学位論文要旨



No 126481
著者(漢字) 李,炳夏
著者(英字)
著者(カナ) リ,ビョンハ
標題(和) 人的資源管理による企業競争力向上の研究 : サムスン電子のケーススタディ
標題(洋)
報告番号 126481
報告番号 甲26481
学位授与日 2010.10.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第286号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 准教授 新宅,純二郎
 東京大学 准教授 天野,倫文
 埼玉大学 教授 禹,宗
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、後発企業として様々な危機を克服しながらグローバルトップレベルの企業に成長した韓国サムスン電子株式会社(以下ではSECに表記)の「成長神話」の背景にあるものについて人的資源管理の観点から考えてみようとする試みである。

SECは、1969年に韓国サムスングループの一会社として設立されたエレクトロニクス企業である。1990年代半ばまでにグローバルの次元ではまだその存在感が薄く、発展途上国のローカルな一企業に過ぎなかったが、2008年度現在は、売り上げ96,495,083千ドル(約10兆円)、税前利益5,232,916千ドル(約5千5百億円)、約15万人(内、海外8万人)の従業員を抱えている巨大企業に成長している。また、インターブランド社とビジネスウィーク誌が毎年調査して発表するグローバルブランド価値ランキングでもSECは、2009年現在同業の日本企業を抜いて19位をマークしている。

企業は、内外の経営環境変化に伴い、直面する様々な危機を乗り越えて成長していかなければならない。すべての経済主体を襲った経済危機は、多少の差はあれ、各企業の置かれている外部環境的な要素を平準化してしまう。したがって、外部からの一律的な大ショックによって訪れた経営危機に対応する各企業の様々な行動は、その企業の持つ競争力の発現であり、その行動の結果から得られた企業の様々な成果や失敗は、その企業の持つ競争力の大きさでもあると考えられる。本稿ではそれを人的資源管理能力という組織能力(Organizational Capability)の1つの側面から捉え、事例分析を行なう。

SECは、1969年の創立以来、会社の存亡に関わる危機を3回ほど経験しながら、その都度より強い会社に生まれ変わった。第1回目は、1987年の韓国全国に広がった労使紛争の危機であり、第2回目は、1997年のアジア通貨問題による経済危機である。第3回目は、2008年の米国発金融危機である。第1回目は韓国国内レベルのもので自国内企業がその競争相手であったが、第2回目のそれはアジア地域の危機、第3回目はグローバル共通の危機であり、グローバル企業との競争になっている。第3回目の危機とそれに対応しているSEC取り組みはまだ進行形であるため、本研究では主に過去2回の危機をめぐるSECの行動にフォーカスを置く。

それでは、企業が様々な危機を乗り越え、持続的に成長していくための人的資源管理とは何か。まず、考えられるのは、環境の変化に対応する人的資源管理制度の企画、運営であり、経営戦略の遂行に必要とする人材(適材)を必要なとき(適時)に供給することである。また、なぜ、非常経営の時には人員調整や賃金制度見直しが必要であるとわかっていながら実際に多くの企業はそれが実施できないのか、あるいは、その対応スピードが遅く、有効期限切れになってしまうのか。形式的には新たな人的資源管理制度に変えたにも関わらず、なぜ、その趣旨とおりに運営できないのか。こういった疑問に対する回答を探ることを含めて考えていく必要がある。本稿では、そのようなマネージメントを可能にする「人事部の役割と組織能力」に注目し、議論を展開していく。以上のことを踏まえて本研究の枠組みを描いたのが次の<図1>である。

本研究を進める上で参考になった先行研究からの示唆は次の3つである。

第一は、Barney and Wright (1998)によるVRIOモデル(Value, Rarity, Inimitability, Organization)の人的資源管理への適用である。リソースベース論として知られたVRIOモデルは、その「資源」という言葉に縛られがちだが、企業の内部に注目した理論の本質を見極める必要がある。人的資源管理の側面から企業競争力を考える場合にも、良質の人的資源そのものの蓄積(Resources)と、多様な人的資源の結合または再編成できる人的資源管理能力、そして、組織能力のマネージメント主体としての人事部の様々な活動にも注目すべきである。

