学位論文要旨



No 126484
著者(漢字) 宮坂,真紀
著者(英字)
著者(カナ) ミヤサカ,マキ
標題(和) ゴルドーニの喜劇におけるイタリア語とヴェネツィア方言
標題(洋)
報告番号 126484
報告番号 甲26484
学位授与日 2010.10.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1029号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本村,凌二
 東京大学 教授 石井,洋二郎
 東京大学 教授 宮下,志朗
 東京大学 准教授 村松,眞理子
 共立女子大学 教授 鈴木,国男
内容要旨 要旨を表示する

本研究論文が目指すのは、ヴェネツィア出身の台本作者カルロ・ゴルドーニ(1707~1793)が喜劇の中で使用したふたつの言語(イタリア語とヴェネツィア方言)をどのように使い分けていたのかを明らかにすることにある。

20世紀後半以降のゴルドーニ研究では、ゴルドーニの喜劇を18世紀ヴェネツィアの歴史的環境の中に捉えて解釈する社会学的批評が主流となり、喜劇に描かれる市民生活と同時代のヴェネツィア社会との結びつきが強調されてきた。だが、実際にはゴルドーニの喜劇にはヴェネツィアを舞台にしたものが少なく、117の散文喜劇のうち35作しかない。

大多数の喜劇の舞台はヴェネツィア以外の都市に設定されているが、社会学的批評では、そこに描かれる人々の生活は、18世紀ヴェネツィアの社会の現実と見なされる。そして、ヴェネツィアが舞台に設定されなかった事情については、検閲を避けるため、モデルの存在を曖昧にするため、など便宜的理由に拠るものと説明される。

だが、上述のような便宜的理由だけで舞台設定の問題を完全に説明することは難しい。筆者はとくにゴルドーニの喜劇の中でもよく知られた女性主人公たち(『宿屋の女主人』のミランドリーナ、『恋人たち』のエウジェニア、別荘生活3部作のジャチンタなど)の活躍の舞台がヴェネツィア以外の都市に設定されていることに疑問を抱いていたのだが、既存の研究では、その舞台設定の理由について明確な根拠は示されていない。

舞台設定は言語の選択に直結する。ゴルドーニの喜劇ではヴェネツィアの人々は概ねヴェネツィア方言を話すが、それ以外の人々はイタリア語を話す。そこで筆者は、舞台の設定の問題を、言語の選択という方向から捉え直すことはできないか――つまり、女性主人公たちの活躍の舞台がヴェネツィア以外に設定されているのは、彼女たちの話す言語がイタリア語でなければならなかったから、と説明することはできないか――と考えた。

ゴルドーニの言語に関しては、その特質や歴史的意義を論じたフォレーナの研究があるが、ここで述べたような言語の選択の問題に言及した研究はない。そこで本論文では、この言語の選択の問題をゴルドーニの作劇術に結びつけることによって、新たな視点からゴルドーニの喜劇を読み解くことを試みる。各章の要旨は以下のとおりである。

第1章「イタリア語とヴェネツィア方言」では、本論の前提として「イタリア語」と「ヴェネツィア方言」とは何かを確認する。イタリアにおける方言とは、日常的な会話体言語としての(ラテン語の)俗語がイタリア各地で独自に発展したものである。ヴェネツィア方言やトスカーナ方言は本来そうした俗語のひとつだった。だが、16世紀前半、イタリアの共通言語を確定しようとする言語論争において、(ダンテをはじめとする優れた文人たちに用られた)14世紀のトスカーナの言語がイタリアにおける文芸上の規範言語となった。「イタリア語」は、この時期に共通言語を示す概念として生まれた。18世紀には、主に啓蒙主義的な人々によって、(14世紀のトスカーナ語を規範とする)古典的なイタリア語ではなく、簡潔で実用目的に適い、広範な地域や人々に受け容れられる「中間的な」イタリア語の必要性が訴えられた。市民社会を写実的に描くためにゴルドーニが舞台上で試みた会話体言語は、言語をめぐる変革の気運に連動するものといえる。

第2章「台本の出版とゴルドーニの言語観(1)――言語の書き換え」では、上演後の喜劇台本の出版に伴う改訂を通してゴルドーニの言語観を探る。ゴルドーニは上演された台本を出版する際、しばしば(とくに1752年のシーズンまでに上演された喜劇の)方言の科白をイタリア語に書き換えた。これは、イタリア語のほうがヴェネツィア方言よりも多くの読者に受け容れられる、という考えに基づく。ゴルドーニは、喜劇のイタリア語として、16世紀以来、文芸上の規範言語とされた14世紀のトスカーナ語ではなく、同時代(18世紀)のトスカーナ地方における話しことばを想定していた。したがって、(同じ日常的な会話体言語として)イタリア語をヴェネツィア方言と置き換え得る同質の言語と見なしていたと考えられる。

