No | 126567 | |
著者(漢字) | 源治,尚久 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ゲンジ,タカヒサ | |
標題(和) | ノルゾアンタミンの生物機能と生産生物の解明 | |
標題(洋) | Biological Function of Norzoanthamine and Elucidation of the Production Organisms | |
報告番号 | 126567 | |
報告番号 | 甲26567 | |
学位授与日 | 2011.03.04 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5594号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 生物活性を有する海洋動物由来天然物の多くがその保有動物の生体防御に何らかの形で関与しているとされ、同時にこれらの多くがその保有動物ではなく微生物によって産生されていると考えられている。よってこれら海洋動物と海洋天然物産生微生物の間にはこうした天然物を介した共生関係が存在すると推察できる。しかし多くの場合にこれらは推察の域を出ず、単離・構造決定された海洋天然物の数と比較して、それらの生態系での機能、海洋動物内の産生生物、生合成機構などが実験的な裏付けを伴い解明された例は稀である。 奄美大島産スナギンチャクZoanthus sp. (Fig. 1) から単離された海産アルカロイド、ノルゾアンタミン (1)もこれを保有する動物における意義が不明確な海洋天然物の一つである。これまでに1の生物活性としてインターロイキン6産生阻害や閉経後骨粗鬆症モデルマウスの骨重量・骨強度減少抑制が報告されている。しかしながら骨を持たない刺胞動物であるスナギンチャクにこれらの活性が有用であるとは考えにくい。よって1にはスナギンチャク内において別の生物機能があると筆者は考えた。スナギンチャクは1をその湿重量に対して0.19% (= 約 4mmol/kg)と、コレステロールに匹敵する量を含有している。また近年発見された多くの海洋天然物と異なり1には毒性が認められないため、通常想定されるような摂食阻害などの生体防御には関与していないと考えられる。さらにその構造から界面活性剤や色素として機能することは考え難い。これらの背景から1のスナギンチャクZoanthus sp.における生物機能の解明に取り組んだ。 天然物の生物機能とはその天然物保有生物にとっての役割を指し、その化合物としての性質と適切な生体内分布によって初めて発揮される。つまり1に関してこれらの解明が生物機能解明への必要条件となる。 1. スナギンチャクZoanthus sp.内におけるノルゾアンタミンの分布 一般に海洋天然物の保有生物内分布が調べられた例は少ない。これは天然物を抽出した時点で位置情報が失われることに起因する。これまでに報告されている海洋天然物の保有動物内分布の調査例の多くは保有動物を組織毎に切り分け、各組織抽出液中の対象天然物含有量を定量する方法や組織片の抗体染色などである。しかし2-3mm の個体が群体として造礁サンゴ上に張り付いて生息しているスナギンチャク Zoanthus sp. の解剖による組織片取得は特殊技術を要する。また抗体染色を行う場合、塩基性化合物1の中性水溶液への拡散、抗体作製の手間や低分子化合物認識の特異性の低さが問題になる。そこで凍結乾燥したスナギンチャクを用い、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸をレーザー光吸収媒体であるマトリックスに用いた MALDI MSにより1が容易に検出できることを利用し、その切片から直接1の分子イオンピークを半定量的に観測した。その結果1またはゾアンタミンの分子イオンピークを切片上から直接観測することができた (Fig. 2A-C)。また垂直方向に切断したスナギンチャク切片を同様に測定し、その写真と重ね合わせたところ表皮周辺組織に1の分子イオンピークが多く観測された (Fig. 3A-E)。一般に分子イオンピーク強度はイオン化効率に影響され、本実験の場合は不均一系である生物切片上ではレーザー照射位置によりそれが変化すると考えられるため、分子イオンピーク強度と存在量には厳密な相関があるわけではない。そこで各切片中の1含有量を別途抽出液のHPLCクロマトグラム上でのUV吸収強度で定量したところ、表皮周辺組織の割合が多い切片により多くの1が含まれていた (Fig. 3F)。これらの結果より1はスナギンチャク内で表皮周辺組織に局在していることが示された。