学位論文要旨



No 126457
著者(漢字) 韓,程善
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ジョンソン
標題(和) 江戸川乱歩と映画 : 一九二〇年代日本文学における映画受容の文脈から
標題(洋)
報告番号 126457
報告番号 甲26457
学位授与日 2010.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1020号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 今橋,映子
 東京大学 教授 井上,健
 東京大学 准教授 野崎,歓
 東京大学 准教授 佐藤,光
 成蹊大学 教授 浜田,雄介
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文は、江戸川乱歩(本名・平井太郎、一八九四-一九六五年)の一九二〇年代の作品を分析対象とし、乱歩の文学テクストの内部に映画というメディアがいかに受容されていたかを考察するものである。本論文の主な目的は、今まで見過ごされてきた「乱歩と映画」の関係性に焦点をあてて、比較芸術論的な観点から乱歩の作品の豊かさを証明することである。しかしながら、より大きな目的は、一九二〇年代の「文学と映画」の相貌を総体的に考察することにもある。

そもそも大正期から昭和初期の文壇では、谷崎潤一郎、菊池寛、川端康成、横光利一など、映画と直接関わりを持った作家が多数存在する。また、昭和初期にシネ・ポエムという新たな詩の形式が登場したのは、当時、映画というメディアが文学者の創作活動において、いかに重要な参考項として意識されたかを、何より克明に物語っている。このような映画に触発された文学表現は、一九二〇-三〇年代の文学を特徴づける重要な論点として指摘され、とりわけ、十重田裕一氏をはじめとする研究者たちによって、「新感覚派映画連盟」を結成した新感覚派作家たちを中心に、研究が蓄積されてきた。

だが、谷崎潤一郎、川端康成、横光利一などの同時代文学者たちと映画についての研究が活発に行なわれてきたのに比して、「江戸川乱歩と映画」との関わりについては、きわめて限られた研究しか行われてこなかったのが実状である。それは今まで文学研究の主な関心が「純文学」の範疇に属する作家たちに偏っていたことと、実は無関係ではないだろう。

「乱歩と映画」との関わりといえば、まず思い浮かぶのは、小説作品の映画化であろう。乱歩の場合は、本格的に映画化がされはじめた終戦直後から現在に至るまでに、四〇本を超える映画作品が製作されている。このような現象は、彼の小説作品のなかに映画的要素が含まれていることを確かに証している。しかし乱歩の場合、「文学」と「映画」の関係について、小説の映画化については従来認識されてきたが、乱歩の小説自体に内在している映画からの影響については充分に論じられてこなかった。本論文では、乱歩がいかなる経路で映画というメディアと接し、それがその後の小説の構造や文体、描写にどのような影響を与えたのか――つまり「映画」から「文学」への影響に重点を置く。

純文学と大衆文学の越境者であった江戸川乱歩は、文学と映画という二つの領域を前にしても柔軟な態度を見せた。「芸術表現の手段として、文学、絵画、音楽等をひっくるめて活動写真に及ぶものなしとまで思いつめている」(「映画横好き」『映画と探偵』一九二六年四月)、「探偵と映画と云へば、切っても切れない兄弟分のような気がする」(「探偵映画其他」『映画時代』一九二六年九月)、「映画は探偵小説と同じ様に好きで、一度映画になり得る様な探偵小説なり、シナリオなり書いて見たい」(「探偵映画其他」『映画時代』一九二六年九月)といった記述は、彼の文学的想像力が、映画という表現媒体と通底していることを示唆する。特に乱歩の映画熱が無声映画時代に集中していたことは、一九二〇年代という時代性と決して無縁ではないことを裏付ける。

それゆえ、本論文では「文学と映画」をめぐる同時代の言説空間のなかに乱歩を並置して考察する。こうした観点によって、乱歩独自の映画観が浮き彫りにされると同時に、当時の文壇に映画がもたらした影響そのものを問い直す糸口になると考えたからである。したがって本博士論文は、乱歩の初期文学論として作品分析をしつつ、一九二〇年代文学と映画との相互関係の一端を明確に示すことを目的とする。

論文の構成は、第I部「映画と文学と一九二〇年代」、第II部「平井太郎と活動写真」、第III部「江戸川乱歩の映画的想像力」の三部構成とした。

第一章と第二章から成る第I部では、「一九二〇年代日本」に焦点を当てて、「文学」と「映画」という二つの芸術ジャンルが、互いにどのように位置していたかを再考した。そのため、先ず第一章では、「活動写真」から「映画」へと定着していく一九二〇年代日本の状況を多角的に考察する。その際、映画館、映画観客、映画製作本数の増加状況を検討した上で、「映画雑誌」という存在に焦点を当ててさらなる検討を試みた。映画雑誌の検討を通して、一九二〇年代特有の現象と、それをめぐる文学者たちの反応という問いに、一つの答えを提示しようとする試みである。特に一九三二年文部省社会教育局で発行した『映画雑誌目録』と、一九二六年七月文芸春秋社が創刊した雑誌『映画時代』を主な分析対象として、文学者たちは映画のいかなる点に引きつけられ、またいかなる点を拒否したのかを追究した。

