学位論文要旨



No 126528
著者(漢字) 長岡,靖崇
著者(英字)
著者(カナ) ナガオカ,ヤスタカ
標題(和) 単一生細胞内におけるサイクリックヌクレオチドの産生を可視化する生物発光プローブの開発
標題(洋) Development of Bioluminescent Indicators to Visualize Production of Cyclic Nucleotides in Single Living Cells
報告番号 126528
報告番号 甲26528
学位授与日 2011.01.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5590号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小澤,岳昌
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 准教授 佐藤,守俊
 東京大学 准教授 辻,勇人
内容要旨 要旨を表示する

[序]

ホルモンや神経伝達物質など外部からの刺激によって引き起こされる細胞応答は,細胞内シグナル伝達を介して行われている.環状アデノシン一リン酸(cAMP)および環状グアノシン一リン酸(cGMP)は,細胞内シグナル伝達物質として一過的に産生される環状ヌクレオチドであり,様々な生理機能に関与している.cAMPは神経伝達物質などの刺激を受けて産生され,細胞の遺伝子発現,嗅覚神経系の情報伝達などで広範に機能している.また,cGMPは細胞外からのホルモンやNOの刺激を受けて細胞内で産生され,血管平滑筋の弛緩による血流の増加,視神経系の情報伝達などを調節している.生体内の環状ヌクレオチドを検出し評価することは、環状ヌクレオチドの担っている多様な生理機能を理解する上で非常に重要である.生きた細胞内の環状ヌクレオチドの動態を可視化する分析手法として,これまでに蛍光タンパク質プローブが開発されている.しかし,蛍光プローブは,その励起光照射が細胞にダメージを与えるために長時間の連続的な観察に適さない.さらに,動物個体や植物個体など,励起光の透過性が低い生物試料や強い自家蛍光を持つ生物試料を対象とする場合,プローブの相対的な検出感度が低くなり,生体分子の可視化が困難であった.

本研究室ではこれまでに,二分割した発光タンパク質ルシフェラーゼ断片の近接・再構成によって発光能を回復するルシフェラーゼ再構成法を確立し,細胞内タンパク質間相互作用などを発光シグナルとして検出するタンパク質プローブを開発してきた.ルシフェラーゼによる発光は,非常に低いバックグラウンドノイズのもとで検出可能である.本研究では,単一生細胞内のcAMPおよびcGMPの動態を可視化することを目的として,分割ルシフェラーゼの再構成を応用した発光タンパク質プローブを開発した.さらに,開発したプローブを応用して動物個体内のサイクリックヌクレオチド濃度変化の可視化を行った.

[cAMPプローブの開発]

<cAMPプローブの設計>本研究では,緑色クリックビートルルシフェラーゼ(ELuc)と赤色クリックビートルルシフェラーゼ(CBR)の2種類のルシフェラーゼの分割再構成に基づく,2色発光型のレシオメトリックなcAMP検出プローブを設計した(図1). ELucのN末側断片(ELuc-N),cAMP依存性プロテインキナーゼ (PKA)のcAMP結合ドメイン,クリックビートルルシフェラーゼC末側断片改変体(McLuc1), CBRのN末側断片(CBR-N)から成るプローブを細胞内に発現させる.細胞内cAMP濃度が低い時にはプローブ分子内のCBR-NとMcLuc1が近接,再構成し,ルシフェラーゼの基質であるルシフェリンの存在下で赤色の発光が生じる.細胞内cAMP濃度が上昇すると,cAMP結合ドメインにcAMPが結合してドメインの構造変化が起こる.この構造変化によってELuc-NとMcLuc1が近接,再構成し,緑色の発光が生じる.バンドパスフィルターを通して緑色と赤色の発光シグナルをルミノメーターや発光顕微鏡で測定し,その強度比の変化から細胞内のcAMPの濃度変化を知ることができる.

<cAMPプローブのcAMP濃度依存性の検証> プローブタンパク質を発現させた培養細胞を溶解し,この溶解液にcAMPを 10nMから1mMまでの濃度域で添加した.cAMP濃度に応じた発光強度変化を,525±25nmおよび630±30nmのバンドパスフィルターを通してルミノメーターで測定すると,緑色の発光強度はcAMP濃度依存的に上昇し,赤色の発光強度は一定のままであった(図2a,b).緑色の発光の赤色に対する強度比をとったところ,cAMP濃度10nMから100uMにかけて発光強度比の上昇が見られた(図2c).cAMPの生体内濃度域は100nMから10uMであることが知られている.開発したプローブは,この濃度域で大きな発光強度比変化を示すことから,生細胞での観察に実用可能であることがわかった.また,このプローブはcGMPに対しては応答しなかったことから, cAMPをcGMPに対して選択的に検出可能であることがわかった.

