学位論文要旨



No 126529
著者(漢字) 久保田,裕二
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,ユウジ
標題(和) 蛋白質SUMO化によるERK MAPK経路の活性抑制機構と発癌制御
標題(洋) Negative regulation of the ERK MAPK cascade and inhibition of carcinogenesis by protein sumoylation
報告番号 126529
報告番号 甲26529
学位授与日 2011.01.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5591号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 斎藤,春雄
内容要旨 要旨を表示する

多細胞生物を構成する細胞は、多様なシグナル伝達分子を介して互いに情報を共有し、様々な環境変化に適応することで個体の生命を維持する。哺乳類生物で機能するシグナル伝達分子には、細胞外に分泌されることで遠く離れた細胞にも情報を伝える細胞外シグナル伝達分子と、それらを細胞膜表面の受容体で感知し、適切な細胞応答を惹起する細胞内シグナル伝達分子が存在する。哺乳類生物の細胞外シグナル伝達分子には、増殖因子、ホルモン、サイトカイン、神経伝達物質などの蛋白質分子または低分子化合物が存在する。このようなシグナル伝達分子を受け取った細胞は、GTP結合蛋白質や蛋白質キナーゼなど様々な細胞内シグナル伝達分子を活性化させることによって、細胞の増殖や分化、細胞死など多様な細胞機能を行うように制御されている。

MAPK (Mitogen activated protein kinase) 経路は、最も詳細な解析が行われている細胞内シグナル伝達システムの一つであり、MAPKKK-MAPKK-MAPKの3種類のキナーゼによる連続的かつ段階的なリン酸化反応を介して活性化される。古典的MAPKカスケードとして知られるERK (Extracellular signal-regulated kinase)経路は、Raf-MEK-ERKの3種類のキナーゼにより構成されており、様々な増殖刺激に応答して活性化され、細胞増殖制御や発癌に深く関与することが知られている。ERK経路のMAPKKであるMEK蛋白質は、その分子内に存在するドッキング・サイトを介してRafおよびERKと相互作用することで、ERK経路のシグナル伝達の特異性と効率の維持に重要な役割を果たしている。

これまでに、MAPK経路の制御機構として、主に蛋白質リン酸化による活性調節が知られている。私は、MAPK経路の翻訳後修飾による活性制御機構を検討する中で、ERK経路のMAPKKであるMEK1およびMEK2が細胞内で選択的にSUMO(Small ubiquitin-related modifier)化を受けることを見出した。まず、質量分析によりMEK分子内でSUMO化修飾される特定のリジン残基を決定した。このSUMO化を受けるMEKのリジン残基は、様々な多細胞生物で進化的に保存されていた。

一般的に、SUMO化は標的蛋白質の機能、細胞内局在、安定性などに影響を与えることが知られている。そこで、SUMO化がMEKの機能に与える影響を確認すべく、様々な面から検討を行った。まず、SUMO化がMEKの細胞内局在に与える影響を明らかにするために、BiFC (Bimolecular fluorescence complementation) 法による蛍光顕微鏡観察や、細胞分画法を用いて検討を行った。その結果、SUMO化されたMEKは選択的に細胞質に局在することが分かった。

次に、MEK1のSUMO化が、RafによるMEK、あるいはMEKによるERKのリン酸化に影響を与える可能性について検討した。その結果、MEK1のSUMO化は、RafによるMEKのリン酸化には殆ど影響を与えないが、MEKによるERKのリン酸化を強く抑制することが分かった。さらに、その分子メカニズムを検討した結果、SUMO化されたMEKはERKに対する結合能を失い、結果としてERKに対するキナーゼ活性が抑制されていることが明らかとなった。

ERK経路は増殖因子によって活性化され、細胞周期の進行に重要な役割を果たすことが知られている。そこで、増殖因子刺激や細胞周期の進行がMEKのSUMO化に影響を与えるか、検討した。その結果、bFGFやEGF、PDGFなどERK経路を活性化する様々な増殖因子刺激は、MEKのSUMO化に影響を与えないことが分かった。また、細胞周期の各ステージにおいて、MEKのSUMO化レベルに明らかな変化は観察されなかった。

