学位論文要旨



No 126555
著者(漢字) 石黒,真希
著者(英字)
著者(カナ) イシグロ,マキ
標題(和) エノキタケのトランスクリプトーム配列データベースの構築とバイオマス変換酵素探索への応用
標題(洋)
報告番号 126555
報告番号 甲26555
学位授与日 2011.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3622号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 准教授 五十嵐,圭日子
 東京大学 准教授 和田,昌久
 農業・食品産業技術総合研究機構食品総合研究所 主任研究員 金子,哲
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

近年,石油資源の問題をめぐり,その代替資源としてのバイオマスの利用推進に関する研究開発が盛んに行われるようになり,特に未利用資源量が豊富なことから,農産残渣や林地残材を主体とするセルロース系バイオマスの利用拡大が期待されている。また一方で,一般にキノコと呼ばれる子実体を形成する担子菌は,自然界において枯れ木や倒木などを分解する分解者としての役割を担っており,木材をはじめとするセルロース系バイオマスを分解できる主要な生物と位置づけることができる。このような背景から,セルロース系バイオマスに対する分解能が高い担子菌の能力が注目されており,バイオマス変換利用の分野においても担子菌の分子生物学的・生化学的な情報の提供が求められている。このような要請により,すでにいくつかの菌種においてはゲノム全塩基配列が解読されているが,酵素検索における信頼性や発現酵素に対応した遺伝子情報の有効性を高めるためには,ゲノム情報よりも全転写産物(トランスクリプトーム)配列情報が有効であると考えられる。そこで本研究では,セルロース系バイオマス変換に有用と位置づけられる食用担子菌エノキタケFlammulina velutipesを対象として,セルロース系バイオマスとそれに関連した種々の基質を含むモデル培地において本菌を培養し,その菌糸体から得た全転写産物の配列情報をデータベース化した。さらに、このデータベースを利用して,セルロース培養系において生産されるエノキタケの菌体外酵素の網羅的な同定,また検出された酵素におけるcDNA配列の取得と組み換えタンパク質の発現生産を試み、その有用性を検証した。

第二章 セルロース系バイオマスのモデル培養系における トランスクリプトーム配列データベースの構築

エノキタケがセルロース系バイオマスにおいて生産する菌体外酵素の網羅的な解析に有効なツールを取得するため,本菌のトランスクリプトーム配列データベースを構築した。セルロース系バイオマスの分解に関連したタンパク質の転写産物を網羅的に回収するため,炭素源としてバイオマス粉末またはセルロースに多糖を混合した12種類の各培地においてエノキタケの振とう培養を行い,培養3日目の菌糸体から全RNAを抽出した。得られた全RNAからcDNAライブラリーを構築し,その全塩基配列を第二世代DNAシークエンサーにより決定した。その結果,総数486,043のリードから約10 Mb塩基のシークエンスデータが得られ,これをアセンブリした結果,平均364.9塩基のコンティグ20,756個から構成される総塩基長約7.6 Mbのトランスクリプトーム配列データベースが得られた。エノキタケのゲノムサイズは20~27 Mbとの報告があることから,全転写産物配列サイズは10 Mb程度と推測されるため,本データベースは十分な情報量を備えていることが考えられた。

第三章 セルロース培養系におけるエノキタケの全分泌タンパク質解析

セルロース培養系から得たエノキタケの菌体外タンパンク質を二次元電気泳動にて分離し,検出されたスポットについてトランスクリプトーム配列データベースを利用した同定を試み,それにより本データベースの有効性について検証した。全分泌タンパク質(セクレトーム)解析の結果,41個の全てのスポットにおいて対応するcDNA配列が帰属でき,このcDNA配列をNCBIサーバ上におけるBLASTX検索にかけたところ,41個中27個のスポットが糖質加水分解酵素(GH)や糖質エステラーゼ,糖質酸化酵素などの糖質分解関連酵素と同定された。さらに,リグニン分解に関与する酵素や糖質結合ドメインを有する機能未知タンパク質も同定されるなど,本データベースが菌体外酵素の網羅的同定に対して十分な情報量を備えており,データベースとしての有効性が検証された。

