学位論文要旨



No 126533
著者(漢字) 酒井,智子
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,トモコ
標題(和) 膵癌患者のQuality of Lifeに関する研究
標題(洋)
報告番号 126533
報告番号 甲26533
学位授与日 2011.01.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3567号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 國土,典宏
 東京大学 講師 多田,稔
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 講師 児玉,聡
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

膵癌は悪性度が高く治療困難である。膵癌では生存期間の延長に加え、Quality of Life(以下、QOL)の維持・改善が重要であり、QOLの実態およびその関連要因を把握した上でのケアの検討が必要である。

そこで今回は、膵癌患者のQOLの改善に資することを目的とし、まずQOL調査票について検討し(研究1)、QOLの実態把握とその関連要因の探索を行った(研究2)。

研究1. 膵癌特異的QOL調査票European Organization for the Research and Treatment of Cancer QLQ-PAN26日本語版の開発

背景

本邦では、膵癌に特異的な調査票と包括的調査票とを併用したQOL調査は行われていない。

膵癌患者用のQOL調査票には、Functional Assessment of Cancer Therapy-Hepatobiliary(以下、FACT-Hep)およびEuropean Organization for the Research and Treatment of Cancer (以下、EORTC) QLQ-PAN26(以下、PAN26)がある。肝胆膵癌用のFACT-Hepは海外で用いられているが、肝・胆道・膵癌患者に同一の調査票を用いることの疑問が残る。

EORTC QLQ-PAN26は膵癌患者用であり、膵癌に特異的な内容をその内容ごとにより詳細に測定でき、適切な支援につながりやすい可能性がある。本研究ではその日本語版の開発を行った。

研究1-1 翻訳

方法

EORTCの尺度翻訳マニュアルに則り、順翻訳と逆翻訳を行った。

結果

翻訳結果に許可を得、PAN26日本語版(案)とした。

研究1―2 パイロットテスト

対象

東京大学医学部附属病院消化器内科外来の膵癌患者のうち、心身状態から担当医が調査可能と判断した等の条件を満たす10名とした。

方法

倫理委員会の承認後実施した。

結果

対象者は男性5名、平均年齢64歳、化学療法中が9名であった。

セクシャリティの2項目は「関係ない」とした対象者が多く、原作者と検討し該当者のみ回答するようにし、EORTCの許可を得てPAN26日本語版とした。

研究1-3 信頼性・妥当性の検証

対象

東京大学医学部附属病院および日本赤十字社医療センターの消化器内科・肝胆膵外科の膵癌患者のうち、研究1-2と同条件とした。

方法

担当医から紹介を受け、初回調査への回答依頼と診療録調査を行い、一定期間後にPAN26のみ再調査を依頼した。

倫理委員会の承認後実施した。

調査内容

QOLはEORTC QLQ-C30、PAN26日本語版、FACT-Hepを用い、背景情報は質問紙と診療録調査にて、疾患関連やKarnofsky Performance Status(KPS)等を調査した。

分析

PAN26日本語版の信頼性・妥当性の検討を行った。

結果

初回調査の分析対象者は75名で、セクシャリティの尺度は7割が「該当なし」とした。

既知集団妥当性について、KPSが悪い群はQOLが統計的に有意に悪いかその傾向が全尺度でみられた。

収束的妥当性/弁別的妥当性について、殆どの尺度化成功率は100%であった。

内的整合性について、クロンバックのα係数は0.39~0.65であった。

再テスト信頼性について、κ係数は再調査の全対象者51名では0.22~0.64、化学療法中でない11名では多くの項目で改善した。

併存妥当性について、PAN26の疼痛とFACT-Hepの腹痛等では想定通りの相関があり、PAN26の食事関連とFACT-Hepの消化等ではみられなかった。

考察

表面的・内容的妥当性について、欠損は文化的背景から妥当と考える。

既知集団妥当性と併存妥当性は概ね確認された。

収束的妥当性/弁別的妥当性と内的整合性について、尺度化成功率は概ねよいが、クロンバックのα係数は満足できず、検討の必要がある。

再テスト信頼性ではκ係数は低く、対象の限界がある。

限界と課題

症例数および対象の限界から結果の一般化には注意を要する。

一部の項目の表面的・内容的妥当性および殆どの尺度の内的整合性については、再検討の必要がある。しかし、尺度が心理的傾向ではなく膵癌に特異的な症状を主に尋ねるため、計量心理学的手法での検討には課題があった。既知集団妥当性や併存妥当性の結果は概ね確認されたため、患者の状態を示すものとしてアセスメントやスクリーニングを目的とした臨床使用は可能と考える。

