学位論文要旨



No 126581
著者(漢字) 米倉,佑貴
著者(英字)
著者(カナ) ヨネクラ,ユウキ
標題(和) 日本における「慢性疾患セルフマネジメントプログラム」の効果の非無作為化比較試験による検討 : 傾向スコアによる調整法を用いて
標題(洋)
報告番号 126581
報告番号 甲26581
学位授与日 2011.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3577号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 准教授 松山,裕
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

慢性疾患患者が疾患によってもたらされる問題に適切に対処し,病ある生活を管理するために教育的アプローチは重要な介入の一つである.患者自身が治療を実行できるようにその方法を指導するのが患者教育である.慢性疾患の治療は疾患によって異なるため,患者教育では疾患特異的な情報と療養技術を提供してきた.近年このような疾患の管理を目指した患者教育を補完するものとして,慢性疾患患者の病いの経験を踏まえた疾患を持つ生活の管理を目指したセルフマネジメント教育が登場してきた.このセルフマネジメント教育のうち,教育の提供主体として患者自身を活用する慢性疾患セルフマネジメントプログラム(Chronic Disease Self-Management Program: CDSMP) が注目を集めている.CDSMPは現在では世界22カ国で提供されており,先行する海外の評価研究では,疲労,息切れ,痛み,日常動作制限度等の身体的状態の改善に加えて,健康状態の自己評価,健康状態に対する悩み,抑うつ,社会役割制限度,心理的well-beingなどの心理社会的な健康状態の改善,有酸素運動実施時間,認知的症状対処法の実行度等のセルフマネジメント行動の増加,救急外来利用回数,入院日数などの医療サービス利用の減少,健康問題に対処する自己効力感の向上などの効果が報告されている.CDSMPの受講によってこれらの効果が発現する理論的モデルはBanduraの自己効力感理論に基づいている.まず,プログラムで提供される様々な自己管理技法の知識と方法を身につけるとともに,プログラムの進行過程で自己効力感が向上することにより行動変容が促されそれにより健康状態が改善するという行動変容型の教育プログラムのメカニズムである.この行動変容型プログラムのメカニズムに加え,より重要な効果発現のメカニズムとして,自己効力感そのものが健康状態に影響することが挙げられている.

我が国では2005年にプログラム実施のためのリーダーの養成が始まり,日本語版教材(リーダー用マニュアル,参考書)が作成・導入され,プログラムの提供が始まった.現在は特定非営利活動法人日本慢性疾患セルフマネジメント協会(以下,協会と表記する)がCDSMPを提供している.2009年12月の時点で,73回のワークショップが提供され,685名が受講している.

我が国においても先行する海外の評価研究と同様にCDSMP受講による様々な効果,特にセルフマネジメント行動の増加や心理社会的な健康状態の改善が期待される.2007年5月までの受講者に対する調査の結果,前後比較デザインではあるもののCDSMP受講前後で,健康問題に対処する自己効力感,健康状態の自己評価,症状への認知的対処実行度,健康状態についての悩み,日常生活充実度評価といった多くの指標で肯定的な変化が認められている.しかし,前後比較デザインによる効果の評価では介入効果の推定には限界が残るため,プログラムを受講しない対照群を設けたデザインによる評価が望まれる.

以上を踏まえて本研究では我が国におけるCDSMPの効果を検討することを目的とした.効果の検討にあたっては,我が国では疾患別に受講者のリクルートを行わず様々な慢性疾患患者を対象にプログラムを提供していることを考慮し,比較的疾患横断的に必要とされると考えられる対処技術の向上とそれに伴う心理社会的状態に対する効果に注目することとした.

対象と方法

本研究では研究デザインとして非無作為化比較試験デザインを採用した.調査は介入群として2008年4月から2009年7月までにCDSMP受講を開始した者すべて(230名)に質問紙への回答を依頼した.回答が得られた者のうち,慢性疾患をもつ者133名を追跡対象とし3ヶ月後に追跡調査を行い,追跡調査への回答が得られた99名を分析対象とした.受講者のリクルートはセルフマネジメント協会ホームページでの告知,新聞等での広告掲載等によって行った.