第四章 トランスクリプトーム配列データベースの菌体外酵素解析への利用

利用例1 GHファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼIの同定とクローニング

トランスクリプトーム配列データベースを利用したエノキタケ菌体外酵素解析の実証例1として,セルロース培養系においてエノキタケが生産するGHファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼI(Cel7)の同定を試みた。エノキタケのセルロース培養系からp-ニトロフェニル-β-D-ラクトシドに対して分解活性を示す2種のセルラーゼを精製し,エドマン分解法によって得られた両酵素の部分アミノ酸配列を本データベースに対してTBLASTN検索にかけた。その結果,両酵素は互いに異なる配列を有するCel7と同定され,それぞれをFvCel7A,FvCel7Bと命名した。さらに、それぞれのCel7が帰属されたコンティグ配列から特異的配列プライマーを設計してCel7をコードするcDNA全長配列のクローニングを行い,アミノ酸配列を推定した。

利用例2 GHファミリー6セロビオヒドロラーゼIIのクローニングと組換え酵素の生産

本データベースを利用したエノキタケ菌体外酵素解析の実証例2として,セクレトーム解析によって同定されたGHファミリー6に属するセロビオヒドロラーゼII(Cel6)のcDNAクローニングと酵母発現系による組換え酵素の生産を試みた。セクレトーム解析からMASCOT検索によって得られたCel6と相同するコンティグ配列をもとに遺伝子特異的プライマーを設計し,Cel6をコードするcDNAの全長配列をクローニングした(FvCel6)。取得したFvCel6の配列をタンパク質発現用ベクターに導入し,酵母菌Pichia pastorisの形質転換により,組換えFvCel6を発現生産させた。

利用例3 GHファミリー51 α-L-アラビノフラノシダーゼのクローニングと組換え酵素の生産

本データベースを利用したエノキタケ菌体外酵素解析の実証例3として,生産量の少ない菌体外酵素のcDNA全長クローニングおよび組換え酵素の生産を試みた。p-ニトロフェニル-α-L-アラビノフラノシドに対する分解活性を指標に,エノキタケの培養上清のカラムクロマトグラフィーによって部分精製した活性画分を二次元電気泳動に供した。分離されたタンパク質スポットをLC-MS/MS解析に供し,本データベースに対してMASCOT検索を行った結果,GHファミリー51に属するα-アラビノフラノシダーゼ(FvAraf51)と相同するコンティグ配列を取得した。次に,遺伝子特異的プライマーによりFvAraf51のcDNA全長配列をクローニングし、さらにPichia酵母を用いて組み換えFvAraf51を発現生産させた。

第五章 総括

本研究では,セルロース系バイオマスに関連した種々の基質においてエノキタケを培養し,その菌糸体から得た全転写産物の配列情報をデータベース化することに成功した。また、これを利用したセクレトーム解析では,エノキタケがセルロース培養系において生産するタンパク質の網羅的な同定が可能であることを示した。その結果から,各酵素に特異的なプライマー設計が可能となり,これにより同定した酵素におけるcDNAの全長クローニングとPichia酵母による組み換え酵素生産へ発展させることに成功した。したがって、トランスクリプトーム配列データベースを構築することにより、セクレトーム解析をはじめとした菌体外酵素の同定や酵素遺伝子の配列情報が取得でき,さらなるタンパク質の同定や組換え酵素の発現生産など多面的な応用が可能であることを示した。したがって,エノキタケの生物機能を利用した生化学的・分子生物学的なバイオマス変換研究推進のためのプラットホームが構築できた。

審査要旨 要旨を表示する

近年、石油資源の利活用を取り巻く資源枯渇問題、二酸化炭素排出削減課題、さらに資源確保に絡む安全保障問題など様々な観点から、その代替資源としてのバイオマスの利用推進が強く望まれてきている。その中で、資源量が豊富なセルロース系バイオマスの利用拡大が特に注目されているが、一方で、そのためには多くの技術革新も必要とされている。木材腐朽に関わる担子菌類は自然界におけるセルロース系バイオマスの分解者として主要な生物と位置づけることができる。したがって、このような担子菌が有する生物機能をバイオマス変換技術開発の中で活用していくことは非常に理にかなったことであり、そのための基礎として、担子菌がバイオマス分解のために生産する酵素やその産生遺伝子に関する情報を網羅的に取得することが重要となる。このような要請により、すでにいくつかの菌種においては全ゲノム塩基配列が解読されているが、酵素検索における信頼性や発現生産された酵素に対応した遺伝子情報の有効性を高めるためには、ゲノム情報よりもむしろ全転写産物(トランスクリプトーム)配列情報の取得が重要であると考えられる。このような背景から、本研究では、食用きのこ生産菌として現場での栽培経験が多く、また種々のセルロース系バイオマス原料に対して広く適応能力を有する担子菌エノキタケFlammulina velutipesを対象として、セルロース系バイオマス分解過程で発現する遺伝子のトランスクリプトーム配列情報をデータベース化することを試みた。さらに、セルロース培養系において生産されるエノキタケの菌体外酵素の網羅的な同定、また検出されたバイオマス変換酵素に対するcDNA全長配列の取得と組換え酵素の発現生産などへのデータベースの応用性について検証を行った。