<ATPおよびルシフェリンの濃度によるプローブの発光強度比への影響の検証> ルシフェラーゼはコファクターであるATPやルシフェリンの濃度に比例して発光強度が増大するため,ルシフェラーゼを用いたプローブの発光強度はATPおよびルシフェリン濃度の影響を受けるという問題がある.本研究で開発したcAMPプローブの発光測定を,cAMPおよびルシフェリンの濃度一定の下で,ATPの濃度を変化させて行った.ATP濃度上昇に伴う緑色および赤色の発光強度の上昇が見られたが,2色の発光強度の比は一定のままに保たれた(図3a).また,cAMPおよびATPの濃度一定の下でルシフェリンの濃度を変化させたところ,ルシフェリン濃度上昇に伴って発光強度が上昇したが,2色の発光強度比はほとんど変化しなかった(図3b).この結果から,開発したプローブの2色の発光強度比はATPおよびルシフェリンの濃度の影響を受けないことが示された.

<プローブを導入した培養細胞におけるcAMP変動の検出> cAMPプローブを発現させた動物培養細胞HEK293をHBSSバッファー中に置き,細胞が生きている状態でルミノメーターを用いて経時的に発光測定しながら薬物刺激を与えた.緑色の発光の赤色に対する強度比の変化を測定したところ,HBSSバッファーのみ,cGMP産生を促す sodium nitroprusside(SNP)を加えた場合には発光強度比は変化せず,AMP産生を促すisoproterenol (ISO)で細胞を刺激した場合には発光強度比の急激な上昇と減衰が見られた(図4).これは,細胞内で産生されたcAMPがプローブに結合した結果,ELuc-NとMcLuc1が再構成し,プローブの緑色/赤色の発光強度比が変化したことを示している.発光強度比の減衰は,刺激によって細胞内で合成されたcAMPが内在性のホスホジエステラーゼ(PDE)により分解され,プローブがcAMP非結合状態に戻ったためと推測される.cAMP特異的な分解酵素PDE4の阻害剤であるロリプラム100nMの存在下でISO刺激を行うと,発光強度比はいったん上昇した後,高いままで維持された.これは細胞内のcAMP分解が抑制されていることを反映した結果である.以上の結果から,このプローブを使って生細胞内におけるcAMP産生をリアルタイム検出できることを実証した.

次に,二次元観察が可能な発光顕微鏡を用いて,プローブの発光イメージングが可能であるかどうかを検証した.プローブを発現させた細胞を536±10nmおよび624±25nmのバンドパスフィルターを通して発光顕微鏡で観察しながら,cAMP産生を促すフォルスコリン100uMで刺激したところ,刺激後20分かけて緑色の発光の赤色に対する強度比が上昇する様子が個々の細胞で観察された.本結果から,本研究で開発したcAMPプローブを用いて,単一生細胞内のcAMP産生を緑色/赤色の発光強度比の変化として時空間的にイメージング解析可能であることを示した.

<マウス個体の発光イメージング>マウス個体を用いて, cAMP発光プローブが動物個体内で産生されたcAMP検出に応用可能かどうかを検証した.マウスの背部にcAMPプローブを発現させた培養細胞を皮下移植したのち,腹腔にISO 20mM 150uLを注射してマウス体内のcAMP産生を促した.ISO刺激前後のマウスの発光イメージングを行ったところ,ISO刺激後にcAMPプローブの緑色の発光強度が上昇したが,赤色の発光強度は一定のままだった(図5).緑色の発光の赤色に対する強度比は刺激前後で約2倍に上昇した.これはISO刺激によるマウス体内のcAMP産生を緑色/赤色の発光強度比変化として検出したことを示す.本結果から,このcAMP発光プローブは生きた動物個体の低侵襲的なイメージングに応用可能であることを実証した.

<結論> ピーク波長の異なる2種類の分割ルシフェラーゼの単一分子内再構成に基づいて,生細胞内のcAMP産生を2色の発光の強度比変化として検出するプローブを開発した.このプローブが生体内のcAMP濃度域でcAMPに濃度依存的に応答することを実証した.また,緑色/赤色の発光強度比がATPやルシフェリンの濃度に影響を受けないことを実証した.このプローブを用いて,単一生細胞レベルおよび動物個体レベルでの生体内cAMP産生を非破壊的,低侵襲的に検出することに成功した.

