学位論文要旨



No 126557
著者(漢字) 酒井,すみれ
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,スミレ
標題(和) 里山で繁殖するサシバ(Butastur indicus)の資源利用の時空間変化に関する研究
標題(洋)
報告番号 126557
報告番号 甲26557
学位授与日 2011.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3624号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,廣芳
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 准教授 石田,健
 東邦大学 教授 長谷川,雅美
 岩手大学 講師 東,淳樹
内容要旨 要旨を表示する

近年、人間活動により世界各地の生態系が急激に改変されている。特に農地は陸地の4分の1を占め、農地環境に生息する生物の個体数や多様性の減少が世界的な問題となっている。日本の伝統的な農地である里山では、水田、水路、林、草地といった複数の環境が入り組み、空間異質性が高く、生物多様性が高いことが知られている。しかし、近年の農地管理方法の変化や耕作放棄により生物多様性が低下しており、里山の生物の保全が緊急の課題となっている。里山の生物の保全には、空間異質性の高い景観構造と個体レベルの行動をつなげるメカニズムの解明が必要である。

サシバ(Butastur indicus)は、近年急速に個体数が減少している猛禽類で、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されている。里山の象徴種として知られ、里山の中では水田と林が入り組む環境で繁殖密度が高いことがわかっている。水田と林はサシバの営巣場所と採食場所として好適な環境を提供していると考えられ、特に水田環境の変化や水田と林の組み合わせの低下が、採食場所の質の低下につながり、繁殖密度の低下の主要因となっていることが示唆されてきた。採食場所の質は繁殖成功を通じて、サシバの個体群動態にも影響しうる重要な要素である。しかしながら、サシバによる景観利用、資源利用と資源供給のメカニズムについては詳しく分かっていない。本研究では、里山で繁殖するサシバの資源利用とそれを支える資源供給のメカニズムを明らかにすることにより、サシバの採食場所保全のありかたを提言することを目的とした。

まず、繁殖期全期にわたって繁殖つがいの採食行動を調べ、採食環境と採食内容の時間空間変化を明らかにした。サシバの繁殖密度が高い里山環境において、2001年と2002年の2年間、繁殖期の4月から7月にかけて、5つがいを対象に野外調査を行った。捕獲地点の季節変化と、捕獲地点ごとに捕獲する資源内容についてのベイズモデルを作成し、Markov Chain Monte Carlo(MCMC)法を用いてパラメーターを推定した。その結果、採食地点については、水田の利用が4月にもっと多く、7月にかけて減少していき、畦の利用は5月に最も多くなり、草地・畑の利用が6月に多かった。そして、林の利用は6月から7月にかけて急激に増加していた。植生タイプごとの捕獲内容のモデルの結果では、水田で、カエルと小型哺乳類がよく捕獲されていた。また、畦や草地・畑では、カエルと小型哺乳類、トカゲ、ヘビ、昆虫と多様な資源が捕獲され、林では昆虫とカエルがよく捕獲されていた。4月から7月の繁殖期を通して、サシバは里山のほぼすべての環境を利用し、水田から林へと採食場所をシフトしながら、カエル類から昆虫へと食物を変化させていることが明らかになった。

次に、サシバによる資源利用の時間変化の詳細を親鳥が巣に持ち込む食物内容から明らかにした。2002年と2004年の2回の繁殖シーズンに、3つがいを対象に約1ヶ月間調査を行い(のべ6つがい)、育雛期間の6月に親鳥が巣に持ち込む資源内容をCCDカメラで記録した(のべ2415時間)。巣に持ち込まれる資源のタイプを、地上性カエル(トウキョウダルマガエル、アカガエル)、樹上性カエル(ニホンアマガエル、シュレーゲルアオガエル)、大型カエル(アズマヒキガエル)、不明カエル、ヘビ、トカゲ、小型哺乳類、昆虫類、その他・不明と区分して、多項ロジットモデルを用いて解析した。その結果、それぞれの資源を持ち込む確率が季節変化していることが明らかになった。巣に持ち込む資源内容は、6月の育雛期間中に、地上性のカエル類が上旬に多く、6月末にかけて減少した。同様に、ヘビ、トカゲ等の持ち込み内容も減少していた。一方、6月の後半にかけて昆虫の増加が顕著になり、樹上性のカエルも増加していた。