対照群のリクルートには病院を通じたリクルート(病院ルート)および患者会を通じたリクルート(患者会ルート)を用いた.病院ルートでは,CDSMPを実施している地域で,プログラム実施に協力が得られている総合病院7病院に質問紙配布の協力を依頼し,4病院から協力を得られた.2009年5月~9月に協力が得られた病院の外来で質問紙を配布した.調査を実施した外来の内訳は,糖尿病・代謝外来,リウマチ・膠原病外来であった.患者会ルートではCDSMP受講者のリクルートに協力が得られている糖尿病患者会の協力を得て,会員に質問紙を配布した.その結果,調査協力の同意が得られたのは病院ルート73名,患者会ルート68名,計141名となった.この141名を対象に3ヶ月後に追跡調査を行い,追跡調査の回答者128名を分析対象とした.

効果指標は,健康問題に対処する自己効力感,セルフマネジメント行動として症状への認知的対処法実行度,ストレッチ・筋力トレーニング実行時間,有酸素運動実行時間,医師とのコミュニケーションを,健康状態として健康状態の自己評価,健康状態についての悩み,不安,抑うつ,健康問題による社会/役割制限度,日常生活満足度,Sense of Coherenceを用いた.

分析方法はRosenbaum & Rubinによって提案された傾向スコア(Propensity score)を利用した共変量調整法を応用し,傾向スコアによる重み付けに加えて,各効果指標に影響を与えると考えられる変数を共変量としてモデルに加える「二重にロバストな推定」を用いて介入効果を推定した.

結果

傾向スコアによる重み付けの結果,重み付け前でみられた,女性の割合,喘息を持つ者,疾患発症からの期間,疲労,症状への認知的対処法の実行度,有酸素運動実行時間,健康状態の自己評価における有意な群間差は消失した.一方,糖尿病を持つ者の割合(p<0.001),リウマチ性疾患をもつ者の割合(p<0.001),その他の慢性疾患をもつ者の割合(p=0.008),日常動作制限度(p=0.009),痛み(p=0.018),健康問題による社会/役割制限度(p=0.017)については介入群と対照群の差は縮まったものの,有意な群間差は残った.

二重にロバストな推定により,介入群と対照群の3ヶ月間の効果指標の変化量を比較した結果,有酸素運動実行度を除く全ての効果指標において,対照群に比して,介入群の方が改善している傾向がみられた.そのうち健康問題に対処する自己効力感(p=0.005),および症状への認知的対処法の実行度(p=0.004)において介入群の方が対照群よりも有意に改善していた.その他の指標では3ヶ月間の変化量は介入群と対照群の間で有意な差はみられなかった.

考察

本研究では想定したCDSMPの効果発現モデルに沿って効果指標を健康問題に対処する自己効力感,セルフマネジメント行動,健康状態に分類し,CDSMP受講の効果を検討した.

このうち,健康問題に対処する自己効力感,セルフマネジメント行動のうち症状への認知的対処法実行度で有意な改善がみられた.自己効力感が向上したことは,CDSMPが取り入れている自己効力感を向上させるためのプログラム内容が機能していることを示唆するものであり,CDSMPが主に実施されている欧米諸国と文化的に異なると考えられる我が国においてもCDSMPで用いられている自己効力感を向上させるための手法が有用であることが示唆された.症状への認知的対処法の実行度は先行研究で有意な改善が認められたことが報告されており,本研究もこれらの知見を支持するものとなった.

症状への認知的対処法の実行度は本研究で効果指標とした行動指標の中でも格段に改善が見られており,受講者にとって手軽に使用できる自己管理技術であることがうかがえた.

