訳を通してのみ捉えられる歴史の側面がないかを検討するのも本論の目的のひとつである。そして、文学研究がますます内向化する状況のなかで、文学以外の多くの研究領域の成果を取り入れた本研究自体が、他領域の研究に寄与するものとなることを期待しているのである。

審査要旨 要旨を表示する

孫軍悦氏の博士学位論文「〈誤訳〉のなかの真理─現代中国における日本現代文学翻訳に関する一考察─」は、一九六〇年代、八〇年代、九〇年代という三つの時代に分けて、中華人民共和国における、日本の現代文学の翻訳についての研究である。

孫氏の翻訳分析の第一の独自性は、翻訳されたテクストにおける「誤訳」の問題に着目したところにある。孫氏は「誤訳」の発生した要因を、翻訳者が身を置いている同時代の歴史的政治的状況と結びあわせ、翻訳者自身の中に存在した「無意識的欲望の徴候」の表現として読み解いていった。

結果として、それぞれの時代において、中華人民共和国における、日本に対する社会的な集合意識が、どのように翻訳者の「誤認」や「誤解」や「誤読」を発生させたかを明らかにすることを可能にした。すなわち翻訳分析によって、それぞれの時代の中国社会に対する精神分析的な批評にも、この論文はなっている。

第二の独自性は、それぞれの時代における中国社会の構成のされ方の中で、どのような日本に対する意識や感覚が支配的であったのかを、文学テクストの翻訳の表現の特質から明らかにしたところにある。すなわち中国社会の変容や転換の契機が、どこにあったのかを、文学テクストの表現との相関関係の中で記述することを本論文は実現しているのである。

第一章では、一九六〇年代に翻訳された、安藤更生の『鑑真和上伝之研究』と、これをふまえた井上靖の『天平の甍』の翻訳が分析されている。同時代の日本はもとより、中国の人々も知らなかった鑑真が、当時の中国政府が進めようとしていた、民間の文化交流を通じての日中国交回復の象徴として位置づけられていった経緯が明らかにされていく。

鑑真の物語をとおして、中国と日本の「二千年余にわたる友好の歴史」が存在したかのように中国社会の中で描き出され、これと対立的に戦争による「数十年の不幸の歴史」が対比されていった。この構図が、中国社会における「日本認識」の現在にまでいたる基本的型であることもあわせて明らかにされている。

第二章では、一九八〇年代に集中的に翻訳紹介された松本清張や森村誠一などの、日本の「社会派推理小説」の「推理」という二字熟語についての「誤解」と「誤認」が論じられている。

「推理」という二字熟語が、一方では論理学の専門用語として、他方では伝統的な漢語の用語として二重に解釈されたため、それまでの中国にはなかった、法論理学というあらたな学問分野を生み出してしまった経緯が明らかにされていくのである。そのことは、慣習ではなく成文化された法律によって社会を統治していこうとする、一九八〇年代の中国の国家的要請とも結びついていたことも論述されている。

さらに、「社会派推理小説」を原作とする映画の、中国語への吹き替えの過程で、意識的な「誤訳」が行われ、法の権威を宣伝しようとする中国国家の意図の下で、「法制文学」という新しい文学概念が生み出されていく過程がきわめて説得的に分析されていく。

第三章では、一九九〇年代の村上春樹の『ノルウェーの森』の翻訳をめぐって、中国社会で発生した大きなブームが分析の対象とされている。翻訳者の林少華の中に刻まれていた中国の文化大革命の記憶をめぐる精神的外傷(トラウマ)と、日本における新左翼の学生運動についての外傷的体験が翻訳の中で複合されていることが明らかにされていく。

そのうえで、「天安門事件」以後の中国社会における読者の意識と感性が、この二つの精神の傷をめぐる文学表現と、どのような相互作用を生み出していったのかが具体的かつ論理的に実証されている。

孫氏の論文に対して、審査委員からは、各章の量的なバランスがとれていないこと、第二章で獲得されている理論的地平が、一章と三章では十分に生かされていないこと、作品の取り上げ方が恣意的であるという印象をぬぐえないという批判が出された。また、各章で論じられた諸問題が、終章でより高次な理論化がなされるまでにはいたっていないという指摘もあった。

しかし、文学テクストの翻訳が、近代における長い戦争の時代を経た後の、中国と日本の関係に対して、中国社会においては、どのような意識化されていない欲望がはたらいていたのかについて、きわめて精緻な分析がなされている本論文は、きわめて優れた到達を示しており、本審査会は、博士(学術)の学位を授与されるにふさわしいものと認定する。

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