学位論文要旨



No 126540
著者(漢字) 中島,亮一
著者(英字)
著者(カナ) ナカシマ,リョウイチ
標題(和) 持続的注意時の視覚表象に関する実験心理学的研究
標題(洋)
報告番号 126540
報告番号 甲26540
学位授与日 2011.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第795号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横澤,一彦
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 教授 高野,陽太郎
 慶應義塾大学 教授 伊東,裕司
内容要旨 要旨を表示する

我々は、外部世界からの入力情報から、どのように視覚表象を形成、保持しているのだろうか。我々の日常的な活動は主に視覚情報に基づいて行われるが、人は一度に多くの視覚情報を処理できないことが知られている。そのため、視覚情報処理において視覚的記憶の問題は非常に重要であり、これまで様々な議論がされてきた。しかしながら、視覚的記憶における議論の中心は、人がどの程度長期的に視覚表象を保持することができるかという点であり、その長期的に保持される視覚表象の形成段階については、ほとんど議論がされていなかった。この視覚表象の形成段階には視覚的注意が関係していると言われており、視覚的記憶研究のみならず、視覚的注意研究の分野において、非常に重要であると考えられる。本論文では、長期的に保持される視覚表象の形成段階、すなわち持続的注意時の視覚表象(視覚的注意をあるオブジェクトへ向け続けている間に形成される視覚表象。本論文では、これを持続表象と呼ぶことにする)に着目し、その視覚表象の存在条件と性質を実験的に検討する。そして、その実験結果に基づいて新しい視覚的記憶理論を提案する。

第1章では、序論として、視覚的記憶を定義し、これまで明らかになっている視覚的記憶システムについて概観する。そして、その視覚的記憶システムを反映した視覚的記憶理論について説明を行う。さらに、視覚的注意と視覚的記憶に関してこの理論では解明されていない問題点を考察する。それが持続的注意時の視覚表象(持続表象)の問題である。この問題を解決するにあたり、視覚的記憶理論と同時期に提案されたコヒーレンス理論についても概観することで、どのような視覚表象が仮定されうるのかを考察する。持続的注意が「変化の瞬間の観察」という変化検出処理に関与しているという近年の推測も踏まえ、持続表象が、感覚表象と高次の視覚表象が結合(リンク)したものであり、注意解放後の視覚表象(視覚的短期記憶・視覚的長期記憶の視覚表象)と異なっているという仮説を提案する。

第2章では、物体の向き変化検出課題を用いた行動実験を行い、持続的注意時の変化検出処理と注意解放後の変化検出処理を比較することにより、持続表象の存在の確認と、その時空間的特性を検討した。具体的には、変化検出課題において、ブランク時間の長さと、学習画像とテスト画像の呈示位置の関係(学習画像とテスト画像の呈示位置の異同)を操作した実験を行った。これは持続的注意状態を短時間しか維持できない(長くても1秒間維持することはできない)という様々な先行研究の知見に基づいている。その結果、持続表象は、短時間、視覚的注意が向けられた領域(視覚的注意の焦点が絞られた範囲)に基づいて存在していることが確認できた。また、持続表象が存在する場合には、それが変化検出処理に対して、視覚的短期記憶や長期記憶に保持された視覚表象よりも優先的に用いられることも示された。また、画像間のブランク時間の長さを操作し、「変化の瞬間の観察」印象を評定した実験も行った。その結果、ブランク時間が短い場合に「変化の瞬間の観察」印象が非常に強いことが示された。これらの実験結果を考え合わせると、持続表象が「変化の瞬間の観察」に関与していることも示唆される。

第3章では、持続表象と注意解放後の視覚表象に関して、その性質が異なるという仮説を検討した。具体的には、物体に関する大きさの変化検出課題を用いて、持続表象の存在の有無による変化検出成績の比較を行った。実験課題として大きさ変化検出課題を採用したのは、注意解放後の視覚表象(視覚的短期記憶・視覚的長期記憶の視覚表象)が感覚表象のような正確さを失ったものであり、物体の絶対的な大きさについて感度が低いという知見に基づく。実験では、変化検出課題における学習画像とテスト画像の間のブランク時間、それらの位置の異同、ブランク画面の種類を操作することによって、持続表象が存在できるか否かを操作した。その結果、持続表象が存在しないと考えられる条件では変化検出成績が低く、チャンスレベル程度まで低下した。一方、持続表象は、注意解放後の視覚表象では検出不可能な変化も検出できた。さらに、持続表象は視覚的注意を捕捉しないような新規呈示情報(マスク刺激)の影響を受けなかった。このことは、持続表象が、詳細情報が失われた高次の視覚表象ではなく、高次の視覚表象と感覚表象が結合したものであるという本論文の仮説を支持している。ただし、その視覚表象は、ある空間領域に存在する、あるいは存在したオブジェクトに視覚的注意が持続的に向いている間しか存在できないという、存在条件が非常に厳しいものであることも明らかになった。

