学位論文要旨



No 126496
著者(漢字) 鈴木,健大
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ケンタ
標題(和) 食物網における構造不安定性、多重安定性、ヒステリシス
標題(洋) Structural instability, multiple stable states and hysteresis in food webs
報告番号 126496
報告番号 甲26496
学位授与日 2010.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1032号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池上,高志
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 准教授 吉田,丈人
 総合研究大学院大学 教授 佐々木,顕
内容要旨 要旨を表示する

1 イントロダクション

食物網のダイナミクスを記述する力学系に含まれるあるパラメータをaとする。その力学系がaに対して構造不安定である場合、振舞いはその微小な変化に対して変わってしまう。そして、現実的にはa の値はモデルの記述対象の外での環境変動や種の形質の変化など、外的要因によって変化する可能性がある。この意味で、食物網のモデルとして数学的な構造不安定性を持ったモデルはふさわしくない。一方で、数学的には構造安定な力学系であっても、そのパラメータの現実的な有限の大きさの揺らぎを想定したときにシステムの振舞いが変化する可能性がある。こうした性質について詳しく知ることは、食物網のあり方を理解する上で大きな意味を持つであろう。そこで、パラメータa の時間的変動を考慮してa(t)とし、想定される変動の間に分岐点が存在することで力学系の振る舞いが変化するとき、広い意味でそのシステムは構造不安定であるということにする。食物網への空間構造の導入(2 章)、時間構造の導入(3 章)において現れるこの意味での構造不安定性について研究を行った。

2 空間構造の導入

第2 章では、2 つの同一の構成種からなる食物網が個体の移動によって相互作用するシステムに関する研究結果を報告する。このようなシステムの研究は、個体の移動を介した群集のメタレベルでの相互作用と局所的な個体群動態の関係を理解する上で重要である。一般に、全種が同じ移動率で移動する場合、サブシステム間の同期が起こることが分かっている。しかし、現実には生息地間を移動できる種が限られている状況も考えられる。このような状況を考慮した先行研究では、同期が壊れるような移動パターンの存在が示されているものの、そのメカニズムは明らかになっていない。本研究で対象としたシステムでは資源のみが移動する場合に複数の特徴的な個体群動態が現れ、同期の安定/不安定だけではない多様な振舞いが見られた。安定性や分岐の解析によって動態間の遷移について調べ、その成因を明らかにした。

研究のベースとしたのは、実験微生物系であるワムシ-緑藻系の数理モデルであり、モデルで予測される個体群動態と実験的な動態の対応は先行研究において確認されている。我々はこのシステムを2 つ、個体の移動によって結合した以下のようなモデルについて研究を行った。表した式は一方の系についての式で、他方の系については添え字の1と2を置き換えれば得られる。n: 栄養塩濃度、c: 緑藻個体数、b: ワムシの総個体数、r: 繁殖可能なワムシの個体数で、δは系からの内溶液の流出率を表す。移動のパターンはDを定数、それぞれの移動率(dn, dc, db, dr)として、m1: (D, 0, 0, 0), m2: (D,D, 0, 0), m3: (D,D,D,D) の3 通りを考えた[実験においては、移動パターンはフィルターを使って再現することになるこのため、ある大きさのものを通す場合それ以下のものも必然的に通すことになる。よってここでは3 通りのパターンを示している。これら以外の理論上可能なすべてのパターンについて検証を行ったが、特筆すべき振る舞いは見られなかった]。まず、それぞれの移動パターンについてパラメータ空間δ ×Dにおけるシステムの振舞いを調べた。m2, m3 で見られた振舞いは単一のシステムにおけるものと変わらず、Dに対しては一定であった。また、振動領域では2 つのサブシステムにおいて各種の振動が完全に同期していた。一方でm1 ではパラメータ空間において複数の異なる特徴を持った振動領域が現れていた。これらは大きく、同期した振動、逆位相の振動、間欠的なカオス、カオス、の4 つに分かれ、状態間の遷移においては広くヒステリシスが見られた。

パラメータ空間における振舞いを網羅的に調べた結果、背後にある分岐集合の構造が明らかとなり、このような振動領域のヒステリシスを伴った遷移はフォールドカタストロフ(不完全なカスプカタストロフ)とサブクリティカル性を持ったHopf 分岐の重なり合いによって生じることが分かった。また、多様な振動パターンが現れる理由は内部平衡点の安定性の解析から理解することができた。