第二章では、文学と映画の関わりを、「新聞小説の映画化」、そこから派生した「映画小説」という大衆的なレベルと、「文芸上のシナリオ」という文壇のレベルの二つの側面から考察を試みた。映画の大衆的な人気は、新聞・雑誌小説の映画化へとつながり、それは映画小説というジャンルを生み出した。新聞小説の映画化と映画小説の登場は、新聞雑誌の販売部数や映画の産業的な側面と深く関わるが、それと同時に、映画の叙述方式と知覚方式が大衆の間に広く伝播し、学習されるに従って、小説の形式も映画をよく知る大衆の欲求を満足させるものでなければならなくなったことにも起因する。「映画小説」と明記された小説群には、視覚的描写に満たされた叙述と、場面の切り替えというモンタージュの叙述方式を模倣・活用しているさまが見出された。それと連動して、文壇では「文芸上のシナリオ」に対する自覚が生じてきた。本論文で扱った岸田國士、芥川龍之介、佐藤春夫のシナリオは、すべて文芸上のシナリオとして試みられたものであったが、それらも映画の叙述形式であるモンタージュと映画観覧の構造、そしてカメラの知覚技法を文字の叙述形式へと転化した新たな文芸形式であったという点において「映画小説」と共通している。

第II部「平井太郎と活動写真」では、作家デビューする前の平井太郎時代に戻り、平井太郎が「活動写真論」と総称した五編の自筆草稿群の分析に重点をおいた。乱歩は、作家になる以前の一時期、実際に活動弁士や映画監督になることを目指した時期があった。ここでいう「活動写真論」はその時期(一九一七年と一九二〇年)に執筆されたもので、四編の論文と一編の分類メモ――「映画論」、「活動写真のトリックを論ず」、「トリックの分類草稿」、「トリック写真の研究」、「写真劇の優越性について」――から成る。乱歩の映画観を論ずる際には、この五つが非常に重要であることは確かだが、現在まで活字化されたのは、「写真劇の優越性について」(『文学』第三巻第六号、二〇〇二年一一・一二月、一七二―一七八頁、浜田雄介氏による翻字)の一編に留まっており、それ以外の四編については、まだ公開されていない。第II部では、平井太郎の未公刊資料「活動写真論」を翻字・紹介し、その新資料に基づいて平井太郎の活動写真観を具体的に検討した。

第四章と第五章から成る第III部「江戸川乱歩の映画的想像力」では、第II部で論じた活動写真論論文と一九二〇年代の映画界の状況という二つの側面に視野を広げて、乱歩が一九二〇年代の映画をどのように理解し、またそこから得られた感覚を、文学作品の中でどのように生かしていたのかを分析した。第四章では、三つの短編小説「白昼夢」(『新青年』一九二五年七月)、「踊る一寸法師」(『新青年』一九二六年一月)、「火星の運河」(『新青年』一九二六年四月)を取り上げて、小説にあらわれる映画性を分析し、第五章では、長編小説「パノラマ島奇譚」(『新青年』一九二六年一〇月―一九二七年四月)を分析対象とする。「白昼夢」では、顔のクローズアップやカメラの動きが巧みに調節された映画的技法を用いて、映画観客の心に及ぼす響きを、小説読者にも伝えようとした。また、「踊る一寸法師」では、フラッシュ・バックの技法を小説叙述方式に積極的に応用することによって、文体に映画画面の回転のような速度感を付与した。「火星の運河」は映画館体験をより直接的に小説的形式へと転化したものであった。第五章で取り上げた「パノラマ島奇譚」は、乱歩の映画趣味の原点とも言える「トリック写真」をはじめとして、映画が駆使し得る描写法を、物語の構造からディテールに至るまで、実に様々な側面から実験的に応用した作品だと思われる。

乱歩の映画への関心が最高潮であった一九二〇年代半ばは、第I部で論じたように、文芸映画の流行、新聞小説の映画化、映画小説の登場、文壇でのシナリオへの自覚、新感覚派映画連盟の映画『狂った一頁』(一九二六年)の製作が行われた時期であった。一九二〇年代は、文学と映画の共有する領域は何なのか、そしてその範囲はどこまでなのかを、真剣に探索した時代であり、それによって文学者たちが、改めて「書くこと」について自覚をもった時代でもあった。その時代に、映画人になることさえ一時真剣に考えていた乱歩は、映画を本格的に研究し、今度は自らの文学テクストの中に応用していく過程で、映画的表現技法を積極的に活用し、映画的イメージの再現を目指した叙述方式を実験したのである。

本論文で論じたような、当時の乱歩がいかなる経路で映画という視覚メディアと接し、それが小説の構造や文体、描写にどのような影響を与えたのかについての再検討は、乱歩の文学世界を理解する上で重要なテーマの一つになると思われる。そしてそれは、同時代の文学者たちの創作活動と映画に関する、より広い文脈からの考察を、今後可能にしていくはずである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「江戸川乱歩と映画―1920年代日本文学における映画受容の文脈から」は、江戸川乱歩が探偵小説家としてデビューする直前、未だ「平井太郎」の本名で活動写真制作を志していた1920年代に焦点をあて、平井太郎と活動写真との関係をあらゆる側面から実証的に洗い出しながら、それがいかに後の小説に昇華していったのかを作品論としても跡づけた意欲作である。

