学位論文要旨



No 126531
著者(漢字) 川上,桃子
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,モモコ
標題(和) 受託生産を通じた後発工業国企業の成長メカニズム : 台湾ノート型PC産業の分析
標題(洋)
報告番号 126531
報告番号 甲26531
学位授与日 2011.01.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第289号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 准教授 新宅,純二郎
 東京大学 教授 丸川,知雄
 日本貿易振興機構アジア経済研究所 主任調査研究員 佐藤,幸人
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は,1990年代半ば以降,米国・日本企業からの生産委託を通じて急速な成長を遂げた台湾のノート型PC製造企業の事例分析を通じて,先進工業国企業によって編成された産業内分業の構図のなかでの後発国企業の発展のメカニズムを解明することである。1990年代半ばに,低コストの受託生産の担い手として産業内分業のなかに組み込まれた台湾のノート型PCメーカーは,2000年代初頭までに,ブランド企業に代わって,製品開発・生産から受注後生産のためのロジスティクスまでを統合的に担うターンキー・サプライヤーへと成長した。さらに2000年代半ば以降は,独自の情報上の優位性を構築してブランド企業の製品企画上の重要なパートナーとなり,広範な付加価値創出活動を担うにいたっている。

本研究ではこの企業成長の軌跡を,これを支えた企業レベルの能力構築のメカニズムに焦点をあてて分析する。分析にあたっては,ノート型PC産業の産業内分業を形づくる3つの主要なアクター―(1)コア技術を握るプラットフォーム・リーダーであるインテル,(2)製品市場へのアクセスを握る米国・日本のブランド企業,(3)ブランド企業からの受託を受けて生産を行う台湾の受託生産企業,のあいだの競争と協力の構図に注目し,この3者のインタラクションのなかから生じた情報の流れと,この情報の流れを自らの能力構築へと結びつけた台湾企業の学習戦略に光をあてる。各章の構成は以下の通りである。

序章では,分析課題の設定を行う。まず,台湾PC産業に関する先行研究を検討し,その成果と限界を論じる。そのうえで,3つの主要アクターの相互作用に注目する本研究の視点を導入する。

第1章では,分析枠組みを導入する。はじめに,国際価値連鎖論の視点とプラットフォーム・リーダーシップ論の議論を組み合わせて,ノート型PC産業における国境を越えたアクター間関係の構図を分析するための視点を導入する。次いで,先行研究の知見に依拠しながら,企業成長への視点を導入する。そのうえで,これらの視点を組み合わせることにより,本研究の分析枠組みを設定する。

第2章では,台湾ノート型PC産業の発展前史にあたる1980年代初頭から90年代半ばの時期のPC産業の発展と,そのなかでの台湾企業の発展を概観する。はじめに,デスクトップ型PC産業を舞台に生じた技術的リーダーシップのありかの変化の軌跡を整理し,これが本研究でみるノート型PC産業における3者間関係の原型となっていることを指摘する。次いで,1960年代以来の台湾電子産業の発展,及びこの延長線上に花開いた1980年代前半のデスクトップPC関連製品等の輸出向け生産の拡大を概観し,このような産業墓盤が,1990年代半ば以降の台湾におけるノート型PC産業の急速な発展を支える土台となったことを論じる。

第3章から第6章では,台湾のノート型PC産業の発展過程を二つの局面に分け,第1章で提示した分析枠組みにそって,それぞれの時期の産業内アクター間関係の構図と台湾企業の能力構築のメカニズムを分析していく。

第3章と第4章が分析対象とするのは,1990年代半ばから2002-03年頃までの時期である。この時期は,台湾企業が受託生産企業としての基礎的な能力を構築し,製品設計力・量産力等の面で,顧客であるブランド企業によるものづくりのレベルへのキャッチアップをほぼ果たした局面としてとらえられる。

