学位論文要旨



No 126568
著者(漢字) 片山,健太
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ケンタ
標題(和) シロイヌナズナを用いたカルジオリピンの機能に関する研究
標題(洋) Studies on the function of cardiolipin in Arabidopsis thaliana
報告番号 126568
報告番号 甲26568
学位授与日 2011.03.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5595号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 和田,元
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 中野,明彦
内容要旨 要旨を表示する

生体膜は、生体内の空間を区画化する。細胞膜は細胞の内と外とを区分し、それが生命の物理的存在要件となる。また、チラコイド膜やミトコンドリア内膜といった、細胞膜以外の生体膜も、区画化により呼吸や光合成など種々の酵素反応が進行する根本的な基盤となる。このように、生体膜による空間の区画化は、生命を形作る上で最も重要なプロセスの一つである。そのため、生体膜の構造は時空間的に厳密に制御され、直接的に何らかの機能を実現していると推測される。しかし、生体膜は多くの生命現象を支えるため、その機能の喪失が広範囲にわたる副次的影響をもたらすことや、多数の分子が会合した複雑な超分子構造体であることなどから、その構造と機能には不明瞭な点が多い。とりわけ、生体膜構造の中心をなす生体膜脂質は、単一の脂質でも膜は構成可能であるのに、膜ごとに異なる脂質組成が維持されており、このような生体膜脂質の多様性が果たす主要な役割を解明することは極めて重要である。

本研究では、真正細菌及び動植物のミトコンドリアの膜に約10%含まれ、それらの生体膜脂質組成を特徴づけるリン脂質であるカルジオリピン(CL)に注目した。これまでに、CLは多くの生物から生化学的に精製された様々なミトコンドリアのタンパク質、例えば、呼吸鎖複合体1、IIIやATP/ADP輸送体などのinvitroでの活性に不可欠であることが示されてきた。だが、大腸菌および出芽酵母のCL欠損株は野生型と比べて生育が劣るものの、生存可能であった。さらに、出芽酵母のCL欠損株は、通常の培地だけでなく、生育に呼吸が不可欠な非発酵培地でも十分生育することが示された。これらの結果は、invivoでは、CLなしでも呼吸鎖複合体の活性がほとんど損なわれない環境が存在することを意味している。すなわち、脂質のinvivoにおける機能は、invitroでの実験結果からは推測不能であったといえる。しかし一方で、欠損変異体の表現型のみを基にした生体膜脂質の機能推定にも問題がある。例えば、CL欠損変異株では、呼吸鎖複合体の超分子複合体の構造や、哺乳動物培養細胞におけるアポトーシス過程、ミトコンドリアDNAの維持、浸透圧調節機構などに様々な異常が発見されている。しかし、このような異常の発見は、そもそも非常に限定された研究者の着目の範囲内に留まることが多い。そのため、欠損変異体が全体として致死的ではないとはいえ、多数存在しているに違いない、副次的異常を見ているにすぎず、普遍的な脂質の機能の理解にはつながらないとの批判がある。なるべく研究者の主観が入り込むのを避け、時代を経ても定見となるようなCLの主要な機能を、より早く発見するために、本研究では多細胞生物であるシロイヌナズナを用いて、CL合成変異体を作出し、その異常を発見するとともに、野生株における組織やオルガネラの特殊化した機能を個体内で比較することで、より広範囲な視野から、実際にはどのような場面でCLが機能し、どのような役割を果たしているかを推定することを目的に研究を行った。

1.CL合成変異体の確立

多細胞生物であるシロイヌナズナにおいてCL合成変異体を作出するため、私は修士課程において、ゲノム探索と隠れマルコフモデルで記述されたモチーフ部分を用いた系統樹の作成から、既知CL合成酵素遺伝子と相同性がある唯一のシロイヌナズナの遺伝子At4g04870に注目した。そして、大腸菌内でこの遺伝子を発現させることで、多細胞生物で初めて、真核生物型のCL合成酵素をコードする遺伝子CLSを発見した。そこで、博士課程ではさらにこの遺伝子の欠損変異体clSの作出を目指した。シロイヌナズナ種子のストックセンターであるABRCから、T-DNA挿入による遺伝子破壊株のclsおよびcls-2を取り寄せ、T-DNAの挿入を確認した(以下、cls-1とcls-2に共通する事項はclsと略記)。