結論

本研究ではPAN26日本語版を作成し、信頼性・妥当性の検証を行った。検討すべき点が残るが、膵癌患者に特化したQOLを捉える臨床での使用に関しては有用である可能性がある。

研究2 膵癌患者のQOLの関連要因の探索

背景

膵癌患者のQOLを維持・改善するケアの検討には、QOLの把握とその関連要因の探索が必要である。海外で散見される研究では、疼痛やうつに伴うQOLの低下、ステージや部位による症状の違いが示されている。また、多くの患者が経験する抑うつに対しては早期の支援が重要となる。本邦における膵癌患者のQOLおよび抑うつをまず把握し、抑うつや疾患・治療とQOLとの関連を検討する必要があると考え研究を行った。

方法

対象

研究1-3の対象と同様とした。

調査内容

QOLは研究1-3の資料を用いた。

関連要因の患者特性と抑うつ(疫学的抑うつ尺度、以下、CES-D)は質問紙調査を、疾患や治療については診療録調査を行った。

分析

PAN26とC30およびCES-Dの値を記述し、QOLについては先行研究との比較と単変量解析を行った。

結果

75名のうち男性7割、KPS80以上9割、膵頭部癌6割、化学療法中8割であった。CES-Dの回答者60名のうち抑うつありは13名(21.7%)であった。

PAN26では、膵頭部の癌では肝臓のQOLが統計的に有意に悪く、食事関連とるいそうも同様の傾向であった。化学療法中のほうが予定立案のQOLが悪かった。化学療法が二次以上のほうが一次よりも腹水のQOLが悪く、疼痛、消化不良、健康不安、合併症の困難が悪い傾向であった。減黄経験があるほうが食事関連、るいそう、ガス等のQOLが悪く、ヘルスケア等のQOLが悪い傾向であった。鎮痛剤内服ありのほうが疼痛と味覚のQOLが悪く、腹水のQOLが悪い傾向がみられた。抑うつありのほうが殆どの尺度で有意にQOLが悪かった。

C30では、膵頭部の癌のほうが役割機能のQOLが悪く、初発時ステージがIVおよび根治的切除をしていないほうが嘔気・嘔吐のQOLが悪かった。化学療法中のほうが身体機能、嘔気・嘔吐、痛みのQOLが悪かった。化学療法が二次以上のほうが疲労感、痛み、食欲不振、下痢のQOLが悪く、化学療法がジェムザール(R)単剤であるほうが食欲不振と下痢のQOLが良かった。減黄経験のあるほうが包括的な健康状態/QOLが悪かった。鎮痛剤内服中だと包括的な健康状態/QOLと食欲不振のQOLが悪かった。抑うつありのほうが4尺度を除きQOLが悪かった。

先行研究との比較では、より進行した膵癌患者より良く、他の癌の化学療法導入前の患者より悪かった。

考察

PAN26とC30の関連要因の検討では、膵頭部の腫瘍のほうがQOLが悪い尺度がみられた。膵頭部癌および黄疸患者は頻回の黄疸治療や消化不良の可能性が高く、早期からの療養生活への支援が必要と考える。

化学療法中の患者へは、頻発する副作用と不安に対し、心理面や日常生活への支援の必要があると考える。化学療法が二次以上や鎮痛剤内服中の患者のQOLの悪化は、疾患の進行と、二次以上の抗癌剤または鎮痛剤の副作用によると考えられる。

状態の思わしくない患者を除外したが抑うつありの対象が多く、また抑うつありのほうが殆どの尺度でQOLが悪かったため、早期からの支援および専門家への相談や継続的なアセスメントが必要である。