第二は、組織内交渉(intraorganizational bargaining)と呼ばれるコンセプトで、Walton & Mckersie(1965)が提示したものある。組織内交渉は、交渉担当者と組織母体との関係、たとえば、労働組合リーダーと組合員の関係、労務担当者とトップ・マネージメントとの関係をさし、それらが交渉成果に重要な関連をもつとみなされる。SECのような労働組合のない企業であれば、労働者側との意思疎通の窓口として労使協議会などの従業員代表機構はあるものの、交渉の相手にはなっていないため、人事労務管理に関する意思決定は人事部という経営側の組織的ヒエラルキーのなかで行われる。配分交渉も統合交渉も人事部を代表とする経営側のみの組織内交渉過程を通じて行われる。

第三は、Hamel and Prahalad (1989) の戦略的意図(Strategic Intent)論である。組織力、あるいは、組織能力と関係のあるモチベーション策としては、集団的なビジョン(夢)・マネージメントが重要である。目標管理といってもいい。つまり、全従業員に1つの目標、1つのビジョンを持たせる活動から組織力、あるいは組織能力のマネージメントは始まる。いわゆる「ベクトル」を合わせるという作業から始まらないと、組織として「1+1=2」以上の結果を出すことができないからである。これに関わる話が戦略的意図論である。特に、先行企業をキャッチ・アップしていかなければならない後発企業としては地道に組織能力を磨いていく時間がないので、キャッチ・アップのスピードを速める何らかの取り組みが必要になる。従業員一人一人に共通の目的意識を意図的に持たせることは人事部の重要な役割の1つである

以上の議論を踏まえ、第3章では、経営環境の変化に伴うSECにおける人的資源管理制度の変遷の概略を調べてみた。SECは、年功ベースの能力主義人的資源管理制度を運営してきたが、1987年の労使危機をきっかけにして「生涯職場(終身雇用)」の理念に基づく従業員家族主義人事に徹底し、その危機を乗り越えた。しかし、1997年の会社存亡に関わる危機に向かって大規模のリストラを推進すると共に、コア人材中心の成果主義人的資源管理制度を導入することになる。また、SEC人事部は新たな制度の導入による既存制度との衝突を緩和するための制度改善努力を重ね、人的資源管理制度の外部・内部適合性を高めてきた。

第4章では、企業競争力の源泉として人的資源(労働力)の蓄積と再編成のプロセスを探ってみた。SECは、グローバルに活用できる「国際化人材」や各担当分野で仕事のリーダーシップを発揮できる「マネージャー級人材」など、会社の戦略遂行に必要な人材を様々な人的資源管理制度を活用しながら長年をかけて社内で育成してきた。また、SEC人事部はリストラが必要な時に大きな問題なく大規模の雇用調整を行い、いわゆる人的資源の再編成を通じた企業競争力の向上に成功した。

第5章では、このような歴史と現在を踏まえ、そのような活動を主導してきた人事部の役割変化と組織能力の関係を考えてみた。SEC人事部は、時代の変化に伴い自らの関心事を変化させ、それに対応するための組織体制を維持してきた。そして、社内利害調整者としての役割にも徹底し、場合によっては経営者の代理人としての役割と従業員擁護者としての役割を適切に分けて活用してきた。また、教育訓練という人的資源管理手段を使って、経営陣の戦略的な意図を全従業員に浸透させ、個々人の業務の方向性(ベクトル)を会社全体の方向性に合わせるように誘導する活動を行い、組織力を高めることに成功した。

このように、SECは、他企業が短時間では模倣できない人的資源管理能力を発揮し、会社の危機をのり越え、2000年代には世界でもっとも成功した企業のひとつになったといえる。後発企業が先行している企業をキャッチ・アップするためには、経営の様々な場面で組織能力を高める努力を重ねていく必要がある。問題は、如何にしてその努力の強度とスピードを高めるかということだが、SEC人事部は、経営環境の変化に伴い、自らの役割認識を新たにし、それを実践するための様々な人的資源管理活動を通じて企業競争力の向上に貢献してきた。長年にわたるSEC人事部のこのような活動は、他の企業がすぐには真似できない組織能力という、競争力のある経営リソースと評価できる。