次に、MEKーSUMO化の生理的意義を検討した。まず、ERK経路の持続的活性化が必要とされるPC12細胞の神経細胞様分化を観察した。SUMO化欠損MEK変異体を安定に発現するPC12細胞株を作製し、NGFによる分化誘導を行った。その結果、このような細胞では、野生型MEK1を発現する場合と比較して、NGF刺激に依存したERKのリン酸化が促進され、神経細胞様分化も有意に亢進した。同様に、SUMO化欠損MEK変異体を発現するNIH3T3細胞でも、EGFやbFGF刺激によるERKリン酸化の遷延化や、細胞増殖率の亢進が観察された。また、MEK1をノックアウトしたマウスから採取されたMEF細胞にSUMO化欠損MEK変異体を再導入し、同様の実験を行った。その結果、このような細胞では、増殖因子によるERKリン酸化の遷延化や細胞増殖率の亢進が観察され、さらに、様々な癌遺伝子(B-Raf、C-Raf、ErbB2)の発現による悪性形質転換効率(軟寒天コロニー形成能)が増加する傾向が認められた。

RafやErbB2による悪性形質転換効率は、SUMO化欠損MEK発現細胞で有意に亢進したが、活性型Rasによる悪性形質転換効率の亢進は観察されなかった。そこで、活性型RasがMEKのSUMO化に影響を与え得るか、検討を行った。レトロウイルスを用いて活性型Rasを正常Rasを持つNIH3T3細胞内に過剰発現させたところ、MEKのSUMO化が顕著に抑制されることが分かった。また、Ras活性に重要な細胞膜局在能を欠損したRas変異体や、不活性型Ras変異体を強制発現した場合には、MEKのSUMO化に明らかな影響は観察されなかった。したがって、活性型RasによるMEKのSUMO化の抑制には、Rasの発癌活性に必須である細胞膜局在能や活性が必要であることが分かった。

そこでさらに、実際にRas遺伝子に活性型点変異を持つことが知られている様々なヒト癌細胞を用いて検討を行ったところ、これらの癌細胞ではMEKのSUMO化がほぼ完全に消失していることが確認された。そこで、Rasに対する阻害剤やRNAiを用いて、癌細胞内のRas活性を抑制したところ、MEKのSUMO化が回復した。

これら結果から、活性型Rasは、MEKのSUMO化を阻害することでERK経路の活性化を促進し、発癌に寄与すると推察されたので、MEK1のSUMO化を強制的に亢進させることで、活性型Rasによる細胞の悪性形質転換能を抑制し得るか検討した。この目的のため、UFDS (Ubc9-fusion directed sumoylation)法を利用した。UFDS法は、SUMO化に特異的なE2であるUbc9を標的蛋白質のC末端に融合して細胞に発現させる方法であり、その結果、標的蛋白質のSUMO化が強く亢進する。まず、UFDS法によって誘導されるMEK1のSUMO化は、Rasに抵抗性であり、活性型Ras存在下でも消失しないことを確認した。そこで、MEK1-Ubc9融合蛋白質を活性型Rasと共にMEF細胞内で発現させ、軟寒天培地でのコロニー形成能を検討したところ、これらの細胞では活性型Rasの発現による悪性形質転換効率が有意に抑制された。以上の結果から、活性型Rasは、Rafの活性化を誘導するのみならず、MEKのSUMO化を抑制することによっても、ERK経路の活性化を亢進させ、強い発癌活性を有することが強く示唆された。

MEK分子内のSUMO化リジン残基は、Ubc9との結合配列であるSUMO化コンセンサス配列 (ψ-K-X-D/E)と一致しないことから、MEKのSUMO化は未知のSUMO-E3リガーゼに依存した機構であることが示唆された。また、活性型RasによるSUMO化抑制はMEKに選択的であることから、そのSUMO化制御に関与する未知分子の機能に影響を与えている可能性が考えられる。

したがって、今後はMEKのSUMO化機構をより詳細に解析すべく、そのSUMO化を特異的に亢進するSUMO E3-リガーゼや、脱SUMO化を行うSUMOプロテアーゼを探索することが必要と考えられる。また、SUMO化欠損MEKを発現するノックインマウスを作製することで、MEKのSUMO化が生体に与える生物学的意義を解明したい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなり、36の図版と63の引用論文を含む。

