学位論文要旨



No 126570
著者(漢字) 渡邊,太朗
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,タロウ
標題(和) ウナギにおける硫酸イオン調節機構に関する生理学的研究 : 腎臓における調節を中心として
標題(洋) Physiological studies on sulfate regulation in the eel : with special reference to renal regulation
報告番号 126570
報告番号 甲26570
学位授与日 2011.03.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5597号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 准教授 平良,眞規
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京工業大学 教授 広瀬,茂久
 東京医科歯科大学 准教授 内田,信一
内容要旨 要旨を表示する

背景

硫酸イオン(SO42-)は軟骨形成や粘液産生、および生合成経路などに関与する重要な2 価イオンであり、脊椎動物を通じてほぼ一定の血漿濃度(0.5~1mM)に保たれている。SO42-が希薄な陸上や淡水(<0.5mM)では、腎臓による保持機構が発達していることが示唆されている。淡水環境における魚類のSO42-保持に関する適応戦略の特殊な例として、ウナギが高い血漿SO42-濃度を保つという現象が報告されている。一方、海水で生活する魚類は常に多量のSO42-(30mM)に曝されており、腎臓の近位尿細管からSO42-を初めとする2 価イオンの排出を積極的に行うことが示唆されている。しかし、海水環境におけるSO42-の個体レベルにおける収支、およびその分子・輸送体レベルでの排出機構についてはまだ明らになっておらず、さらにSO42-の調節を保持(淡水)から排出(海水)に切り替える機構に関してもまだ明らかではない。本研究では、体液調節機構を切り替えて淡水と海水のいずれの環境でも生活可能な広塩性魚類に着目した。広塩性魚類はSO42-調節を環境に応じて切り替えていると考えられ、同一種で異なる現象を比較できる利点は大きいと考えたためである。実際、淡水と海水それぞれに馴致したウナギ、シロザケ、ティラピアの血漿SO42-濃度を測定すると、淡水ウナギ(~6mM)を除くいずれの魚種でも他の脊椎動物と同等の低い(~1mM)値を示した。すなわち、ウナギは低SO42-環境(淡水)と高SO42-環境(海水)において、他の広塩性魚類よりもはるかに大きなSO42-調節の切り替えをおこなっていると考えられる。さらにウナギは外科手術に強く、個体レベルの生理学実験を行えるため、分子生物学的データとの統合を図ることも可能である。そこで本研究では、ウナギをモデル動物として、SO42-調節機構を生理学的に解明することを試みた。

第1章 海水ウナギにおけるS O 42 -の調節機構

1-a . S O 42 -の個体レベルの収支

まず初めに海水と淡水に馴致したウナギの血漿SO42-濃度を測定したところ、海水ウナギでは他の海産真骨類と同様に1mM 未満であったが、淡水ウナギでは他の淡水真骨類とは異なり6mMを超えていた。すなわち、ウナギは海水環境では、他の魚種と同様に血漿SO42-を低く保っていることがわかる。そこでウナギの血管にカニュレーションを施し、35SO42-を用いて無麻酔下で体内外のSO42-の収支を詳細に調べた。その結果、海水ウナギは淡水ウナギの10 倍のSO42-が流入すること、および食道結紮群との比較から、環境中のSO42-の流入経路は飲んだ海水を吸収している腸ではなく、85%以上が体表(鰓)であることが明らかになった。一方、血中に35SO42-を投与して排出経路を調べたところ、投与直後から尿中の35S 濃度が急増し、投与後1 時間では排出される血中35SO42-の95%以上を尿が占めていた。一方、投与後3~6 時間から腸内容液及び環境水中の35S 濃度が増加したが、これは35SO42-が代謝産物に取り込まれたためと予想し、陰イオン交換樹脂によりイオン性35SO42-の分離を試みた。すると、尿では85%が吸着されたが、腸内容液(33%)や環境水(10%)の吸着率は低かった。したがって、海水ウナギの体表から侵入するSO42-は、腎臓だけではなく体表(鰓・皮膚)や消化管からも含硫代謝産物(おそらく粘液)として排出されることがわかった。以上の結果から、腎臓がイオン性SO42-の排出器官であり、その調節が淡水と海水で大きく変化することがわかった。

