学位論文要旨



No 126584
著者(漢字) 西本,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) ニシモト,ケンタロウ
標題(和) 現代海洋法の歴史的形成過程における領域性と機能性
標題(洋)
報告番号 126584
報告番号 甲26584
学位授与日 2011.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第250号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 交告,尚史
 東京大学 教授 中谷,和弘
 東京大学 教授 高原,明生
 東京大学 教授 水町,勇一郎
 明治大学 教授 奥脇,直也
内容要旨 要旨を表示する

現代の海洋法秩序の特徴は、その機能的な性格にあるといわれる。現代海洋法の基本的枠組みをなす国連海洋法条約においては、沿岸からの距離に基づいて海洋に地理的な区分を設けつつ、同じ海域でもその利用態様により異なった法制度を適用することによって、機能的な管轄権の配分を行っている。このような現代の海洋法秩序の姿は、排他的主権の海としての領海と包括的自由の海としての公海という海洋の二元的秩序から、沿岸国の管轄権が機能的に拡大して形成された「新たな秩序」であるといわれてきた。

本論文の目的は、国家の沿岸海域における権限の根拠を「領域性」と「機能性」の分析概念を使って跡付けることによって、現代海洋法の成り立ちとその基層をなす構造を明らかにし、海洋法秩序が領海・公海の二元的秩序から機能的な秩序へと発展を遂げたとする図式的な理解を再検討することにある。沿岸海域における国家の権限については、自国に隣接する一定海域をあたかも国家の領土の延長のように捉え、それゆえにその範囲内で国家は自国領域において有するのと同様の包括的権限を行使できるという構成がある一方で、国家は特定の機能的な目的のために、その目的ごとに一定の範囲において権限を行使するとの構成もなされてきた。本論文は、現代の海洋法秩序が成立するまでの歴史的形成過程を検討し、現代に至るまで一貫して、海洋法秩序は領域性と機能性の両契機の交錯と調整の間で展開してきたことを示す。このことを通じて、領海・公海の二元的秩序から機能的な秩序へという一般的な海洋法の歴史理解を見直すとともに、現代の海洋法が直面している様々な問題や、国連海洋法条約の下で未解決の解釈上の問題を議論する前提を提供しようとするものである。

まず第1章では、海洋法の本格的な歴史の出発点である、17世紀における海洋領有論争を検討している。本論争は一般的に、狭い領海と広い公海という二元的秩序が形成される契機として評価されてきた。本章では、海洋の領有をめぐる議論の中での法概念の用いられ方を検討した上で、そこでの議論の対立軸が、国家の権限について領域的な構成と機能的な構成のいずれをとるのか、そして沿岸海域を一般的な制度として構成するのか否かにあったことを明らかにし、この点がその後の海洋法の展開にとって特に意義を有することを指摘している。

第2章では、海洋領有論争以後18世紀末までの時期を対象に、沿岸海域における国家の権限について、学説・国家実行の両面から検討している。通説は、沿岸国の砲台の射程範囲を基準として実効的支配に基づく海洋領有を論じたバインケルスフークの説において、海洋の二元的秩序が完成したと捉える。しかし、同時期の学説には、沿岸海域に対する領有権を肯定しつつも、漁業や安全保障といった面での国家の利益に基づいて沿岸海域の領有の必要性を議論するものもあり、海洋の領有を肯定する学説のなかにも機能性の契機を垣間見ることができる。また、中立の維持と自国領域の保護、沿岸海域からの外国人漁業の排除、そして関税監視および衛生管理に関する国家実行の検討からは、沿岸国の利益を保護する必要性に応じて国家が権限を行使していたことが指摘される。学説における一体的な領域としての領海の領有という法律構成は、様々な目的のためのそれぞれ異なる範囲における権限行使という国家実行との整合性に問題を抱えており、すでに領海3海里主義が確立していたとされることすらある18世紀末の時点においても、沿岸海域の法的理解にはなお未熟な部分が残されていたことが明らかとなる。