第3章「ヴェネツィア方言劇の中のイタリア語 ―― ガスパリーナの2言語併用(bilinguismo)では、『小さな広場』(1756年)の女主人公ガスパリーナのことば遣いを通して、喜劇の中で明らかになるイタリア語とヴェネツィア方言の差異について論述する。ガスパリーナはヴェネツィア娘でありながら外国人の前でイタリア語を話せることを自慢し、イタリア語を理解できない他のヴェネツィア庶民たちを見下す。ゴルドーニの喜劇の中で、イタリア語と方言の格差について言及し、その差異を科白の中で意識的に利用した登場人物はガスパリーナがほぼ唯一の例である。ガスパリーナはゴルドーニの喜劇における言語の在り方とその変遷を考える上で画期的な存在である。

第4章「方言からイタリア語への翻訳――『レ・モルビノーゼ』と『陽気な女たち』」では、ヴェネツィア方言劇『レ・モルビノーゼ』(1758年)と、ゴルドーニがこれをイタリア語で書き換えた『陽気な女たち』の比較を通して、方言独自の表現力について考察する。(言語の書き換えに伴う)最も重要な違いは、女主人公の性格が方言劇ではカーニヴァルの熱狂的雰囲気に影響され大きな感情的変化を伴って描かれるのに対し、イタリア語劇では背景にあるカーニヴァルとは無関係に単調に描かれている点にある(ここではイタリア語が登場人物たちにとって他者の言語であることが示される)。言語の書き換えは、イタリア語とヴェネツィア方言が異質な言語であることを示すと共に、(喜劇の)場の雰囲気を醸成しながらテーマ全体にまで影響を与える方言独自の表現効果を強調する結果となった。

第5章「台本の出版とゴルドーニの言語観(2)――方言辞書の構想と脚注の整備」では、(毎年劇場シーズンの終わりに上演された)カーニヴァルのヴェネツィアを舞台にした方言劇の台本の出版を通して、方言に対するゴルドーニの態度の変化を探る。方言劇の上演は当初ヴェネツィア以外の都市では不評だったが、1750年代後半にはヴェネツィア以外での公演も成功するようになった。これに伴い、ゴルドーニは方言劇の台本出版にあたって、方言の科白がヴェネツィア以外の読者にも理解されることを積極的に目指すようになり、1758年には方言辞典の構想を公表したが、結局、台本の脚注の整備することに落ち着いた。1760年に上演された『新しい家』では、方言独自の表現が随所に用いられているが、そこに反映される話し手の感性や心情は方言を理解できない読者には見逃される可能性がある。作者自身の手で付けられた脚注は、こうした読者を導く重要な役割を担っている。

第6章「方言劇と方言の領域の拡大――『新しい家』におけることば遣いの多様性」では、主に『新しい家』の女主人公チェチーリアのことば遣いを通して、1759年以降の方言劇の新しい局面について論述する。チェチーリアは社会の上層階級の婦人としては初めて方言を話し、その身分に相応しい社交上の儀礼的なことば遣いから、人を罵るときの卑俗な言い回しまで、ヴェネツィア方言で実に様々な表現を用いる。イタリアの喜劇の伝統では、方言の使用は滑稽な役に限定されていた。『新しい家』では方言の使用される領域が広がり(方言劇でありながらカーニヴァルではなく平時のヴェネツィアに時間が設定されている点でも『新しい家』は画期的だった)、方言が様々な社会階層に属する人々の思考や深刻な感情を雄弁に表現する手段になり得ることが示された。

第7章「ゴルドーニの喜劇における女性像と言語」では、女性と言語の問題を取り上げる。(第6章で述べたとおり)1760年前後の喜劇においてヴェネツィア方言は市民社会の深刻な問題を描くことのできる多様な表現力を備えていた。それにもかかわらず、社会学的批評においてヴェネツィア社会の矛盾を描いたとされる別荘生活3部作(1761年)はイタリア語劇として書かれた。この3部作の女主人公ジャチンタは(ゴルドーニの喜劇にしばしば登場する)家父長制の中で精神的に自立した女性像の系譜に連なる。こうした女性像は、18世紀、ヴェネツィアだけでなくミラノの啓蒙主義的知識人の間でも取り上げられた、女性の教養をめぐる議論を背景に生みだされたものである。そのため喜劇の中では、自立した女性たちの(ヨーロッパ的広がりを持つ)文化背景に相応しい言語として、地域性の枠にとらわれないイタリア語が選ばれたのではないかと考えられる。