[cGMP検出プローブの開発]

<cGMPプローブの設計> 生細胞内のcGMP検出プローブとして,cGMP分解酵素であるホスホジエステラーゼ5(PDE5)のcGMP結合ドメインを,ホタルルシフェラーゼのN末側断片(FLuc-N)とC末側断片(FLuc-C)で挟み込んだ単分子型の融合タンパク質をデザインした(図6).細胞内cGMP濃度が低い時にはプローブ分子内のFLuc-NとFLuc-Cは離れた状態にあり,ルシフェラーゼ活性は生じない.細胞内cGMP濃度が上昇すると,PDE5ドメインにcGMPが結合してドメインの構造変化が起こる.この構造変化によってPDE5ドメインのN末端側とC末端側に存在するルシフェラーゼ断片が近接し,ルシフェラーゼの構造が再構成される.これにより,ルシフェラーゼの酵素活性が回復し,ルシフェリンの存在下で発光する.この発光シグナルをルミノメーターや発光顕微鏡で測定することにより,細胞内のcGMPの濃度変化を知ることができる.

<cGMPプローブのcGMP濃度依存性の検証> cGMPプローブタンパク質を大腸菌に発現させたのち単離精製した.このプローブに,ルシフェリンの存在下で cGMPを 1nMから1mMまでの濃度域で添加し,cGMP濃度に応じた発光強度変化をルミノメーターを用いて測定した(図7).開発したcGMPプローブは,cGMPの生体内濃度域である10nMから10uMにかけて大きな発光強度変化を示した.この結果から,このプローブは生細胞内のcGMP検出に実用可能であることがわかった.cAMPに対しては生体内濃度域では応答せず,cGMP選択性が高いことがわかった.

<プローブを導入した培養細胞におけるcGMP変動の検出>動物培養細胞HEK293にcGMP発光プローブを発現させ,細胞が生きた状態でルミノメーターを用いて経時的に発光測定しながら薬物刺激を与える実験を行った.20分おきにSNPで刺激し,細胞内に一過的にcGMPを産生させると,刺激ごとに発光シグナルが上昇した(図8).これは,細胞内で産生されたcGMPがプローブに結合した結果,発光検出されたことを示している.一時的に発光上昇した後の発光減衰は,刺激によって細胞内で合成されたcGMPが内在性のホスホジエステラーゼにより分解され,プローブがcGMP非結合状態に戻ったためと推測される.繰り返し刺激によって発光上昇することから,このプローブは可逆的に働くことがわかった.また,cAMP産生を促すISOで細胞を刺激した場合には発光は上昇しなかった.これは,プローブが細胞内のcAMPの濃度変化には応答しないことを示している.以上の結果から,プローブは生細胞内におけるcGMPレベルの変動を選択的かつ可逆的に検出できることが明らかとなった.

次に,発光顕微鏡を用いて,細胞内cGMP産生の発光イメージングが可能であるかどうかを検証した. cGMPプローブを発現させた細胞を発光顕微鏡で観察しながらSNP 5uMで刺激したところ,刺激後に個々の細胞で発光の上昇が観察された.この結果から,cGMPプローブを用いて単一生細胞内のcGMP濃度変化を空間的に検出可能であることを実証した.

<アフリカツメガエル胚のcGMP産生の可視化>アフリカツメガエルの二細胞期胚にcGMPプローブのmRNAを注入し,プローブを発現させた.受精後1.5日(尾芽胚の段階)の胚を発光顕微鏡で観察したところ,頭部の脳形成が進んでいる部位で発光シグナルが検出された.これは脳形成に伴うcGMPシグナルを検出したと推測される.発光シグナルが胚のcGMPを検出していることを検証するため,cGMPシグナル経路を阻害する実験を行った.発光している尾芽胚に,cGMP産生酵素であるグアニル酸シクラーゼの阻害剤1H-[1,2,4]-oxadiazolo-[4,3-a]-quinoxalin-1-one (ODQ) 100uMを添加すると,発光が急激に減少した(図9).cGMP産生が阻害され,生体内のcGMPの分解が進んでcGMP濃度が減少した結果と推測される.この結果から,観察した発光シグナルが胚の細胞内cGMP濃度に応答したものであることが明らかとなった.本研究で開発したcGMP発光プローブは,生きた動物個体内のcGMP産生を低侵襲的にリアルタイムで検出可能であることが分かった.