第3章では、19世紀における各国の国家実行を、英国、米国、そして欧州大陸諸国の三つに分けて立法を中心に検討し、それぞれに沿岸海域に対する国家権限について異なった理解が存在していたことを明らかにしている。英国では、19世紀半ばまで、いわゆる徘徊条例の下で比較的広い海域に対し権限が行使されていたが、19世紀後半には権限行使の範囲が3海里に収束した。英国では、この3海里の海域は国家領域の一部であると解されるようになるとともに、それ以遠の公海において、沿岸国は原則として一切の権限を行使できないとする見解が確立するようになる。他方、米国では、英国と同様に領海は国家領域の一部であるとの理解がとられながらも、一定の場合においては領海外における域外管轄権の行使を肯定する見解が判例法として確立し、関税法の分野を中心にこの理解に基づいた国家実行が蓄積されていった。これに対して、欧州大陸諸国の多くでは、領海の範囲は権限行使の目的ごとに異なりうるとする理解に基づく国家実行が蓄積されていた。19世紀におけるこのような状況は、領海・公海の二元論という単純な図式には収まりきらないものであったことが指摘される。

第4章では、第3章で明らかにした3つの領海概念が、19世紀中にどのようなかたちで相互に主張・議論されたのかを、国家実行・学説の検討を通じて明らかにしている。前半では、英国、米国、欧州大陸諸国の三者間に生じた海洋紛争を取り上げ、それぞれの理解の輪郭を他の立場との比較によって明らかにしている。後半では、19世紀の学説の状況を検討し、沿岸海域の領域的構成と海洋利用の機能的必要性との間の緊張関係は、海洋の利用密度の増加に伴ってむしろ高まっていたことを指摘する。特に19世紀後半に無害通航権が確立し、また海洋利用が拡大するのに伴い、領海を国家領域であると捉えて領海における国家の権限をその領域性に根拠づける見解と、国家領域ではなく一定の管轄権を行使しうる海域であると捉えて、領海における国家の権限を機能的に説明する見解との間で領海の法的地位が議論された。本章では、こうして20世紀初頭に至るまで沿岸海域における国家の権限の法的理解がなお混乱していたことが示される。

第5章では、近代的な領海概念成立の契機とされる1930年のハーグ国際法典編纂会議における議論と当時の学説および国家実行を検討し、その歴史的位置づけについて考察している。一般に、沿岸国の主権下にある海域としての今日的な領海概念は、同会議の帰結として確立したと理解されている。しかし、同会議では領海幅員の問題は解決に至らず、また領海外で行使しうる権限についても合意がなかったことから、会議の帰結として領海の主権説(領土説)が確立したとしても、それは必ずしも沿岸海域で国家実行上行使されていた権限の全てが領海に対する主権概念によって整理されたことを意味するものではなかったことが明らかとなる。

第6章では、以上の歴史的な流れを踏まえて、追跡権、接続水域、大陸棚、そして漁業水域といった制度の形成過程を検討して、これらが領海・公海の二元的秩序から新たに生じた機能的制度であるとする捉え方に再検討を加えている。第1に、沿岸海域における取締りの機能的必要に応じて19世紀以降急速に形成された追跡権については、領海概念の成立と並行した沿岸国管轄権の機能的な拡張と位置づけることもできるものの、その形成時期からみれば、むしろ追跡権制度の確立が領海と公海の二分法の成立を可能としたと評価することもできることが議論される。第2に、接続水域については、領海・公海の二元的秩序を前提として、領海外における機能的管轄権の行使が認められるようになって成立したものではなく、元々機能的に行使されていた国家の権限が領海における権限と接続水域における権限に分離したものと評価すべきであることが指摘される。第3に、大陸棚および漁業水域の制度は、機能的な拡大であるにとどまらず、それまで領域的構成によってしか説明できないとする考え方が支配的であった海洋資源の独占を、大陸棚については、その上部水域における海洋利用との切断を図ることによって、漁業水域については、海洋生物資源の独占権を機能的な権限として構成することによって解決した点に大きな意義があることが指摘される。こうしたあり方は、海洋法に古くから存在してきた機能的な理論構成に異質な要素を取り込みながらもこれを一層進めるものであり、その後の排他的経済水域制度も含めた現在の海洋法秩序の特質もこの点にある。

