学位論文要旨



No 126518
著者(漢字) 斎藤,和紀
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,カズキ
標題(和) 真核生物での終止コドン認識機構の解析
標題(洋)
報告番号 126518
報告番号 甲26518
学位授与日 2010.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第644号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 伊藤,耕一
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 小林,一三
 東京大学 教授 正井,久雄
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

翻訳反応で、mRNA上のセンスコドンがtRNAのアンチコドンとの塩基対合により認識される事で、ペプチド鎖が伸張される。しかし、翻訳終結反応では、終止コドンに対応するtRNAが存在しないかわりに、クラス1解離因子と呼ばれるtRNAの機能構造を模倣するtRNA擬態タンパク因子により終止コドンが認識され、PサイトにあるペプチジルtRNAが加水分解されることで、新生ペプチド鎖がリボソームから解離してタンパク合成が終了する。

原核生物では2種類のコドン特異性の異なるクラス1解離因子が存在し、それぞれに固有の連続的なペプチド配列が特定され、「ペプチド・アンチコドン」と命名された。ペプチド・アンチコドンが特定されたことで、翻訳終結複合体(リボソーム、mRNA、ペプチジルtRNA、クラス1解離因子)の共結晶構造の決定へと原核生物の翻訳終結反応の解析は発展し、終止コドン認識の詳細な分子メカニズムが明らかになってきた。

一方、真核生物ではクラス1解離因子であるeRF1の1種が全終止コドンを認識している。真核生物のクラス1解離因子は原核生物のクラス1解離因子とは異なるアミノ酸配列と立体構造を持っており、原核生物の終止コドン認識機構の知見を適用できない事が判明している。eRF1は、原核生物解離因子やtRNAとは異なり、1つの分子が2字目の塩基(UAA vs UGA)と3字目の塩基(UAA vs UAG)が曖昧なコドンセットを同時に識別する大変ユニークなタンパク質分子であり、その分子機構は遺伝暗号解読機構を考える上で最大の謎となっている。

現在、eRF1単体の結晶構造が解明され、eRF1は3つの機能ドメインからなる、tRNAと類似した構造を持っていることが明らかになっている。また、終止コドン認識はドメイン1が行っている事も明らかにされた。しかし、このeRF1のドメイン1を介した終止コドン認識の分子メカニズムは明らかにされていない。

終止コドン認識機構の分子メカニズムの解明には、原核生物のクラス1解離因子での解析同様、eRF1の終止コドン認識での機能部位、特にペプチド・アンチコドンの特定が必須である。本研究は、eRF1による終止コドン認識機構を解明するために、eRF1の終止コドン認識での機能結合を特定する事を目的に行われた。

【方法・結果】

これまでのeRF1の終止コドン認識機構の解析は、立体構造のtRNAと類似性を参考に、アンチコドンと構造上対応する部位がeRF1のペプチド・アンチコドンであると予想され、実施されてきた。しかし、予想された部位の終止コドン認識機構への関与を示す結果を得る事はなく、これまでの立体構造からの予想に基づいた解析アプローチでは終止コドン認識機構の解明には至れない事が示された。

こらまでの解析で終止コドン認識機構を解明できないのは、結晶構造や配列保存性をもとに逐一予想部位を立てる各論的アプローチが先行したことにあると考えた。tRNAとの類似性以外に機能性の予想がない状態で、結晶構造と保存性からの予想機能部位を解析しても、その部位の機能を明らかにすることはできない。また、このような構造や配列保存性からの予想に基づいた解析が先行したため、予想部位の機能性を明らかにするために本来は並行されるべき遺伝学的・生化学的アプローチによる解析結果が乏しい事も、eRF1の終止コドン認識機構の解明に至れない原因であると考えられた。これまでの解析の問題点を見直し、構造や保存性からの予想に基づくのではなく、機能性に基づいた解析として、下記の解析を実施した。

繊毛虫eRF1を応用した比較解析

eRF1の機能に基づいた解析として、単細胞真核生物である繊毛虫のeRF1の解析を試みた。繊毛虫では、eRF1が特定の終止コドンへの活性を損失することにより、その終止コドンがセンスコドンとして変則的に用いられている事が知られている。この繊毛虫eRF1の特定の終止コドンへの活性損失の原因となっているアミノ酸変化を特定する事は、野生型eRF1での機能変化の解析であり、eRF1の機能性に着目した機能部位の探索になると考えた。そこで、UGAを終止コドンではなくシステインのコドンとするEuplotesのeRF1と、UAAとUAGをグルタミンのコドンとするTetrahymenaのeRF1を解析した。

まず各繊毛虫eRF1がコドン特異的である事を確認するために、繊毛虫eRF1のドメイン1とヒトeRF1のその他のドメイン(ドメイン2と3)を持つキメラeRF1を作成して、その活性を測定した。結果、Euplotes eRF1のドメイン1はUGAを認識せず、Tetrahymena eRF1のドメイン1はUAAとUAGを認識しないことを明らかにした。次に、これら繊毛虫eRF1と全ての終止コドンを認識できるヒトeRF1との相同部位を断片的に置換したキメラeRF1を作成した。このキメラeRF1の活性を測定する事で、繊毛虫eRF1のコドン特異性の原因となっているアミノ酸変化を残基レベルで特定した。

