学位論文要旨



No 126604
著者(漢字) 一柳,智紀
著者(英字)
著者(カナ) イチヤナギ,トモノリ
標題(和) 話し合いを中心とした授業における児童の聴くという行為 : バフチンの対話論に基づく検討
標題(洋)
報告番号 126604
報告番号 甲26604
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第174号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 岡田,猛
 東京大学 教授 田中,智志
 東京大学 准教授 藤村,宣之
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,教室談話の特徴の相違により,聴くことの特徴がどのように異なるのかという問いに基づき,児童による話し合いを中心とした授業(以下話し合い中心の授業)における児童の聴取内容およびその聴き方の特徴を教室談話に位置づけて明らかにすることを目的とした,全5部9章からなる。

第I部第1章では,近年重視される話し合い中心の授業における聴くことの重要性を指摘した。次に,先行研究では児童の聴取内容およびその聴き方が教室談話に位置づけて考察されていないことを整理した。そこで本研究は,冒頭の目的を達成するため,社会文化的アプローチに基づき,聴くことを言語に「媒介された行為」として「聴くという行為」と捉えることを述べた。さらにバフチンの対話論に基づき,聴くという行為を他者の言葉との「内的対話」(発話が形成される際の先行する他者の言葉と後続の未だ存在しない聴き手の応答の言葉との対話的相互作用)と捉え,分析枠組みとした。そして,教室談話研究の知見から,(1)話し合い中心の授業で求められる聴くという行為の特徴,(2)聴くという行為の課題構造に応じた相違,(3)聴くという行為の個人による相違,(4)聴くという行為に対する教師の支援方略,(5)聴き方と学習内容の理解の関係,(6)聴くという行為の発達的変化,の6点を明らかにすることを研究課題として整理した。

第2章では,上記の研究課題を検討するために実施した,(1)話し合い中心の授業を継続的に実践する小学校での授業観察,(2)直後再生課題,(3)聴くという行為についての担任教師への調査,(4)内容理解テスト,(5)担任教師への半構造化面接の5つの方法について説明した。

第II部では,他者の言葉との「内的対話」により形成された発言から,児童の聴くという行為の特徴を質的に検討した。

第3章では,(1)話し合い中心の授業で求められる聴くという行為の特徴を明らかにするため,観察(12回)に基づき,「聴くことが苦手」と担任教師が認識する対象児1名(4年生)の発言を検討した。結果,対象児の聴くという行為の特徴として(1)問いが出された直後で発言したり話題の異なる発言をしていることから,先行する複数の他児の言葉との「内的対話」により話し合いの流れを捉えることができていないこと,(2)教師への視線,同意・受容を求める発言内容や語尾から,教師の受動的な応答の言葉と「内的対話」がなされており,話し合いを志向していないことが示された。ここから話し合い中心の授業では,話し合いの流れを捉えながら,さらなる話し合いを志向して他児の発言を能動的に聴くことが求められることが示された。

第4章では,聴くという行為の(2)課題構造に応じた相違と(3)個人による相違を明らかにするため,5年生2学級(K, H)における社会科と国語科の観察(計10回)から,「聴くことが苦手」と担任教師が認識する対象児2名の発言を,話し合いが単元固有の知識の獲得・共有に向かう<知識共有型>場面と,多様な考えの交流と理解の精緻化に向かう<理解交流型>場面という課題構造の異なる2場面に着目して検討した。結果,<知識共有型>場面で対象児2名は共通して(1)先行する複数の他児の言葉との「内的対話」により話し合いの流れを捉えることができていない,(2)受動的な応答の言葉との「内的対話」がなされ,話し合いを志向していないことが示された。また<理解交流型>場面で,対象児2名中1名は,話し合いの流れを捉えながら,さらなる話し合いを志向して他児の発言を自己の理解と結びつけて聴いていることが示された。他1名は,話し合いの流れを捉えることや,他者とテキストと自己という3項の異なる言葉との「内的対話」に困難があると推察された。ここから聴くという行為の課題構造に応じた相違に加え,その相違のあり方が児童により異なることが示された。一方では,教師によるリヴォイシングが,児童の聴くという行為を支援することが示唆された。

第III部では直後再生課題を用い,再生記述に反映された他者の言葉との「内的対話」の分析により,発言しない児童を含め,聴くという行為の特徴と教師による支援を質的・量的に検討した。