第3章では,この時期のインテル―ブランド企業一台湾受託生産企業の関係のダイナミクスを分析する。ノート型PCのコア技術のコントロール権は,1990年代初頭にはノート型PCの生みの親である日本企業の手中にあったが,90年代半ば以降,インテルが積極的なプラットフォーム・リーダーシップ戦略を採るに従い,その手中へと移った。こうして同産業では,インテルが技術のコントロールを,ブランド企業が販路のコントロールを握る産業内分業の構図が成立した。この過程を通じてインテルによるブランド企業からの付加価値の吸い寄せが進み,これが引き金となって,1990年代後半を通じて,ブランド企業による台湾企業への生産委託が急速に拡大した。

第4章では,このキャッチアップの局面における台湾企業の能力構築のメカニズムを論じる。まず,この11寺期にブランド企業が受託生産企業に求めた能力の鍵要因を分析し,初期には主として製品開発能力の水準がブランド企業による委託先選定のポイントとなっていたこと,1990年代半ば以降,受託生産企業が担う付加価値創出活動の幅が広がるに従って,受託生産企業にはより多元的な「能力のパッケージ」の保持が求められるようになったことを論じる。

この時期の台湾受託生産企業の能力構築においては,顧客であるブランド企業からの機能の移管に伴って生じた情報の流れが最大の学習の源泉となった。特に,ターンキー・サプライヤーとしての能力のパッケージの形成にあたっては,複数の顧客と取引をすることで生じる能力構築の加速メカニズムが重要な役割を果たした。「顧客の多様性の経済」の持つ受託生産企業の学習速度の加速効果は,必ずしも当初から意識的に追及されたものであったとは限らないが,複数の顧客と取引関係を築き,分厚い情報フローの束のなかに身を置くことに成功した企業が急速な成長を遂げるに従い,受託生産企業は顧客の多様性の経済を戦略的に利用するようになっていった。複数の顧客との同時並行的な取引を通じた能力構築のメカニズムは,2002年以降,さらに意識的に追及されるようになり,台湾企業の「情報上の優位性」という新たな強みを生み出していくことになる。

第5-6章では,2002-03年から現在までの時期を分析する。この時期は,台湾企業が独自の情報上の優位性を構築してブランド企業の製品企画上の重要なパートナーとなり,付加価値創出活動を広範に担うアクターとなるにいたった局面としてとらえられる。第5章では,このような台湾企業の能力構築の前提条件となったノート型PC産業におけるアクター間関係の構図の変化を分析する。2002年以降,台湾企業が対中投資を通じて生産能力を著しく高めたこと,2003年のインテルによる新たな製品プラットフォーム「セントリーノ」の投入によってノート型PCへの需要が拡大したことを指摘し,両者があいまって2000年代のノート型PC産業の急速な生産拡大が実現されたことを論じる。また,インテルによるプラットフォーム戦略の完成形ともいえる「セントリーノ」の登場が,ブランド企業からインテルへのさらなる付加価値の吸い寄せを引き起こし,これが,ブランド企業から台湾企業へのさらなる生産委託を引き起こしたことを論じる。

第6章では,この時期の能力構築のメカニズムを実証的に明らかにする。インタビューの成果を利用して,この時期に上位の台湾企業が,多数のブランド企業との深いインタラクションを同時並行的に持てるような組織上の工夫を行い,これを利用して豊かな情報プールを形成するようになったこと,さらにこれを活用して顧客のために価値ある提案をする能力を形成していったこと,加えてインテルとの関係の深まりが台湾企業による顧客のための提案をさらに価値あるものにしたこと,を明らかにする。

