学位論文要旨



No 126506
著者(漢字) 小島,徹
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,テツ
標題(和) 炎症性腸疾患動物モデルに対する塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)注腸投与に関する検討
標題(洋)
報告番号 126506
報告番号 甲26506
学位授与日 2010.12.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3565号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 宇於崎,宏
 東京大学 准教授 清水,伸幸
 東京大学 准教授 北山,丈二
内容要旨 要旨を表示する

炎症性腸疾患Inflammatory Bowel Disease(IBD)(潰瘍性大腸炎(UC)、クローン病(CD))は難治性の腸疾患で、その病因の解明はいまだ十分とは言い難い。UCは大腸粘膜にのみ炎症を認めるのに対し、CDでは小腸、大腸を中心に粘膜のみならず、全層性の炎症を認め、さらに口腔から肛門までの全消化管に病変を認める。発熱、腹痛、下痢、血便を主症状として、緩解、増悪を繰り返し、免疫学的異常が病因に深く関わるとされ、ステロイド、アミノサリチル酸製剤(サラゾピリン、メサラジン)、免疫抑制剤(6メルカプトプリン、アザチオプリン、サイクロスポリンA、タクロリムス)、TNFα阻害剤などの様々な薬剤が使用されている。また、本邦では、血球成分除去療法が中等症以上のUCに保険適応となり、広く用いられており、欧米でも臨床試験が進行中である。このように従来の治療は主に炎症の制御、免疫抑制が治療のターゲットとなっていた。しかし、これらの治療に抵抗する症例も依然存在しており、新たな治療法が模索されている。

近年、再生医療が医学研究のトピックとなっているが、消化管粘膜の修復再生もその一つであり、消化管の粘膜修復再生に関する種々の増殖因子やサイトカインの働きが明らかにされつつある。臨床の場では、従来の治療法により臨床的には緩解導入したと判断されたUC、CD症例でも、実際の内視鏡所見では炎症はある程度おさまっているものの、潰瘍、びらん等の遺残を認め、腸管粘膜の修復再生の観点からは十分とはいえないことにしばしば遭遇する。IBDにおいて、炎症の制御という従来の治療ターゲットではなく、傷害腸管粘膜修復、再生をターゲットとした、新たな治療法の開発が注目されている。上皮細胞増殖因子(EGF)、肝細胞増殖因子、線維芽細胞増殖因子(FGF)、腸トレフォイル因子(intestinal trefoil factor)、などのさまざまな増殖因子が、過去に動物モデルの腸炎に対して有効であると報告されている。これらの実験において、各増殖因子はほとんど皮下投与、経静脈的に投与されている。そしてkeratinocyte growth factor (KGF)の経静脈的投与での臨床試験が行われている。しかし、増殖因子の投与時、全身投与では予期しない副作用が起きる可能性があり、増殖因子の局所投与、すなわち注腸投与する方法が臨床応用する際により安全性が高く、有効である可能性があると考えた。既に、軽症、中等症のUC患者を対象とした、EGF注腸の臨床試験が行われている。

これらの増殖因子のなかでも、塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)はin vitroで腸管上皮の細胞増殖、運動、血管新生を促進し、またiv vivoで消化性潰瘍の治癒促進や、放射線による消化管障害の抑制が報告されている。実際の臨床面でも、褥瘡患者の潰瘍治癒を促進することが知られている。IBDに関しては、UC患者の大腸粘膜にbFGFの発現が亢進していること、小児CD患者の血中bFGF濃度の上昇が報告されている。これらからbFGFはIBDの治療に寄与する可能性があり、最近、マウスdextran sulfate sodium(DSS)腸炎、トリニトロベンゼンスルフォン酸腸炎においてbFGF注腸が体重減少の改善、組織学的炎症の改善、mRNAレベルでのTNFα、cyclooxygenase2の発現低下、腸管上皮の再生、増殖の指標として、mucin2、intestinal trefoil factorの発現亢進が報告されたが、疾患活動指数等についての詳細な検討は未だ十分ではない。

