学位論文要旨



No 126586
著者(漢字) 西山,宏樹
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,ヒロキ
標題(和) イネのアルミニウム耐性機構の解析
標題(洋)
報告番号 126586
報告番号 甲26586
学位授与日 2011.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3626号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 山根,久和
内容要旨 要旨を表示する

1 背景・目的

世界人口の急増、途上国の経済成長による一人あたりの食料需要の増加、バイオ燃料の需要増などによる穀物需要の急増に加え、気候変動の増大化などの穀物生産阻害要因などもあり、世界では穀物収量の安定確保が喫急の課題である。一方、世界の耕作可能な平地の4割を占める酸性土壌には、作物生産に不適のため使用されていない土地も多い(Baligar et al. 1998)。そのため、酸性土壌でも生育可能な作物を創出することができれば、世界の穀物供給を大幅に改善することが可能になると考えられる。

酸性条件下の土壌では、土壌からアルミニウムイオンが溶出し、根に傷害を与える。これまでのアルミニウム耐性植物の研究から、アルミニウムに耐性の強い植物は、根から有機酸を放出し、アルミニウムイオンとキレート化合物を作り、無毒化することによりアルミニウム耐性を得ていることが明らかになっている(Matsumoto 2000, Kochian et al., 2004)。しかしイネは、これらの植物と異なり、アルミニウム存在下で有機酸放出が認められないにもかかわらず一般に知られている有機酸放出に依存する耐性植物よりも強い耐性を示す(Ma et al.2002)。このイネのアルミニウム耐性機構については、未だ不明な点が多い(Yang et al.2008, Hueng et al.2009)。イネのアルミニウム耐性を明らかにできれば、イネが重要な穀物であることから、新しい作物の育種や改良にその知見を適用できることになる。本研究では、イネのアルミニウム感受性種(IR72)と耐性種(日本晴)、さらに小麦(Scout)を用いて、イネのAl耐性機構について解析を行った。概要は以下の通りである。

(1)根のアルミニウム生育障害とアルミニウム蓄積に関する解析

(2)根表面アポプラスト部位のpH測定手法の開発ならびにイネ根のアポプラストpH測定

(3)根細胞壁のペクチンの化学組成とアルミニウム蓄積の関係の解析

以上の実験により、イネの根組織や元素蓄積とアルミニウム耐性について考察した。

2 研究内容

(1)根のアルミニウム生育障害とアルミニウム蓄積に関する解析

日本晴とIR72をアルミニウム濃度200μM、pH4.5に調整した水耕液中で処理し、根の伸長阻害について調べた。日本晴はIR72よりも根の伸長阻害度が小さく、IR72よりもアルミニウム耐性が高かった。またこの結果は、Al濃度、Al処理時間を変えても同じであった。

次に、イネの根にアルミニウム処理を行い、アルミニウムの蓄積量の変化を測定した。また、アルミニウムと競合すると考えられるカルシウム、マグネシウムの元素量の変化を、アルミニウム200μM処理後30分から24時間後までICP-AES、Furness原子吸光分析を用いて測定した。全体的に、日本晴よりもIR72でAl蓄積量が多かった。また、Al蓄積量が、Al処理後から経時的に増加していくのに対し、Mg、Caの量は減少したことから、Al処理前に根に蓄積していたMg、Caがアルミニウムと交換し拡散した可能性がある。また、日本晴は根端でのAl濃度比は変わらなかったが、IR72では根端5mmでのAl量が4cm部位の中では濃いという結果が得られた。以上から、Al耐性種の日本晴は、感受性種のIR72と比較して根にAlが蓄積しにくい傾向が見られた。

さらに、Alが根のどの部分にどの程度蓄積するのかを確認するため、アルミニウムを選択的に染色できるヘマトキシリンを用い、根のアルミニウムの存在部位を可視化し、経時的なアルミニウム存在部位の変化を調べた。その結果、アルミニウム処理直後では根端から0.5cmまでの細胞伸長部位にアルミニウムが多く見られ、根が成長するとアルミニウム染色部位も根の後方へ移動していく様子が見られた。日本晴はIR72よりも染色が薄く、特に根端のアルミニウム蓄積が少ないことが示唆され、元素分析の結果を裏付けられた。