まず,台湾企業が個別の顧客との間で発生した情報のインフローを自らのなかに貯めこみ,企業横断的な情報のプールを創り出し,これを利用してプライオリティの高い顧客向けに様々な提案を行うようになり,その付加価値創出上の役割を格段に高めたことを論じる。また,このような顧客のための価値ある提案能力の形成に際して,受託生産企業が編み出した工夫が果たした役割に注目し,これらの企業が採用した「ビジネス・ユニット制」が,最終製品市場で激しく競い合う複数のブランド企業との間にスムーズな関係を築き,それぞれの顧客と深いレベルでの情報共有を行うための優れた仕組みとして機能していることを論じる。次いで,台湾企業がインテルとの連携を深め,同社が新しく開発したチップをいちはやく採用した機種を積極的に準備し,顧客に対して提案するようになったこと,この過程を通じて台湾企業が,ブランド企業の付加価値創出活動のかなめである商品企画の領域にも関与するようになったことを論じる。最後に,このような変化の結果,ノート型PC産業における付加価値創出活動の基軸は,インテルとブランド企業の間の緊密な協力関係から,2000年代半ば以降にはインテルと台湾企業の間での技術情報上の協力関係,ブランド企業と台湾企業の間での製品企画上の協力関係の双方が重なり合ったものへと変化したことを指摘する。

終章では,本研究によって明らかになったことをまとめるとともに,本研究の分析から得られるインプリケーションを分析する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1990年代後半以降めざましい発展を遂げてきた台湾のノート型パーソナルコンピュータ産業(以下、ノート型PC産業)を事例に、後発工業国の企業がどのような国際環境の枠組みとその変化のもとで、またどのような企業レベルでの主体的な努力のもとで成長を続けることができたのかを、理論的かつ実証的に明らかにした意欲的論文である。

従来、台湾の産業発展や企業組織の特徴については、(1)労働集約的な工業製品の輸出に依存する「国際加工基地」としての発展、(2)大企業ではなく「中小企業」を中心的な担い手とし、かつ中小企業間の幅広い分業ネットワークに支えられた発展、(3)アメリカや日本からの技術の導入と先進工業国企業からの受託生産を軸とする「OEM(相手先ブランドによる製造)型発展」、といった言葉で表現されることが多かった。

しかし、1990年代以降の台湾の産業発展を主導してきたのは、もはや労働集約的製品ではなく、急速な技術革新とグローバルな展開を特徴とするIT関連製品であり、その中心的な担い手は中小企業ではなく大企業である。また、台湾電子企業の在り方も、下請け的性格の強いOEM企業から、設計・量産・アフターサービス、さらには「価値ある情報」を先進国企業に提供することで、新製品の開発にまで参加する新しいタイプの企業へと成長している。こうした変化をどのような視点と分析ツールで明らかにすればよいのか。

以上の問題関心に対して、川上桃子氏は、ノート型PC産業に特徴的な国を超えた産業内分業の進展と受託生産方式の普及、産業内分業の中で生じている主要アクター間の国際的な付加価値の創出とその取り合いをめぐる動き、そして、この動きの中で、学習を通じて企業が自ら競争力を向上させていく能力構築のプロセスの3つに注目し、後発工業国企業に開かれた「ひとつの」成長メカニズムを解き明かそうとする。

台湾のIT関連産業やノート型PC産業に関する研究は、日本の国内外において決して少なくない。しかし、産業の発展経路の記述や企業間取引の特徴の羅列ではなく、主要アクター間のスリリングな競争と協業のダイナミックな関係、受託生産を行う台湾企業の主体的条件にまで踏み込んで、ノート型PC産業の発展を総合的に捉えようとした研究は、本論文を別にすれば他に類をみない。台湾や東アジアの産業と企業に関する示唆に富む実証研究として、高く評価すべき研究とみなすことができる。

そこでこの審査報告では、最初に本論文の特徴と既存の研究に対する新たな貢献を述べ、次いで本論文の構成と内容の紹介を行い、最後に問題点や残された課題について指摘しておきたい。

本論文の特徴とメリットは、次の4点に整理することができる。

第一は、ノート型PC産業の「担い手」を、(1)コア技術を掌握するインテル社、(2)世界に広がる販路を掌握するアメリカ・日本のブランド企業(HP、デル、IBM、NEC、東芝など)、(3)ブランド企業から設計・生産等を受託する台湾企業(クアンタ、コンパルなど)の3つの主要なアクターに分類し、この3者の関係を、付加価値の共同創出とその取り合いという観点から分析した点である。(2)のブランド企業と(3)の台湾企業の間の関係は、国際価値連鎖論(GVC論)などがこれまで注目し、それなりの研究蓄積を挙げてきたものの、3者の間の関係を時期区分に沿って(2003年のインテル社のセントリーノ投入の以前と以後)、また総合的に明らかにしたのは、本論文が初めてといってよく、この分野の研究に対する大きな貢献である。