以上のようなSECにおける人的資源管理は、Barneyら(1998)のVRIOモデル条件をクリアしてきたといえるが、これからも持続的に成長すると言えるのだろうか。他の企業の事例からもわかるように、場合によっては過度な人的資源の蓄積が邪魔になることもある。しかし、トップの強力なリーダーシップと人事部のマネージメント能力によって、その都度人的資源の再編成ができるのであれば、人的資源管理は技術や生産管理能力などと同じく企業の競争力を向上させるのに欠かせない重要な経営資源として機能するだろう。

本稿では、このようなSECの事例を踏まえ、これからの人的資源管理への新たなアプローチを提案し、人事部の活動への示唆を幾つか示したが、次のような限界と課題が残っていることも事実である。一企業の事例を、それも、多くの経営プロセスの中で人的資源管理という1つの分野を深くみる本稿のような研究では、同じレベルの比較研究は難しい部分があるが、本稿で展開した議論を一般化していくためには、ある程度の国際比較研究が必要である。また、企業競争力の源泉としての人的資源管理や人事部の役割に注目し、具体的な事例分析を行なったものの、それが実際の経営成果にどれくらい貢献したかを具体的な数字で示すことまでには至らなかった。それに、本稿は基本的に経営の一機能である人的資源管理に注目した研究で、持続可能な経営のための会社戦略やその実践という経営者側の論理に徹底したものである。したがって、労働者側の論理からみると同じ事実に対して違う解釈もできる可能性がある。最後に、人と仕事のマネージメントという、人事部の新たな役割に注目したものの、SEC本体ではなく、一海外法人の事例分析に留まったことである。これらに関しては今後の研究課題にしていきたい。

以上。

<図1> SEC事例研究の枠組み

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、韓国のサムスン電子(以下SECと略記)での人的資源管理、とりわけ人事部の組織・機能の進化の過程を明らかにすること、そしてそれを通じて企業としての競争力向上と人事部の組織・機能との関連を明らかにすることを課題としている。周知のように、現在SECはその高い国際競争力が注目されているが、著者は、1980年代末の労使紛争危機、1990年代末の経済危機をめぐる人事部の対応を通してその組織・機能の進化を観察するという方法を採用してこれらの課題に接近している。

内容紹介

本論文の構成は以下のとおりである。まず「1」で分析の枠組みを示し、「2」で人的資源管理及び人事部についての先行研究の検討がなされる。次に、「3」で韓国企業及びSECの経営環境と人的資源管理制度の変遷が跡付けられ、「4」では人的資源の蓄積と再編成の諸結果が具体的に示される。「3」と「4」は、著者によれば表層で観察される人的資源管理という位置づけとなる。そしてこれらを可能にした源泉として、「5」において人事部の役割と組織能力が分析されるのである。さらに、「補論」として日本サムスンでの革新的事例が示され、「6」の結論で事例の要約と理論的・実践的含意等が叙述される。

「1、序論」では、SECの組織概要等が紹介された後に、分析の枠組みが提示される。従来の人的資源管理論では人的資源管理制度や労働力のマネージメントに関心が置かれてきたとし、本論文ではその分析に加えて、それらを実現する人事部の役割や組織能力といったいわば深層の領域にまで対象領域を広げることが示される。

「2、先行研究の検討」では、まず企業の競争力についてBarney&WrightのVRIOモデルの4条件に着目し、それをSECの人的資源管理の分析に応用することが述べられる。次に人事部の役割に関する諸説が検討され、そのうち著者が特に重視するものとして、組織内交渉論と戦略的意図論が挙げられる、無組合企業であるSECの場合、組合のある企業に比べて組織内交渉がより複雑になる。著者はその分析道具として「立場形成モデル」を図示する。また戦略的意図を浸透させる人事部のパワーは、絶え間ない危機意識の強調(醸成)と関連しているとする。この点の重視は、著者がSECの経営上の危機克服過程に注目することに反映される。

