学位論文要旨



No 126545
著者(漢字) 河田,美貴子
著者(英字)
著者(カナ) カワタ,ミキコ
標題(和) 肺癌細胞株におけるTGF-βによる上皮間葉転換の炎症性サイトカインによる増強効果
標題(洋)
報告番号 126545
報告番号 甲26545
学位授与日 2011.02.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3569号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 連携教授 中釜,斉
 東京大学 講師 太田,聡
 東京大学 特任准教授 垣見,和宏
内容要旨 要旨を表示する

癌の悪性化の過程において癌細胞がどのように浸潤・転移する能力を獲得していくか解明していくことが有効な治療法の開発のために非常に重要である。上皮細胞が浸潤・転移をする過程において、上皮細胞が間葉系細胞へと分化するプロセスである上皮間葉転換(Epithelial-mesenchymal transition: EMT)の役割が注目されている。このEMTを誘導する主たるサイトカインとしてtransforming growth factor-β (TGF-β)が知られており、種々の細胞株、とくに肺癌においては肺腺癌細胞株A549を用いて、その機序について解析が進められてきた。その結果TGF-βによるEMTにおけるSnail転写因子の重要性や、Thyroid transcription factor-1 (TTF-1)によるEMTの拮抗作用など多くの制御因子の関与が明らかとなっている。一方マクロファージは癌細胞に直接働きかけて、その増殖を亢進するのみならず、癌細胞のEMTを誘導することが、マクロファージ様細胞株RAW 264.7細胞を用いた肝癌細胞株での検討などによって示されている。

こうした背景を踏まえて、本研究においては、(1) TGF-βによる肺癌細胞A549のEMTの誘導にマクロファージ様RAW 264.7細胞が果たす役割を検討し、(2) RAW 264.7細胞から分泌されるEMTを誘導する炎症性サイトカインを同定した上で、(3) 同定されたサイトカインとTGF-βの協調作用を説明する分子機構の解明を試み、(4) この協調作用が他種の肺癌細胞Lc2/adにおいて見出されるか検討した。これらの知見を得ることにより、癌組織微小環境を形成する因子の一つであるマクロファージが肺癌細胞の悪性化において果たす役割をin vitroレベルで明らかにすることを目的とした。

まずA549細胞とRAW 264.7細胞の共培養による検討を行った。A549細胞はTGF-β単独の刺激で、上皮細胞の形態からやや紡錘状の形態に変化しRAW 264.7細胞存在下に促進された。RT-PCRによるEMTに伴う遺伝子の発現の変化の検討では、TGF-β刺激によるEMTに伴うFibronectinやN-cadherinの発現上昇傾向が、RAW 264.7細胞との共培養により促進された。一方E-cadherinの発現減少はTGF-βのみで強く誘導され、RAW 264.7細胞の共培養による促進は認められなかった。次に共培養による観察がRAW 264.7細胞からの分泌因子によるものか検討するためにRAW 264.7細胞の培養上清を調製してTGF-βによるA549細胞のEMTへの影響を検討した。その結果、TGF-βによるA549細胞の形態変化はRAW 264.7細胞の培養上清の添加によって促進され、これはLPS添加による活性化により有意に増強された。RT-PCRによる検討でも、培養上清によるFibronectinとN-cadherinのTGF-βとの協調的な発現誘導が観察された。E-cadherinの発現減少に対しては共培養と同様に培養上清による増強効果は明らかではなかった。こうした遺伝子発現変化は、蛋白レベルでも同様の傾向であった。以上のことから、RAW 264.7細胞由来の液性因子により、TGF-βによるA549 細胞のEMTにおける形態変化と、間葉系マーカーの発現が促進されることが示唆された。

マクロファージ細胞から分泌されるサイトカインの代表的なものとしてTNF-αが知られているが、RAW 264.7細胞からTNF-αが産生されており、その分泌量がLPSの用量依存的に有意に増加することを明らかにした。続いてTGF-β誘導性のEMTにおけるTNF-αの作用に注目して解析を進めた。A549細胞にTGF-β、TNF-αの単独刺激あるいはその共刺激を行ったところ、TGF-β、TNF-αそれぞれ単独投与によって形態変化が認められ、それは両者の併用によって促進した。EMT関連遺伝子の発現の変化についても、間葉系マーカーであるN-cadherin、FibronectinのTGF-βによる発現上昇は、TNF-αを加えることにより亢進した。これらの結果は、mRNAおよびタンパクレベルで証明できた。

EMTに伴い癌細胞は細胞外プロテアーゼの分泌を促進してECMのリモデリングを行い、さらに自身の運動能も亢進する。この過程は癌細胞の浸潤、転移にとって重要であるとされている。そこでMMP-9やMMP-2の発現に関して、TGF-βとTNF-αの作用について検討を行ったところ、TGF-βにより発現が上昇し、それはTNF-αの共刺激によりさらに促進された。一方、TGF-βやTNF-αはMMP-13の発現を変動させなかった。細胞運動能へのTGF-βとTNF-αの作用についての検討では、TGF-β単独刺激と比較してTNF-αの共刺激により運動能の亢進が認められた。