本研究で得られた結果は、食物網を空間的に結合したときに生じるダイナミクスを予測する際の指針を与える。種の絶滅を回避するひとつの方策として局所個体群を結ぶことによる個体数の維持があるが、これは一般に個体数の振動の同期につながるため結果的により広い領域での絶滅の要因となる可能性が指摘されてきた。一方、一部の種のみが移動することにより生じる非同期振動はこれに対する解決になると考えられている。本研究は、このような非同期振動が部分的な結果にすぎないことを明らかにした。すなわち、絶滅回避の方策として局所群集間を結ぶ場合にはどの種を移動させるかのみならず、それぞれの系の基本的なパラメータが、結合系においてどのようなダイナミクスにつながるかを知らなくては結果を予測することができないことを意味している。

また、本研究では、空間構造の導入によって共存状態のダイナミクスに多様性が生じることが分かった。ダイナミクスの違いは、系への新たな種(形質) の侵入可能性の違いにつながることがすでに分かっている。このことは、種の侵入や進化による食物網の変容を考えたとき、とりうる経路が初期のダイナミクスによって異なるものになる可能性を示唆している。この点に関するさらなる検証は今後の課題である。

3 時間構造の導入

第3 章では、食物網が種の個体数変動の時間スケールについてみたとき、速い時間スケールから遅い時間スケールまでが段階的に結合されたシステムであるという視点を導入し、このような性質を持つシステムを研究対象とした。これは以下の3 つの背景に基づいている。

・ アロメトリ則によれば個体の体重あたりの代謝の時間スケールは体重の1/4 乗に比例する

・代謝の時間スケールは個体群ダイナミクスを考えたときバイオマスの増加(減少) の時間スケールに影響するので、個体数変動において種に固有の時間スケールが現れる

・ 一般に、捕食者と被食者の体重比は100 倍程度となる。

食物網の持つこのような性質がダイナミクスに与える影響はこれまでほとんど考慮されてこなかった。本研究では、食物連鎖における各栄養段階のバイオマス変動を表す以下の微分方程式系を用いて、こうした性質がもたらすダイナミクスの定性的な変化と、そこから帰結される環境変動や擾乱に対する応答について調べた。

ここで、X が各栄養段階のバイオマスを表しており、添え字0はbasal species, nはトッププレデター、iはそれ以外に対応している。τは直接相互作用のある栄養段階間の代謝の時間スケール比で、この値はどの二つの栄養段階間でも一定と仮定した。ρjは各栄養段階の代謝率を表す。

τをパラメータとして変化させたとき、ダイナミクスは振幅の小さい状態から大きい状態(またはその逆) へ急激な遷移を示した。このとき、前者は振動周期が短い周期アトラクタ(A1)、後者は長周期の成分を持つカオス的アトラクタ(A2)に対応していた。二つのアトラクタ間の遷移はヒステリシスを伴っており、そうした挙動はサブクリティカル性を持ったHopf 分岐によって現れていることが分かった。一般に、弱いリンクは個体群ダイナミクスを安定化する働きを持つとされる。ここでは、τ が大きくなると上位のリンクほどその強度は弱くなるが、そのときダイナミクスはむしろカオス的になる。この結果は、弱いリンクが場合によっては逆の働きをすることを示している。

次にbasal species の内的自然増加率(aR) の変動に対する系の応答をパラメータ空間τ×aRにおいて調べた。τ の増加は内部平衡点がRn+の中に存在できるようなaR の範囲を下側に広げる。また、τ が2.1 よりも小さい場合、A1とA2 がそれぞれ安定であるような領域の間に双安定領域が存在し、aR の変動はA1とA2 の間のヒステリシスを伴った遷移を引き起こすことになる。一方、τ が2.1 よりも大きい場合、A1 が唯一のアトラクタであるようなパラメータ領域は存在しなくなることが分かった。分岐集合のこのような構造は栄養段階の高さやボディサイズの分布構造に影響している可能性がある。最後に、双安定な領域で各栄養段階を構成する種に擾乱を加え、アトラクタ(A1) 上からベイスン境界までの各々の平均的な距離(A2 への遷移の起こしやすさ)を調べた。その結果、τ が大きくなるほど、栄養段階の高さとベイスン境界までの距離の間の負の相関が強くなることが分かった。つまり、τ が1 より大きい場合、擾乱に対してトッププレデターが最も弱く、アトラクタの遷移を引き起こしやすい。アトラクタの遷移は系全体に渡って大きな影響を持つが、トッププレデターの個体数は平均して最も小さいことを考えると、この結果はトッププレデターがアトラクタースイッチとしてキーストン種となりうる可能性を示唆する。本研究で用いた系では双安定領域は広くはなかったが、多重安定状態の存在について野外研究からも多くの証拠が挙げられている。この結果は、代謝の時間スケールについて階層構造が存在していれば、そうした場合にも広く適用できると考えられる。