本論文のテーマであるSUMO(Small ubiquitin-related modifier)はさまざまな標的タンパク質と共有結合することでその機能を制御することが知られている。しかし、細胞内情報伝達におけるタンパク質SUMO化修飾の意義については不明なことが多い。本論文では、ほ乳類細胞の増殖を制御するERK MAPキナーゼ(MAPK)経路に着目し、当該経路の活性制御におけるSUMO化修飾の機能を解析した。ERK MAPK経路では、増殖因子により活性化されたRas Gタンパク質がRafキナーゼに結合して活性化し、そのRafがMEK1あるいはMEK2をリン酸化することで活性化する。活性化したMEK1/MEK2はERKをリン酸化することでERKを活性化する。活性化したERKキナーゼは細胞質および細胞核内の数多くの基質タンパク質をリン酸化し、細胞周期や細胞増殖を調節する。ERK経路に関わる因子の突然変異によるERK過剰活性化は細胞癌化の原因となることが知られており、その制御機構の詳細な解明は、学術的な意義も大きいが、あらたな癌治療薬開発などにも極めて重要である。

本論文では、MEK1/MEK2がSUMO化修飾されるとその活性が阻害されること、Rafキナーゼの活性化因子であるRasがMEK1/MEK2のSUMO化修飾反応を阻害すること、したがってRasはRafを活性化すると同時にMEK1/MEK2の不活性化を阻止するという二重の機構でERK経路の活性化を促進すること、など数多くの新しくかつ有意義な知見を報告している。

本論文の第1章は概要である。第2章(序論)は7節よりなるイントロダクションで、まず細胞内シグナル伝達の一般論より説き起こし、MAPキナーゼ情報伝達経路の概要を解説している。さらにERK MAPキナーゼ、MEK MAPKキナーゼ、Ras Gタンパク質、タンパク質のSUMO化修飾など本論文に関係のある諸分野を概説したのち、本研究開始時点での当該分野における解明すべき問題点を指摘して章を閉じている。シグナル伝達一般から、より具体的なERK MAPキナーゼ経路の制御機構にわたって、バランスよく解説されており、当該分野における基礎知識が十分であることを示している。

第3章(結果)は、9節よりなる実験結果である。まずMEK1/MEK2 MAPKKが細胞内でSUMO化修飾を受けることを免疫沈降ウエスタンプロット法により示し(第1節)、さらに質量分析法によって、MEK1のLys104およびMEK2のLys108がSUMO修飾化されることを見いだした(第2節)。MEKのSUMO化はERK経路の活性化による影響を受けず(第3節)、またMEKの細胞内局在はSUMO化によって影響を受けなかった(第4節)。また、MEK SUMO化はRafによるMEKリン酸化反応には影響を与えなかったが、MEKによるERKリン酸化反応を強く抑制した(第5節)。さらに、ERK活性化が抑制される機構を調べた結果、MEKのSUMO化によってMEKとERKとの結合(ドッキング相互作用)が阻害されることがわかった(第6節)。SUMO化のおこらないMEK変異株は野生株より早く増殖することなどから、MEK SUMO化には細胞増殖を抑制する機能があることがわかった(第7節)。最後に、癌遺伝子RasがMEKのSUMO化を抑制すること(第8節)、逆にMEKのSUMO化がRasによる悪性形質転換を抑制すること(第9節)、などを明らかにした。

本論文では、数多くの新知見が報告されている。全般的に実験計画や得られたデータの解釈は緻密であり、最終的なモデルも充分な信頼性がある。MEKのSUMO化によるERK経路の活性制御機構は全く新たな発見であり、さらにそれを詳細に解明しているのはきわめて高い意義がある。

第4章(考察)と第5章(展望)においては、本論文で解明したMEK SUMO化によるERK経路活性制御と細胞癌化との関係などについその意義を検討し、また未解決問題についても簡潔に述べている。

第6章(材料および実験方法)においては、使用された実験方法のうち主要なものを述べている。第7章は謝辞、第8章は参考文献である。

以上述べたように、本論文は、今までまったく知られていなかったMEKのSUMO化という現象を見いだしてその制御機構を解明し、さらにその生理的意義をも詳細に明らかにしたきわめて重要な成果であると評価できる。

なお、本論文第3章は、武川睦寛、斎藤春雄との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の立案とその実施、データの分析、及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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