これらのことから、イネのアルミニウム耐性を考える上で、根、特に根端にアルミニウムが蓄積しにくいことが重要であることが示唆された。

(2)根表面アポプラスト部位のpH測定手法の開発ならびにイネ根のアポプラストpH測定

アルミニウムイオンの水溶液中での化学形態については、pH4.5付近からpH値0.1が下降するごとに、Al3+イオンの存在比が8%程度増加し、このAl3+イオンが植物根伸長の主要な阻害要因とされている。従って、イネは根近傍のpHを上昇させAl3+イオンの量を減らすことによりアルミニウム耐性を得ているのではないかと仮説を立てた。しかし、水耕栽培のイネにAl処理を与えた際の溶液中のマクロなpH変化は観測されなかったことから、根の極表面のアポプラストpHの微小変化を測定することとした。そのため、蛍光レシオ計測法を適用し、根表面のアポプラスト部位のpHをリアルタイムで測定することを試みた。

水耕液のpH4.5付近でのpH指示薬にはOregon Green488を用い、5μMの蛍光試薬溶液で根表面を3分染色し、水耕液で5分表面を洗浄することにより、根表面細胞間のアポプラストのみを選択的に染色した。測定の結果、日本晴ではAl処理直後から2時間かけて、pHがわずかに上昇するのに対し、IR72ではpHが変化しないことが明らかになった。Al添加後は、pHが約0.1上昇するという結果が得られた。このことは、日本晴はAlに対し、pHをわずかに上昇させ、Al3+イオン濃度を減らすことによりAl耐性を得ている可能性を示唆した。

(3)根細胞壁のペクチンの化学組成とアルミニウム蓄積の関係の解析

第一章で、アルミニウム耐性が高い日本晴の方がIR72、小麦のScoutよりも根へのアルミニウム蓄積量が少ない傾向が示された。また、第二章では、日本晴がAlに応答して根表層のアポプラストpHをわずかではあるものの上昇させ、Al3+イオン濃度を軽減させていることが示された。そこで次に、アルミニウムが主に蓄積するとされている根の細胞壁、特にその化学組成に着目し、各作物種のアルミニウム耐性との相関について解析を行った。

根端の細胞壁成分を抽出し、溶液に24時間浸し、細胞壁へのアルミニウム蓄積量を測定したところ、アルミニウム耐性の高い作物種ほど、抽出細胞壁成分へのアルミニウム蓄積量が少なかった。また、メチル化度の異なるガラクツロン酸の試薬をアルミニウム溶液に24時間浸し、ガラクツロン酸へのアルミニウム蓄積量を測定したところ、メチル化度の高いガラクツロン酸ほどアルミニウムを蓄積しにくい、という結果が得られた。この結果は、カルボキシル基がメチル化されているガラクツロン酸ほど、イオンが蓄積できる状態のフリーのカルボキシル基が少ないためにAlが蓄積しにくいことを示唆した。

そこで、植物細胞壁中のフリーのガラクツロン酸量を測定すれば、Al耐性との相関を見いだせると考えた。根端細胞壁から、ガラクツロン酸を含む多糖類であるペクチンを抽出し、(1)単糖に分解し、誘導体化後GC/MSで糖組成比からガラクツロン酸量を算出するとともに、(2)細胞壁をけん化しメチル化されているカルボニル基を加水分解し、遊離したメタノールをGCで測定した。(1)、(2)から、カルボキシル基がメチル化されていないフリーのカルボキシル基を持つガラクツロン酸量を算出した。その結果、フリーのカルボキシル基が少ない作物種ほど、アルミニウム蓄積量が少なかった。

以上の実験から、イネの根のアルミニウムの蓄積部位は、主に細胞壁中のペクチンを構成するガラクツロン酸の持つフリーのカルボキシル基であり、これが少ないほどアルミニウムが細胞壁に蓄積しにくいというメカニズムが初めて示された。

3. 結論

以上の実験結果により、(1)Al耐性なイネほど根へのAl蓄積量が少ないこと、(2)Al耐性の高い日本晴は、根表面アポプラストのpHをわずかに上昇させることにより根表面のAl3+濃度を減少させ、耐性を得ている可能性があること、(3) 植物の根のアルミニウムの蓄積部位は、主に細胞壁中のペクチンを構成するガラクツロン酸の持つフリーのカルボキシル基であり、これが少ないほどアルミニウムが細胞壁に蓄積しにくいことが示された。