1-b . 腎臓におけるS O 42 -排出に関わる輸送体とその局在

ウナギにおける淡水と海水での調節機構の切り替えを詳細に調べるため、淡水から海水への移行にともなう体液中のSO42-濃度や腎臓における排出の経時変化を測定した。その結果、血漿SO42-濃度は移行1日目に変化がみられなかったが、3日目には有意に減少し1 週間で海水レベルで安定した。尿SO42-濃度は1 日目に急激に上昇した後、3 日目以降に減少し、海水よりも高い濃度で安定した。一方、腸内液中のSO42-濃度は血漿や尿ほど大きな変化が見られなかった。この結果から、SO42-調節は3 日目を境として海水型に切り替わることが示唆された。次に本研究で同定されたSlc26a2を加えた7種のSO42-輸送体遺伝子(Slc13a1、Slc26a1~3、Slc26a6a~6c)の経時的な発現変化を調べたところ、移行後3 日目に再吸収特異的なlc13a1 の発現が消失し、新たにSlc26a6a が腎臓で特異的に発現することがわかった。この結果は、放射性35SO42-を用いた実験から得られたSO42-排出器官としての腎臓の重要性を支持する。また、海水で発現量が変化した輸送体の免疫染色による観察から、海水ウナギではSlc26a6a が近位尿細管の管腔側に,Slc26a1 が基底膜側に局在していることを明らかにした。他魚種において、Slc26a6a が近位尿細管管腔側に局在することが確認されており、lc26a1 が淡水ウナギの腎臓でSO42-の輸送に関与することが示唆されている。これらの結果から、海水ウナギの腎臓の管腔側にはSlc26a6a が局在し、基底膜側に存在するSlc26a1と共にSO42-排出に関与していることが示唆された。しかし、隣接切片による観察から、Slc26a1とSlc26a6aは同一の細胞に共局在していないことが明らかになった。このことから、それぞれの輸送体において対となるSO42-輸送体の存在が示唆された。

第2章 淡水と海水におけるS O 42 -調節の切り替えを担う因子の同定

前述したように、広塩性魚類は環境に応じてSO42-調節機構を切り替えている。しかし、生活史における環境中の極端なSO42-の濃度変化は水中に限られるため、もっとも研究が進んでいる陸上哺乳類においても、切り替え機構に関する知見はない。そこで、海水中に含まれるイオンや浸透圧が切り替えの因子であると仮定し、海水に含まれるイオンでSO42-調節を排出型に切り替えるものを調べた。その結果,海水と同濃度のSO42-、Mg2+、Ca2+を含む溶液では切り替えが見られず、海水に高濃度に含まれるSO42-が切り替え因子ではないことがわかった。一方50mM(海水の10%相当)のNaCl 溶液中に移すと、血漿SO42-濃度の減少、尿中SO42-濃度の上昇、および海水型輸送体遺伝子の発現が観察された。さらに、Na+とCl-のみを含む溶液中への移行実験から、Na+とCl-が共存することが必要で、またCl-が主要なイオンでありNa+が補助的に関与することで切り替えを引き起こしていることがわかった。さらに血漿Cl-濃度と血漿SO42-濃度に強い負の相関がみられ、環境水中のNaCl 濃度と血漿Cl-濃度に正の相関が観察されたが、Cl-のみを含む環境水では正の相関が見られなかったことから、環境水中のCl-取り込みに対してNa+が必要であると考えられる。これは、外部環境中のNa+とCl-を受容して切り替えを生じさせるのではなく、血中Cl-濃度の増加が切り替えを生じさせる因子である可能性を示す。そこで、淡水ウナギの血中にCl-を含む溶液を注入したところ、陽イオンの種類を問わず、血中Cl-濃度が増加した群において排出型輸送体の遺伝子発現が観察された。このことから、環境水中のNa+とCl-が血漿Cl-濃度を上昇させた結果、腎臓のSO42-輸送体を海水型に切り替え、SO42-を排出していると考えられる。海水中では体液よりも周囲のCl-濃度が高いため、体内にCl-が浸入し、血中Cl-濃度を増加させることが知られている。そのため、他の海水魚においても血漿Cl-濃度がSO42-調節に重要と考えられる。

結論

本研究により、私は淡水と海水によく適応するウナギを用いて、個体レベルの生理学実験、分子生物学的手法や形態学的手法を用いて、次の実験結果を得ることにより高SO42-環境である海水中で低い血漿SO42-濃度を保つ機構を明らかにした(下図)。すなわち、1)海水中で鰓から浸入するSO42-は主に腎臓から積極的に排出されること、2)血漿SO42-濃度の減少と海水型(SO42-排出型)腎臓への切り替えが海水移行後3日以内に起こること、3)海水移行後3日で排出型SO42-輸送体であるSlc26a6a 遺伝子の発現が腎臓で上昇し、吸収型Slc13a1 遺伝子の発現が減少すること、4)Slc26a6a が近位尿細管の管腔膜側にSlc26a1 が基底膜側に存在すること、5)Slc26a6aとSlc26a1は同一細胞ではなく異なる近位尿細管分節に存在すること、6)海水中に含まれるイオンのうち50mM 以上のCl-とNa+が海水型への切り替えを惹起すること、7)環境水中のCl-とNa+がCl-の取り込みを促進し、その結果血漿Cl-濃度が上昇して切り替えのスイッチを押すこと、を明らかにした。本研究は、イオン環境の変化がどのような経路を通じて体内のイオン調節系を切り替えているかを初めて明らかにした実験であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

