学位論文要旨



No 126491
著者(漢字) 伊藤,由希子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユキコ
標題(和) 「聖(ひじり)」と「凡人(ただびと)」 : 『日本国現報善悪霊異記』研究
標題(洋)
報告番号 126491
報告番号 甲26491
学位授与日 2010.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第786号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,覚明
 東京大学 教授 熊野,純彦
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 蓑輪,顕量
 鎌倉女子大学 教授 竹内,整一
内容要旨 要旨を表示する

『日本国現報善悪霊異記』は平安時代初期に薬師寺の僧、景戒によって著された。景戒は、この書にいわゆる因果応報譚を集め、出来事としての「善悪の状(さま)」・「因果の報(むくい)」を示すことで、ひとびとを「善道」へと導こうとしたのであるが、その背景には、景戒が「何ぞ、唯(ただ)し他国の伝録をのみ慎みて、自土の奇事を信じ恐りざらむや」(上・序)と嘆く、「自土の奇事」が「善悪の状」・「因果の報」だということに気づかないひとびとの存在があった。景戒は、「他国」とは異なる、「日本国」における「善悪の状」・「因果の報」のあらわれ方の具体例を示し、ひとびとにそれとして気づかせるために、『日本国現報善悪霊異記』をまとめたのである。それは、釈迦在世から時間的にも空間的にも遠く隔たった「日本国」において、仏の教えとひとびととをつなごうとする試みでもあった。

しかし、その景戒も仏の教えから遠く隔たっていることは他のひとびとと同じであり、景戒自身、各巻序において、自身の仏教者としての才知の劣等にくりかえし言及しているのであるが、それはとりわけ『霊異記』を執筆することについての記述においてである。このような自身の才についての問題意識の背景には、「聊(いささ)かに側(ホノカ)ニ聞けることを注(しる)」(上・序)すといういとなみが、自身の手によっていることについての自覚、いうなれば、『霊異記』という書が説話編纂という仕方で景戒の思想をかたちにしたものであることについての、景戒のあきらかな自覚がある。つまり、景戒にとって『霊異記』を執筆することとは、「凡人(ただびと)」である自身が考え信ずるところにかたちを与え、確認するいとなみでもあったと考えられるのであり、本稿は、そのような景戒の思想としての『霊異記』のあり方に焦点を絞り、その思想内容をテキスト内在的にあきらかにしようとする試みである。

そこで本稿では、第一、二章において、仏の教えと「日本国」のひとびととを媒介するものとして「聖」・「聖人」あるいは仏像といった存在を取りあげ、それがどのようにひとびとを仏の教えへと導くのかを検討した。

第一章「聖」では、景戒が当代の天皇である嵯峨天皇を、高僧の生まれ変わりであることをもって「聖皇」としていることから、「聖」・「聖人」といった存在の「聖」性の内実を問題として提出した(第一節)。第二節では、行基がその「天眼」・「明眼」で、女が髪に猪の油を塗っていることや、ある親子の前世を見抜いたことが描かれる中・二十九と中・三十を検討し、そのような行基は、普段は日常の背後にあるものをひとびとの意識にもたらす、いわば媒介者とも言うべき存在であり、特に中・二十九においては、「日本の国に於いては、是(こ)れ化身(けしん)の聖なり。隠身の聖なり」と、行基のその「聖」としての存在自体が、ひとびとが共有するべき話の主題となっていることを指摘した。第三節では、聖徳太子がその「聖人の通眼(つうげん)」によって道端の乞食を「聖」と見抜き、そのことで「聖人(ひじり)」とされていた上・四を、『日本書紀』の該当箇所と比較検討することで、『霊異記』では「聖」・「聖人」が語られると同時に「凡人」・「凡夫」への言及があること、つまり景戒が、明らかに見通す「通眼」・「明眼」を持つ「聖」・「聖人」に対するものとして、「肉眼」しか持たず、"今・ここ"に限定されている「凡人」・「凡夫」という存在を強く意識していることを確認し、「聖」・「聖人」とは、その存在・あり方そのものを通して、ひとびとに日常を超えたものを示し、それを知ることができない「凡人」・「凡夫」というあり方を自覚させる存在であることを考察した。