続いてA549細胞のTGF-βによるEMTに対するTNF-αの増強作用について、そのメカニズムの解析を試みた。既報で示されていたTNF-αによるA549細胞におけるTGF-β受容体の発現上昇は認められず、さらにTGF-β刺激によるシグナル伝達分子Smad2 のリン酸化はTNF-αにより亢進されなかった。以上からEMTにおけるTGF-βとTNF-αの協調作用はSmad2 のリン酸化よりも下流において起こっていることが示唆された。そこでTGF-βシグナルの標的遺伝子であるPAI-1の転写がTGF-βとTNF-αにより協調的に誘導されることがPAI-1プロモーター配列を有するレポーターを用いたルシフェラーゼアッセイならびに内因性PAI-1の発現を検討する定量的RT-PCRにより示された。この協調作用はやはりTGF-βシグナルの標的遺伝子であり、EMTを誘導する転写因子であるSnailの発現調節についても認められたが、Smad結合elementのみからなる9xCAGAレポーターやTNF-αシグナルに応答するNFкBレポーターでは見られなかった。以上のことから本研究におけるTGF-βとTNF-αの協調作用は、Smad経路についてはそのリン酸化による活性化段階では認められず、その下流で標的遺伝子の転写制御の段階までに起きていることが示唆された。またEMTを誘導する因子SnailのmRNAレベルの発現上昇に両者が協調的に働いていることが示唆された。

次に肺腺癌細胞株Lc2/adを用いてTNF-αのTGF-βによるEMTに対する作用につき、A549細胞と同様のことが観察されるか検討を行ったところ、細胞の形態変化について同様の促進作用が認められた。FibronectinのTGF-β単独刺激による発現誘導は明らかではなかったが、TNF-αにより有意に促進された。またN-cadherinの発現はTGF-β単独で誘導され、両者による促進は明らかではなかった。E-cadherinについては、TGF-β、TNF-α単独の刺激による発現抑制が、両者の投与により促進された。このLc2/ad細胞ではA549と異なりMesenchymal to epithelial transition (MET) の誘導因子TTF-1の発現が認められ、このTTF-1はE-cadherinの発現を誘導し、TTF-1自身はTGF-βによって発現抑制を受けることが報告されている。Snailに加えTTF-1の発現に対するTNF-αの作用を検討したところ、SnailについてはTGF-β単独で有意な発現上昇が認められないものの、TNF-αによって増強された。一方TTF-1についてはTGF-βのみならず TNF-αによっても発現が抑制された。

上記の観察から、RAW 264.7細胞から分泌されたTNF-αがTGF-βによるA549細胞のEMTを促進しているのではないかと考え、マウスTNF-αに対する中和抗体の効果についてRT-PCRにより遺伝子発現変化の検討をおこなった。コントロールのIgG抗体を加えた場合と比較して、TNF-α中和抗体を作用させた条件では、TGF-βによるN-cadherinやFibronectinの発現誘導がLPS前処理下に部分的に抑制された。TNF-α中和抗体による抑制が部分的であったことから、RAW 264.7細胞から分泌されるその他の炎症性サイトカインであるIL-1βとIL-6の発現をRT-PCRで検討した。その結果RAW 264.7細胞にIL-1β、IL-6 mRNAの発現が認められ、LPSで用量依存的に増強することが明らかとなった。そこでTNF-α、IL-1β、IL-6それぞれのTGF-βによるFibronectin、N-cadherin発現への影響を検討したところ、TNF-αと同様にIL-1βに発現促進作用があるのに対して、IL-6では促進作用が認められなかった。このためIL-1βについてTGF-βによるEMT誘導への影響の確認を行った。細胞の形態変化はTGF-β、IL-1βそれぞれ単独で誘導され、それは両者の刺激で促進された。蛋白発現ではTGF-βによるFibronectinの発現誘導とE-cadherinの発現抑制はIL-1βにより促進される傾向があった。

以上のことから、肺癌由来A549細胞におけるTGF-β誘導性のEMTとそれによる細胞運動能・浸潤能の亢進は、マクロファージRAW 264.7細胞の働きにより、さらに促進されることが明らかとなった。その機序の一つとしてRAW 264.7細胞から分泌されるTNF-αとIL-1βがTGF-βによる癌細胞のEMTを増強することが明らかとなった。今回得られた結果はあくまで培養細胞株を用いたin vitroの実験系で得られたものであり、実際の癌の悪性化におけるEMTを解明する目的においては限界があるものの、EMTの素過程の一端としてTGF-βと炎症性サイトカインの関係が明らかになったという点で意義が大きいと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は癌細胞の浸潤・転移過程において重要な役割を果たすと考えられている上皮間葉転換(EMT)に対するマクロファージ細胞の影響を明らかにするため、肺腺癌細胞株A549を用いて、TGF-βによるEMTの誘導にマクロファージ様RAW 264.7細胞が果たす役割を検討し、RAW 264.7細胞から分泌されるEMTを誘導する炎症性サイトカインを同定した上で、同定されたサイトカインとTGF-βの協調作用を説明する分子機構の解明を試み、この協調作用が他種の肺癌細胞株Lc2/adにおいて見出されるか検討した。これらの知見を得ることにより、マクロファージが肺癌細胞の悪性化において果たす役割の一端をin vitroレベルで明らかにすることを試みたもので、下記の結果を得ている。