2000年代に入り立教大学を中心に、乱歩の蔵書や原稿、資料の整理が大幅に進んでいる現在、乱歩研究も新たな展開期を迎えているが、本論文はそうした活況にさらに新たな成果を提供するものとなり得ている。

元来「乱歩と映画」というテーマでは、現在までに40本を超えて制作され続けている乱歩小説の映画化がすぐに思い浮かぶが、韓程善氏はその方向ではなく、「乱歩(あるいは平井太郎)における映画的想像力の解明」という視点で追究したところに、第一の特徴があると言える。さらに筆者は、平井太郎の映画熱および映画研究をより立体的に捉えるために、無声映画全盛の1920年代に、多くの同時代文学(者)にとって映画とは何であったのかを、詳細に調べ上げた。

映画雑誌、新聞連載小説の映画化、映画小説、シナリオなど、これまで全くと言って良いほど知られて来なかった一次資料を膨大に駆使することで、映画文化論としても読み応えのある背景を押さえ、それを江戸川乱歩の小説分析に活かすという効果的な方法を用いた点も、本論の特徴であると言えよう。

本論は全体が三部(全五章)で構成されており、第I部と第II部が有機的に第III部につながるというかたちを取っている。

先ず第I部(第1、第2章)では、「映画と文学と1920年代」と題して、無声映画時代に「文学と映画」がいかなる関係にあったのかが、乱歩以外の作家たちを中心に記述される。その際、日本文学研究の領域でこれまでかなりの実績が積まれている「新感覚派あるいは谷崎潤一郎と映画」研究の実績を踏まえながらも、それ以外の作家たち(菊池寛、岸田國士、芥川龍之介、佐藤春夫など)を取り上げたところが新鮮である。ここではまず、文部省関係の新出資料が提示されることによって、例えば1925年頃の最盛期には「2、3日に1冊」は日本のどこかで映画雑誌が創刊されるような熱狂が渦巻いていたことが、初めて明らかにされている。菊池寛原作の新聞連載小説の映画化が、きわめて戦略的に行われていた様相も、当時の新聞記事を渉猟することで浮かび上がった。

さらには、「文学者と映画」とが、単なる熱狂や友好という側面で語れるものではなく、文学の可能性が映画に取って代わられるのではないかという潜在的不安や対抗意識が、逆に、文学者たちを映画制作や、新しいシナリオ形式の創造に向かわせていたことが、丁寧なテクスト分析によって明らかにされている。

続く第II部「平井太郎と活動写真」(第3章)では、無名時代の平井太郎が、映画監督を志して研究、執筆した5編の映画論(1917および1920年)のうち、いまだ活字化されていない4編について、全文の翻字を施し、それに解説を加えたものである。「映画論」「活動写真のトリックを論ず」「トリックの分類草稿」「トリック写真の研究」と題された4編は、すでに浜田雄介氏によって翻字公表されている「写真劇の優位性」と共に、演劇に対する映画の優位性を強調し、映画の特徴としてトリック(現在呼ぶところの特殊撮影)を再認識してその詳細なトリック分類を試みたものであることが、最終的に明らかになった。日本語を母語としない筆者によって、多年の努力によって翻字された新出資料の価値はきわめて高く、その分析も適切である。

最後の第III部「江戸川乱歩の映画的想像力」では、彼の代表的小説でもある4編「白昼夢」「踊る一寸法師」「火星の運河」(第4章)そして「パノラマ島奇譚」(第5章)が取り上げられる。これまでの論述で明らかになった1920年代の映画熱狂や文学者たちの映画への取り組み、そして乱歩自体が映画的想像力の核として持っていた「怪奇幻想」のテーマや「トリック」の技法を、作品分析のための鍵として用いながら、新たな作品解釈に挑んだ。その際、映画好きの乱歩が当時鑑賞した同時代欧米の数多くの無声映画を、比較対照の材料にしたことも、作品分析に効果的な力を与えている。

審査会ではまず一致して、この論文が新たに提供した、平井太郎執筆の映画論翻字資料を初めとする、1920年代映画文化に関する膨大な一次資料の貴重性、それを探究した筆者の努力、さらに江戸川乱歩の小説における映画的想像力を一貫して分析しようと試みた姿勢が、高く評価された。とりわけ、第I部、第II部の完成度が高く、早い段階での公刊が望まれる。

同時にそれだけに第I、II部に比べ、第III部の小説分析にいまだ弱い部分があることが具体的箇所で指摘された。その根源には「小説における映画的表現」とは何かという、到底、本博士論文だけでは解決不能な問題が横たわり、筆者がその困難に最初から自覚的であるだけに、今後さらなる精錬が期待される。

しかし以上の指摘は、あくまでも今後の進展への希望として語られたものであり、本論文の価値を損なうものではないことも確認された。

以上の審査結果を踏まえて、本審査委員会は全会一致で、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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