<結論>生細胞内のcGMP産生を,分割したホタルルシフェラーゼの単一分子内再構成に基づく発光シグナルとして検出するプローブを開発した.培養細胞実験で,cGMP発光プローブが可逆的かつ選択的に応答することを示し,発光イメージングによる単一生細胞内のcGMP検出が可能であることを実証した.このプローブをアフリカツメガエル胚に発現させ,自家蛍光の強い胚の中でcGMP産生を検出できることを実証し,このプローブが生きた動物個体の低侵襲的なcGMP検出に応用可能であることを示した.

[まとめ]

分割ルシフェラーゼの再構成法を用いて,単一生細胞内の環状ヌクレオチド濃度変化を発光シグナルとして検出するプローブの開発に成功した.このプローブを用いて,従来の蛍光プローブでは困難であった,生きた動物個体内部の環状ヌクレオチドシグナルの非破壊的,低侵襲的な可視化を実現した. 本研究で開発した発光プローブは,従来法では検出できなかったcGMPおよびcAMPが果たす生理的機能の解明に有用であると期待される.またこれらのプローブは,病気による環状ヌクレオチド異常の検出や,新しい薬剤・毒性化学物質の評価など,病理学的・薬理学的な研究への応用が可能である.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、生きた細胞内ではたらくサイクリックヌクレオチドを時空問解析するための生物発光プローブ分子の開発と,プローブ分子を用いたマウス個体やアフリカツメガエル胚におけるサイクリックヌクレオチドのイメージングに関する研究結果をまとめたものである。

本論文は全4章からなる。第1章では、サイクリックAMPおよびサイクリックGMPに関する序論として、それらの分子の構造的特徴、生理機能、および既存の検出法について述べている。生体内のサイクリックヌクレオチドを検出することは、それらが担う多様な生理機能を理解する上で極めて重要である。これまでに生細胞内のサイクリックヌクレオチドの可視化検出法として、蛍光タンパク質を利用したプローブが開発されている。しかし蛍光プローブは、励起光が細胞にダメージを与えるため長時間の連続的な観察には適さなかった。さらに、動植物個体など、励起光の透過性が低い生物試料や強い自家蛍光を持つ生物試料を対象とする場合には、蛍光検出が困難であった。これらの従来法の問題点を指摘した上で、本研究の目的が不透明な動物や自家蛍光の強い動物を対象としたサイクリックヌクレオチドの低侵襲的イメージング法の開発であることを述べ,その開発意義を説明している。

第2章は、生細胞内のサイクリックAMPを可視化する発光プローブの開発に関して記述している。このプローブは、赤色と緑色のコメツキムシ由来のルシフェラーゼを利用し、赤色発光を内部標準として、緑色発光をサイクリック鯉の濃度依存的に応答するように設計されている。プローブを発現した培養細胞を用いて、細胞内でのサイクリック鯉の濃度変化を、緑色発光と赤色発光の強度比を指標として半定量的に発光イメージングできることを実証した。また、プローブ発現細胞を皮下移植したマウス個体による解析において、マウス個体内でのサイクリックAMPの産生を検出することに成功している。開発したプローブの特徴は、ルシフェラーゼの発光に必要な基質やATPの濃度変化に依存せず、高感度にサイクリックAMPを検出できる点にある。また、赤色と緑色のルシフェラーゼを用いた2波長測光型プローブの新たな原理を提案した研究であり、プローブ分子の新たな設計法として大変意義ある研究である、

第3章は、新規なサイクリックGMP検出型発光プローブの開発に関して記述している。このプローブは、ホタル由来のルシフェラーゼを用い、サイクリックGMPの濃度依存的に発光強度が上昇するように開発されている。プローブを発現させた生細胞を用いた解析では、細胞集団および単一細胞内において、生理刺激に応答したサイクリックGMPの産生と分解が高感度検出できることを実証した。また、自家蛍光が強く蛍光イメージングが困難なアフリカツメガエル胚をモデル生物としで、胚発生過程におけるサイクリックGMPの産生をリアルタイムに可視化検出することに成功した、この結果は、生きたアフリカツメガエル胚においてサイクリックGMPの時間的・空問的な変動を捉えた世界初の報告例であり、その意義は大きい。

最終章である第4章では、本研究で開発された2種類のサイクリックヌクレオチド検出型発光プローブの学術的意義、既存の検出法に対する利点、今後応用可能な研究対象、および将来的な研究展望について記述されており、研究全体を総括している。

なお、本論文は、竹内雅宜、山田俊理、高倉英男との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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