学位論文要旨



No 126458
著者(漢字) 大森,雅子
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,マサコ
標題(和) ミハイル・ブルガーコフの全一的世界観 : 初期作品から『巨匠とマルガリータ』へ
標題(洋)
報告番号 126458
報告番号 甲26458
学位授与日 2010.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1021号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,治子
 東京大学 教授 斎藤,文子
 東京大学 教授 西中村,浩
 東京大学 教授 浦,雅春
 東京大学 教授 沼野,充義
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、20世紀ロシアを代表する作家ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)の文学を初期作品から分析し、そのテーマや手法が最晩年の長篇小説『巨匠とマルガリータ』(1928-1940)の中に、最終的にいかに結実していったのかという点を明らかにしたものである。

ブルガーコフには、生涯で2度の精神的な転機があったと言われているが、先行研究において、彼の世界観の変遷と諸作品との関係が具体的に論じられたことはほとんどなかった。そこで、極めて宗教的な環境で幼少期を過ごしたブルガーコフが、青年期に医学という自然科学の分野に携わる中でダーウィニズムを崇拝し、無神論に傾倒した「第1の転機」を経て、「第2の転機」―すなわち、革命後の内戦と1920年代初頭の過激な反宗教プロパガンダとの遭遇によるロシア正教への回帰―を迎えたことが、後にイエスと悪魔に関する小説『巨匠とマルガリータ』を構想するきっかけの1つとなった点に着目する。そして、「第2の転機」が新たにもたらしたブルガーコフの宗教的世界観が、1920年代の初期作品から『巨匠とマルガリータ』に至るまでの創作にいかに反映されたかという問題を、当時の歴史的、社会的、文化的、そして宗教的コンテクストの中で検証する。

その際特に、ブルガーコフの世界観に影響を及ぼしたと考えられるウラジーミル・ソロヴィヨフ(1853-1900)とパーヴェル・フロレンスキイ(1882-1937)の宗教思想を取り上げ、彼らの哲学に特徴的な「全一性」という理念をキーコンセプトとして、ブルガーコフの初期作品に見られる全一的世界観が、『巨匠とマルガリータ』に受け継がれていくまでのプロセスを論じているのが本論文の大きな特徴である。

本論文は序論、結論、および4章から構成され、図版と参考文献表を含む総頁は原稿用紙換算927枚となる。

第1章ではまず、革命後の内戦に関する自伝的作品群(短篇小説『赤い冠』(1922)、『3日の未明に』(1922)、『襲撃(幻燈の中で)』(1923)、長篇小説『白衛軍』(1922-1924)、短篇小説『私は殺した』(1926)、戯曲『逃亡』(1926-28))の中に、フロレンスキイの地獄思想に通底する自閉的かつ悪無限的な円環の時空間が見出されることを指摘する。特に、円環運動のイメージは、プロットの形にも反映されており、その中では終末的状況が周期的に到来するという、一種の循環的歴史観が展開されている。そして、この円環型のプロットの中で主人公たちが経験する贖罪のプロセスこそが、ブルガーコフの「内戦もの」の作品群に見られる最大の特徴であり、彼がその後の作家人生を歩む上で創作の原点となったテーマだった。この贖罪のテーマは、後に『巨匠とマルガリータ』で、イェシュア(イエス)を処刑したピラトの苦悩の時空間で再現されることになる。一方、革命後のソヴィエト社会の混乱を描いた作品(短篇小説『13番地エリピト・労働者コンミューンのアパート』(1922)、『ハンの火』(1924)、フェリエトン『楽園への階段』(1923)、『丸いハンコ』(1925)、『さまよえるオランダ人』(1925)、『定まらぬ住まい』(1924)、『魔の場所』(1925)、『故人の冒険』(1924)、中篇小説『悪魔物語』(1924))においては、円環の時空間の中でコミカルに描かれる悪魔的現象が、後の『巨匠とマルガリータ』の悪魔へと発展する諸要素を含み持っている。また、ゴーゴリの『死せる魂』に纏わる作品(フェリエトン『チーチコフの遍歴』(1924)、戯曲『死せる魂』(1930))では、ゴーゴリの原作におけるチーチコフや「内戦もの」における精神的弱者の主人公たちとは異なり、円環型のプロットの中でしたたかに生き続ける悪魔的な詐欺師の姿が描かれている。

