学位論文要旨



No 126589
著者(漢字) 森川,真樹
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,マキ
標題(和) 途上国都市部における組織学習を活かした住環境改善事業に関する研究 : パキスタンの事例から
標題(洋)
報告番号 126589
報告番号 甲26589
学位授与日 2011.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7396号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 准教授 大月,敏雄
 東京大学 准教授 小泉,秀樹
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、途上国の都市部における低所得者居住地での住環境改善事業の成果を分析し、その考察結果をもとに開発事業を実践するにあたっての効果的な方法と、そのためのアプローチを考察することを目的としている。とくに組織学習の観点から、プロジェクトへの参加を通じた個人の学び、組織の学びをいかに有効に活用して成果をあげるとともに、キャパシティ・ディベロップメント(CD)における個人と組織の相互作用性・関係性を明確化して、現場のプロジェクトで実践する際のCDを生成するためのフレームワークを提示するものである。

調査対象地域は、筆者が1993年から現在までフィールドにしているパキスタンに設定し、首都イスラマバードでの長期調査実施地区を中心に、同国他都市での短期フィールド調査やインタビュー調査などをも参考にしながら、開発途上国の一事例として分析と考察を行っていく。

現代の社会システムにおいては、かつての還元主義のように個々の要素を細かく分析し、その法則を知り各要素を積み上げると全体が理解できる、との考え方では理解が困難になっている。構成要素を機械的に寄せ集めただけでは理解不可能であり、各要素の相互作用によって全体は個の総和以上の力が生まれている。国際開発分野で著名なロバート・チェンバースは、「相互作用による独創性、実施からの応用性、自己批判による信頼性、プロセスを通じたエンパワーメント、を実現しうるような新たな関係が模索されている」と述べており、こうした視点の重要性が認識されている。個同士の相互作用が集団、社会に影響を与えるという考え方は、CDと同じ流れである。

国際開発分野において、このCDは現在の主要研究課題の一つである。CD研究の流れは、CDが達成されたかどうかの評価方法(特に定量的把握の精緻化)、個別事例分析にもとづいた何がCD推進の要素となるかの判別、ドナーとしてCDをどう事業に生かすか、セクター/プロジェクト毎に異なるキャパシティーを育成する法則性は何か、が中心となっている。ただし、フレームワークを活用した実践プロセスの解明ついては関心をあまり持たれていない。本研究では、そのフレームワークとして「学習する組織」を援用し、組織学習の観点から接近を試みている。

パキスタンが国家政策で積極的に都市スラム開発に取り組みだしたのは1990年代に入ってからで、それまでは強制撤去や強制移転が主流であったか、形だけの低所得者層対策を計画し、実際には中所得者・高所得者が裨益するような開発プランが実施されていた。現政権は住宅政策を2001年に改訂してスラム開発を取り上げ、5ヵ年開発計画においてもスラム開発の項目を策定した。政策上は総花的な項目で、実際に開発事業を計画・実施する地方政府の能力が低いために、具体的な進展は今後の課題である。地方分権化もすすむなか、スラム開発を管轄する郡政府の実施体制には疑問が残り、結局は県政府や都市政府の負担が大きくなると想定される。

こうした行政のリソース不足の状況にあって、パキスタンではNGOによるスラム開発が活発である。南部の巨大都市カラチのスラム地区で開発活動に従事するNGOのOPPや、隣接市での低所得者層対象居住地開発スキーム(KKB)は、住民参加を活かして大きな成果をあげており、同国内のみならず、世界のスラム開発業界において知られた存在である。両団体の手法は開発モデルとしてパキスタンな以外で援用されており、NGOや住民組織だけでなく、政府機関もパートナーとして協働するケースが増加している。キャパシティ・ディベロップメントの観点から学習する組織のフレームワークで再検討してみると、OPPやKKBの活動で成果があがっている部分は、学習する組織たる素養が認められ、それによってキャパシティ・ディベロップメントが達成されたものと考えられる。

パキスタンの首都イスラマバードのスラム地区である「清掃人居住地」において、長期的定点調査を実施している筆者は、パキスタンというムスリム・ドミナントの国家において、クリスチャン・マイノリティであり在地の社会構造で最下層にある清掃人の問題を、居住地改善に焦点をあてて分析した。そして、教育機会や平均収入の低さ、周囲からの差別、行政の関心の薄さなどにより、インフラ整備事情も含めて低開発の状態にある。また、清掃人の間でも、同じ民族で同じ宗教でありながらも協力体制が十分に築けておらず、個人行動は目だって集団での協調行動が難しく、開発が進んでいない。かつてキリスト教団体から多くの援助を受けていたため、依存心も強くなっており、自分たちで何かをしようとの自律的精神は少ない。行政やNGOも清掃人居住地では開発プロジェクトを積極的に展開しないので、一部の住民は自らの手による開発を目指して、住民組織を作り上げた。