当初、シロイヌナズナに特化した栽培用具であるArasystemを用いて通常条件で生育した場合、ヘテロ変異体CLS/clsを自家受粉させて得られた種子からホモ変異体cls/clsは得られず、CLS/CLS:CLS/clsの分離比は約1:2であった。また、CLS/clsを自家受粉させた果実中には約1/4の割合で萎縮した種子が見られた。さらに、植物には存在しない外来の誘導物質(エストロゲン)に応じてCLSを発現することが可能なベクターであるpER8:CLSを導入した株では、ゲノム上の元々のCLSについて、CLS/CLS:CLS/cls:cls/clsの分離比が約1:2:1となることから、CLS遺伝子欠損変異体clsは胚性致死であると考えた。

そこで次に、CLS/clsを自家受粉させた果実中でcls/clsが胚発生過程のどの段階で死に至るのかを、顕微鏡を用いてより詳細に観察した。その結果、cls/clsと推定される成長の遅い胚が胚発生を停止する時期は、心臓型胚から成熟胚まで様々で、果実や個体の状況によって大きく異なるように見えた。だが、顕微鏡観察時には生育遅延のみがcls/clsを判断する基準であったため、明確な答えを出すことができなかった。しかし同時期、YFPによってミトコンドリアを可視化し、胚発生過程の観察時にミトコンドリアの大きさを共に確認することでcls/clsと推定される胚をより明確に特定する技術を開発した。そこで、invitro胚培養系(SauerandFriml,2004)を活用し、cls/clsを培養したところ、cls/clsは特定の段階で発生を停止せずに培養できることを発見した。それらの結果を踏まえ、親株であるCLS/clsの栽培条件に様々な変更を加えた結果、(1)栽培する土の量を増やす、(2)連続光で栽培する、(3)頂芽優勢を長期に維持するため、頂芽に支柱をつける、(4)種子回収時に果実中の種子の萎縮を確認する、(5)なるべく頂芽から早期に得られた果実の種子を回収する、などに注意すると、cls/clsの種子を得ることができた。以上の結果から、cls/clsでは胚発生が非常に遅く進行するために、二次的な効果(多段階の不良種子除去機構)によって通常は種子が得られないものの、cls/clsの胚自体に発生能がない訳ではなく、親株の環境次第では発生可能であることがわかった。また、植物でよく研究されている呼吸鎖の変異体は雄性不稔となるが、cls/clsはそれらと異なることがわかった。こうして得られたcls/clsは、その後も生育が著しく遅いものの、次世代の種子まで得られた。次に、それらの変異株のCL量を、[33P]Piを用いて長時間ラベルした試料から脂質を抽出することで測定した。その結果、変異体では確かにCL量が減少していることが確認できた。

2.多細胞生物としてのCLSの機能解析

序論で述べた通り、多細胞生物の組織におけるCLSの機能を踏まえることで、CLが主としてどのような機能を果たすかを推定したい。そこで、まず、CLSの発現をプロモーターGUS法を用いて解析した。通常、CLは細胞機能の維持に重要な因子と考えられるため、構成的発現、あるいは細胞分裂に応じた発現が予測できる。あるいは、ミトコンドリアでの呼吸が活発な花粉でも強く発現すると予測された。解析の結果、CLSはcls/clsにおいて発生の著しく遅かった胚発生段階や維管束、気孔孔辺細胞、主根のコルメラ細胞などで強く発現していることがわかった。これらの結果は、マイクロアレイによる網羅的解析の結果でも支持されている。この中で、特に主根に注目すると、根における細胞分裂活性や呼吸活性は静止中心より基部側で高いものの、コルメラ細胞は根の伸長に重要であることが知られている。cls変異体においても根の伸びは顕著に低下しており、コルメラ細胞が何らかの特殊で重要な機能を果たしていると推定した。そこで、CL量が外来のエストロゲン量で制御できるcls-2/cls-2pER8:CLSの根端を観察すると、CLの誘導前後でコルメラ細胞の形態が特に変化していた。興味深いことに、主根のコルメラ細胞では、呼吸活性の低いミトコンドリアが非常に数多く観察された。他のCLSの発現の高い組織でも、ミトコンドリアの形態が特殊であった。一方、cls変異体におけミトコンドリアをYFPあるいは電子顕微鏡で観察すると、ミトコンドリアの動きは維持されているものの、巨大なミトコンドリアが見られた。CLはミトコンドリア内膜でその含量が多いことが知られるが、電子顕微鏡による観察ではミトコンドリア内膜の量が減少しているようには見えない。これらのことから、CLはミトコンドリア内膜、あるいは外膜の形態形成に重要な役割を果たすが、単に生体膜の面積を広げるために必要とされているのではなく、分裂や融合などといった局所的に必要となる機能に重要な役割を果たしていると推測できる。

