学位論文要旨



No 126483
著者(漢字) 梁,蘊嫻
著者(英字)
著者(カナ) リョウ,ウンカン
標題(和) 江戸文学における『三国志演義』の受容 : 「義」概念及び挿絵の世界を中心に
標題(洋)
報告番号 126483
報告番号 甲26483
学位授与日 2010.10.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1028号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 ロバート,キャンベル
 東京大学 教授 黒住,眞
 東京大学 准教授 齋藤,希史
 東京大学 准教授 寺田,寅彦
 東京大学 名誉教授 延広,真治
内容要旨 要旨を表示する

中国の歴史小説『三国志演義』(明・羅貫中)は江戸文学に対して多大な影響を与 えている。本論文は、文字テクストの分析と挿絵の分析から、江戸文学における『三国志演義』の受容について論じたものである。

「義を演ずる」という書名のとおり、「義」は『三国志演義』(以下は『演義』と 呼ぶ)の大きな主題である。吉永慎二郎氏は、「『三国志演義』における義気について―中国文化のエートスへの一考察―」(『秋田大学総合基礎教育研究紀要』1巻13号、1994年)において、『演義』の「義気」を「中国文化の道徳的特質(エートス)」としている。ところが、この「義」は日本では必ずしもそのまま理解されていたわけではない。たとえば、後述するように、漢語の「義」が和語の「情(なさけ)」と訳されることが見受けられる。異文化における特有の用語を翻訳する際に、翻訳する側に対してすでに定着した自ら独自の用語を選び、変換させることが多い。異文化の受容とその変容の過程を研究することによって、自己と他者における文化の特質の違いを明らかにすることができる。本論の第一部では、『演義』の「義」の概念を相対化させることによって、日本文化の一特質を浮かび上がらせることに努めた。第二部では、挿絵の問題を取り上げた。日本の三国志物は、挿絵を主体とするジャンルに多く見られる。これらの作品が挿絵を通して『演義』の世界をいかに表現しているのかを分析した。

第一部第一章では、『演義』の「義」を「大義」と「義気」という二つの視点から 分析した。「大義」は、主君が無道な行為をした際に、臣下が主従関係を解消できるという「君臣義合」の儒教的主従観を前提としており、孟子の革命論に由来する。「義気」は、自発的な私的正義であり、平等な信頼関係に基づく。劉備らの義兄弟の関係が「義気」の典型であり、それは「同年同月同日に死ぬ」という義兄弟の契りを結んだことに見られる私的結束力である。その「義気」は仲間だけではなく、敵同士にも適用される。主君の命令に反しても、尊敬できる敵には心を許し、「内面の主観的道徳」としての「義気」が発動する。本論でもっとも強調したのは、「義」と「忠」の概念の違いである。「大義」と「義気」は、君主の善し悪しに関わらず、臣下が無条件に仕える、という意味での「忠義」と異なっている。また『演義』における「忠義」と「大義」と「義気」の間で、概念は相克はあっても、優先順位が決まっている、という三者の相互関係を明らかにした。

第二章では、『演義』の日本語訳である『通俗三国志』(湖南文山序、元禄2~5[1689~1692]年刊)の翻訳について分析した。第一節では、「大義」を「忠義」として捉え直す傾向に注目し、この傾向が日本では儒教思想を歴史の叙述に利用する伝統がなかったことに起因していると指摘した。第二節では、「義気」が「忠義」「信義」と訳されることに着目した。「内面の主観的な道徳」としての「義気」が、『通俗三国志』では、いかに「公的な客観的な道徳」に変えられているのか、について論じた。つづく第三節では、漢語の「義」が和語の「情」と訳されていることに注目した。「義」と「情」は、節操のある的に敬服して心を許す、という場面によく使われている。『通俗三国志』が軍記物語から「義」と「情」との共通点を見出し、軍記物語の方に嵌めることによって、日本人に馴染みのある文脈に導入していることを指摘した。一方、「義」と「情」、それぞれがもつ文脈の違いに起因する齟齬についても議論した。以上の三節を通じて、「義」の概念の変容の原因の一つが日本の軍記物語と中国歴史小説の書き方の違いに求められるということを示した。