本研究においては、まずエノキタケがセルロース系バイオマスにおいて生産する菌体外酵素の網羅的な解析に有効なツールを取得するため、本菌のトランスクリプトーム配列データベースを構築した。セルロース系バイオマス12種類から得たバイオマス粉末、精製したセルロースあるいはヘミセルロースをそれぞれ炭素源とする培地においてエノキタケを培養後、菌糸体から全RNAを抽出した。得られた全RNAからcDNAライブラリーを構築し、ロッシュ社の第二世代DNAシークエンサーを用いて総数486,043のリードから約10 Mb相当の塩基配列情報を取得した。これをアセンブリし、平均364.9塩基のコンティグ20,756個から構成される総塩基長約7.6 Mbのトランスクリプトーム配列データベースを構築した。

次に、エノキタケのセルロース培養系から得た菌体外液を二次元電気泳動にて分離し、そこで検出されたバイオマス変換酵素についてトランスクリプトーム配列データベースを利用して網羅的に解析することを試みた。その結果、電気泳動ゲルから抽出した41個のスポットすべてがデータベース上のcDNA配列と対応させることが出来た。また、このcDNA配列をNCBIサーバ上でBLASTX検索に供すると、41個中27個のスポットが糖質加水分解酵素(GH)や糖質エステラーゼ、糖質酸化酵素などの糖質分解関連酵素として帰属することが可能であった。さらに、それ以外の酵素としては、リグニン分解に関与する酵素や糖質結合ドメインを有する機能未知タンパク質などが含まれていた。以上のことから、本データベースが菌体外酵素の網羅的解析に対して十分な情報量を備えていることが確認された。

さらに、構築されたトランスクリプトーム配列データベースの個々のバイオマス変換酵素のクローニングならびに組換え酵素生産などの活用性について検証を行った。その例として、まずエノキタケのセルロース培養系からp-ニトロフェニル-β-D-ラクトシドに対して分解活性を示す酵素として精製された2種のセルラーゼの同定を試みた。その結果、それぞれ異なるアミノ酸配列を有するGHファミリー7に属する酵素であると同定された。次に、二次元電気泳動ならびにトランスクリプトーム配列データベース解析によって同定されたGHファミリー6に属する酵素(Cel6)について、構築されたデータベース上で相同する配列に基づき遺伝子特異的プライマーを設計し、Cel6をコードするcDNAの全長配列をクローニングした。また、取得したCel6遺伝子をタンパク質発現用ベクターに導入し、酵母菌Pichia pastorisの形質転換により組換え酵素として発現生産した。さらに、生産量の少ない菌体外酵素のcDNA全長クローニングおよび組換え酵素の生産について、α-アラビノフラノシダーゼを例に取り上げ、構築されたデータベースの有用性を検証した。すなわち、p-ニトロフェニル-α-L-アラビノフラノシドに対する分解活性を指標にエノキタケの培養上清のカラムクロマトグラフィーによって部分精製した活性画分を二次元電気泳動に供し、これにより分離されたタンパク質スポットからGHファミリー51に属するα-アラビノフラノシダーゼに対応するコンティグ配列を取得した。その結果に基づき、遺伝子特異的プライマーによりcDNA全長配列をクローニングし、さらにPichia酵母を用いて活性を有する組換え酵素を発現生産させた。

このように、本研究では、エノキタケからセルロース系バイオマス変換酵素の網羅的解析ならびに取得に資するトランスクリプトーム配列情報データベースを構築することに成功した。また、これにより同定された酵素についてデータベース上の配列情報を利用することで、対応する遺伝子のcDNA全長クローニングとPichia酵母による組み換え酵素生産を容易に行うことが可能であることを実証した。以上、本研究により、エノキタケの生物機能をバイオマス変換利用するための生化学的および分子生物学的プラットフォームの構築ができたと評価でき、このことは学術上、応用上貢献することが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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