より複雑な食物網であっても、栄養段階の数が同じでomnivory が無いかほとんど含まれない場合、今回確認した性質が保たれることはすでに確認済みである。さらに一般的な食物網構造における結果を検証し、体系的に理解することはすることはこれからの課題である。

4 総括

食物連鎖に空間構造を導入した場合(2 章)、時間構造を導入した場合(3 章)、の振舞いを研究した。どちらの結果においても食物網モデルとして広義の構造不安定性が存在し、パラメータ空間における分岐集合がその振舞いを理解する上で大きな意味を持っていた。ここで得られた結果は、食物網のあり方を捉える上で広い意味での構造不安定性を考慮することの重要性を示唆するものである。こうした構造が、個々の種の環境に対する応答や種同士の相互作用の単なる結果に過ぎないのか、積極的にそれを形作るようなメカニズムがあるのかについて更なる検証が必要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は生態系の食物網を力学系の問題と定式化し、その構造安定性の理論的解析を行なっ たものである。食物網とは、生物種間の「食う食われる」関係のネットワークのことである。食物 網のダイナミクスを記述する力学系に含まれるあるパラメータをaとする。その力学系がaに対して構造不安定である場合、振舞いはその微小な変化に対して変わる。この様子を、本論文は2つの異なるシステムに対して考察した。

本論文は全4章からなる。第1章では、食う食われるの典型的な形式化である、ロトカボルテラ方程式を紹介し、食物網への拡張を行った。その上で、モデルの構造安定性がどのように行われるかを議論し、特に食物網におけるカタストロフィ理論について解説している。

第2章では、同一の構成種からなる2つの食物網が個体の移動によって相互作用するシステムに関する研究結果を扱っている。このようなシステムの研究は、個体の移動を介した群集のメタレベルでの相互作用と局所的な個体群動態の関係を理解する上で重要である。特にこの研究においては、実験微生物系であるワムシ-緑藻系の数理モデルで、移動率のパラメータ空間における振舞いを網羅的に述べた。その結果、移動によって一般に予想されるような全域的な同期振動がおきるのだけでなく、一部の種の非同期的な振動が見いだされることがわかった。その背後にある分岐集合を構造が明らかにし、このような振動領域のヒステリシスを伴った遷移は、不完全なカスプカタストロフとサブクリティカル性を持ったHopf分岐の重なり合いによって生じることを示した。また、多様な振動パターンが現れる理由は、内部平衡点の安定性の解析から理解することができた。本研究で得られた結果は、食物網を空間的に結合したときに生じるダイナミクスを予測する際の指針を与えており、重要な理論研究として評価される。また、空間構造の導入によって共存状態のダイナミクスに多様性が生じることを明らかにした点は、新規性の高い結果である。

第3章では、食物網が種の個体数変動の時間スケールについてみたとき、速い時間スケールから遅い時間スケールまでが段階的に結合されたシステムであるという視点を導入し、アロメトリー(個体の体重あたりの代謝の時間スケールは体重の1/4乗に比例する)、代謝スケール、食う食われるの関係にある種の体重比などを考慮した新しい生態系のモデルを研究した。このとき直接食う食われるの関係にある栄養段階間の、代謝の時間スケール比をτとすると、このτが1より大きい場合、擾乱に対して上位捕食者が最も弱く、アトラクタの遷移を引き起こしやすい。アトラクタの遷移は系全体に渡って大きな影響を持つが、上位捕食者の個体数は平均して最も小さいことを考えると、この結果は上位捕食者がアトラクタースイッチとして重要な働きをする可能性を示唆するものである。これらの結果は、時間スケールと食物網動態の関係について重要で新しい知見をもたらしている。またより複雑な食物網であっても、栄養段階の数が同じで共食いが無いか、ほとんど含まれない場合、今回確認した性質が保たれることは、これらの結果の普遍性を示している。

第4章では、全体のまとめと今後の展開が議論されている。第2・3章どちらの場合においても食物網モデルとして広義の構造不安定性が存在し、パラメータ空間における分岐集合がその振舞いを理解する上で大きな意味を持っていた。ここで得られた結果は、食物網のあり方を捉える上で広い意味での構造不安定性を考慮することの重要性を示唆するものである。

このように、論文提出者は本論文において、食物網を力学系の問題に帰着させて、その構造安定性の観点から詳細に解析し、実際の生態系での解析に有効な議論をいくつも見いだした。実際の実験や観測と密接に関連させられた考察は、実際の食物網を研究していく上でのひとつの指針を与えるものであるという点で高く評価できる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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