学位論文要旨



No 126551
著者(漢字) 橋,絵里香
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,エリカ
標題(和) 老いていく個と福祉国家の民族誌 : フィンランドの高齢者生活にみる老年期と地域福祉の相互規定的生成
標題(洋)
報告番号 126551
報告番号 甲26551
学位授与日 2011.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1037号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 渡邊,日日
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 教授 川中子,義勝
 東京大学 准教授 名和,克郎
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、老いという現象を人類学的に記述し、解釈することを企図した論文である。老いが社会問題化しているという定型化した語り口の背景には、全体としての社会概念と、道徳としての「社会的なもの」の存在を称揚する発想が潜んでおり、それは社会福祉の実践者たちによって共有されている。だが、福祉国家の制度的不全によって、「社会的な」関係自体が達成目標として設定されるようになった現在、国家と社会、そして扶助の対象としての個々人は、どのような関係を築いているのだろうか。福祉国家はどのような社会・歴史的な背景において成立し、ローカルなバリエーションをもって展開しているのだろうか。

そこで、国家による福祉が国民の日常生活に対して果す役割の大きい社会民主主義体制下における老いと福祉の相互規定的関係を記述していくことで、人間がよりよく老いることをめぐる価値や目的をいかにして創造してきたのかを模索してきた。具体的には、フィンランドのある地方自治体、通称「群島町」における高齢者福祉の展開について、記述・分析した。

先行研究を検討した第1部では、第1章において「福祉社会論」と呼ばれる社会福祉学の議論について、初期人類学の理論的影響を分析した。現在の福祉社会論の理論的基礎となった3つの要素、すなわちノーマライゼション、ソーシャルワークと地域福祉論、連帯とボランタリズムという概念の生成過程において、マリノフスキー、ミード、モースという初期人類学者たちの理論が大きな影響を与えた。これらの人類学者たちは、「未開社会」と「自社会」の全体性というロジックを通じたすり替えを行うことで、自身の研究成果を自社会に対する提言へと繋げた。それこそが、近代的福祉国家の行き詰まりを予感する思想家たちに、福祉社会への転換の可能性を示唆したのであった。

第2章では、こうした「未開社会」と「自社会」の連結が、老いと福祉の人類学的研究においても受け継がれてきたことを検討した。特に初期の老年人類学は、「未開社会」における老いを記述的全体論の立場から描写しながら、その結果を道徳的に解釈することで、自社会での老いを批判してきた。また、自社会においても「老人の町」やナーシングホームといった外部社会との境界が明確に設定されるような対象について、共同体研究の形をとった民族誌を出版してきた。一方、人類学的福祉研究は、政策人類学の一種として、政策の執行者や執行結果の受給者といった当事者の経験・組織・文化を掘り下げてきた。これらの研究群の問題点は、伝統(社会)/近代(社会)という調査対象の二分、老い/福祉というテーマの分離にある。伝統社会における老いの全体論的記述を試みながら、近代の福祉制度に対して福祉社会という道徳的全体性の期待を寄せてきたのである。そうした経緯を踏まえて本稿は、これまで断片的な記述しか施されてこなかった「近代的」福祉制度の領域に対して、伝統的なモノグラフのスタイルをとること、老いと福祉をめぐる道徳的全体と記述的全体の相互作用に着目する「戦略的全体論」の立場をとることを宣言した。

続く第2部では、本稿の民族誌的背景について分析・紹介した。フィンランドの国家としての歴史的な歩みは、スウェーデン系フィンランド人に少数派言語集団としてのアイデンティティとフィンランド人としての国民意識を同時に確立させた。現在まで続くスウェーデン語話者の減少傾向により、スウェーデン系フィンランド人の集団としての危機意識が高まるなかで、言語集団間の「違い」を強調する語りは、ソーシャル・キャピタルに代表されるネットワーキングの緊密性に関する言説を生み出してきた。そうした状況は、スウェーデン語/フィンランド語の言語人口が拮抗する群島町においても、異なる説明体系に基づく差異の語りを生み出している。言語集団間の差異をめぐるポリティクスは、社会サービスの受給を特徴づける一つのファクターとなる一方で、異なる言語を用いる人々が同席する場の構造や、個々人のこれまでのライフコースや性格が、そのファクターの効力を増減させている。

さらに、群島町における社会サービスの供給に重要な役割を果たしているのが、福音ルーテル派教会の教区組織である。第4章では、北欧型福祉国家成立の土台となってきた教会の活動と、その役割の変遷を追った。ルシア祭の慈善活動に象徴されるように、今日の教会は北欧型福祉国家の普遍主義的サービス供給を補う活動を行っている。ただし、社会福祉とは本質的に選別と普遍の間で葛藤し、揺らぎ続ける存在である。また、ルシア祭のような催しが社会福祉の射程に入ること自体が、社会サービスの目標にQOLという曖昧な概念が含まれていることを意味するのであり、地域福祉システムの今日的な目標がどこに置かれているのかを問うべきであることが提案された。