第二章では仏像という存在について、盗人にたたき延ばされた仏像が「痛きかな」と声をあげる不可思議な出来事の後、それを知ったひとびとが「我が大師、聊(いささ)かに何の過失(あやまち)有りて、此の賊難を蒙(かがふ)りたまふ」とその「過失」を仏像に求めていること(中・二十二)から検討を始め(第一節)、第二節では、海難事故にあった男が、妙見菩薩に「我が命を済(すく)ひ助けたまはば、我が身を量(くら)べて、妙見の像を作らむ」と願ったことで助かり、その後「己(おのれ)が身を量(くら)べ」て仏像を作ったという話(下・三十二)や、吉祥天女像に恋をした優婆塞(私度僧)が夢のなかで天女像と交接した翌朝、天女像に「不浄」の染みがついていた(中・十三)等の説話から、それに対したひとびとのあり方をそこにうつしだすという仏像のはたらきを検討した。そして、そもそも仏像とは仏のどのようなあり方をかたちにしたものであるのかをうかがうため、第三節では、『霊異記』で唯一、生前の仏そのひとに関する記事がある中・四十一を検討した。生前の仏は、ある女が「哭く」のを聞くことで女の因果を知ることができる存在であるが、自身も「音(こゑ)を出して嘆」き、「哭」き、「本末のことを知る」、つまり女の因果を知ることができる存在であり、ひとびとと同じ肉体(「肉身」)を持ちつつも、すでにして「肉身」の限定から自由で、さまざまなものの因果を知るという「法身」としてのあり方を獲得していた。また仏は自身も「肉身」として「音(こゑ)を出して嘆」き、「哭」くことで、女の因果を周りに対して表現していたことも指摘し、「聖霊」という表現にも注目した(第四節)。

第三章では、中・十三の優婆塞が自分の愛欲を「慚愧」し「?ぢ」たにもかかわらず、それが里人たちの広く知ることになることをいかに理解すべきかということから、あるひとにかかわることが、他のひとに知られ、伝えられていく伝播の問題を考えていった(第一節)。上・三十三や中・二を見ていくと、その話の核には、ひとびとが、他のひとや生き物を「慈(あはれ)」ぶ・「愍(あはれ)」ぶ・「矜(メグ)」むということの連鎖があった。そしてひとびとは、対象を「慈(あはれ)」ぶ・「愍(あはれ)」ぶ・「矜(メグ)」むといったことにおいて、「凡人」・「凡夫」あるいは「欲界雑類」といった、ほかならぬ自身のあり方をその対象に見ていたのであり、また、それと同時に、その「慈(あはれ)」ぶ・「愍(あはれ)」ぶ・「矜(メグ)」むということで、その対象のなんたるかをその身において表現してもいた。それは、その「肉身」をもって妻のあり方をうつしだしていた仏のはたらきに通じるものであり、つまり、「理智の法身」がおこなっていることを、「凡人」・「凡夫」、「欲界雑類」であるひとびとも結果としておこなっているということであった(第二、三節)。

また、「慈(あはれ)」び・「愍(あはれ)」ぶべき「凡人」・「凡夫」あるいは「欲界雑類」といったひとびとのあり方とは、その本人からすれば「恥ぢ」るべきあり方であり、「慈(あはれ)」び・「愍(あはれ)」ぶことと、「慚愧」する・「〓(は)ぢ」るということは基本において重なる事態であった。つまり、「慈(あはれ)」び・「愍(あはれ)」ぶ、あるいは「慚愧」し・「〓(は)ぢ」るということにおいて、ひとびとは「凡人」・「凡夫」、「欲界雑類」としての、自身の、あるいは他の存在のあり方に気づき、そして「理智」をそなえた存在のはたらきの一端を担い始めているとも言えるのである(第四節)。

ところで、上・一には、雄略天皇と后が「婚合(クナガヒ)」しているところに従者栖軽が入ってくると天皇が「恥ぢ」たという話が記されている。『日本書紀』や『古事記』における「恥」・「羞」・「辱」という語を検討してみると、それらは自身のあり方、自身がある場をあきらかにし、世界が新たなかたちで再構成される契機となるものである(第五節)。この上・一では、天皇が「恥ぢ」、自身が今までに天皇として「日本国」においてなしてきたはたらきを、因果を知り、日常の背後にあるものをひとびとに示すという「聖」のそれとして受けとめなおしたことで、「日本国」のあり方も捉えなおされ、「日本国」は「聖」としての天皇を頂く国家として再編成されたことを考察した(第六節)。