まとめ

本研究では、多細胞生物であるシロイヌナズナを用いて、CL合成変異体を作出することに成功した。CL合成変異体では生育異常の他に、ミトコンドリア形態の異常があることを発見した。野生型における多細胞生物の組織間の比較からも、CLSの発現部位とミトコンドリアの形態が変化している箇所は似ており、単なる変異体における機能欠損より広範囲な視野から推定したCLの機能として、ミトコンドリア形態の制御があげられることを発見した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章は、イントロダクションであり、生体膜の構成成分である脂質の重要性、脂質の構造と生合成、ミトコンドリアに局在する脂質であるカルジオリピン(CL)の生合成と機能、本研究の目的について述べられている。第2章は、CLの機能を解明するために行われたシロイヌナズナからのCL合成酵素遺伝子の同定が記述されている。隠れマルコフモデルを用いた曖昧なモチーフ配列の推定を利用し、脂質合成酵素によく見られるCDP-アルコールボスホトランスフェラーゼモチーフを持つアミノ酸配列を系統樹上で分類することにより、シロイヌナズナのCL合成酵素遺伝子CLSを同定することに成功した。同定したCLSを大腸菌のCL合成欠損株において発現させると、真核生物型のCL合成酵素活性が見られることから、CLSが確かにCL合成酵素をコードしていることが示された。これは、多細胞生物からCL合成酵素の遺伝子を同定した最初の例として高く評価される。

第3章では、CLS遺伝子が破壊されたシロイヌナズナのT-DNAタグラインを用いたCLSの機能解析について記述されている。CLS遺伝子にT-DNAが挿入された2つのcls変異株(cls-1,cls-2)について、表現型を解析することでCLSの機能を解析した。cls変異株では通常栽培条件下において胚の発生が途中で停止することが観察されたため、胚性致死であると考えられたが、胚をin vitroで培養したところ、自家受粉させたCLS/clsの果実中の全ての胚が完成胚にまで成長した。そのため、親であるCLS/cls変異体の栽培法を検討し、通常の栽培法では得られないcls/clsの個体を得ることに成功した。分離したcls/clsは、胚発生や根の伸張が遅延し、子葉における維管束パターンの乱れや植物体の成長の遅延が見られるなどの表現型が観察された.これらの表現型はcls-1に比べてcls-2でより顕著に現れた。このcls「2変異体に外来エストラジオールによって発現が誘導されるプロモーターとCLSのcDNAを繋いだキメラ遺伝子pER8:CLSを導入すると、表現型の回復が見られた。これらの結果から、CLS遺伝子が植物における胚の発生や形態形成において重要な機能を担っていることが示された。これまで、CL合成酵素の遺伝子が破壊された植物体や動物体は報告されておらず、この研究において初めて個体レベルにおけるCL合成酵素遺伝子の重要性が示された。

第4章では、cls変異体のCL合成能が低下しているかどうかを調べ、cls変異株の表現型がCL合成能とリンクしているかどうかを解析した。まず、変異体の芽生えを[33P]Piを用いてラベルすることで、CL合成能を調べた。その結果、CLの合成能は、WT,cls-1/cls-1,cls-2/cls-2の順に低下し、pER8:CLSをcls-2に導入した株では、根の伸長が外来エストラジオール濃度依存的に回復した。また、この株のカルスではエストラジオールの投与によりCL量が上昇し、CL合成酵素活性は、誘導後急激に上昇した。これらの結果は、CLSがCL合成酵素活性を介してCL量を制御可能であり、CLが植物の成長や形態形成において重要な機能を担っていることを示している。次に、野生株と変異株においてミトコンドリアをYFPで可視化して形態を観察したところ、cls変異株の細胞には巨大化したミトコンドリアが存在することが見出され、電子顕微鏡によってもその存在が確認された。また、エストラジオールによってCLSの発現を誘導した変異株のカルスでは、エストラジオールの誘導に伴いミトコンドリア数が増加し、ミトコンドリアの形態が正常となった。これらの結果は、CLがミトコンドリアの形態維持において重要な機能を担っていることを示している。これまで、CLがミトコンドリアの形態の維持に関わっていることを報告した例はなく、この研究によって初めてCLがミトコンドリアの形態維持に関わっていることが明らかとなった。

第5章では、本研究によって明らかとなったCLの機能がまとめられている。本研究は、CLが植物において発生やミトコンドリアの形態維持において重要な機能を担っていることを初めて明らかにし、この研究による成果は、植物科学の分野に大きく貢献するものである。

なお、本論文の第2章は桜井勇・和田元、第3章は和田元、第4章は棚橋沙由理・永田典子・HanaAkbari・MargritFrentzen・和田元との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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