つづく第三章では、浄瑠璃『諸葛孔明鼎軍談』(竹田出雲作、享保9[1724]年初演)の分析を行った。この作品は、『演義』の「義気」と「大義」を「忠義」として読みかえている。たとえば、『演義』には関羽が「大義」と「義気」を守るために、曹操に降伏するという場面がある。これに対して、『諸葛孔明鼎軍談』の作者は、主君への「忠義」と肉親への愛情を両立させるための葛藤を生み出し、そして身替りという自己犠牲の行動を取るという物語に描き変えている。日本の演劇では、「義理」と「人情」をめぐって葛藤が生じたときに、登場人物の自己犠牲によって問題を解決するというパターンがよく見られる。『諸葛孔明鼎軍談』は、『演義』に描かれる葛藤をこうした日本人に分かりやすい葛藤へと転換しているのである。本章では、「義」の概念を手掛かりとして、葛藤の構造に着目しながら、『諸葛孔明鼎軍談』のテクストを分析した。

興味深いことに、こうした肉親間の葛藤は、第四章で取り上げた『三国志画伝』(重田貞一作・歌川国安画、天保1~6[1830~1835]年刊)にも見られる。たとえば、『演義』の第五十三回では、敵同士の関羽と黄忠がお互いの心を通い合わせる場面が描かれている。これは主君への「忠義」と好敵手への「義気」との葛藤がテーマとなっている。しかし、『三国志画伝』はここを物語のクライマックスとはせずに、この後に、「義理」と「人情」の話を創り出している。つまり、女性が夫と弟の双方に義理を立てるために、弟を殺して自害するという場面である。筆者は、『三国志画伝』がいかに「義気」から生まれた葛藤を利用して、家族をめぐる葛藤を創り出したかを分析した。また、この作品が、『演義』のように、主君の殺される場面を結末としていないのは、「忠義」の精神を重んじる結果であると主張した。ここでは、『三国志画伝』を『諸葛孔明鼎軍談』と合わせて考えることによって、両者の共通点を明確にし、その背景となる日本文化について考察した。

こうして、第一部では日本の三国志物には、『演義』の「義」を、「情」「忠義」「義理と人情の葛藤」に変化させる傾向があることを示した。注意すべきは、この三つの概念がいずれも日本文学によく見られる価値観だということである。日本の三国志物は、『演義』の「義」に、共鳴を覚えているからこそ、「義」の場面を大きく取り上げた。しかし、この共鳴は日本的価値観に根ざす独自の解釈に基づいたものだったのである。

第二部第一章では、『演義』諸本、すなわち周日校本・呉観明本・英雄譜本・宝翰 楼本・李笠翁本(以下「五種刊本」と呼ぶ)及び遺香堂本、の挿絵を分析した。第一章第一節では、挿絵の画題と本文とを付き合わせて分析することによって、五種刊本の挿絵が、合戦物語を好んで取り上げていることを指摘した。第二節では、遺香堂本が『演義』の女性の登場人物、伝奇的な場面も挿絵に取り上げ、さらに忠節の思想なども表現しているということを論じた。第三節では、構図の問題を取り上げた。五種刊本の各回の画題は同じであるにもかかわらず、構図においてはそれぞれ特色がある。紙幅の制限上、ここでは後の論証と関わる宝翰楼本だけを取り上げ、構図からその独自性を見出した。

続いて第一章の研究成果をふまえながら、第二章から第四章までは、日本の三国志物の挿絵を検討した。三国志物の挿絵は、ほとんどが(1)『演義』の挿絵を参照して描かれたもの、(2)日本で刊行された中国関係の書籍を参照して作られたもの、(3)当世化したもの、という三種に分類することができる。

第二章では、絵本読本『絵本三国志』(都賀大陸序・桂宗信画、天明8[1788]年序)の挿絵を考察した。本作は、『演義』の挿絵を参照して描かれたものに当たる。『絵本三国志』の挿絵は、『演義』諸本の特徴を利用し、複数の視点を同作に使い分けることによって、「動」と「静」、「群」と「個」、「剛」と「柔」という対称性を際立たせている。また、挿絵の取捨選択によって、合戦の形態を増やし、また合戦場面を多角的に描くことができた。このように、『絵本三国志』は『演義』の諸本を取り入れながらも、諸本とまったく異なった、独自の作品として成り立っているのである。本作の検証を通じて、模倣という行為のなかの創作性をめぐる問題について論じることができた。