第2章では、ブルガーコフのSF作品における円環型プロットの中に、彼の2つの精神的転機がいかに反映されているかという問題を考察する。中篇小説『運命の卵』(1924)と『犬の心』(1925)においては、科学者の時間操作に対する挑戦が終末的状況を生み出すものの、最終的にプロットは小説冒頭の時空間へと回帰している。そして、この円環型のプロットの中に、ブルガーコフの科学万能主義批判、中でもダーウィニズム批判を読み取ることができる。こうしたプロットが構築されたのは、当時の反宗教プロパガンダのテーマの1つであった、無神論に基づいた科学万能主義に対して、作家が批判的に受け止めていたこととも関係がある。彼は、直線的な連続性が前提となった科学主義一辺倒のダーウィニズムよりも、フロレンスキイが主張した、全一的な神のもとで二律背反的な諸要素が同時に並存する「非連続的」世界観を優位に考えていたと言える。また、戯曲『アダムとイヴ』(1931)にも、円環型のプロットと反宗教プロパガンダのモチーフが見出せる。『アダムとイヴ』のプロットにおいては、『ヨハネの黙示録』から『創世記』の時代へと回帰しているものの、それは時代が退行したことを意味しているのではなく、新たな歴史的サイクルにおける地上での新生への希望が、エヴロシーモフというキリストをモデルにした科学者に託されており、ここからもキリスト教と科学の総合的な知を理想的なあり方と考えていたブルガーコフの世界観が読み取れる。

第3章では、『巨匠とマルガリータ』(1928-1940)における善悪二元論について論じる。この小説においても、円環運動のモチーフが、繰り返される苦悩と地上での再生の兆しを表す、両義的な役割を担っている。このように、一見相反する要素が一体となった両義性は、小説の主要なプロットの1つである、主人公たちの愛の物語の中にも見出され、それはソロヴィヨフの愛の思想(『愛の意味』(1892-94)、『プラトンの人生ドラマ』(1898))と比較することによって明らかとなる。また、ソロヴィヨフの終末論が展開された『3つの会話』(1900)との比較分析を通して、ブルガーコフ独自の「善」を為す悪魔像が形成された背景を探る。『巨匠とマルガリータ』のヴォランドは、『3つの会話』において最晩年のソロヴィヨフが描いたような「悪」の権化としての「アンチキリスト」ではなく、「区別は分離でない」というソロヴィヨフの初期以降の全一性の哲学に特徴的な、「善」と「悪」という一見相容れない概念同士が相補的に含み合う存在である。さらに、ブルガーコフが『巨匠とマルガリータ』を創作するきっかけの1つとなった反宗教プロパガンダ雑誌を取り上げ、その中でしばしば描かれていた「ペテン師」イエスと弱々しい悪魔に対するアンチテーゼが小説内で提示されていることを明らかにする。ブルガーコフは、内戦と反宗教プロパガンダという「第2の転機」によって、「善」と「悪」、「敵」と「味方」といった宗教的、倫理的な二項対立を、どちらか一方に軍配が上がるものとして捉えるのではなく、両者の相関関係をありのままに見出そうとしていた。そして、こうした相対的な世界観は、ソロヴィヨフやフロレンスキイの全一的な哲学思想によって支えられ、一層堅固なものとなっていったと考えられる。