次に医師とのコミュニケーションに対する効果は,本研究では改善がみられなかった.この理由として,本研究におけるCDSMP受講者の疾患発症からの経過年数は平均14.6年と比較的長く,すでに医療者と良好な関係が築けている可能性や,現在の診療場面では,平成20年の受療行動調査によれば,診察時間が10分未満との回答が約2/3を占めており,医師と十分なコミュニケーションを取る時間が確保することが難しいことが考えられる.

また,ストレッチ・筋力トレーニング実行時間,有酸素運動の実施時間も,本研究では有意な改善としては検出できなかった.前後比較においても介入群,対照群共に有意な変化が見られず,これは国内の先行研究とも一致していた.この理由としては対象者の持つ疾患の分布が海外の先行研究と異なることや,生活習慣や文化的背景,環境の違いが影響した可能性が考えられる.運動に関するプログラム内容は基本的に欧米で行われているCDSMPのものを使用し,日本での状況に合わせたものにはなっていなかった可能性が考えられる.今後は日本の状況にあった内容を検討することが必要であると考えられる.

次に,健康状態においてはすべての指標で有意な改善はみられず,抑うつにおいて改善傾向がみられるにとどまった.これらの健康状態はCDSMPの効果発現メカニズムの中では自己効力感やセルフマネジメント行動の改善を介して間接的に変化すると考えられる遠位のアウトカムであり,変化が捉えられるまでに時間差がある可能性がある.そのため,本研究の追跡期間では変化を捉えきれなかった可能性があり,今後より長期間の追跡を行って検討する必要があると考えられた.

結論

本研究では患者自身が教育の提供者となる新しい形態のセルフマネジメントプログラムであるCDSMPを受講することによって,健康問題に対処する自己効力感,認知的症状対処法の実行度が向上することが示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は患者自身が教育の提供者となる新しい形態の慢性疾患患者に対する自己管理学習支援プログラムである「慢性疾患セルフマネジメントプログラム(Chronic Disease Self-Management Program:CDSMP)の日本の慢性疾患患者に対する効果を非無作為化比較試験によって検討したものである.効果の検討に当たっては,疾患横断的に必要とされると考えられる対処技術の向上とそれに伴う心理社会的状態に対する効果に注目して非無作為化試験により検討しており,下記の結果を得ている。

対象者の基本属性およびベースライン時の特性から推定した傾向スコアによる重み付けに加えて,各効果指標に影響を与えると考えられる変数を共変量としてモデルに加える「二重にロバストな推定」を行った結果,CDSMP受講群ではプログラムを受講しない対照群と比較して,有酸素運動実行度を除く全ての効果指標において改善している傾向がみられた.そのうち健康問題に対処する自己効力感(p=0.005),および症状への認知的対処法の実行度(p=0.004)において介入群の方が対照群よりも有意に改善していた.

上記の結果は非無作為化比較試験の効果の検討に一般的に用いられている共分散分析を用いた効果の推定結果および傾向スコアによる重み付けのみを用いた方法(Inverse Probability Weighting法)による効果の推定結果とも概ね一致しており,一定の頑健性が示された.

また,CDSMP受講群のプログラム受講前後の効果指標の変化を一変量のt検定で検討した結果,有酸素運動の実行時間を除きすべての指標で肯定的に変化する傾向が見られた.このうち,健康状態の自己評価(p=0.015),および健康状態についての悩み(p=0.001)において有意な改善がみられた.また,有意ではないが介入群において,不安(p=0.059),抑うつ(p=0.089),日常生活満足度(p=0.050),Sense of Coherence(p=0.051)において改善傾向がみられた.

以上,本論文は,非無作為化比較試験による検討から日本におけるCDSMPを受講することによって,健康問題に対処する自己効力感,症状への認知的対処法の実行度が向上することを示唆した.本研究は日本におけるCDSMPの効果を,対照群を設定して検討した初の試みであり,今後さらに増加が見込まれる慢性疾患患者の自己管理を促す介入の発展に重要な貢献をなすものと考えられる.よって本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51489