終章では本論文における海洋法の歴史的な理解に関する結論と、その現代海洋法の理解に対する意義をまとめている。海洋法の歴史的な理解に関する結論は、領域的な二元的秩序からの機能的な拡大という通説的な理解に反して、機能的な権限行使という構成は歴史を通じて重要な意義を持っており、海洋法は領域性と機能性の両契機の交錯と調整の間で展開してきたというものである。このことの現代海洋法の理解に対する意義としては、第1に、海洋法における主権概念と管轄権概念の関係を整理し、特に管轄権概念の意義を明確にしたことが挙げられる。第2に、国家管轄権の調整をめぐる解釈論の基礎を提供するものとしての意義がある。すなわち、本論文の帰結からは、沿岸国の権限を海域の領域性から引き出すことはできない一方で、資源の独占や海洋環境の保護など従来は領域性と結びつけられてきた権限が機能的に構成されるようになったことが、現代の海洋法において国家管轄権の調整に困難をもたらすことが指摘される。終章では最後に、この点をめぐる具体的な事例を例示的に議論することを通じて、このような構造が今後の海洋法秩序にとって持つ意義を検討している。こうした構造のなかで安易に陸域の法秩序を類推する「領域化の誘惑」に負けることなく、多様な海洋利用をめぐる国家間の管轄権の調整を図って行くことこそが、今後の海洋法秩序に課せられた最も重要な課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「現代海洋法の歴史的形成過程における領域性と機能性」は、伝統的な海洋秩序を領海と公海の二元論を既定の前提として、接続水域、追跡権、関税水域、さらには第二次大戦後における大陸棚や排他的経済水域など、沿岸国の利益保護のために管轄権を領海を超えて公海にまで及ぼす制度を、沿岸国管轄権の「機能的拡張」として理解する通説的な見解を再検討するものである。そのため著者は、今日において領域主権が及んでいると理解されている領海について、英米および西欧大陸諸国の国内法を中心とする国家実行、国際紛争事例、領海と公海に対する管轄権に関する学説の展開を丹念に洗い出し、現代に至る海洋法を巡る諸制度の成立と展開を、領域性と機能性という二つの分析軸を立てて概念的に再構成することを試みている。

著者によれば、領海の国家による領有を前提に沿岸国の管轄権を基礎づける立場が共有されるようになるのは、領海概念が確立する19世紀末においてであり、海洋法の歴史の底流をなすのは領有権とは切り離された命令権としての管轄権の基礎づけであって、沿岸国利益の保護の必要に応じて管轄権の範囲も機能的に定められてきた。海洋法の歴史は、沿岸国利益と海洋活動の利益の調整の歴史であって、現代海洋法もその調整過程におけるさまざまな要因への配慮と工夫の蓄積として理解されるべきである。この調整過程は国家の利益と国際社会の利益の相克に応じて複雑さを増しているが、排他的経済水域の領海化や海洋保護区の拡大などにみられるように、「領域化の誘惑」に負けて沿岸国利益に有利な推定と単純化を図ることは、海洋を巡る利益の調整過程の歴史を無にする危険を孕むと警鐘を鳴らしている。

本論文は、以下のような構成をとっている。

序章に引き続く第1章「『海洋論争』」では、海洋法の本格的な歴史の出発点である、17世紀における海洋領有論争を検討している。一般的に本論争は、狭い領海と広い公海という二元的秩序が形成される契機として評価されてきた。本章では、海洋の領有をめぐる議論における法概念の用いられ方を検討した上で、そこでの議論の対立軸が、国家の権限を領域的または機能的に構成するのか、そして沿岸海域を一般的な制度として構成するのか否かにあったことを明らかにし、このことがその後の海洋法の展開にとって特に意義を有することを指摘する。

第2章「海洋論争後の沿岸海域に関する理論」では、海洋領有論争以後18世紀末までの国家の沿岸海域における権限について、学説・国家実行の両面から検討している。通説は、沿岸国砲台の射程範囲を基準として実効的支配に基づく海洋領有を論じたバインケルスフークの説において、海洋の二元的秩序が完成したと捉える。しかし、同時期の学説には、沿岸海域に対する領有権を肯定しつつも、漁業や安全保障といった国家の必要性に基づいて沿岸海域の領有の必要性を議論するものも多く、領有権を肯定する学説のなかにも機能性の契機を垣間見ることができる。また、中立の維持と自国領域の保護、沿岸海域からの外国人漁業の排除、そして関税監視および衛生管理に関する国家実行の検討からは、沿岸国権益の保護の必要性に応じて国家が権限を行使していたことが明らかとなる。学説における一体的な領域の領有という法律構成は、様々な目的のための異なる範囲における権限行使という国家実行との整合性に問題を抱えていた。このように、すでに領海3海里主義が確立していたとされることすらある18世紀末の時点においても、沿岸海域の法的理解にはなお未熟な部分が残されていたことが明らかとなる。

