学位論文要旨



No 126462
著者(漢字) 李,佐知子
著者(英字)
著者(カナ) リ,サチコ
標題(和) 機械的刺激に対する関節周囲軟部組織の応答特性とその生物学的適応
標題(洋) Response properties and the biological adaptation of the periarticular connective tissues to various mechanical stresses
報告番号 126462
報告番号 甲26462
学位授与日 2010.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1025号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 准教授 柳原,大
 東洋大学 教授 大迫,正文
 東京大学 名誉教授 跡見,順子
内容要旨 要旨を表示する

要旨

加齢による身体機能の低下には、筋力低下や関節機能の低下から生じる移動能力の低下が大きな問題として注目されることが多い。関節機能は加齢によって低下することが先行研究によって報告されており、特に変形性関節症の罹患率が高齢者で高い。この主な原因として様々な原因が考えられているが、加齢や体重増加、下肢のアライメントのずれなどが発症に相関があると報告されており、過度な関節使用に伴う疼痛などから生じる関節劣化が変形性関節症の原因の一つになりうると考えられる。主な変形性関節症の罹患関節である膝関節は、荷重関節であり、歩行に伴う日常的は荷重や関節運動といった機械的刺激にさらされているが、このような機械的刺激に対する関節組織の応答特性や適応特性はほとんど知られていない。特に関節を取り囲む線維性結合組織である膝関節周囲軟部組織の研究はほとんど行われていないのが現状である。その関節周囲軟部組織は、関節の過度な動きを制限し脱臼を防ぎ、安定した関節運動を導く役割があり、関節機能において重要な組織である。そこで関節周囲軟部組織に対して、機械的刺激を加えることによって関節に対する応答特性や適応特性を明らかにすることを本研究の目的とした。

これまで我々は、骨格筋の適応機構の解明にストレスタンパク質(Heat shock proteins:HSPs、ex αB-crystallin、HSP27、HSP47)を用いて研究がなされてきている。そこで本研究では最初に、細胞の力学的応答機構である細胞骨格やその関連適応分子マーカーであるHSPsを分子マーカーとして、関節への様々な機械的刺激に対する応答を評価できるかどうかを明らかにすることを試みた(第2章)。後肢懸垂モデル(非荷重刺激)、過重力モデル(過荷重刺激)、関節固定モデル(関節不動化刺激)、トレッドミル走モデル(関節運動刺激)の4つのモデルを用いて、関節周囲軟部組織に存在する細胞の刺激に対する応答をHSPs発現変化により調べた。HSPsはタンパク質のシャペロンとして作用し、タンパク質のfoldingやタンパク質変性後のre-foldingに関与している。また変性し凝集したタンパク質の分解系へと誘導するといった役目がある。HSP27は細胞骨格の中でもアクチンフィラメントのシャペロンとしての役割をもち、アクチンフィラメントの安定化に作用している。またHSP47は、コラーゲンタンパク質合成には必須の特異的分子シャペロンである。後肢懸垂モデルと過重力モデルではコントロール群との比較において、モデル動物の体重の減少が顕著に生じ、さらに機械的刺激(7日間)実験後の体重はコントロール群では通常有意に増加するが、刺激群では身体ストレスの影響があるためか増加しなかった。一方関節不動化モデルやトレッドミル走行では実験前後で有意な体重減少は見られなかった。HSP27とHSP47の発現比較では、過重力刺激でHSP27の発現が刺激群で有意に増加し、関節不動化刺激でHSP27とHSP47ともに刺激群で有意な発現低下が確認された。その他の刺激ではHSPsの発現変化は見られなかった。これらの結果から、骨格筋の可塑性の研究と同様に、「不使用」による変化に対してHSP27とHSP47の応答が見られた。しかし、骨格筋と違い、関節の細胞数は少なく、これらの分子シャペロンをそのまま分子マーカーとして研究する方法では、関節の適応に関する分子シャペロンのターゲット分子を追跡研究することは無理であると判断し、関節を構成する細胞外基質(Extracellular Matrix: ECM)それ自身を研究する方法に変更することにした。