第3部では群島町の社会福祉に関する民族誌的記述を行った。第5章では、地方自治体を完結したシステムとして機能させることを目指す福祉国家の方針と、地理的領域の物質的基体という社会形態学的な要因によって、群島町では老年期の地理的移動を含むライフコースが形成されていることを確認した。そのライフコースは社会サービスのフローでもあり、ケアワーカー間での「模倣」を通じたノウハウの共有と、高齢者・ボランティア・ケアワーカーを巻き込んだ互酬のサークルによって稼働している。さらに、これらの社会サービスは、老年期のライフコースにおけるそれぞれのステージで対面的コミュニケーションの機会を提供し、互酬の程度を活性化させているのである。

このように、社会制度によってライフコースを規定されながらも、個々人としての高齢者は、少しでも長く自立生活を維持せよという制度的命令と交渉しながら暮らしている。第6章では、近代的個人を構成する核となる「自立」という概念が、在宅介護の現場においてどのように解釈され、介入/不介入をめぐる折衝が繰り広げられているかを描写していった。そこから明らかになったのは、自立と依存は状態として明確に定義できるものではなく、社会福祉というシステムの内部で、人々の微細なやりとりの中から自立/依存が決定されているという事実である。北欧型福祉国家は、自立した個人を給付単位とし、そうした「個」にとって望ましい老後を想定している。だが、在宅介護の現場において展開される自立概念をめぐるやり取りは常に曖昧であり、個々に多様な地域福祉の利用経路が生まれているのである。

では、そうした自立をめぐるやりとりは高齢者自身の老いの知覚とどのように関連づけられるのだろうか。第3部の締め括りとなる第7章では、高齢者たちが寝食を共にする「年金生活者たちの合宿」に関する記述から、群島町の高齢者が、地域福祉のサービスフローの中でステップアップしていく利用者としての自己をどのように認識し、老いていくことと結びつけて理解しているかを問うていった。高齢者たちは互いを扶助し、合宿のプログラムへ積極的に参加することで、反転可能な能動/受動関係を結んでいた。そうした互酬性は、合宿に代表されるような様々な身体状況にある人々が生活を共にする過程で特に立ち現れてくる。そうした互酬的関係を通じて、人々は互いの中に未来の(/過去の/現在の)自己を見いだす。つまり、合宿における人々の能動/受動関係の転換していく過程こそが、その場・その瞬間を共有する人々にとっての「老い」というプロセス、その時間的連続性を行為遂行的に保証しているのである。そして、単線的なライフコースを人々に課する地域福祉システムもまた、実は老いの状況的相対性に依存している。社会に完璧な「弱者」は存在せず、誰もが他者に対するケア能力を保有しているという互酬可能性こそが、社会福祉を成り立たせているのである。

以上のような記述から、導き出された結論は以下のようなものである。

福祉国家としてのフィンランドは、社会と国家が連携し、個々人の生活に責任を持つという意味で北欧型福祉国家の典型でもある。だが同時に、少数派言語集団の問題や教会の大きな役割は、福祉国家フィンランドを他の北欧諸国から差異化している。地域福祉と地方分権化、群島町の地理的特徴もまた、群島町独自の地域福祉の配置へと帰結している。こうした協働する国家と社会に対し、扶助の対象となる個々人はどのように位置づけられるのだろうか。群島町における高齢者の自立の様態は、福祉国家によって規定された近代的個人の概念を反映している。だが、個々人の相互作用を通じた老いという過程への集合的展望こそが福祉国家の基盤となっているという意味で、国家・社会・個人という三者間での一方的な権力構造は回避されてもいる。確かに、国家の存在を前提とする社会福祉制度は、人間は「他者」をどのように遇するのかという問いに対する、近代的かつ集合的な解決方法である。しかし、他者の老いは自己の未来であること、他者の幼年時代は自己の過去であることこそが、社会福祉という制度を形作っているのである。

つまり、老いと福祉の相互規定性こそが、これまで他者性の問題として扱われてきた老いと社会福祉を、自己の問題として置き換えることを可能としているのである。主客の転換可能性は老いを社会福祉の文脈におくことで成立し、社会福祉の互酬的連帯もまたエイジングという過程において生まれる。表裏一体の存在としての老いと福祉の生成と、それを裏づける自己と他者の様態こそが、本稿の示そうとしてきたものであった。

審査要旨 要旨を表示する

高橋絵里香氏の論文「老いていく個と福祉国家の民族誌:フィンランドの高齢者生活にみる老年期と地域福祉の相互規定的生成」は,フィンランドの西南部の町,「群島町」(仮名)で行ったフィールドワーク(2002年5月から2004年1月までを主な調査期間とした計25ヶ月間)に基づいた,老いと福祉をめぐる民族誌である。また,老いが社会問題になっているという言説の背景に「社会的なもの」への称賛を見出し,その称賛を回避しながら如何に社会人類学が社会と国家(両者の強い結び付きとして立ち現れる「福祉国家」)を論じることが出来るのか,について考察する理論的営みでもある。