しかし、後方支援として外国人専門家やキリスト教会系団体が協力体制にあり、開発プロジェクトに積極的にかかわっている間はよいが、こうした外部者が活動が離れると、組織内部の権力闘争が激しくなり、プロジェクト運営能力が低下するか、組織自体が解体するかとなった。居住地全体を考えながら本人の自覚のもとで能力を高めていくようなリーダーシップを生み出すには至らず、意味のある相互作用も生まれていない。したがって、効果的なキャパシティ・ディベロップメントも生まれ辛い状況下にあると考えられる。他方で筆者は、ポジティブ・アプローチを用いたインタビューを住民に行い、現在の課題を詳細に分析するのではなく、未来をどのように描き、それに向かって住民同士で何をどのようにすれば実りあるプロジェクトが可能になるか、との視点で話し合った。それにより、これまで議論がまとまらなかったプロジェクト方針に合意が得られ、その目標に向かってメンバー一人ひとりが従来以上に活動に取り組むようになったケースが誕生した。ポジティブ・アプローチによって個々人の活動姿勢もかわり、効果的な組織学習も期待できることは学習する組織の理論で既に認められているが、イスラマバードの事例から、住環境改善事業での援用も効果が見込まれることが明らかになった。

途上国都市部での住環境改善事業を効果的に計画し実施するための方法は一つではないが、今回のアプローチは効果が認められた。プロジェクトに関係するステークホルダー、すなわち住民、住民組織、NGO、専門家、行政などが、それぞれプロジェクトにかかわるなかでキャパシティ・ディベロップメントが達成されるには、組織学習を活かしたアプローチも機能的であるといえる。プロジェクトの実践におけるフレームワークとして学習する組織を設定することで、概念としての能力開発でなく、プロジェクトへの個人や組織としての実践における取り組み方の枠組みが明確化することで、プロジェクトの設計や実施が効果的になる可能性が広がり、有用なアプローチとなるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、途上国の都市部における低所得者居住地での住環境改善事業の成果を分析し、その考察結果をもとに開発事業を実践するにあたっての効果的な方法と、そのためのアプローチを考察したものであり、とくに組織学習の観点から、プロジェクトへの参加を通じた個人の学び、組織の学びをいかに有効に活用して成果をあげるとともに、キャパシティ・ディベロップメント(CD)における個人と組織の相互作用性・関係性を明確化して、現場のプロジェクトで実践する際のCDを生成するためのフレームワークを提示した点に新規性ならびに有用性を有する研究であると評価できる。

とくに調査対象地域となっているパキスタンでの長期のフィールド調査に基づく実証的な研究という点で高い学術的価値を有する点についても高い評価が与えられた。本研究が調査対象としているパキスタンが国家政策で積極的に都市スラム開発に取り組みだしたのは1990年代に入ってからであり、それまでは強制撤去や強制移転が主流であったか、形だけの低所得者層対策を計画し、実際には中所得者・高所得者が裨益するような開発プランが実施されていた。現政権は住宅政策を2001年に改訂してスラム開発を取り上げ、5ヵ年開発計画においてもスラム開発の項目を策定されてきたものの、政策上は総花的な項目で、実際に開発事業を計画・実施する地方政府の能力が低いために、具体的な進展は今後の課題となっている。一方、パキスタンではNGOによるスラム開発が活発である。南部の巨大都市カラチのスラム地区で開発活動に従事するNGOのOPPや、隣接市での低所得者層対象居住地開発スキーム(KKB)は、住民参加を活かして大きな成果をあげており、同国内のみならず、世界的にもその有効性が評価され、その方法の適用可能性が模索されており、本研究により、組織学習の観点からの適用可能性が示されたことは、各国における適用に対して新たな道筋をつくるものであると評価できる。

本研究は、組織学習を活かした住環境改善事業に関するアクション・スタディをパキスタンの首都イスラマバードのスラム地区である「清掃人居住地」において実施し、その有効性と課題について詳細に分析している。パキスタンというムスリム・ドミナントの国家において、クリスチャン・マイノリティであり在地の社会構造で最下層にある清掃人の問題を、居住地改善に焦点をあてて分析した。そして、教育機会や平均収入の低さ、周囲からの差別、行政の関心の薄さなどにより、インフラ整備事情も含めて低開発の状態にある。また、清掃人の間でも、同じ民族で同じ宗教でありながらも協力体制が十分に築けておらず、個人行動は目だって集団での協調行動が難しく、開発が進んでいない。このような状況の中で、行政やNGOも清掃人居住地では開発プロジェクトを積極的に展開せず、一部の住民は自らの手による開発を目指して、住民組織を作り上げたが、居住地全体を考えながら本人の自覚のもとで能力を高めていくようなリーダーシップを生み出すには至らず、意味のある相互作用も生まれていない。したがって、効果的なキャパシティ・ディベロップメントも生まれ辛い状況下にある。本研究では、ポジティブ・アプローチを用いたインタビューを住民に行い、これまで議論がまとまらなかったプロジェクト方針に合意が得られ、その目標に向かってメンバー一人ひとりが従来以上に活動に取り組むようになったケースが誕生するという成果を挙げ、ポジティブ・アプローチによって個々人の活動姿勢もかわり、効果的な組織学習も期待できることは学習する組織の理論で既に認められているが、イスラマバードの事例から、住環境改善事業での援用も効果が見込まれることが明らかにしている。

以上のとおり、本研究は、途上国都市部での住環境改善事業を効果的に計画し実施するために、住民、住民組織、NGO、専門家、行政などが、それぞれプロジェクトにかかわるなかでキャパシティ・ディベロップメントを達成するための組織学習を活かした実践的アプローチを提案し、そのアプローチの有効性を長期のフィールド調査に基づいて実証的に明らかにしたものであり、学術的に優れた価値を有していると同時に、途上国における都市貧困地域の環境改善を進めるにあたってきわめて有益な提言となっている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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