「3、人的資源管理の変遷」では、朝鮮戦争後からの韓国企業の人的資源管理の変遷にふれたのちに、SECの人的資源管理の変化が、「年功ベース能力主義の時代、1969-1987」、「従業員家族主義の時代、1987-1997」、「コア人材中心の成果主義の時代、1997-現在」といった時期区分のもとで概観される。変化の要因は、外的環境変化、内部環境変化、従業員の欲求として整理されるが、外的環境変化とその結果としては、1987年の韓国企業全般での労使紛争の拡大の影響を受けての「福祉主義」・「生涯職場」の明示化、1997年の経済危機を受けての成果主義やコア人材主義への方向転換等が挙げられる。また、こうした指針・原理を実現する過程で人事制度間の適合性を調整する必要が生じるが、著者はこれを内部環境への適合性追求ととらえる。そして1997年以降の「生涯職業」という考え方やキャリア開発センターの運営がその一例として示される。

「4、人的資源(労働力)の蓄積と再編成)」においては、SECがリストラ及び社内移動と、必要な人材(例えば「戦略遂行人材」)の獲得の双方をいかに効果的に遂行してきたかが詳しく示される。また、1983年度入社の118名の昇進実態がキャリアツリーによって示され、敗者復活可能なダイナミックな昇進競争や退職の多さなどの興味深い事実が発見される。さらに昇格査定の運用実態や入社以来の人事考課と昇格との関係も分析され、SECにおいて公正な人事が行われてきた証左とされる。筆者は、有能な人材の獲得と定着、さらには労働力再編過程で労使紛争が生じてこなかったことなどの人的資源管理上の諸現象(表層での)は、SECの競争力を示すものと把握するのである。

「5、人事部の役割と組織能力」は、表層で把握される人的資源管理上の成果を可能にした源泉として想定される人事部の分析である。ここではまず、ルール・マネージャー(1987年以前)、従業員擁護者(1987年以降)、戦略的パートナー(1997年以降)と人事部がその役割の力点を変化させてきたこと、そしてそれに対応する形で業務内容・組織が柔軟に変化してきたことが示される。例えば、1999年には事業部制の強化という動きの中で、「課単位の現場組織の改編」も含めて人事に関する権限が「チーム」レベルにまで委譲されたことなどである。それらをふまえ、著者はSECの人的資源上の競争力を生み出す人事部の優位性として、組織内交渉に注目する。賃金体系や臨時賃上げをめぐる組織内交渉を事例として、これらの意思決定が決して上意下達ではなく、様々なレベルの人事部門がその役割をふまえながら利害関係の調整がはかられる様子が描き出される。また、SEC人事部が、教育訓練という手段で会社の戦略的意図を全構成員が理解できるような活動を強力に展開してきたことも、その優位性として摘出される。各現場リーダーのリーダーシップ強化がその中心だが、そうした教育活動の説得力を高める上でも人事部の構成員自身がその専門性を高めたり、「6シグマ手法」に代表される「科学的な方法論」を積極的に導入することが必要であったとするのである。

「補論:人と仕事のマネージメント融合のための試論」では、日本サムスンにおいて、人事管理が業績の向上に直接つながった事例、すなわち教育訓練が新しいビジネスモデルにつながった事例が紹介される。

「6、結論:人的資源管理と競争力」では、事例の要約、人的資源管理理論・人事部の活動への示唆、本論文の限界などが述べられているが、これまでの内容紹介と重複する部分が多いので省略する。

評価

本論文の学術上の貢献として、まず第一に挙げられることは、これまで社会的に注目されながらも未解明であったSECの人的資源管理の歴史と実態を明らかにしたことである。通常ならば、基本的データすら入手困難という事情を考えると、その意義はきわめて大きい。特に大量配置転換の実態や人事考課の実態の解明は詳細に行われている。また、キャリアツリーでの昇進実態の解明を通じて、実はSECは1997年以前から外部への排出メカニズムを有していたことも明らかになった。例えば調査対象グループでは、純粋な退職者に絞っても、20年間で半数以上が退職しているのであり、しかも多くは昇格の可能性を考慮して退職しているのである。「生涯職場」という理念の背後にある組織内の厳しい競争関係とその処理のメカニズムの実態を明らかにしたものであるといえる。