第二は、IT関連産業に広く普及している「受託生産方式」の具体的な様相を、台湾企業の側から詳細に明らかにした点である。OEM・ODM生産方式は、IT関連産業のモジュール化が進み、産業内国際分業が深化していく中で、新しいビジネスモデルとして、世界の研究者の注目を集めた(ホブデイやボラスなど)。しかし、こうした研究は必ずしも受託生産方式の個別具体的な内容に踏み込んだものではなく、あるいはその仕組みを紹介しても、ある時点における静態的な記述に留まっていた。

これに対して本論文は、ブランド企業10社(33名)、インテル社(5名)、台湾企業9社(33名)、計71名の関係者からの、膨大かつ緻密な聞き取り調査をベースに、受託生産方式の実態の解明に成功している。とりわけ、台湾の受託生産企業が、国際環境の変化に対応させて自らの機能と役割を拡充させていくプロセスの描写は秀逸である。中国語をマスターし、台湾での聞き取り調査を長年にわたって積み重ねてきた、川上氏の「地域研究者」としての特性がよく活かされた側面と言えよう。

第三は、台湾のノート型PC産業の発展を、産業の特性、国際環境の変化、政府の政策といった企業外の条件にのみ求めるのではなく、企業レベルでの主体的対応、もしくは学習を通じた能力構築という内在的観点から明らかにしようとした点である。同時に、企業レベルの対応を、従来のように、旺盛な企業家精神や人的ネットワークの存在といった属人的(台湾的)要素に求めるのではなく、「万遍ない能力」「顧客の多様性の経済」「価値ある情報の提供」といった独自の概念を使って、説得的に議論している点が重要である。

こうしたアプローチの結果、技術革新のスピードが速く、モジュール化が進んでいるIT関連産業に限定されるとはいうものの、後発工業国の企業が選択しえる成長メカニズムのひとつのパターン(とその企業側の条件)を示すことに成功している。さらに、東アジア諸国・地域がなぜ1990年代以降、急速に、そして持続的に産業発展を遂げることができたのかの究明についても、重要なヒントを与えていると思われる。

第四は、各章の末尾に配置された図表におけるデータの豊富さと、これらデータを整理・作成する著者の能力の高さである。序章も含めて図が38点、表が30点と、その数は半端ではない。英語・中国語・日本語の文献や統計書・報告書からのデータの引用・整理だけではなく、さまざまなデータを組み合わせて作成したデータや、著者自身の聞き取り調査にもとづいて独自に作成したデータ(図6-2、図6-3など)も数多く、これらのデータの提供が本論文のオリジナリティを高めていると評価できる。

以上の4つの特徴と貢献から、審査委員会は、川上桃子氏が十分に高い研究能力を示しており、博士号(経済学)を授与するのにふさわしいという結論に達した。

以下、各章の紹介に移る。

序章は、分析の課題と対象、先行研究の紹介とその限界、本研究の特徴、論文の構成の4つを扱う。ノート型PC産業の産業内分業を「付加価値創出活動の連なり」と捉える著者は、この付加価値創出活動に参加するインテル社、ブランド企業、台湾の受託生産企業の3者を「主要なアクター」と措定する。その上で、先行研究が3者の相互関係を峻別してこなかったこと、受託生産取引の実態を十分解明していないこと、受託生産をめぐる台湾企業間の熾烈な競争を視野に収めていないことを指摘し、製品・技術・市場に関する「情報の流れ」を軸としながら、3者の間でどのような競争と協業が具体的に展開されたのか、その点の解明を本論文の主たる研究課題に設定する。