また目的天然物のイオン化効率に左右される可能性はあるものの、切片の MALDI MS 測定による天然物の同時多成分 in situ 分析が可能であることが示された。 2. ノルゾアンタミンの性質 1はスナギンチャク内で4mM 以上の高濃度で存在し中性水溶液に対する溶解性はこれ程高くないことから、同様に生体内の高濃度で存在する成分である脂質二重膜やタンパク質などと親和性があると考えた。これらを確認するために生体膜モデルとしてDPPCリポソーム、およびタンパク質として生体内に大量に存在する水溶性タンパク質の代表例の一つであるアルブミンと1の親和性を飽和移動差1H-NMRの手法を用いてそれぞれから1への飽和移動を観測したところ、リポソームからの飽和移動は観測されず、アルブミンからは観測された (Fig. 4)。さらに1は性質の異なる数種類のペプチド全てのUV (Fig. 5) またはCD吸収を変化させること、単純なペプチド鎖であるGly-Gly-Gly-OHの1H-NMRスペクトルを変化させることから、その性質としてペプチド鎖と親和性があることが示された。 3. ノルゾアンタミンのスナギンチャクでの生物機能 表皮周辺組織に局在していることとペプチド鎖と親和性があるという化合物としての性質より、1はスナギンチャク内で表皮周辺組織構成タンパク質に吸着していると考えられる。よってそのスナギンチャク内での役割として外的刺激からの保護組織である表皮の機能を強化していると考察した。そこで体組織構成主要タンパク質であるコラーゲンに1存在下で紫外線照射したところ、その分解が抑制された (Fig. 6A)。この効果は同様の吸光団を持つメシチルオキシド (2)を添加しても観測されなかった (Fig. 6B) ことから紫外線吸収または消光によるものではない。生体内分布と合わせて考察すると、スナギンチャク内では表皮周辺組織構成タンパク質の分解を抑制することで体内外要因からスナギンチャクを保護する機能があると推察できる。 4. スナギンチャクZoanthus sp. からのゾアンタミン類産生菌の単離 底棲無脊椎動物由来生理活性天然物の生産は多くの場合共生微生物に由来すると推察されておりポリケチド由来と推定される1でも同様に考えられているが、これまでに直接的に証明された例は少なく、海洋天然物全体で数例報告されているのみである。1の生物内分布・生物機能を示すことができたことから、さらにスナギンチャクと1の関係を体系的に理解することを目的にスナギンチャク共生微生物を探索した。スナギンチャク表面を70%エタノールで殺菌した後に体表を切開し緩衝液に浸漬した。この緩衝液を一定量寒天培地に塗布し30℃にて培養したところ、Aspergillus fumigatusと同定されたカビが非常に高い頻度で観測された。形成されたコロニー数から概算するとスナギンチャク湿重量1 gあたり少なくとも 29,000 cells含有している。この数字はこのカビがスナギンチャクと共生関係にあることを強く示唆している。これを単離、液体培地で培養後、菌体抽出液をLC-MSにて分析したところ、1と同じ保持時間に同じ分子量に相当する分子イオンピークが観測され (Fig. 7)、これを前駆イオンとして ESI MS/MS 分析したところ解裂様式を含めて1と一致した (Fig. 8)。またこのカビの他に4種類の微生物コロニーが単離できたが、これらに関しては再現性がなく、その培養抽出物中に1と同じ分子イオンピークを与える化合物を確認することはできなかった。また[1-13C] 標識酢酸ナトリウム添加培地で培養したカビの抽出液中に含まれる1のMSスペクトルでは、その同位体分子イオンピーク であるm/z 482 + 1と482 + 2 の強度の割合がそれぞれ35%から42%、7%から15%へ増加した。[1-13C] 標識酢酸が1に取り込まれたことは、これが確かに培養により生産されていることを示す。この結果より1がスナギンチャクの共生菌によって産生されていることを直接的に示すことができた。 結論 海洋天然物として初めてMALDI MSを用いたその保有動物内分布図作成が可能であることを示した。その結果1はスナギンチャク内で表皮周辺組織に局在していることを示した。また1はペプチド鎖に親和性を有することをCD、NMRなどにより明らかにした。さらに1共存下ではペプチド鎖が化学的に安定化することを示し、保有動物内分布と合わせ、1の生物機能はスナギンチャクの表皮周辺組織構成タンパク質の安定化、およびそれを分解する体内外要因からの保護と考察した。またスナギンチャク共生菌を単離しこれによる1の生産を、培養抽出液の各種MS測定と[1-13C] 標識酢酸ナトリウム取り込み実験により確認した。