第二に、人事部の組織と機能、特に組織内交渉の実態を明らかにしたことである。無組合企業であるSECの人的資源管理についての意思決定は、トップダウンであるという印象が強い。しかしながら著者が明らかにしたのは、様々なレベルの人事担当者が利害代表としての調整を丁寧に行ってきたという現実である。例えば2000年の臨時賃上げをめぐる組織内交渉において、本社と事業部、事業部の業績、担当者の職位などによる利害の差異をふまえた複雑な調整が行われていく過程が描き出されている。また、「権限のヒエラルキー」と「目標と戦略」の2軸を使った「立場形成モデル」による説明は、各レベルの担当者の立場を理解する上で説得的である。

第三に、企業の競争力と人的資源管理・人事部の機能とを関連付けて説明することを試みた点である。これは人事部不要論が喧しかった日本での人事管理論の文脈からみると、挑戦的ともいえる課題設定である。著者は、環境に即応できる人事管理制度の実現や人的資源の蓄積といった、他社が模倣困難な価値ある事柄を可能にした存在として人事部を位置づける。そして丁寧な組織内交渉による公正さの実現とともに、人事部自身が様々な外部的な危機に対応して柔軟な自己変革を追求しそれを実現してきたことが詳細に示されるのである。特に、戦略的意図の全社員への徹底や現場のリーダーシップ強化を実現するために、人事部が「アイデンティティを変えていく存在」となり、その施策の説得性を不断に高めていったという事実は興味深い。こうした徹底した施策とSECの競争力向上には否定しがたい関連が存在することは明らかにされていると評価できる。

しかしながら、本論文における問題点もいくつか指摘せざるを得ない。第一は、人事部の機能と企業の競争力の関連の論理についてである。企業の競争力と人事部の組織能力との関連について一定の論理的手続きは行われており、関係する諸事実の発見も貴重であることはすでに指摘した。しかし他方で、企業の競争力の形成における人事部固有の貢献がどれだけクリアに示されているのか、あるいは貢献の水準を測定し分析する一貫した方法が開発できているのかについては課題が残されている。見方によってはSECが成長しているという結果からの推測に依存している面も強いという印象も残るのである。

第二に、SECの人事部が様々な危機に際して、その組織や機能を柔軟に変化させて対応してきたことは描かれている一方で、この強力で対応能力に富んだ人事部がなぜ生成しえたのかについての分析が必ずしも十分ではない。著者はこれに関連して、SECにおいては人事部が組織設計と再編に関する権限を有しているという企業組織内での地位の特異性を重視しているとも読み取れる叙述も行っている。しかしながら、それだけでは説明不足であるし、もしそうであるならこの特異性はなぜ生成し、いかに持続されてきたのかについての掘り下げた分析も必要となる。これらの問題は、本論文ではSEC以外の韓国企業との比較分析が手薄であることとも関係している。

第三は、SECの人的資源管理における伝統的要素と新しい要素との整合性の問題である。著者は、人的資源管理における変革のスピードを強調する一方で、手厚い福利厚生制度のような従来的要素の残存も指摘している。成果主義と手厚い福利厚生制度が共存しているとしたら、なぜ、どのような構造のもとで共存しているのか、あるいは人事部が両者の非整合性を調整すべき対象としてとらえているとしたらどのような方向に向かいつつあるのかが分析されるべきであった。

以上の問題点はあるものの、それらは本論文の学術的貢献を損なうものでない。また、著者自身も、これらの問題点については相当程度自覚している。本論文での貴重な事実発見の多くは著者のキャリア上の優位性を十二分に活用した結果でもあり、関連する学界への貢献度は高い。また人事部の役割についての研究の新しい可能性も示しており、こうした点において自立した研究者としての能力を認めることができる。

以上により、本委員会は、李炳夏氏に博士(経済学)の学位を授与することが妥当であるとの結論を得た。

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