第3章「領海・公海の二元的秩序をめぐる3つの理解」では、19世紀における立法を中心とした各国の国家実行を、英国、米国、欧州大陸諸国の三つに分けて検討し、それぞれに沿岸海域に対する国家権限について異なった理解が存在していたことを明らかにしている。英国では、19世紀半ばまで、いわゆる徘徊条例の下で比較的広い海域に対し権限が行使されていたが、19世紀後半には権限行使の範囲が3海里に収束した。英国では、この3海里の海域は国家領域の一部であると解されるようになるとともに、それ以遠の公海において、沿岸国は原則として一切の権限を行使できないとする見解が確立するようになる。米国では、英国と同様に領海は国家領域の一部であるとの理解がとられながらも、一定の場合においては領海外における域外管轄権の行使を肯定する見解が判例法として確立し、関税法の分野を中心にこの理解に基づいた国家実行が蓄積されていった。これに対して、欧州大陸諸国の多くでは、領海の範囲は権限が行使される目的ごとに異なりうるとする理解に基づく国家実行が蓄積されていた。19世紀におけるこのような状況は、領海・公海の二元論という単純な図式には収まりきらないものであった。

第4章「3つの領海概念の交錯と学説における議論」では、第3章で明らかにした三つの領海概念が19世紀中に相互にどのようなかたちで主張・議論されたのかを、国家実行・学説の検討を通じて明らかにしている。前半では、英国、米国、欧州大陸諸国の三者間に生じた海洋紛争を取り上げ、それぞれの理解の輪郭を他の立場との比較によって明らかにしている。後半では、19世紀の学説の状況を検討している。特に19世紀後半になって、無害通航権が確立し、また海洋利用が拡大するのに伴い、学説は領海の法的地位を巡って大きく対立するようになる。領海を国家領域であると捉えて、領海における国家の権限をその領域性に根拠づける見解と、国家領域ではなく一定の管轄権を行使しうる海域であると捉えて、領海における国家の権限を機能的に説明する見解との間で、鋭い対立が続いた。沿岸海域の領域的構成と海洋利用の機能的必要性との間の緊張関係は、海洋の利用密度の増加に伴ってむしろ高まっていたのであり、20世紀初頭に至るまで沿岸海域における国家の権限の法的理解はなお混乱していた。

第5章「1930年ハーグ国際法典編纂会議」では、近代的な領海概念成立の契機とされる1930年のハーグ国際法典編纂会議における議論と当時の学説および国家実行を検討し、その歴史的位置づけについて考察している。一般に、沿岸国の主権下にある海域としての今日的な領海概念は、同会議の帰結として確立したと理解されている。しかし、同会議では領海幅員の問題は解決に至らず、また領海外で行使しうる権限についても合意がなかったことから、会議の帰結として領海の主権説(領土説)が確立したとしても、それは必ずしも沿岸海域で国家実行上行使されていた権限の全てが領海に対する主権概念によって整理されたことを意味するものではなかったことが明らかとなる。

第6章「現代海洋法の『機能的』制度の形成」では、以上の歴史的な流れを踏まえて、追跡権、接続水域、大陸棚、そして漁業水域といった制度の形成過程を検討して、これらが領海・公海の二元的秩序から新たに生じた機能的制度であるとする捉え方に再検討を加えている。第1に、沿岸海域における取締の機能的必要に応じて19世紀以降急速に形成された追跡権については、領海概念の成立と並行した沿岸国管轄権の機能的な拡張と位置づけることもできるものの、その形成時期からみれば、むしろ追跡権制度の確立が領海と公海の二分法の成立を可能としたと評価することもできる。第2に、接続水域については、領海・公海の二元的秩序を前提として、領海外における機能的管轄権の行使が認められるようになって成立したものではなく、元々機能的に行使されていた国家の権限が領海における権限と接続水域における権限に分離したものと評価すべきである。第3に、大陸棚および漁業水域の制度は、機能的な拡大であるにとどまらず、それまで領域的構成によってしか説明できないとする考え方が支配的であった海洋資源の独占を、大陸棚についてはその上部水域における海洋利用との切断をはかることによって、漁業水域については海洋生物資源の独占権を機能的な権限として構成することによって、解決した点に大きな意義がある。こうしたあり方は、海洋法に古くから存在してきた機能的な理論構成に異質な要素を取り込みながらもこれを一層進めるものであり、その後の排他的経済水域制度も含めた現在の海洋法秩序の特質もこうした点にある。