この結果は保有動物と産生微生物の海洋天然物を経由した関係を直接的に示すことができた数少ない例の一つである。スナギンチャクと菌の間に、スナギンチャクは菌に住処を供給し菌はスナギンチャクにとって有用である1を提供する、という海洋天然物を介した共生関係成立の可能性を実験的に示すことができたと考えている。 Fig. 1. スナギンチャクZoanthus sp Fig. 2. スナギンチャクZoanthus sp.切片上での分子イオンピーク観測箇所 (A)分子イオンピーク (B) 1の分子イオンピーク(C) ゾアンタミンの分子イオンピーク Fig. 3. スナギンチャクZoanthus sp.切片上でのノルゾアンタミンの分子イオンピークの分布と切片抽出液中におけるノルゾアンタミンの相対量(レーザー照射範囲を一辺 1mm の正方形で囲み、分子イオンピークが観測された箇所を黒色表示した) Fig. 4. (A) 1の1H-NMRスペクトル (B) DPPCリポソーム添加時の1の飽和移動差NMRスペクトル (C) アルブミン添加時の1の飽和移動差NMRスペクトル Fig. 5. 1存在下でのGly-Leu-OHのUVスペクトル Fig. 6. 紫外線照射後のSDS-PAGE図 (A) 1添加緩衝液 (B) 2添加緩衝液 Fig. 7. LC-MSクロマトグラム (A) 1 (B) 菌抽出液 Fig. 8. MS/MS スペクトル (A) 1 (B) 菌抽出液 | |
審査要旨 | 海洋生物、特に付着性無脊椎動物は陸上生物とは異なる多くの天然有機化合物を保有することが知られるが、それらの生態系での役割はストして捕食、感染または寄生に対する防御とされているが、その実験的根拠は希薄であり、真の生産者が明らかにされた例は少ない。本論文は、このうち腔腸動物スナギンチャクに多量に保有される炭素29または30原子と窒素1原子からなるアルカロイドと呼ばれる天然有機化合物であるゾアンタミン類(下図)に関して、化学および生物学での多様な実験手法を駆使することによる結果に基づき以下の知見を得たことを報告している。 本論文は3部に分けられた9章からなる本論、研究結果の概要を述べた第4部、これに基づく考察を述べた第5部、追試可能である実験の詳細が記述された第6部(手法)と第7部(取得データ)、および参考文献の記載された第8部からなる。 第1~4章からなる第1部では本研究の背景と意義が述べられている。上述したゾアンタミン類は種々の生物活性試験により上記した生体防御での効果は薄いと思われている一方で、このうちノルゾアンタミンが卵巣摘出による骨粗鬆症モデルマウスにおいて、骨重量の増大作用が認められることが報告されている。一方で保有生物であるスナギンチャクは骨を持たない無脊椎動物であることから、この生物が何を目的にこれらの化合物を多量に含有するかという生態的役割を調べるという本研究の目的が詳細に記されており、本研究の位置付けが明確になっている。 第5~7章からなる第2部ではゾアンタミン類のスナギンチャク個体内の分布を、組織を細断しその低分子化合物の含有を数10マイクロmの距離分解能でマス・マッピングと呼ばれる最新の質量分析手法を用いて調べた結果、および円二色性スペクトルと核磁気共鳴によるこれらゾアンタミン類と血清アルブミンやコラーゲンなどの動物での代表的タンパク質との分子認識の観測に基づき、この化合物がスナギンチャクの主要タンパク質であるコラーゲンを保護しているという考察が提案されていおり、コラーゲンの劣化を抑制するという実験的根拠が記されている。 さらに第8~9章からなる第3部では、天然有機化合物のうちこれらの化合物が動物は生産していないとされるポリケチド類と推定されることより、その真の生産生物を調べるべく本生物での共生微生物を探索した結果、スナギンチャクの主たる共生微生物と想定されるカビAspergillus fumigatusを単離し、このカビの培養によるゾアンタミン類の生産を発見した経緯が記されている。 以上、本論文の研究報告内容は、海洋生態における低分子化合物の役割の一端を示唆し、この分野にて今後の新しい研究方向の指針を与えるべき萌芽的研究内容と判断されるものであることが、審査委員全員の賛同にて認められた。 なお、本研究は橘和夫、福沢世傑による一部の立案と助言により行われたが、実験計画の設計、および結果の解析と考察は論文提出者によるものであり、その寄与は十分であると判断できる。 従って、本論文提出者である源治尚久は、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。 | |
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