1.A549細胞とRAW 264.7細胞の共培養の結果、TGF-β誘導性のA549細胞のEMTは、RAW 264.7細胞存在下で促進された。

2.TGF-βによるA549細胞の形態変化はRAW 264.7細胞の培養上清によって促進され、これはLPS添加によりわずかに増強された。RT-PCRによる検討では、培養上清によるFibronectinとN-cadherinのTGF-βとの協調的な発現誘導が観察された。こうした遺伝子発現変化は、蛋白レベルでも同様の傾向であった。以上のことから、RAW 264.7細胞由来の液性因子により、TGF-βによるA549 細胞のEMTにおける形態変化と、間葉系マーカーの発現が促進されることが示唆された。

3.RAW 264.7細胞からTNF-αが産生されており、その分泌量がLPSの用量依存的に有意に増加することをRT-PCRおよびELISAにて確認した。

4.TGF-β誘導性のEMTに対するTNF-αの作用に関して解析をした。A549細胞におけるTGF-βによる細胞の形態変化とN-cadherin、Fibronectinの発現上昇は、TNF-αを加えることにより亢進した。これらの結果は、mRNAおよび蛋白レベルで証明できた。

5.MMP-9やMMP-2の発現がTGF-βにより上昇し、それはTNF-αの共刺激によりさらに促進された。TGF-β単独刺激と比較してTNF-αの共刺激により細胞運動能の亢進が認められ、これはMMP阻害剤で抑制された。

6.A549細胞のTGF-βによるEMTに対するTNF-αの増強作用について、そのメカニズムの解析をしたところ、既報で示されていたTNF-αによるA549細胞におけるTGF-β受容体の発現上昇は認められず、さらにTGF-β刺激によるシグナル伝達分子Smad2 のリン酸化はTNF-αにより亢進されなかった。一方、TGF-βシグナルの標的遺伝子であるPAI-1の転写がTGF-βとTNF-αにより協調的に誘導されることがPAI-1プロモーター配列を有するレポーターを用いたルシフェラーゼアッセイならびに内因性PAI-1の発現を検討する定量的RT-PCRにより示された。この協調作用は、EMTを誘導する転写因子でTGF-βシグナルの標的遺伝子であるSnailの発現調節においても認められたが、この協調作用はSmad結合elementのみからなる9xCAGAレポーターやTNF-αシグナルに応答するNFкBレポーターでは見られなかった。以上のことから本論文におけるTGF-βとTNF-αの協調作用は、Smadのリン酸化による活性化段階では認められず、その下流で標的遺伝子の転写制御の段階までに起きていることが示唆された。またEMTを誘導する因子SnailのmRNAレベルの発現上昇に両者が協調的に働いていることが示唆された。

7.別の肺腺癌細胞株Lc2/adを用いてTNF-αのTGF-βによるEMTに対する作用につき検討を行い形態変化およびEMT関連マーカーに関してA549細胞と同様に促進効果を認めた。このLc2/ad細胞ではA549と異なりMesenchymal to epithelial transition (MET) の誘導因子TTF-1の発現が認められ、このTTF-1はE-cadherinの発現を誘導し、TTF-1自身はTGF-βによって発現抑制を受けることが報告されている。Snailに加えTTF-1の発現に対するTNF-αの作用を検討したところ、SnailについてはTGF-β単独で有意な発現上昇が認められないものの、TNF-αによって増強された。一方TTF-1についてはTGF-βのみならず TNF-αによっても発現が抑制された。

8.マウスTNF-α中和抗体を作用させたRAW 264.7細胞の培養上清では、A549細胞のTGF-βによるN-cadherinやFibronectinの発現誘導がLPS前処理下に部分的に抑制された。

TNF-α中和抗体による抑制が部分的であったことから、RAW 264.7細胞で発現するIL-1β、IL-6のTGF-βによるFibronectin、N-cadherin発現への影響を検討したところ、TNF-αと同様にIL-1βに発現促進作用認められ、IL-6では促進作用が認められなかった。

以上、本論文は肺癌細胞A549におけるTGF-β誘導性のEMTがマクロファージRAW 264.7細胞の働きによりさらに促進されることを明らかにした。その機序の一つとしてRAW 264.7細胞から分泌されるTNF-αとIL-1βがTGF-βによる癌細胞のEMTを増強することを示した。今回得られた結果はあくまで培養細胞株を用いたin vitroの実験系で限界があるものの、EMTの素過程の一端としてTGF-βと炎症性サイトカインの関係が明らかになったという点で意義があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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