終章「結論」では、本論文の歴史的な理解に関する結論と、現代海洋法の理解に対する意義をまとめている。海洋法の歴史的な理解としては、領域的な二元的秩序からの機能的な拡大という通説的な理解に反して、機能的な権限行使という構成は歴史を通じて重要な意義を持っており、海洋法は領域性と機能性の両契機の交錯と調整の間で展開してきたということが本論文の結論である。このことの現代海洋法の理解に対する第1の意義は、国際法における主権概念と管轄権概念の関係にかかわるものであり、海洋法における管轄権概念の意義を明確にしたことである。第2の意義は、現代海洋法の管轄権調整をめぐる解釈論にかかわる。国家間で管轄権が争われる場合、沿岸国の権限を領域的に引き出すことができない一方、資源の独占や海洋環境の保護といった従来は領域性と結びつけられてきた権限が機能的に構成されるようになったことによって、管轄権の調整が困難となる場面が指摘できる。終章では具体的な事例を例示的に検討することによって、このような問題が今後の海洋法秩序にとって持つ意義を検討している。こうした困難のなかで安易に陸域の秩序を類推する「領域化の誘惑」に負けることなく、多様な海洋利用をめぐる管轄権調整を図っていくことは、今後の海洋法秩序に課せられた最も重要な課題である。

以上が、本論文の要旨である。

本論文の長所としては、特に次の点を挙げることができる。

第1に、本論文は、海洋法の歴史的発展の過程を国家の沿岸海域に対する権限行使における領域的理解と機能的理解の交錯に着目して捉え、その中で現代海洋法の基本的な諸概念・制度の意義と位置づけをその形成過程の側面から明らかにした海洋法の分野における待望久しい本格的な論文である。本論文は、海洋法のあり方を17世紀から現代に至るまでの海洋法の大きな流れの中で冷静に位置づけ、そこから現代海洋法の直面している様々な課題に取り組む上での基盤となる視座を引き出そうとしている。本論文が提示した領域性と機能性という分析軸と、領海成立に至る過程は一定の海域の領域化ではなく沿岸国管轄権の拡張として推移してきたという歴史の把握は、国連海洋法条約の解釈・適用の方向を見据えるうえで有用なものとなろう。

第2に、本論文は、グロティウス、セルデン以来の学説、国家実行、国際紛争における政府の立場などを非常に丹念に分析することにより、海洋二元論から現代海洋法に至る過程を海洋管轄権の機能的拡張として捉える通説的見解を批判して、領海概念を再構成することに成功している。従来、国内外の学説は、海洋法の展開を領海の幅員との関係で捉え、国家が沿岸海域に沿った一定の帯状の海域を領海として支配できることを当然の前提としてきた。本論文はこれに対して、領海の幅員をめぐる論争のなかに統一的な領海概念があったわけではないことを指摘して、領海についてさえ領域的把握と機能的把握が交錯し、領海に対する沿岸国の支配権を沿岸海の領有に基づくものでなく沿岸国利益の保護の必要に基づいた機能的管轄権の束として捉える考え方が、19世紀に至っても持続して存在していたことを、様々な資料を用いて明らかにしている。またその観点から関税水域制度や接続水域制度の形成過程とそれら制度の法的意義についても新たな光を当てている。

第3に、海洋法の歴史的展開は領域性と機能性の交錯と調整のなかで進展したことを説得力をもって論証した本論文は、海洋法のみではなく、海の国際法とは異なる原理の上に発展してきたとされる陸の国際法の理解にとっても重要な示唆を与えるものである。

第4に、本論文は、現代海洋法の主要な問題の一つである排他的経済水域の制度を今後どのように解釈し適用し発展させていくべきか、とくに大陸棚と排他的経済水域において導入され未だ形成途上にある「主権的権利」という概念を、主権と管轄権の間でどのように位置づけていくべきかについて、大きな示唆を与える点で重要である。

もっとも、本論文にも弱点がない訳ではない。

第1に、本論文では、20世紀前半に至るまで必ずしも単一の領海概念が存在していなかったことを論証するために、沿岸海域に対する各国の立法例を多く取り上げて検討しているが、英米や西欧大陸諸国の立法例が克明に検討されているのに対して、非欧米地域における立法例は、簡単な言及はあるものの、本格的に検討されているわけではない。

第2に、本論文では、領海の法的性質を検討する上で1つの鍵となりうる無害通航権の検討については最小限のものにとどまっており、この問題の基底をなす領海の法的性質をめぐる論争について、本論文では一応の言及はあるものの、詳細な検討はなされていない。

第3に、本論文の検討は、国連海洋法条約の成立時点で終わっており、現代の海洋法に対する本論文の意義は示唆されているものの、十分な分析はなされていない。

もっともこれらの点は、いずれもそれ自体で独立の論文のテーマになりうるものであり、本論文の中で本格的な分析を期待することは望蜀の感がある。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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