その一つの研究モデルとしては「関節の不使用モデル」として、膝関節の不動化モデルを採用した(第3章)。この研究モデルでは、適応自体がどのような時間経過で起こるかについて詳細に検討した結果、ECM自体の機械的刺激への応答(この場合は不適応応答)や、不動化した組織で起こる不可逆的な化学反応、そして関節の可塑性に動的に関わる細胞応答を間接的に明らかにした。膝関節不動化モデルでは組織硬性の増加などの組織特性の変化の発生メカニズムの詳細は分かっていない。9週間の関節不動化を行うと、関節周囲軟部組織の組織水分量は4~6%減少し、ヒアルロン酸やコンドロイチン硫酸の含有量が30%も減少したと報告されている。組織硬性の増加にコラーゲン線維間に生ずる還元性架橋の増加が関与するとの報告もあるが、還元性架橋は加齢とともに減少することが知られており、組織硬性が加齢に伴って増すことから、還元性架橋の他にも組織硬性の増加に関与する架橋が存在するのではないかと推測した。糖化最終産物であるAdvanced glycation end products: AGEsの中には架橋構造をもつものもあり、AGEsの蓄積によって組織の硬性が増加することが知られている。本実験では、16週間という長期間の関節不動化刺激を行い、経時的な関節可動域の変化や組織構造の変化、さらに関節拘縮によって生じる組織硬性の増加、AGEsの蓄積の関与や組織変性が細胞の生存に影響を及ぼすか、検討した。AGEsの中でも、架橋構造をもち広く研究されているペントシジンの免疫組織化学染色を行った。関節不動化2週以降から関節可動域制限が生じ、組織形態変化としてコラーゲン線維の配向性の乱れが有意に生じていた。さらに関節不動化後8、16週でペントシジンの染色面積の有意な(p<0.05)増加が見られ、不動化後16週で細胞数の有意な減少も観察された(p<0.05)。関節不動化初期から、組織の形態変化がみられ、その次にAGEs蓄積増加が関節可動性の制限に影響を与えていること、最後に細胞数が有意に減少していた。これらの結果から、関節運動刺激は組織特性の維持、および細胞環境の維持に重要であることがわかった。

「関節の使用モデル」としては、中強度の走行を採用した(第4章)。速度の違いによって生体内適応応答に違いがあり、中強度な走行では抗酸化作用や脳への保護作用があるが、高強度走行ではそのような効果はみられないことが知られている。このことから、本実験においても中強度な走行モデルを用い、一過性の刺激が及ぼす目的遺伝子のmRNA発現変化を解析した。一過性のトレッドミル走行によって、関節周囲軟部組織の細胞への影響をECM成分(ヒアルロン酸合成酵素HAS1-3、ヒアルロン酸分解酵素Hyal1-3、バーシカンコアタンパク質PG-M、プロテオグリカン分解酵素MMP3)、および急性刺激に対するHSPsの応答解析のためにHSP27、HSP47mRNAの発現変化をreal time RT-PCR法によって解析した。また組織特性に大きな影響を与える組織水分量や、水分保持能の高い組織ヒアルロン酸量を測定した。繰り返しうける走行刺激によってHSP27のmRNA発現は、走行1時間後に有意ではないものの約30%増加し、走行刺激に対して非常に早い応答を示した。機械的刺激が生じた細胞はアクチンフィラメントのダイナミクスが生じ、アクチンのシャペロンとして知られているHSP27発現を増加させるシグナルになったのではないかと考えられた。さらにHAS1およびPG-Mがトレッドミル走行6、12時間後有意に増加しており、関節運動刺激によってヒアルロン酸や水分保持能の高いプロテオグリカンの合成が誘導されたと考えられた。実際に、トレッドミル24時間後以降、組織水分量やヒアルロン酸量が有意に増加していた。つまり走行という反復した機械的刺激が、関節の組織特性維持に重要な水を結合するECM分子の発現に働きかける重要な刺激になっており、関節の柔軟性のバックグランドを構成している可能性が示唆された。また機械的刺激によってECM組成の変化が生じ、細胞を取り巻くECMの環境が変化したと考えられた。この機械的刺激に対するECM関連分子の発現メカニズムは、細胞表面に存在するMechanotransductionを介して伝えられていると考えられる。そのMechanotransductionの一つにインテグリンを介したシグナル伝達があり、インテグリンが細胞内のアクチンと間接的に連結し、細胞外からの機械的刺激を伝達すると考えられている。その他にも様々な機械的刺激を伝達するシグナル伝達系が存在し、細胞に伝えていると考えられる。

ECMには、大きく分けて2種類ある。即ち、伸張ストレスに抗する線維性コラーゲンと圧迫ストレスなどに抗する含水性の高いプロテオグリカンやヒアルロン酸がある。関節周囲軟部組織もこの2種類の作用をもつECMの組成変化は、組織特性に大きく影響を与える。つまり組織水分量の低下から、組織の硬性が増すなどが報告されている。このことからECM成分の発現は、組織の恒常性を維持するために必須と考えられる。加齢や拘縮に伴い組織水分量の減少が生じることから、一過性の関節運動刺激により組織水分量やヒアルロン酸量の増加は、組織特性維持に効果的に作用する可能性が示された。これらの研究結果を総括すると、運動の力伝達に必要な関節の周囲軟部組織に対する研究方法を導きだし、かつその適応を評価するための系について、おおまかに提起することができたと考える。このような様々な要因については、総括論議として第5章で議論を加えた(第5章)。