第三章では、合巻『三国志画伝』の挿絵を取り上げた。本作は『絵本三国志』と異なり、『演義』の諸本からの直接的な影響は見られない。第一節では、『三国志画伝』が『絵本三国志』及び日本で刊行された異国関係の書籍を参照することによって創造された中国像を描いていることが明らかになった。第二節では、『三国志画伝』が、合巻の形式を利用することによって、『演義』の世界のイメージを視覚的に具体化し、巨視的な把握と物語の展開の細部にわたる描写の両方を読者に提示することができた、ということを示した。

つづく第四章では、『演義』の日本における当世化という点について検討した。こ こでは合巻『世話綴三国志』(墨川亭雪麿作・歌川国貞画、天保2[1831]年)の挿絵を取り上げた。本作は、当時の役者の似顔絵を、その役者の格付けや得意とする役柄に合わせて『演義』の人物にあてはめ、人物の性格や立場を象徴的に表わすものとして使っている。ここでは、『演義』の登場人物が、どの役者と対応しているかを検証し、またそれによって、当時の人々が『演義』の人物をどのように捉えていたかを論じた。そして、『世話綴三国志』がいかに『演義』を当世の事物と結び付けることによって、新たな世界を繰り広げたのかを確認した。

こうして、第二部では、類似の場面を繰返して挿絵として使用する『演義』に対して、日本の三国志物の挿絵は、『演義』を模倣しながら、自国の文化と融合させることによって、挿絵に様々な変化をつけ、『演義』を多面的に表現することができた、という結論を導いた。

以上の論考から、日本に伝来した『演義』は、さまざまなジャンルに適用されることによって、新たな生命を獲得したのである。

審査要旨 要旨を表示する

梁蘊嫻の博士学位請求論文、「江戸文学における『三国志演義』の受容 ―「義」概念及び挿絵の世界を中心に―」は、中国明代の長編小説『三国志演義』が近世期日本においてどのように受容されたかという重要なテーマを取り上げ、その前半では文字テクストの翻訳および文学・演劇作成における再解釈、後半では挿絵における内容および構図上の変動を精緻に追い、日本における中国古典小説のありかたをジャンルを超え、通時的に問い直そうという精力的な学術研究である。研究手法の独自性に加え、徹底した実証的な調査研究が功を奏して、先行研究に多くの修正を迫ると同時に、近世日本における中国文化受容そのものの諸前提を再検討する必要性を浮かび上がらせている。

『三国志演義』の原本は17世紀初頭までに中国から日本へ伝来し、早くから複数の版本として漢学者の間で読まれていたが、日本語訳『通俗三国志』(1689~1692)の刊行が大きなきっかけとなり、18世紀初頭には一般民衆にまで浸透した。日本における受容研究は、中世軍記物語に対する影響をはじめ、『通俗三国志』成立論、あるいは草双紙・洒落本といった俗文芸諸ジャンルの作品研究、挿絵に関しては作品別・人物別の先行実績が知られる。しかしジャンルを超えるかたちで17世紀から幕末にいたる総合的な理解を目指した比較文学・比較文化研究は皆無であった。本論文は、従来の文学と美術史研究ではジャンルと時代区分によって隔離されがちな問題軸を、複数領域を通して関連させ、その過程で日中文学の新たな理解の土俵を整えたと言える。『三国志演義』の受容過程を総合的に描くことによって、東アジアの一言語圏における『三国志演義』の影響を明瞭に示すのみならず、各時代、それぞれの社会層で繰りかえし翻案・再解釈された『三国志演義』が、痕跡として近世日本文学全体の特質をどう浮かび上がらせたかに論点を見いだしたことも、称賛に値する。