第4章では、『巨匠とマルガリータ』における主人公たちの救済論を分析するにあたって、フロレンスキイの相対的な宇宙論が展開された『幾何学における虚数性』を取り上げる。まず、ブルガーコフが小説の「解説書」として読者に薦めていたというフロレンスキイのこのテクストに注目し、ダンテの『神曲』における宇宙空間が、地上、地上と天上の境界、そして天上の3つの圏に分けられるという理論について分析する。この三圏性の理論では、地上と天上という二律背反的な2つの世界が、「現実的無限」という神の実在を意味する無限論の概念の下で、全一的な宇宙の構成要素となっていることが示されている。ブルガーコフは『巨匠とマルガリータ』において、このフロレンスキイの宇宙論の中でも、特に地上と天上の境界v=c(物体の速度vと光速cが一致し、時間が0となる)の圏を、主人公たちが罪を贖う地獄的な時空間と見なしている。そして、巨匠とマルガリータにとってのv>cは、それぞれのv=cの地獄を通過し、罪が赦された後に到着した「永遠の隠れ家」であると考えられるのだが、この見解に、18世紀ウクライナの哲学者グリゴーリイ・スコヴォロダ(1722-1794)の安らぎに関する思想と14世紀のテサロニケの大主教聖グレゴリオ・パラマス(1296-1359)の光に関する神学を援用することで、『巨匠とマルガリータ』研究において未だに謎とされている「光に値せず、安らぎに値する」という巨匠の運命の解釈についても考察し、彼が神の本質=光源としての「最高天」ではなく、エネルゲイヤとしての光線が降り注ぐ、安らぎの天上空間へ移行したと結論付ける。

ブルガーコフは、宇宙空間の中で地上と天上の世界が「非連続的」に繋がっているというフロレンスキイの全一的な宇宙論に接し、なかでもこの「非連続性」が象徴的に具現化されているv=cの圏を、罪が赦される契機としての地獄の時空間と捉えることで、円環の時空間を打破して天上で救済される物語が構築可能であることを看破した。この救済の軌跡を主人公たちに託して描き出した作品が『巨匠とマルガリータ』であった。

以上のように、ブルガーコフが初期作品から描き続けていた贖罪と救済という宗教的なテーマは、ソロヴィヨフやフロレンスキイの全一性の哲学によって補強されていきながら、最終的に『巨匠とマルガリータ』の中に結晶化されていったと言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、20世紀ロシアを代表する作家ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)の創作を、1920年代末の初期作品から丹念に読み込み、そのテーマや手法が最晩年の長篇小説『巨匠とマルガリータ』(1928-1940)の中に、最終的にいかに結実していったかを明らかにしたものである。ブルガーコフには、生涯に二度の精神的な転機があったと言われているが、極めて宗教的な環境で育ったブルガーコフが医師となり、自然科学の分野に携わる中でダーヴィニズムを崇拝し無神論に傾倒した「第1の転機」を経て、その後、革命後の内戦と1920年代初頭の過激な反宗教プロパガンダとの遭遇によって、より重要な「第2の転機」―すなわち、ロシア正教への回帰―を迎えたことが、イエスと悪魔に関する小説『巨匠とマルガリータ』を構想するきっかけの1つとなった点に本論文は着目し、「第2の転機」がもたらしたブルガーコフの新たな世界観がその創作の中にいかに反映されたかを、初期作品から最晩年の作品までの中で詳しく検証している。

その際、特に、宗教思想家ウラジーミル・ソロヴィヨフ(1853-1900)とパーヴェル・フロレンスキイ(1882-1937)の哲学に特徴的な「全一性」という理念をキーコンセプトとして、ブルガーコフの初期作品にも見られた全一的世界観が、『巨匠とマルガリータ』に受け継がれていくまでのプロセスを論じているのが本論文の大きな特徴である。