本論文は,序,第一部「老いと福祉の研究史」,第二部「群島町の『背景』」,第三部「老いと福祉の現場で」,終章,参考文献から成り立っている。

序では,老いをめぐる語り,及び福祉と社会概念との強い結び付きの問題が提起される。本論文の前提は,福祉国家フィンランドを理想的モデルとして見ることを留保すること,即ち価値判断を避けるような立ち位置である。

第一部の第1章「福祉<社会>と人類学:20世紀福祉思想にみるホリズム」では,社会福祉学の展開に於ける人類学の理論的影響が分析される。人類学者は「未開社会」と「自社会」とを,全体性の論理で併置した結果,前者を通じての後者への提言を可能とした,と指摘され,初期の人類学の方法論的枠組であった筈の全体性概念に,道徳論的負荷が課せられる論理的脈絡が描かれる。ここで著者が依拠するのは,記述の全体と道徳の全体のどちらにも絡め取られない「戦略的全体論」である。

第2章「老いと福祉の問題系:ナーシングホーム民族誌を中心に」では,人類学内部で行われてきた福祉研究が詳細かつ批判的に概観される。「未開社会」での老いの在り方が「自社会」に於ける福祉の在り方へとすぐさま接続される語法の問題点が明らかにされ,「未開社会」研究で威力を発揮した,長期のフィールドワークによる伝統的な民族誌の形態を取りつつも,「自社会」への鏡像とならない語法が模索される。

第二部の第3章「多言語社会と福祉国家」では,群島町の多言語状況(少数派としてスウェーデン系フィンランド人が存在する状況)と福祉サーヴィスの受給の差異,それへの当事者達(ソーシャル・キャピタル論を援用する現地の社会科学者を含む)の言説が分析される。群島町に見られるのは,言説のレベルで言語集団間の差異が強調されながらも,同時にそうした差異を内包しながらも,等しくサーヴィスを供給する社会空間としての福祉国家の理念である。

第4章「教会・国家・福祉」では,福祉国家の実践を支える福音ルーテル派教会の教区組織が考察される。教会の奉仕精神が比較的強く温存されたフィンランドでは,福祉国家は行政的設計でのみ成り立っているのではなく,教会の様々な社会活動によっても支えられており,このことは,政策的には曖昧な概念である筈の「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」が福祉の現場で息づいていることからも明らかだ,と著者は論じている。

第3部の第5章「群島町の福祉生活」では,議論の補助線としてデュルケーム社会学の一支柱である社会形態学の所見が導入され,所与の地方自治体を一つの全体的システムとする福祉国家の方向性と,老年期の地理的移動を含むライフコースが地域全体に於いて環状の如く空間的にまとまる現象とが合致し,模倣と互酬が群島町の社会性を条件付ける様相が示される。

第6章「自立のストラテジー」では,近代的個人の構成要素となっている「自立」という概念が,在宅介護の現場で如何に把握され,介入/不介入をめぐる折衝がケアワーカーと被介護者との間で繰り広げられているかが描写される。個人主義(家族に介護を要請せず,老年層に自立した個として生活することを求める思潮及び制度)が発達しているフィンランドでの自立概念の揺れが描写され,近代的個人の自己決定という発想が批判的に議論される。

第7章「老いを歩む」では,高齢者の「年金生活者たちの合宿」が詳細に記述され,地域福祉のサーヴィスの中で徐々に次の介護段階へ移る自己をどの様に認識し,自らの老いを関連付けているのかが分析されている。合宿に於いて高齢者は互いを扶助し,合宿のプログラムへ積極的に参加することで,反転可能な能動/受動関係を結んでいくこと,介護される自己/介護される他者が時系列で反転を繰り返していくことが,福祉国家を根底から構築する日常的相互作用だと論じられ,互酬原理による福祉社会が福祉国家へと自動的に拡張していくと主張される。

終章「老いと福祉の人類学」では,戦略的全体論の有効性を通して道徳的言説から離れることが宣言され,同時に,自己と他者との間で織りなされる予期と愛着によって老いと福祉が相互規定的な関係にあることが,主張されている。

本論文の学問的貢献は次の3点にある。第一に,しばしば福祉社会(国家)の理想的モデルと無批判的な眼差しを受けるフィンランドの福祉の実相を,フィールドワークに基づく資料や現地での分析的言説を通じて多面的に記述し,福祉が成立する固有の文脈を民族誌的に明らかにしたこと。第二に,各章の論点が互いに照射して本論文の全体が構築される様に,民族誌の記述を有機的に立体化したことにより,本論文が,長期の調査に基づく民族誌のモデルとしての可能性を持つこと。第三に,文化・社会人類学では看過されてきた社会的なものとしての福祉という立論を,民族誌記述および理論的批判を通じて説得的に打ち出したこと,である。

確かに,本論文にも問題点がないとはいえない。審査委員からは,本論文が暗示する文化相対主義的帰結や,自身は老いていないという執筆者の暗黙が持ちうる論理的不整合,戦略的全体論が価値判断から免れているか否か(その問題設定自体の是非も含め)などが問題とされた。だがこうした点は,本論文の価値を損なうものではなく今後の課題であり,本論文は文化・社会人類学への重要な貢献と判断された。

従って本審査委員会は,本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしい者と,全員一致で認定する。

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