さらに、サシバの行動圏内の資源の分布変化を解明した。資源分布の変化がサシバの捕獲内容の季節変化の主要因と思われるためである。サシバが採食内容を大きく変化させる6月(2004年)に、3つがいの繁殖行動圏内で、畦と草地、林でカエル(トウキョウダルマガエル、アカガエル類、樹上性カエル)とヘビの相対密度を調べ、林で大型の昆虫幼虫(ヤママユガ科の幼虫)の相対密度の変化を調査した。そして一般化線形混合モデルを用いて、それぞれの資源分布が、季節や植生タイプで異なるか調べた。その結果、トウキョウダルマガエルの個体数が、6月初旬は水田面の畦に多く、6月から7月にかけて顕著に減少していることが判明した。また、アカガエルの相対密度は6月から7月に増加していた。ただし、トウキョウダルマガエルの相対密度と比較すると、アカガエルの相対密度と変動はわずかであった。一方、樹上性カエルの相対密度は季節や植生タイプで違いが見られなかった。林では、6月にヤママユガ科の幼体の相対密度が顕著に増加していることがわかった。水田面では、6月から7月にかけて地上性カエル類とヘビの相対密度が減少し、林では6月に昆虫のバイオマスが急増した。この傾向は、サシバが育雛期間中に巣に持ち込む資源内容の変化、つまり地上性カエル、ヘビの持ち込み数の減少、昆虫の増加とよく対応していることが明らかになった。

最後に、こうしたサシバの資源の分布量が、広域的にどのような要因によって影響されているのかを明らかにした。具体的には、サシバの食物のうち、特に水田管理の影響を受けやすいカエル類の個体数が、景観要素(水田と林の組み合わせの有無)、水路の形状、景観要素間のつながりによってどのように影響されているのかを調べた。サシバが巣に持ち込んだカエルは季節によっても異なっていたため、特定のカエルの密度だけではなく、複数のカエルがバランスよく生息していることも重要であると考えられる。このため、バランスを考慮する値としてカエルの種多様度(Simpson多様度指数・Shannon多様度指数)に影響する要因も検討した。調査地は、水田と林の組み合わせが異なる広域を対象にし、水路護岸がされている環境とそうでない環境を含むように調査地点を選定した。複数の種を同時に評価しやすくするため、上陸後のカエル幼体個体数対象に調査を行った。各地点で約300mのセンサスラインを2本ずつとり、2006年、2007年の6月下旬から7月、7月下旬から8月の2回のセンサスのうち最大値を解析に用いた。各カエル分類の相対密度と多様度指数を目的変数として一般化線形混合モデルを用いて解析を行った。個体数、多様度を説明する固定効果として、水田に隣接する林の有無、水田と林のつながり指数、水路タイプ、水路登りやすさ指数を入れたモデルをそれぞれ作成し、どのモデルの説明力が高いか検討した。その結果、トウキョウダルマガエルの個体数は、水田と林のコネクションが高いほど多く、水路が登りやすいほど多いことが分かった。また、アカガエルの個体数は水田と林の連結性が高いほど多く、水田の両側に位置する水路タイプが水路護岸されている場所ほど少なかった。さらに樹上性カエルでは、水田と林の組み合わせが高いほど、個体数が多いが、水田と林の連結性が高い場所では個体数が低かった。多様度指数では林との連結性が高いほど値が大きかった。カエル類の生息にとって、水田と林の組み合わせだけではなく、その連結性が維持されていることが重要であることがわかった。

本研究から、里山は、サシバが繁殖期を通して、採食場所を変えながら、多様な資源を得ることのできる場所であることが判明した。サシバが資源を大きくシフトする6月には、水田面の地上性カエルやヘビのバイオマスが減少し、林で昆虫のバイオマスが増加しており、サシバの資源シフトの主要因は資源分布の時空間変化であると考えられる。サシバの行動圏内に水田と林があることにより、カエル類の資源が減少した時期に、ほかの資源を得ることができ、林と水田両方を必要とするカエル類の多様性も高い。林がなく水田のみの場合は、繁殖期後半の昆虫類が得られないばかりか、4月から6月のカエル密度も低下し、サシバが繁殖期前半にも充分な資源が得られないことが推測される。水田と林の組み合わせがあることにより、資源の潜在的なバイオマス自体も多くなり、複数の環境を利用して効率よく資源を得ることを可能となっていると思われる。また本研究でカエル類の多様性に水田と林の組み合わせだけでなく、その間の連結性が重要であることも明らかになった。水路護岸により、水路自体が改変されると環境間の移動が出来なくなり、サシバの主要な資源であるカエル類が減少する。カエル類が減少すれば上位捕食者のヘビ類も減少するだろう。さらに、水田自体が維持されないと、カエルの産卵ができず、カエル個体群の維持が出来なくなり、サシバの採食場所の質も低下すると思われる。サシバの保全のためには、水田と林の組み合わせを維持しつつ、水田と林の連結性を維持することが必要である。農業従事者の高齢化により放棄田も増加しているため、管理しやすく、かつ生物の移動を可能とする水路を開発していくことも必要である。本研究で得られた知見は、サシバの保全だけでなく、カエルをはじめとする里山の生態系全体の保全を考える上でも重要である。