結論では、ゴルドーニの喜劇におけるイタリア語とヴェネツィア方言の使用の変遷を振り返り、それぞれの言語の意義を考察する。イタリア語は、喜劇のテーマを地域性の枠にとらわれないヨーロッパ的思潮の文脈の中に置く役割を持つ。一方、話し手の感性との調和によって精彩を放つ方言はヴェネツィアの情景を色彩豊かに描くための表現手段である。ゴルドーニの喜劇の世界には、このように言語の選択に応じて性格の異なる文脈があり、これを一元的に同時代のヴェネツィアに結びつけて論じることはできない。この点を指摘することによって、本論文は(これまで見落とされてきた)喜劇における言語の選択の問題の重要性を明確にした。また、イタリアの特殊な言語状況を背景にしたイタリア文学史の流れの中に、この問題の歴史的意義を位置付けることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、18世紀のヴェネツィア出身の台本作者カルロ・ゴルドーニが喜劇の中でイタリア語とヴェネツィア方言をどのように使い分けていたのかを明らかにし、この言語の選択の問題をゴルドーニの作劇術に結びつけることによって、ゴルドーニの喜劇の解釈に新たな視点を提示することを目指したものとして位置づけることができる。

また、20世紀後半以降の研究が18世紀ヴェネツィアの歴史的環境を重視して社会学的批評(市民生活とヴェネツィア社会の結びつき)が主流になっているのに対して、文学的な作劇術に注目する視点から解明しようとする挑戦的な意欲作としても評価できる。

さらに、ゴルドーニの喜劇の中でヴェネツィアを舞台にしたものは意外に少ないという事実に焦点をあてたことは特筆される。舞台をヴェネツィアの外に置く場合も、イタリア語を使用することで、検閲を避けたり、モデルの存在を曖昧にしたりするための便宜的方便に過ぎないと見なされてきたにすぎない。しかし、著者はこのような便宜的理由だけによる舞台設定に疑問を呈し、テキストを丹念に読み込むという作業に取り組んだ。それによって、言語の選択という文学的視点から接近したことは独自の説得力をもっている。

このような分析を進めるとともに、イタリアにおける「イタリア語」、「方言」という概念の起源や、その実態、イタリア語のあり方をめぐる言語論争の経緯についても、十分な目配りがなされている。また、各喜劇の台本出版の際に付された序文を分析しながら、ゴルドーニの認識の変化に応じて作劇上の二つの言語の扱い方を時間の経過に沿って論究しているのも特筆される。とくに、上演台本を出版物として定着させる過程での方言の扱いや、喜劇の科白を通して示されるイタリア語やヴェネツィア方言の位置づけ、特徴、話し手との関係などを明らかにした点は納得させるものがあった。

また、ゴルドーニの喜劇が最も充実した時期とされる1760年前後の3年間の喜劇では、とくに、イタリア語の話し手として、家父長制度の中で精神的に自立する女性たちに注目したのも独自の視点として評価される。彼女たちは啓蒙主義による影響のなかで創造され、思想表現の手段としてイタリア語が選択されたことには必然性があると説得的に指摘している。

このような鋭利な分析を通して明らかになったイタリア語とヴェネツィア方言の位置づけを踏まえた上で、言語の選択は舞台設定に伴う便宜上の手段ではなく、言語と話し手の性格との均衡に基づき、作劇上の必然性からなされた点を解明したことは本論文の大きな功績である。また、これにより先に示した舞台設定の問題を見直すと同時に、喜劇における言語の選択の問題がゴルドーニの作劇上、重要な意味を持つことが明らかになり、それも本論文が独自に開示したことである。

もちろん本論文にも、いくつかの欠点が指摘された。ゴルドーニ以前の劇文学の科白における、話し言葉としてのイタリア語と比較する視点が希薄であること、また、引用した喜劇が書かれた状況を理解しやすくするための上演データなどを詳しく示すべきこと、さらに、ゴルドーニ研究の主流である「社会学的」批評に対し、言語を扱う本論文の方法を「文学的」批評と表現しているが、その定義が曖昧であること、などがあげられた。

しかしながら、これらの疑問はあるにしても、それらは本論文の全体的評価をいささかも損なうものではないことは審査委員すべてが認めるところであった。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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