第1章では、本論文の分析枠組みに関する著者の視点や鍵となる概念の提示と、研究課題に付随する公開データの利用の限界(データの秘匿性)から、主として企業や関係者からの聞き取り調査に依存せざるを得なかった調査方法の説明がなされている。

この章で、著者は主に2つの分析視点を主張する。ひとつ目は、ノート型PC産業の産業的特性と主要アクターの析出にあたって「国際価値連鎖論」が有効であるものの、同アプローチは世界の販路を握るブランド企業にもっぱら焦点を当てており、コア技術を握るプラットフォームリーダーとしてのインテル社の役割にもっと注目すべきである、という主張である。インテル社の技術革新がノート型PC産業に与えたインパクトは、第3章と第5章の中で詳述されている。

もうひとつ目は、台湾企業の「学習を通じた能力構築」に関する議論の整理であり、ペンローズの古典的な企業成長論、これを発展させた伊丹・軽部の企業成長論、バーニーの資源ベース論などを紹介したあと、企業間の「情報の流れ」に台湾企業がどのようにアクセスし、これをどう活用したかが企業成長上重要であるという視点を強調している。

第2章では、前半で、台湾企業の受託生産を促したインテル社のPC産業における技術革新(CPUとチップセットの組み合わせ、オープン・モジュラー化の推進と自社の製品構造のブラックボックス化など)のインパクトが要領よく整理されている。後半では、台湾のノート型PC産業の発展を準備した1960年代以降の台湾電子産業の概観、1980年代後半以降のPC産業における地場企業の勃興、80年代末における台湾企業による自社ブランド戦略の展開とその挫折、そして受託生産方式への転換を行った90年代半ば以降の目覚ましい発展が、豊富な資料と業界ベースのデータを中心に紹介されている。

第3章から第6章までは、先に掲げた主要アクター3者間の関係とそのもとでの台湾企業の能力構築がどのように展開されたのかについて、キャッチアップ期(インテル社のプラットフォーム戦略の開始前後から2002年/2003年まで)と、インテル社のさらなるプラットフォーム戦略の展開以後の変容(2003年のセントリーノ投入以後)の2つの時期に分けられて分析されている。

第3章では、1990年代半ばにインテル社が進めた技術戦略によって、日本やアメリカのブランド企業が持っていた技術的優位性が低下し、販路確保を目指すブランド企業の内部で激しいコスト引き下げ競争や新製品サイクルの短縮化が生じた結果、受託生産取引(台湾企業への生産委託)が一気に拡大していった経緯が、説得的に記述されている(2000年にはブランド企業上位10社の生産のうち台湾企業への委託生産比率は47%、米系5社では75%に上る)。ただし、このことはノート型PC産業の産業内国際分業の中で、コア技術を握るインテル社の完全支配の確立を意味するものではなく、アメリカと日本のブランド企業が、インテル社=ブランド企業=台湾受託生産企業の3者関係の仲介者に位置し、いわば「国際価値連鎖の結節点」としての機能を果たすに至った事実を強調する。

第4章では、以上の3者の相互関係のもとで、台湾受託生産企業が、当初の「下請け工場」的役割から、設計・量産・アフターサービスなどを担当する「存在感あるアクター」へと成長していった経緯が分析される。その成長を支えたのは、ひとつは電卓産業以来の台湾企業の技術面での継続的な蓄積であるが、もうひとつは、受託生産取引の中で生じた学習機会を的確につかみ、これを「万遍ない能力」へと発展させていった主体的な対応、そして、複数のブランド企業との緊密な情報交換、顧客の多様なニーズへの機敏な対応の積み重ねの中から学習を加速していった企業戦略(これを著者は「顧客の多様性の経済」と呼ぶ)に求める。一言で言えば、台湾企業の側で能力構築が進展していったのである。