・ 本論文の基本構成は、Abstract, General Introduction、Chapter 1A, Chapter 1B、Chapter 2、およびGeneral Discussionの6部からなる。本論文の特色および新規性は、(1)淡水と海水双方によく適応するウナギを実験動物に用いたことで,硫酸イオン(SO42-)調節機構の切り替えという現象を見出した、(2)35SO42-を用いたトレーサー実験により、海水中の35SO42-の詳細な出入の機構を明らかにし,腎臓の重要性を定量的に解析した、(3)海水適応に必要なSO42-輸送体遺伝子の同定に成功し,従来の予想とは異なる新たな輸送体分子の腎臓における局在パターンを見出した、(4)SO42-調節を切り替える環境因子とその作用機構を脊椎動物全体で初めて明らかにした、ことにある.

SO42-は軟骨形成など多くの生命活動に関与する重要な2価イオンであり,脊椎動物ではほぼ一定の血漿濃度(~1mM)に保たれている.SO42-が希薄な淡水(<0.5mM)では保持機構が発達し,逆に高濃度のSO42-(30mM)を含む海水では排出機構が発達している。特にウナギなどの広塩性魚類は環境に応じ正反対のSO42-調節機構をおこなっているが,環境における調節機構はまだ全く分かっていないのが現状であった.本研究は,広塩性魚におけるSO42-調節機構とその切り替えに関して、分子から個体にいたる様々な手法を用いて生理学的に解明している.

まずChapter 1Aにおいて、広塩性魚であるウナギ、ティラピア、シロサケの血漿SO42-濃度を淡水と海水に適応した個体で比較して、ウナギが最も劇的に海水において血漿濃度を下げる能力を持つことを明らかにした。そこで個体レベルのSO42-収支を詳細に調べるため35SO42-を用いてSO42-の出入りを定量的に調べ、SO42-の流入の85%が体表(鰓)を経由し,流出の97%が腎臓によることを明らかにした.

Chapter 1Bでは、淡水と海水に適応したウナギのSO42-輸送体遺伝子の発現を器官別に詳細に比較して,2つの輸送体(Slc13a1とSlc26a6a)の発現が腎臓において顕著に切り替わることを明らかにした.そこで,ウナギを淡水から海水に移したのちの体液中のSO42-濃度や腎臓におけるSO42-輸送体遺伝子の発現変化を経時的に調べ、海水移行3日目以降に海水型へ切り替わることを明らかにした.また,免疫染色により,腎臓におけるSO42-輸送体は近位尿細管に集中しており,Slc26a6a、Slc26a6b, Slc26a6cおよびSlc26a1は近位尿細管の異なる分節の上皮細胞の管腔側と血液側に局在することを発見した。さらに、それら輸送体タンパク質の量と局在が淡水と海水で変化していることを明らかにした.

Chapter 2では,SO42-調節を淡水型から海水型に切り替える因子を調べた.切り替えをもたらすトリガーは海水中のイオンであると予想し、様々なイオン溶液でウナギを飼育した結果,SO42-ではなく,わずか50mMのNaCl溶液(海水は約450mM)が淡水型から海水型に切り替えることを明らかにした.しかもNa+とCl-を独立に含む溶液で飼育した実験から,Na+とCl-は同時に存在しなければ切り替えは起こらず,また,Na+がCl-の機能を補助していることを見つけた.血漿SO42-濃度は血漿Cl-濃度と強い負の相関がみられたため、淡水ウナギの血液中にCl-溶液を注入したところ,海水型に特徴的なSO42-輸送体遺伝子が発現した.そこで、環境中のCl-はNa+の助けを借りて血液中に取り込まれると予想して、Na+とCl-の共輸送体(NCC)の阻害剤を加えたNaCl溶液で飼育したところ,排出型輸送体の発現は大きく減少した.以上の結果より,SO42-調節機構を海水型に切り替える因子は血中Cl-濃度の上昇であり,それは外界のNa+とCl-がNCCを経て取り込まれることによることを明らかにした。

なお、本論文の実験は全て論文提出者本人が行い分析したものであり、本論文の全ての研究において論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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