そこで、ラットDSS腸炎でのbFGF注腸の効果を明らかにすることを目的に検討を行った。6週齢の雄性Wistarラットを7日間の予備期間後に実験に使用した。ラットに5%DSSデキストラン硫酸ナトリウム (以下DSS)水溶液を1週間自由飲水させた。DSS投与開始日より、bFGF+DSS群はbFGF 400μg/kgを2ml生理食塩水に投与直前に溶解し、1日1回、連続1週間注腸を施行した。DSS群は生理食塩水2mlをbFGF+DSS群と同様の方法にて注腸投与した。コントロール群は7日間蒸留水を自由飲水させた。体重、便潜血・顕血便の有無、便の性状を観察し、1日1回記録し、Cooperらの実験動物腸炎疾患活動係数Disease Activity Index (DAI)にてスコア化した。また、摘出した大腸をHE染色し、組織学的、炎症、粘膜障害度をスコア化し評価した。bFGF注腸はラットDSS腸炎にて、疾患活動係数を有意に低下させ、病理組織学的には、bFGF注腸投与群(bFGF+DSS群)では腸管粘膜の炎症の改善、粘膜再生の促進が観察された。大腸粘膜内の炎症性サイトカインIL-1β(ELISA)は、bFGF+DSS群では、DSS群に比べ、約40%抑制されていた。次に、細胞増殖の指標として、PCNA染色を施行した。bFGF+DSS群では、DSS群に比べ、PCNA陽性細胞数は有意に多く、大腸腺管上皮細胞の増殖がbFGFにより促進されていると考えられた。アポトーシスの検討(TUNEL法)ではbFGF+DSS群と、DSS群ではTUNEL染色陽性細胞に差を認めないことから、bFGF投与による腸炎改善の機序として抗アポトーシス作用の関与は否定的であった。

以上よりbFGF注腸は抗炎症作用、大腸上皮細胞の増殖能を促進することにより、急性期のラットDSS腸炎を改善することが示唆された。腸管粘膜上皮の再生にターゲットをおいた、炎症性腸疾患の新たな治療法として今後の展開が期待される.

次に実験2では、bFGFの長期投与の副作用の可能性について検討を行った。bFGFは強力な増殖因子であり、腫瘍関連の血管新生のみならず、正常腸管上皮細胞や腫瘍細胞の増殖、運動を促進することが知られている。実際にbFGFをヒトに投与する際に問題となる副作用として、炎症性腸疾患において、特に潰瘍性大腸炎の長期罹患例にみられる大腸癌合併例の問題を考慮する必要がある。bFGF注腸は炎症を抑えることにより、炎症の持続からの発癌を抑える可能性がある一方、癌の発育進展を促進する可能性も考えられる。動物モデルでは化学物質アゾキシメタンazoxymethane (以下AOM)投与にて大腸前癌病変とされるaberrant crypt foci (以下ACF)が発生することが知られている。ACFは腺管の拡大、腺管周囲部の開大、周囲粘膜からの軽度隆起、拡大、或いはスリット状の腺管開口部を持ち、正常腺管よりもメチレンブルー染色にて濃染するという特徴を持つ。AOM、DSS同時投与による大腸炎のもとでの大腸前癌病変モデルに対しbFGF注腸がACFに与える影響を明らかにすることを目的に検討を行った。Fischer344ラットに3%DSSの水溶液を1週間飲水させ、腸炎を発生させ、bFGF+DSS群はbFGF 400μg/kgを2ml生理食塩水に投与直前に溶解し,7日間連日注腸投与した。DSS群は同量の生理食塩水を7日間連日注腸投与し、さらにAOM 15mg / kg / bodyを週1回、計3回、両群マウスに皮下投与した。その後の5週間は蒸留水を自由飲水させた後に屠殺した。コントロール群は蒸留水を6週間自由引水させた。第1章と同様に、疾患活動係数、体重、大腸の短縮、組織学的な炎症の評価を行い、ACFを実体顕微鏡下に観察し、ACFの局在、腺管数(各ACFの腺管内包数)、ACF密度(ACF数/大腸全長(cm))、ACFに比べ腫瘍発生のより良い指標になるとされているLarge ACF (4腺管以上のACF)を測定した。