これらの実験結果を踏まえ、第4章では、総合考察として、これまで注意解放後の視覚表象を中心に論じられてきた視覚的記憶理論について、持続的注意時の視覚表象という新しい段階を仮定し、それを既存の視覚的記憶理論の中で位置付けることによって、新しい視覚的記憶理論を提案した。この理論は、一般的な視覚的記憶の枠組みにとどまらず、我々の日常的な視覚処理である情景知覚に対しても十分に適用可能である。

最後に、持続表象の役割についての議論を行う。この視覚表象は、まず、低次の感覚表象と高次の視覚表象の橋渡しの役割を果たす。そして、情景知覚の枠組みにおいては、現在進行の処理を可能にする視覚表象である。つまり、情景知覚において中心的な役割を果たす視覚表象である。さらに、変化検出処理の枠組みにおいては「変化の瞬間の観察」の処理過程に関与している。最後に、視覚的記憶理論における、記憶表象の想起にはその対象となったオブジェクトの位置に視覚的注意を向ける必要があるという仮定に基づくと、この視覚表象は、それに関連した情報を想起するための主要因となっていると考えられる。すなわち、持続表象が形成されると、それに関連した情報、例えば以前に見たそのオブジェクトの情報などが想起される。この考えを発展させると、持続表象は、人の物体認知(物体を見て、それを長期記憶内の情報と照合すること)においても、重要な役割を果たしている可能性もある。つまり、本論文で存在を確認した視覚表象は、視覚的記憶に関する理解にとどまらず、情景知覚や物体認知に関しても、非常に重要であると考えられる。本論文においてその存在と性質を確認した、持続的注意時の視覚表象を、新しい視覚表象の段階だと考え、注意的持続(Attentive Persistence)と名付ける。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、視覚的注意が向けられている対象に対して形成される視覚表象の存在条件と特性を実験心理学的に研究し、新しい視覚的記憶理論を提案したものであり、全4章から構成されている。

第1 章では、本論文で取り上げる視覚的記憶について定義し、従来の関連研究を概観している。そして、視覚的注意と視覚的記憶に関して未だ解明されていない、持続的注意時の視覚表象の問題を指摘している。このような表象は、感覚表象と高次の視覚表象が結合したものであり、注意解放後の視覚表象、すなわち視覚的短期記憶や長期記憶の表象とは異なっている可能性に言及している。

第2 章では、物体の向きの変化を検出させる心理実験を2つ行い、持続的注意時の変化検出と注意解放後の変化検出を比較した。その結果、持続表象は視覚的注意が向けられた領域に短時間だけ存在していることを確認すると共に、持続表象が存在する場合には、視覚的短期記憶や長期記憶に保持された表象よりも優先的に用いられることを明らかにした。このような実験結果から、持続表象は変化の瞬間の観察に深く関与していると考察している。

第3 章では、持続表象と注意解放後の視覚表象の違いに関して4つの実験を行い検討した。物体の大きさ変化の検出実験により、持続表象の存在の有無による変化検出成績の違いを比較した。各実験では、変化検出課題における画像間の時間間隔や位置の異同などを操作することにより、持続表象の頑健性を検討した。その結果、持続表象が存在できない条件では変化検出成績が低い一方、持続表象によって、注意解放後の視覚表象では検出不可能な変化も検出できることを確認した。さらに、持続表象は視覚的注意を捕捉しないような新規妨害刺激の影響を受けないことも明らかにした。このことは、持続表象が高次の視覚表象と感覚表象が結合したものであるという仮説を支持している。

第4 章では、研究成果全体をまとめ、持続的注意時の視覚表象をあらためて注意的持続(Attentive Persistence)と名付けるとともに、この注意的持続を既存の視覚的記憶理論の中で位置付けることによって、新しい視覚的記憶理論を提案している。この視覚表象は、低次の感覚表象と高次の視覚表象の橋渡しの役割を果たし、変化の瞬間の検出過程に関与するので、物体認知や情景認知において非常に重要であると考察している。

本論文は、物体認知や情景認知において中心的な役割を果たす視覚表象の解明に取り組み、既存の視覚的記憶理論では十分検討されていなかった視覚的注意との関係を明らかにしており、この成果は実験心理学研究における顕著な業績である。以上の点から、本審査委員会は、本論文が博士(心理学)の学位を授与するのにふさわしいものであるとの結論に達した。

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