なお、第4章付録として添付された「発注先の決定から受託生産取引の完了までのビジネスフロー」は、受託生産方式に関する理解を助ける技術的解説となっている。

第5章では、2003年に世界で発売されたインテル社のセントリーノがノート型PC産業に与えたインパクトが紹介され、これによって、キャッチアップ期にインテル社=ブランド企業の間で起きた変化だけではなく、インテル社=台湾受託生産企業の間でも、新たなインターラクションが起きて、これが3者間の関係に新局面を開いた事実が指摘される。とりわけ、新製品に関する情報を、インテル社が台湾企業にチップ開発の早い段階から開示するようになった結果、国際付加価値の連鎖に占める台湾企業の地位は一段と上昇し、これが台湾企業のノート型PC産業に占める国際的地位をより強固なものにすることになった。

第6章では、以上の3者間の関係の変化の中で、台湾受託生産企業が、それまでの「万遍ない能力」を身に付けた企業から一歩踏みでて、顧客(ブランド企業)に「価値のある情報を提供する」企業に成長してきたこと、例えば、クアンタは2000年代初頭に、顧客別の「ビジネス・ユニット」と呼ばれる、縦割りのブランド企業との情報交換方式を導入し、同時にそこで入手した情報をプールして企業全体で有効に活用するという独自の企業戦略を展開し、そのことが台湾企業の付加価値創出上の役割の向上につながっている、という興味深い議論を展開している。

最後に終章では、それまでの論点の整理と著者の研究面での新たな貢献がどこにあるのかの指摘がいま一度なされ、台湾だけではなく、後発工業国一般における企業の成長メカニズムにおいて、モジュラー化が進んでいるIT関連産業の場合には、国際付加価値連鎖における的確な「位置取り」と学習戦略がもつ重要性が、改めて強調されている。

以下、審査委員会で提出された、いくつかの問題点についても、簡単に触れておきたい。

第一は、本論文の立論の重要な部分である、3つのアクター間の国際付加価値の「取り合い」に関わる問題である。著者は台湾受託生産企業が、ブランド企業のみならず、インテル社ともチップ開発の早い段階から情報交換することによって、国際価値連鎖に占める自らの地位を引き上げてきた(ブランド企業からの付加価値のひきはがし)と主張する。ただし、この主張を裏付ける直接のデータや数字は提示されていない。付加価値の取り分について定量的分析がなされていれば、著者の主張もより強固なものになったという意見が出された。

第二は、序章に掲げた3つの課題に著者が必ずしもすべて応えていないという問題である。著者は先行研究のサーヴェイの中で、(1)3つの主要アクター間の相互関係の総合的分析、(2)受託生産方式の実態の把握、(3)台湾における受託生産企業同士の競争とこの競争が個々の企業の能力構築に与えた影響の3つを、重要な課題として設定した。このうち、(1)と(2)については十分応えているものの、(3)の分析はほとんどなされていない。今後の研究課題というべきであろう。

第三は、本論文のサブタイトルに付けられた「台湾ノート型PC産業の分析」という表現が、本論文の内容に照らして、果たして適切かどうかという問題である。具体的には、本論文は台湾のノート型PC<企業>の成長メカニズムを解明したものの、ノート型PC<産業>の方は、製造工程を100%中国に移転させたことで、じつは空洞化が進んでいるのではないかという疑問である。もしそうだとすると、ある国・地域の<企業>の発展は、当該国・地域の<産業>の発展には必ずしも直結しないという、興味深い論点が浮上する。もちろん、この点は本論文の瑕疵ではなく、IT関連産業を分析する際に、研究者が念頭に置くべき問題というべきであろう。

以上、いくつかの問題を指摘した。しかし、こうした問題は本論文の価値を損なうものでは決してない。台湾のIT関連産業(IT関連企業)を中心に着実に研究を積み重ねてきた川上氏が、よりいっそう実証レベルの高い研究を進め、同時に後発工業国の企業成長モデルを発展させていくための今後の課題とみなすべきであろう。したがって、本審査委員会は全員一致で、本論文が博士号(経済学)を授与するのにふさわしいという結論に達した。

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