本論文は序論、結論および4章から構成され、図版、参考文献表を含む総頁は原稿用紙換算899枚となる。

第1章では、革命後の内戦に関する作品群(短篇小説『赤い冠』(1922)、長篇小説『白衛軍』(1922-1924)、戯曲『逃亡』(1926-28)など)の中に、フロレンスキイが悪無限の円環運動のイメージで描写した地獄思想に通底する自閉的時空間が見出されることを指摘する。また、一種の終末論的プロットの中で展開される贖罪のテーマが、後の『巨匠とマルガリータ』で、イェシュア(イエス)を処刑したピラトが苦悩する時空間で再現されることを示す。さらに、革命後のソ連社会の混乱を描いた作品(短篇小説『ハンの火』(1924)、中篇小説『悪魔物語』(1924)など)における円環の時空間の中でコミカルに描かれる悪魔的現象が、後の『巨匠とマルガリータ』の悪魔へと発展する諸要素を含み持っていることが提示される。また、ゴーゴリの『死せる魂』に纏わる作品(戯曲『死せる魂』(1930)など)について、ゴーゴリの原作におけるチーチコフ像と比較しながら、円環型のプロットの中でしたたかに生き続ける悪魔的な詐欺師の姿が、やがて時代を超えて『巨匠とマルガリータ』で悪魔の姿形を帯びて描かれることを明らかにする。

第2章では、ブルガーコフのSF作品における円環型のプロットの中で、彼の2つの転機がいかに作品に反映されているかを論じる。科学者の時間操作に対する挑戦が終末的状況を生み出す中篇小説『運命の卵』(1924)と『犬の心』(1925)のプロットからは、ブルガーコフの科学万能主義批判を読み取ることができるとし、こうしたプロットが構築されたのは、当時の反宗教プロパガンダのテーマの1つであった無神論に基づく科学万能主義を、作家が批判的に受け止めていたことと関係があり、作家は、直線的な連続性が前提となった科学主義一辺倒のダーヴィニズムよりも、フロレンスキイが提示する宗教と科学が全一的に統合された「非連続的な」世界観を優位に考えていたことを明らかにする。反宗教プロパガンダのモチーフが表われている戯曲『アダムとイヴ』(1931)では、『ヨハネの黙示録』から『創世記』の時代へと回帰するプロットの中で、新たな歴史的サイクルにおける地上での新生への希望が、キリストをモデルにした科学者に託されており、ここからもキリスト教と科学の総合的な知を理想的なあり方と考えていたブルガーコフの世界観が読み取れると指摘する。

第3章では、『巨匠とマルガリータ』(1928-1940)における善悪二元論について論じる。この作品に見られる円環運動のモチーフは、繰り返される苦悩と地上での再生の兆しを表す両義的な役割を担っているが、このように、一見相反する要素が一体となった両義性は、小説の主要なプロットの1つである主人公たちの愛の物語の中にも見出され、それはソロヴィヨフの愛の思想(『愛の意味』『プラトンの人生ドラマ』)と比較することによって明らかとなる。さらに、ソロヴィヨフの終末論が展開された『3つの会話』(1900)との比較分析を通して、ブルガーコフ独自の「善を為す悪魔像」が形成された背景を探る。『巨匠とマルガリータ』の悪魔であるヴォランドは、『3つの会話』において最晩年のソロヴィヨフが描いたような「悪」の権化としての「アンチキリスト」ではなく、「区別は分離でない」というソロヴィヨフの初期以降の全一性の哲学に特徴的な、「善」と「悪」という一見相容れない概念同士が相補的に含み合う存在であることを示す。また反宗教プロパガンダ雑誌を取り上げ、その中でしばしば描かれていた「ペテン師」イエスと弱々しい悪魔に対するアンチテーゼが小説内で提示されていることを明らかにする。