審査要旨 要旨を表示する

膝の疾患、特に変形性関節症は高齢者で罹患率が高く、これによって健全な日常の活動が妨げられることから、高齢化が進んでいる日本では非常に大きな問題といえる。変形性関節症を中心とする膝の疾患の発症には、加齢や体重増加、下肢のアライメントのずれなどが関係すると考えられる。一方運動による関節に対する適切な機械的刺激は、関節機能を保つために有益であると考えられ、運動は関節に望ましい影響を与えると考えられるが、実際には機械的刺激に対する関節組織の反応については詳しく検討されていないのが現状である。したがって運動によって関節に何らかの有効な刺激を加える具体的な対処も、経験的に行われているのが現状であり不明な点が多い。しかもこれまでの研究は、生化学的な観点で行われているものであっても関節そのものを構成するコラーゲンなどの研究が中心で、関節周囲軟部組織の研究はほとんど行われていない。しかし関節周囲軟部組織は関節を支える重要な成分であるから、この組織に関する研究は、関節全体の研究においても、必要不可欠といえる。そこで本論文では、膝関節に対する機械的負荷特に運動の観点から、生化学的な手法を用いて、ラットの関節周囲軟部組織の機械的に刺激に対する変化とそのメカニズムについて検討することを主目的に研究を行った。

本論文はまず第1章でこれまで先行研究をまとめた後に、第2章では関節軟部周囲組織に非荷重負荷(後肢懸垂モデル)、過荷重刺激(クリノスタットによる過重力)を中心にして、関節周囲軟部組織における荷重の変化に対する応答をストレスタンパク質であるHSP27とHSP47の反応から求めた。その結果非荷重刺激を中心とする不使用状態が、HSPに影響することがわかった。

第3章では、糖化最終産物であるAGE(Advanced Glycation End Product)が組織の硬化に関係することから、関節不動化刺激によって関節軟部周囲組織が受ける影響について、AGEsを中心とする細胞外基質の変化から求めた。その結果16週間の不動化によって、AGEsが増加し、また形態変化が認められ、細胞数の減少も観察された。このことからAGEsを中心とする関節軟部周囲組織の変化が、不動化による関節の硬化に関係していることが示された。

第4章では運動が関節周囲軟部組織に及ぼす影響について、一過性のトレッドミル走行をラットに行わせ、細胞外基質であるヒアルロン酸やストレスタンパク質の変化から検討した。その結果として関節機能や水分保持に関係するヒアルロン酸及びプロテオグリカンの合成が走行6-12時間後に増加しており、組織水分量が運動後24時間で増加していた。またHSPは運動後1時間から発現が増加傾向となる早い応答が認められた。そこでトレッドミル走行による機械的刺激が細胞外基質に影響し、水分量が増加する方向の対応を中心とする反応が起こることが明らかとなった。

そこでこれらの結果を受けて、不活動は関節を硬化方向にさせる負の影響があること、一方運動は一過性のトレッドミル走行では、関節周囲軟部組織の水分保持量を増やし、硬化を防ぐような望ましい応答があることが示されたことを中心に、第5章で総合論議を行った。

以上のような本論文の内容に対して、審査会では研究の独自性や価値が認められた。ただしいくつかの点について意見が出された。まず全般的な点では、目的の記述をもう少し具体的にすること、すなわち高齢者社会に対する貢献は突極の目的ではあるが、本論文の主目的はあくまで関節周囲軟部組織の変化を検討して基礎的データを提示することが目的であるとする。方法上の点では、関節周囲軟部組織の検討を、どの部分のサンプルで行ったかを記述すること。組織湿重量の測定方法を記載すること。結果については、トルクとしている表現を、関節コンプライアンスに変更すること。コラーゲン線維の配向の乱れとした表記を、実際の測定を行っていないので、コラーゲン線維方向の変化と変更すること。論議に関しては、軟骨についての論議を行うこと。関節に影響を与える運動として、トレッドミル走行が用いられ、ラットの走行時の動作解析について記述されているが、実際には視覚的な印象で適切に分析された結果ではないので、あくまで参考所見として論議すること。ピクロシリウスレッドを用いた組織関節の記載を詳しく行うこと。細胞数が減少した理由についてさらに論議すること。軟骨そのものについても論議すること。インテグリンに結合する分子として、ロイチン硫酸についても取り上げること。

この指摘を受けてこうした点に対する修正が行われたことを確認し、本論文は関節の研究分野としてはこれまであまり検討されていなかった関節周囲軟部組織の、運動を中心とする機械的刺激に対する応答についての基礎的なデータを与えており、学術的意義は非常に高いことから、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと、審査委員全員一致で判定した。

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