bFGF注腸投与は疾患活動係数、体重減少、大腸の短縮を抑制し、大腸粘膜での組織学的炎症所見を改善した。ACFは遠位側大腸に多く発生し、DSS非投与群ではACFは認めなかった。bFGF+DSS群はDSS群に比べ、ACF数、ACF密度、Large ACF数、Large ACF密度ともに抑制されており、DSS腸炎において、bFGF注腸による炎症の抑制が、AOM誘発のACF、Large ACFの発生を抑制した可能性がある。しかし、観察期間が42日と短いため、腫瘍そのものの発生には至っておらず、今後、長期モデルでの検討も必要と考えられる。また、DSSやAOMなどの化学物質誘発ラット大腸腫瘍は肉眼的には隆起型が多く、分子生物学的にもP53の遺伝子変異が少なくK-rasやAPC遺伝子変異を有するものが多く、ヒトの潰瘍性大腸炎合併大腸癌とは形態学的、遺伝学的にも特徴が異なるのではないかとの指摘もなされており、その他のモデルでの解析も今後必要と思われる。

以上のように、bFGF注腸を実際にIBD患者の治療に臨床応用していくためには発癌に関して更なる検討が必要であり、特に長期的な安全性については十分考慮しなければならないが、bFGF注腸はDSS大腸炎のもとでのAOM誘発大腸前癌病変モデルにおいて、腸炎を改善し、ACFの発生を促進することなく、逆に抑制することが明らかとなった。bFGF注腸が腸炎を改善することにより、ACF発生が抑制される可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では炎症性腸疾患動物モデルであるdextran sulfate sodium (DSS)腸炎に対する、塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)注腸投与の影響について検討を行い、下記の結果を得ている。

1. bFGF注腸投与は実験動物腸炎疾患活動係数Disease Activity Index (DAI)、組織学的を有意に改善させた。また、大腸粘膜内の炎症性サイトカインIL-1βの発現を低下、PCNA陽性細胞数の増加を認め、機序として、大腸粘膜内での炎症抑制、粘膜再生が関与することが示唆された。一方、アポトーシスの検討(TUNEL法)ではアポトーシスの関与は否定的であった。

2.bFGFは強力な増殖因子であり、bFGF注腸は炎症を抑えることにより、炎症の持続からの発癌を抑える可能性がある一方、癌の発育進展を促進する可能性も考えられる。特に潰瘍性大腸炎の長期罹患例にみられる大腸癌を促進する可能性がある。そこで、DSS大腸炎下でのazoxymethane (以下AOM)誘発大腸前癌病変モデルにbFGF注腸投与を行い、腸炎抑制効果、大腸前癌病変とされるACF発生の局在、密度、Large ACF (4腺管以上のACF でACFに比べ腫瘍発生のより良い指標になるとされている)を測定した。bFGF注腸投与はDAI、体重減少、大腸の短縮を抑制し、大腸粘膜での組織学的炎症所見を改善し、ACF、LargeACF数、密度をともに抑制した。DSS腸炎において、bFGF注腸による腸炎の改善が、AOM誘発のACF、Large ACFの発生を抑制した可能性が示唆された。

以上、本論文はbFGF注腸のラットDSS腸炎に対する、腸炎改善効果、その機序の一部解明ならびに、DSS腸炎下でのAOM誘発大腸前癌病変ACFに対してbFGF注腸はACF発生抑制に働くことをはじめて明らかにした。bFGF注腸投与のヒトへの臨床応用を考える上で、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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