先行研究のQOLの結果との比較では、対象者の違いにより結果は様々であった。

限界と課題

対象の偏りから注意を要するが、PAN26の関連要因には解釈不能な結果は殆どなく、膵癌に特異的なQOLを測定できたと考える。研究1の結果からも、PAN26日本語版は臨床使用には有用と考える。

今後は、分析対象を増加し多変量解析による分析が望まれる。QOLの推移の把握や予後との関連の検討を行う予定である。

結論

本研究では、膵癌患者75名を対象とし、C30とPAN26日本語版によるQOLの関連要因の検討を行った。膵頭部癌または疼痛や黄疸がある患者や、化学療法の変更を経た患者、抑うつ状態にある患者への支援の検討の必要性が示唆された。

研究1,2の総括

本研究では、膵癌患者に特異的なQOL調査票、EORTC QLQ-PAN26の日本語版の開発と、膵癌患者のQOLの実態の把握とその関連要因の検討を行った。PAN26の信頼性・妥当性には検討すべき点が多くあるが、アセスメントを目的とした臨床使用には有用と考える。関連要因の検討により、膵頭部癌や疼痛・黄疸のある患者や、疾患の進行に伴う化学療法変更後の患者、抑うつ患者へのさらなる支援の検討の必要性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、難治癌とされQuality of Life(以下、QOL)の改善・維持が重要となる膵癌について、膵癌に特異的なQOL尺度の日本語版の開発と、それを用いた実態調査およびその関連要因の検討を目的としたものであり、下記の結果を得ている。

1.欧州で開発された、膵癌に特異的なQOL調査票、European Organization for the Research and Treatment of Cancer QLQ-PAN26(EORTC QLQ-PAN26)に着目し、原版作成組織であるEORTCの尺度翻訳マニュアルに則り、また原作者と連絡をとりながら、順翻訳・逆翻訳および患者を対象としたパイロットテストを行い、EORTC QLQ-PAN26の日本語版を作成し、本邦における膵癌患者のQOLの測定を可能にした。

2.膵癌患者75名を対象としたEORTC QLQ-PAN26日本語版の信頼性・妥当性の検証の結果、一部の項目の表面的・内容的妥当性および殆どの尺度の内的整合性については、再検討の必要があった。しかし、尺度が心理的傾向ではなく膵癌に特異的な症状を主に尋ねるため、計量心理学的手法での検討には課題があった。既知集団妥当性や併存妥当性の結果は概ね確認されているため、膵癌に特化した、患者の状態を示すものとしての尺度の使用により、臨床において、患者の詳細なアセスメントやスクリーニングが可能になり、迅速かつ適切な支援につながる可能性がある。今後行う予後との関連の検討により、予後予測につながる可能性も検討する必要がある。

3.膵癌患者75名を対象としEORTC QLQ-PAN26日本語版やEORTC QLQ-C30を用いて測定したQOLを本邦および海外の先行研究と比較した結果、より進行した膵癌患者より良く、他の癌の化学療法導入前や手術前の患者より悪かったため、膵癌患者の実態を把握できるものと考えられる。

4.QOLの関連要因の検討の結果、膵頭部癌または疼痛や黄疸がある患者や、化学療法の変更を経た患者、抑うつ状態にある患者についてはQOLが悪い尺度がみられ、その内容毎に、身体面・心理面や日常生活への支援のさらなる検討の必要性が示唆された。

5.抑うつ尺度への回答者60名のうち、抑うつありとなった対象者は状態の思わしくない患者を除外したにも関わらず13名(21.7%)であり、また抑うつありのほうが殆どの尺度でEORTC QLQ-PAN26日本語版およびEORTC QLQ-C30を用いて測定したQOLが悪かったため、早期からの支援および専門家への相談や継続的なアセスメントが必要であることが示唆された。

以上、本論文は、膵癌患者に特異的なQOL尺度の日本語版の開発を行い、その臨床における使用可能性を示した。また、QOLの実態およびその関連要因の検討により、さらなる支援の検討への契機を示唆した。本研究は、QOLの改善・維持を目標とする膵癌患者のQOLの詳細な測定および迅速な支援に向けたアセスメントを可能にする尺度を本邦において初めて開発したものである。独創的で学術的に価値があり、臨床的有用性をも兼ね備えた研究であるため、学位の授与に値するものと考えられる。

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