本論文の総合性に加えて、筆者が多数の未翻刻資料を渉猟し、それぞれを独自に翻字・校訂して、また挿絵に関しては国内外の漢籍原本調査と分析を広く行ったことは高い評価に価する。その作業を経て、先達の解明し得なかった新たな知見を数多く明示することに成功しており、今後の前近代日中比較文学・比較文化研究および美術史に資するところ大であることは間違いない。

本論文は本文編と図版編の2分冊から成る。本文編は2部構成(「「義」概念の受容をめぐる研究」と「挿絵の研究」)で全8章、前後に序章および終章が加わる。図版編は第2部に対する挿絵集(「中国刊本の挿絵に見られる『三国志演義』の世界」「『絵本三国志演義』の挿絵」「『三国志画伝』―地理への関心―」「『世話字綴三国誌』における歌舞伎役者の似顔絵についての考察」に続いて、漢籍絵入り本の一覧と『三国志演義』諸本と『絵本三国志』との影響関係一覧表が附録として掲載されている。以下、本論文の構成に即して議論を紹介し、審査委員からの指摘を記しておく。

序章において、まず『三国志演義』の成立を概説した上で、近世期日本における伝来と初期受容を紹介し、日本語訳『通俗三国志』の刊行と流布を契機とした文学利用を俯瞰する。後半では、先行研究を整理しながら、本論の問題提起を行う。すなわち原本の言語テクストにおいて「義を演ずる」ことが主題であったのに対して、日本語訳では「義」を「情(なさけ)」に置き換えることによって、中世軍記物語以来戦を語る際に強調された武士の倫理観と近世社会における儒学的生活倫理に近づけ、原本とは異質の意味体系を創出していること。また挿絵を描くにあたって、『絵本三国志』(1788)の画工が数種の中国刊本から取捨選択することによって、そのどれにも見出せない画題(描かれる内容)と構図を創り出し、当時の日本の読者の嗜好に合う、躍動あふれる合戦と家族の恩愛描写を意図的に加味したという仮説である。なお審査委員からは、先行研究の利用について、いっそう批判的な態度で臨むべきでは、という意見とともに、『三国志演義』の現代語訳および訓読に誤りが見られるとの指摘があった。

第一部では『三国志演義』の「義」概念を取り上げる。原本における「義」と「気」の関連に始まり、「公的正義」としての「大義」と「私的正義」としての「義気」を対比させるかたちで、中国小説における「義」の位置づけを試みた(第一章)。その上で、『通俗三国志』において「義」がどのように訳されたかを検証し、その結果「大義」が希薄化すると同時に、柔軟な「私的道徳」として認知された「義気」が制度化された「公的道徳」に歩み寄る過程を提示する。審査委員からは、近世における「義」および「忠義」概念は、時代と社会的文脈において揺れが見られ、思想史文献にもう少し視野を広げてほしいという要望があった。第一部の後半(第3・4章)では、『通俗三国志』の影響下に成立した浄瑠璃『諸葛孔明鼎軍談』における親子恩愛劇と、絵入り三国志物における「義」概念の受容を検討し、一般民衆の受容を横断的かつ鮮明に立証することに成功している。

第二部では中国刊本の挿絵を能うかぎり精査することによって、各種『三国志演義』刊本挿絵の特質を分析し、その観点から『絵本三国志』で参照されたであろう挿絵を特定する。日本・アジア・欧米に散在する原本を調査し、手堅い分析によって『絵本三国志』挿絵の成立とその位置づけを見事に論じており、この第二部こそ本論文最高の達成であることは審査委員全員の一致した意見であった。日本の版本に適合するように複数視点、俯瞰的視点、人物描写の重視、女性図の多用など、原典模倣から生みだされた多様な工夫を指摘することによって、本論のテーマである『三国志演義』の受容を超え、近世絵入り本そのものを性格づけるのに多大な功績を成し遂げたことは間違いない。なお審査委員から、図版編では丁付が欠けており、またキャプションに不統一が見られるとの指摘があった。

以上、不用意な誤記・誤訳に加えて、思想史の領域に対していっそう視野を広げるべきなどとの指摘もあったが、それらは瑕瑾に過ぎず、本論文の学問的寄与を大きく損ねるものではないことが確認された。

以上の審査の後、審査員による協議の結果、全員一致で本審査委員会は、梁蘊嫻の提出論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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