審査要旨 要旨を表示する

日本の伝統的な農地である里山は、水田、水路、林、草地などの複数の環境が入り組んだ空間異質性の高い環境であり、生物多様性が高いことで注目されている。しかし、近年の農地管理方法の変化や耕作放棄により生物多様性が低下しており、里山の生物の保全が緊急の課題となっている。里山の生物の保全には、空間異質性の高い景観構造と個体レベルの行動をつなげるメカニズムの解明が必要である。

サシバ(Butastur indicus)は、近年急速に個体数が減少している猛禽類で、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されている。里山の象徴種として知られ、中でも水田と林が入り組む環境で繁殖密度が高いことがわかっている。水田と林はサシバの営巣場所と採食場所として好適な環境を提供していると考えられてきたが、サシバの採食における景観利用、資源利用と資源供給のメカニズムについては分かっていなかった。本研究では、里山で繁殖するサシバの資源利用とそれを支える資源供給のメカニズムを明らかにすることにより、サシバの採食場所保全のありかたを提言することを目的とした。

まず、サシバの繁殖密度が高い里山環境において、採食時の捕獲地点と捕獲内容の時間空間変化を明らかにした。捕獲地点の季節変化と、植生タイプごとの捕獲内容についてのベイズモデルを作成し、パラメーターを推定した。その結果、水田から畦へ、その後、草地・畑、そして林へと繁殖期を通して採食場所をシフトしながら、カエル類から昆虫へと食物を変化させていることが明らかになった。カエルと昆虫以外では特にヘビやトカゲ類、小型哺乳類などの多様な資源を捕食していた。

次に、サシバによる資源利用の時間変化の詳細を明らかにするため、育雛期間の6月に親鳥が巣に持ち込む食物内容をビデオカメラで撮影した。多項ロジットモデルを用いて解析を行った結果、食物内容に季節変化があることが明らかになった。巣に持ち込む資源内容は、トウキョウダルマガエルやアカガエルといった地上性のカエル類とヘビ、トカゲが6月上旬に多く、6月末にかけて減少していた。一方、6月の後半にかけて昆虫の増加が顕著になり、樹上性のカエルも増加していくことが明らかになった。

さらに、サシバの行動圏内の資源分布の変化を解明した。資源分布の変化がサシバの捕獲内容の季節変化の主要因と思われるためである。サシバが採食内容を大きく変化させる6月から7月に、畦と草地、林でカエル類とヘビの相対密度を調べ、林で大型のチョウ目幼虫の相対密度の変化を調査した。その結果、水田面では、6月から7月にかけて地上性カエル類とヘビの相対密度が減少し、林では6月に昆虫のバイオマスが急増していることが明らかになった。この傾向は、サシバが育雛期間中に巣に持ち込む食物内容の変化とよく対応しおり、サシバは資源量に対応して捕獲地点と捕獲内容を変えていることが明らかになった。

最後に、サシバの主な食物資源量が、景観要素(水田と林の組み合わせの有無)、水路の形状、景観要素間のつながりによってどのように影響されているのかを調べた。特に景観構造の影響を受けやすいカエル類を対象に調査した結果、地上性のカエル類の個体数と、カエル類の多様度に水田と林の組み合わせだけでなく、その連結性が維持されていることが重要であることが明らかになった。

本研究から、サシバの行動圏内に水田と林の組み合わせがあることにより、1)サシバが採食場所を変えながら多様な資源を得られること、2)カエル類が減少した時期に林で増加する昆虫を得ることができること、3)さらに水田と林の連結性が維持されることにより、地上性カエルの資源量やカエルの多様度も多いこと、が明らかになった。水路護岸により、水路自体が改変されると環境間の移動ができなくなり、サシバの主要な資源であるカエル類が減少する。カエル類が減少すれば上位捕食者のヘビ類も減少するだろう。サシバの保全のためには、水田と林の組み合わせを維持しつつ、水田と林の連結性を維持することが必要である。そのためには生物の移動を可能とする水路を工夫していくことが必要である。本研究で得られた知見は、サシバの保全だけでなく、カエルをはじめとする里山の生態系全体の保全を考える上でも重要である。

以上より、本研究は、里山における希少猛禽類サシバの資源利用とそれを支える資源供給の仕組を解明し、里山生態系の保全のあり方について考察した重要な研究と考えられる。したがって、本研究は基礎、応用両面から学術上貢献するところが大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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