第4章では、『巨匠とマルガリータ』における主人公たちの救済論を分析するにあたり、フロレンスキイの相対的な宇宙論が展開された著作『幾何学における虚数性』を取り上げる。ブルガーコフが実際に注意深く読んでいたフロレンスキイのこのテクストに注目し、特にダンテの『神曲』における宇宙空間が、「地上」、「地上と天上の境界」、そして「天上」の3つの圏に分けられるという理論について分析する。この三圏性の理論では、「地上」と「天上」という二律背反的な2つの世界が、「現実的無限」という神の実在を意味する無限論の概念の下で、全一的な宇宙の構成要素となっていることが示されているが、『巨匠とマルガリータ』のプロット分析にあたって、まず登場人物の運命に大きな意味を持っている「地上と天上の境界」v=c(物体の速度vと光速cが一致し、時間が0となる)の圏について論じる。この圏はそれぞれの主人公が贖罪と罪の赦しを経験する地獄的な時空間として設定されており、彼らは、この地獄を経て、v>cの天上へと救済されたとみなされる。特に、v=cの地獄の圏を通過した巨匠とマルガリータは、v>cという「永遠の隠れ家」へ移行したと考えられる。そして、ウクライナの哲学者スコヴォロダの安らぎに関する思想とグレゴリオ・パラマスの光に関する神学を援用することによって、『巨匠とマルガリータ』研究において未だに謎とされている「光に値せず、安らぎに値する」という巨匠の運命の解釈についても考察し、巨匠とマルガリータが光と安らぎを同時に享受できるような天上空間へ移行したことを明らかにする。

最終的に、ブルガーコフが初期作品から描き続けていた贖罪と救済という宗教的なテーマは、ソロヴィヨフやフロレンスキイの全一性の哲学によって補強されていきながら、『巨匠とマルガリータ』の中に結晶化されていったと結論づける。

以上が本論文の概要である。本論文の主たる功績は以下の点にまとめられる。

まず特筆されるべきことは、ブルガーコフというロシア文学を代表する作家の創作の軌跡を辿るために、作家の作品は勿論のこと、膨大な先行研究の文献を読みこみ、それをよく整理した上で、ほとんど研究され尽くされているかに思われるブルガーコフの創作世界に対して、なお独自のユニークな問題意識を明確に打ち出し、その解答を綿密に示し得た点である。

次に、独自の新しいブルガーコフ作品の読み方として、テクスト分析だけでなく、作家が関わった歴史的、社会的、文化的、宗教的コンテクストに着目し、とりわけ、二人の宗教思想家フロレンスキイとソロヴィヨフの思想の全一性という理念と関連づけて作品を読み解く試みを成功させた点が評価される。二人の思想家の著作は難解をもって知られるものである。例えばフロレンスキイは宗教思想家であるとともに数学者でもあったため、その主著『幾何学における虚数性』も、数学という装いを持ちながら哲学的・宗教的要素も多く含む宇宙論であり、多くの研究者がその重要性を指摘しながらも難解さゆえにまともに扱いかねていたものであるが、本論文ではこの著書に正面から粘り強く立ち向かい、それをブルガーコフの作品解釈に鮮やかに反映させている。本論文は、文学研究と宗教思想研究の融合によって、ブルガーコフ作品のテーマや構造の分析を新たに切り拓いたと言える。

さらに1920年代のソヴィエト・ロシアにおけるダーヴィニズム受容や科学万能主義、また従来ほとんど着目されることのなかった反宗教プロパガンダの実情を、当時のさまざまな雑誌を克明に調べて紹介分析し、それらがブルガーコフの作品世界にいかなる影響を与えたかを読み解いている点は画期的である。

他方、審査では次のような問題点・要望が指摘された。1.膨大な資料、先行研究を踏まえた研究である点を綿密に言及する一方で、自身のオリジナリティが何処にあるか、それを強調する姿勢に欠けている点が惜しまれる。2.ブルガーコフ研究については、ロシアの文献のみならず欧米の研究にも十分に目配りがなされているが、より広い意味での欧米の批評理論や文学研究の方法論に較べると、文学的な分析としてはやや素朴な印象を受ける。3.初期作品から最晩年の代表作に繋がるテーマ、モチーフを強調しようとしたあまり、繰り返しが多くなり、論文がやや単調となっている面がある。4.反宗教プロパガンダやロシアにおけるダーヴィニズムに着目した点は新しいが、その扱いにもっと深みがあった方が良かった。

しかしこれらはいずれも、本論文の全体としての質の高さを本質的に損なうものではない。本論文が、この領域の研究において大いなる貢献を果たしたことは間違いないと判断される。

以上から、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)を授与するにふさわしいものと認定した。

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