興味深い事にEuplotes eRF1とTeterahymena eRF1で共通する残基がそれぞれのコドン特異性の原因部位として特定され、一つの残基部位の変化でUAA/UAG特異性とUGA単独特異性へとコドン特異性を変換できる事が明らかになった。それぞれの繊毛虫eRF1のコドン特異性を考慮し、共通して特定された残基部位は終止コドンの第2塩基の認識および選別を担っている主要部位であり、eRF1一般に共通する終止コドン認識での機能部位を特定できたと考えている。また、Tetrahymena eRF1は上記以外の残基もコドン特異性に関わっていた。この事より、真核生物の終止コドン認識は、原核生物とはことなり、一次構造上では非連続的な部位により形成される機能領域により行われている事が示唆された。

新規eRF1結晶構造の機能解析

これまでのeRF1単体の立体構造と比べ、eRF1の機能性をより反映させた立体構造を明らかにする為に、eRF1の相互作用相手であるeRF3との複合体の結晶構造解析が行われた。解析された共結晶構造のeRF1のドメイン1には結晶の安定化に使われたATPが結合していた。このeRF1のATP結合部位は繊毛虫eRF1のコドン特異性の原因となっている残基に隣接していたため、ドメイン1とATPの結合はeRF1の終止コドン認識を模倣していると考えられた。しかし、eRF1は終止コドンをリボソーム内で特異的に認識しているため、eRF1-eRF3複合体の結晶中でのドメイン1とATPとの結合は終止コドン認識とは関係ない人為的結果である可能性も高い。そのため、機能解析によりそのATP結合部位が実際に終止コドン認識に機能している事を明らかにする必要があった。

機能解析の結果、ATP結合部位の変異体はコドン特異的である事が明らかになった。この結果より、構造内のドメイン1とATPの結合が、eRF1と終止コドンの2番目又は3番目の塩基との結合を模範していることが示唆された。終止コドン結合部位およびその様式の一部を、構造解析と機能解析とで一貫した結果により明らかにできたと考えている。また、作成されたeRF1変異体はUAA、UAG、UGAの各終止コドン単独特異的なeRF1と、UAAとUAG、UAAとUGAの二つの終止コドン特異的な活性を持っているものがあった、一つのATPとの結合部位により2番目と3番目の塩基での選別が行われていることが示唆された。このことは、終止コドンの2番目と3番目の塩基は非独立的に認識されている事を示唆する新規知見である。

認識機構の全体像を明らかにする遺伝学的スクリーニング

上記の2つの解析により明らかにした知見をもとに、eRF1の機能部位をより網羅的に特定するために、遺伝学的スクリーニング系を発案・実施した。実施したスクリーニングは、コドン特異性に起因して致死性を持つeRF1変異体に対して無作為に変異導入し、全ての終止コドンへの活性が回復した復帰変異体を出芽酵母の生育を指標にして特異的に選択する方法である。スクリーニングにより分離された変異部位はドメイン1に広く分布していた。また、変異部は複数箇所に収束し、一部の収束部位は上記の繊毛虫eRF1の解析と新規結晶構造の機能解析で特定された部位と一致又は隣接していた。スクリーニング結果と上記の2つの解析結果と照合し、終止コドン認識認識に中核的に関わる終止コドン結合部位と、結合部位の制御を介して間接的に終止コドン認識に機能する部位による断層的な機構による終止コドン認識機構のモデルを作成した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなり、真核生物のペプチド鎖解離因子eRF1タンパク質によるmRNAの終止遺伝暗号(以下、終止コドン)解読の分子機構解析についての研究成果がまとめられている。第1章では本研究の背景が述べられている。第2章では本研究のために考案された新規な終止コドン認識機能の実験手法開発について述べられている。第3章では変則的な終止コドンを保持する繊毛虫由来のeRF1のコドン識別ドメインの特定とその機能検証について述べられている。第4章では新規に得られたeRF1-eRF3のX線共結晶構造を基にしたeRF1のコドン認識機構予測とその検証について述べられている。第5章では第3章、第4章で得られた知見を基にしたeRF1のコドン認識ドメインの網羅的な遺伝学的スクリーニングの実施と変異体の解析結果が述べられている。第6章では第3章、第4章、第5章での解析結果を基にした真核生物での終止コドン認識機構の総括と新規な分子機構モデルが述べられている。第7章には実験素材と方法、第8章には引用文献が記載されている。

なお、本論文第4章は、ZhihongCheng博士、AnderyV.Pisarev博士、和田美紀博士、Vera P.Pisareva博士、TatyanaV.Pestova博士、MichalGajda博士、AdamRound博士、Chunguang Kong博士、MengkiatLim博士、中村義一博士、Dmitri I. Svergun博士、伊藤耕一博士、Haiwei Song博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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