第四章では、景戒が自身について言及した唯一の話である下・三十八と、景戒にとっての今上天皇である嵯峨天皇が話題になっている下・三十九という、『霊異記』を締めくくる二話をあわせて検討した。

下・三十八に関しては、従来、「表相」・「答」、あるいは「表」・「相」・「表答」等の概念が、〈前兆〉とその答えというように理解され、『霊異記』の主題である因果応報と矛盾するものであるとして問題とされてきた。しかし、景戒は「吉凶」、「災」等の背後には、それとして見えずとも因果応報が控えていると見ており、この「表相」等も、因果応報の一端がひとびとの前にあらわれたものとして捉えている(第一、二、三節)。

そして景戒はその理解をもって、あるひとの現在のあり方も、そのひとに関する因果の一端があらわれたものだと考える。景戒が自身のあり方を「慚愧」したとき、その自身のあり方を照らすものとして捉えられていたのが、天皇という存在であった。最後に、景戒は天皇のいる「日本国」においてみずからを「慚愧」し、そこから『霊異記』を執筆したことを考察した(第四、五節)。

なお、その『霊異記』執筆意図にかかわり、従来しばしば問題にされてきた『霊異記』に見られる類話の意義について、長い註で補った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、平安時代の仏教説話集『日本国現報善悪霊異記』(以下『日本霊異記』)を、編者景戒の倫理思想として捉え、その思想内容をテクスト内在的に明らかにしようとする試みである。論者は、因果応報をめぐる出来事の記録の中に、編者自身の体験が説話化されて組み込まれているという『日本霊異記』の構造に着目し、説話集を編纂し、人々を善に導こうとする意識的な営みそのものを、自己と超越をめぐる一つの「思想」として読み解いていく。

論者はまず、「奇事」を因果の現れとして受け止め、驚く人々のひとりとしての景戒の自己把握のあり方を分析する。景戒を含めた人々にとっての「今・ここ」としての「日本」は、仏法から隔てられた「末法辺土」であるが、同時に、仏法が現前しつづけている場所でもある。人々は、現前する奇事を因果応報の出来事として教え示す「聖」なる存在を媒介として、「凡人」としての自己を見いだす。(序、及び第一章)

第二章では、因果の出来事への驚きとして「凡人」としての自己が自覚される体験の構造が、仏像霊験説話を手掛かりに分析される。「奇事」を因果の現れとして感知することにおいて、人々は、無意識のうちに、衆生をあわれみ、悲しみの対象として捉える超越者の視点から、自己自身を捉え直している。「聖」なる存在の視点を介した自己発見は、人々にとって、「慚愧」の感情として経験される。

第三章では、あわれみ(「慈」「愍」「矜」)と 慚愧の感情が、出来事に触れた人々の間で共有され、それが、出来事を説話として伝聞する人々へも広がっていく構造が明らかにされる。そして、超越者の視線(あわれみ)と、「凡人」の自覚(慚愧)が次々と連鎖していくことにおいて、人々が、結果的に仏法の救済の働きに参与していることが明らかにされる。

第四章では、編者自身の体験が説話化され、他の説話と並んで記録されていることの意味が解かれる。即ち、因果の出来事に驚き、それを人々に知らしめていく景戒の営みそれ自体が、仏法の働きに身をゆだねる善行の意味を持つことが示される。

以上、本論文は、個々の説話に示される出来事の内実と、それを記録する営みとを一体のものとして読み解き、『日本霊異記』の世界を、景戒の「懺悔・発露」の思想として統一的に捉える可能性を示したものとして、高い評価に値する。一方で、解釈上の議論がある箇所についての詰めに十分でない点が見られること、また読みの構造にかかわる原理的な議論においてなお補強が必要な部分があるなど、問題がないわけではない。とはいえ、日本思想の根本問題の一つである、自己の自覚と求道的行為との結びつきを、具体的事例に即して明らかにしたことの意義は大きい。

以上により、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。

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