審査要旨 要旨を表示する

世界の平地の4割を占める酸性土壌では、土壌から溶出するアルミニウム(Al)が作物の根の生育を阻害し、作物生産上の最も大きな問題となっている。これまでの研究から、Al耐性種の多くは根から有機酸を放出し根へのAl蓄積を防ぐことによりAl耐性能を得ていることが明らかになっている。しかし、イネは有機酸を分泌するコムギなどよりも非常に強いAl耐性を示すにも関わらず有機酸分泌によるAl耐性能は有しておらず、イネのAl耐性機構は未解明である。本研究は、イネのAl耐性機構の解明を目的に、生理学的手法を用いて解析を行ったものである。

研究の背景と意義について述べた序章に続き、第1章ではイネ、コムギそれぞれのAl耐性種、Al感受性種に対してAl処理を行い、根へのAl蓄積量が少ないものほどAl耐性が強いことを示した。特に、イネのAl耐性種である日本晴と感受性種のIR72の間では、Al処理後6時間以内で最も顕著に根の伸長率の違いが見られ、Al蓄積量もAl処理6時間以内で最も顕著に差が見られることを示した。この結果を踏まえて、第2章、第3章ではイネのAl処理初期に根にAlが蓄積しにくいことに着目してAl耐性機構の探索を行った。

第2章では、蛍光レシオ計測法を適用しイネの根アポプラストpHの変化を測定した過程と結果を述べた。まず、イネの根の表層第一層のアポプラスト部位のみを染色する手法を確立した。その際、根撮影画像からアポプラスト部位のみを抽出するには感度、コントラスト共に不足していた。この問題はCCDカメラの感度とコントラストを共に上げることにより解決されたが、2波長励起での各測光の強度の差が拡大されすぎてしまい、同一露光時間での測光が不可能になった。そこで、CCDカメラの露光時間と測光強度に線形性があることを利用し、露光時間を補正して2波長励起測光のレシオ値を取得することが可能なことを示した。pHを固定した蛍光試薬に対して露光時間を変化させてレシオ測定を行った結果、レシオ値に影響が無いことが確認された。以上の検討から、蛍光顕微鏡においてカメラの感度、コントラストを高くしても蛍光レシオ計測が可能な系が確立された。本手法を用いて日本晴とIR72のAl応答時の根アポプラストpHの挙動を計測した結果、日本晴ではAlに応答してpHがわずかに上昇することを示唆する挙動が観測された。酸性条件下ではpHの上昇によりAlイオン濃度が減少することから、日本晴はアポプラストpHを上昇させることで根へのAl蓄積を軽減し、Al耐性を得ている可能性が示唆された。

第3章では、イネがAl処理初期において根へのAl蓄積を防ぐ機構として、根の細胞壁がそもそもAlを根に蓄積させにくい組織的特徴を有しているという仮説を立て、その検証を目的に実験を行った。イネ、コムギの根から細胞壁成分を抽出しAl処理したところ、Al耐性の強い作物種ほど細胞壁成分へのAlの蓄積が少ないことが確認された。次にイネ、コムギの細胞壁をペクチン、ヘミセルロース、セルロースの3つに分画し、ペクチン含有率を算出したところ、各作物種のペクチン含有率とAl耐性能との間に相関がないことが示された。そこで、ペクチンの量に差はなくとも、ペクチンの負電化の要因である、カルボキシル基がエステル化されていないフリーのガラクツロン酸に差があると考えた。ペクチンの負電化を担うガラクツロン酸の試薬をAl処理したところ、カルボキシル基がエステル化されていないフリーのガラクツロン酸量と、ペクチンへのAl蓄積量が正比例することが確認された。そこでイネ、コムギの細胞壁成分からペクチンを抽出し単糖成分に分解後、カルボキシル基がメチル化されていないフリーのガラクツロン酸量をGC-FIDにより測定した。カルボキシル基がメチル化されているガラクツロン酸量は、細胞壁成分を30分のけん化処理後遊離したメタノール量をGC-FIDにより測定した。その結果、Al耐性能の高い作物種ほど、カルボキシル基がメチル化されていないフリーのガラクツロン酸量が少ないことが確認された。イネは細胞壁ペクチン中のフリーのガラクツロン酸が少ないことで、根へのAl蓄積量が軽減され、Al耐性能を有している可能性が示唆された。総合考察では、総括と展望が述べられている。

以上、本研究は、イネのAl耐性機構について生理学的手法を用いて解析を行い、Al耐性の強いイネはAlに応答して根アポプラスト部位のpHをわずかに上昇させる傾向があること、さらに細胞壁の負電荷を担うペクチンのうちカルボキシル基のメチル化されていないガラクツロン酸量が少ないことを明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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