第5章では,(2)聴くという行為の課題構造に応じた相違を明らかにするため,第4章で扱った2学級で実施した直後再生課題を比較検討した。その際,社会科単元で<知識共有型>場面,国語科単元で<理解交流型>場面がそれぞれ中心に見られたことから,両教科単元を課題構造の異なる単元として位置づけ,比較対象とした。結果,発言の有無にかかわらず,「よく聴くことができる」と担任教師が認識する児童は,発言者と発言内容を結びつけ,話し合いの流れを捉えながら他児の発言を自分の言葉で能動的に推論して聴いていることが明らかとなった。ただし,発言を自分の言葉で捉え直した再生数は両学級共に<知識共有型>単元よりも<理解交流型>単元で多く,また発言者名に言及した再生や複数発言を統合した再生は同一課題構造でも学級間で回数に有意差があった。ここから,課題構造と学級の,双方による教室談話の相違が聴き方に影響することが示された。また教師によるリヴォイシング方法の相違が,話し合いおよび聴き方に影響することが示唆された。

第6章では,<知識共有型>の社会科単元における(4)聴くという行為に対する教師の支援方略を明らかにするため,第5章で扱った5年生2学級(K, H)の社会科授業を対象に,教師のリヴォイシング方法と再生記述の関係を検討した。さらに(5)聴き方と学習内容の理解の関係を明らかにするため,内容理解テストの結果を合わせて検討した。結果,話し言葉および板書を伴いリヴォイスされた児童の発言に対する再生数が,両学級で全再生の6割以上を占めたことから,教師のリヴォイシングが他児の発言を聴く機会を与え,聴くという行為を支援していることが明らかとなった。また,リヴォイシングにより個々の発言内容が明確化される学級Kでは発言者名に言及しながら自分の言葉で他児の発言を捉え直した再生数が学級Hより多いのに対し,リヴォイシングにより発言が主題に即して整理される学級Hでは板書された発言を中心に複数の発言を統合した再生数が学級Kより多かった。ここからリヴォイシング方法の相違が聴き方に影響することが示された。さらに,上記の聴き方が学習内容の理解へ影響することも示された。学級Kでは,学習内容を自らの言葉で表現する問題で学級Hより高得点であり,他児の発言を自分の言葉で能動的に推論する聴き方が,自分の言葉による内容の意味理解を促したと推察された。学級Hでは文脈や主題に即した学習内容の体系的な理解を測る問題で学級Kより高得点であり,話し合いの流れを捉えた聴き方が授業の文脈や主題に即した体系的な理解を促したと推察された。

第7章では,<理解交流型>の国語科単元における(4)聴くという行為に対する教師の支援方略を明らかにするため,第5章で扱った2学級を対象に,リヴォイシングと合わせて教師によるテキスト参照の促しに着目した。結果,話し合いにおける被言及回数の多さや発言比率に対する再生比率の高さから,両学級の児童がテキストの記述を引用した発言および他児の発言に言及した発言により注意を向けて聴いていることが明らかとなった。また両学級で,再生者の多さから,話し合いの中で音読や発問によりテキスト参照を促す教師の働きかけが,テキストの記述を引用した発言とその聴取を支援していることが示された。さらに,再生者の多さから,児童の問いやそれに対するリヴォイスも読解の授業における聴くという行為を支援していることが示された。ただし再生スタイルから,学級による聴き方の相違も示された。

第IV部第8章では,第III部で扱った2学級におけるテキスト読解授業の談話と直後再生記述を5・6年時間で比較し,(6)聴くという行為の発達的変化を検討した。結果,両学年で両学級の児童はテキストの記述を引用した発言を多く再生する一方,6年時にはテキストの記述を引用していない他児の発言に言及した発言を5年時よりも多く再生していた。また6年時には5年時よりも発言者名に言及しながら他児の発言を自分の言葉で捉え直した再生数がより多かった。ここから,テキスト読解授業における聴くという行為の発達的変化として,テキストの記述を引用した発言に加え,他児の発言に言及した発言に対しても,発言者と発言内容を結びつけ,自分の言葉で能動的に推論して聴くことが習得されることが示された。この発達的変化の要因として,加齢による発達だけでなく,聴くことを重視した教師の授業実践の影響が示唆された。ただし,複数発言を統合した再生数は増加したものの両学年を通じて1人授業平均1回未満と少なく,小学校高学年にとってテキスト読解授業で話し合いの流れを捉えて聴くことが難しいことも示唆された。

第V部第9章では,第3章から第8章の知見を踏まえ,話し合い中心の授業における聴くという行為の特徴について総合的な考察を行い,本研究の意義と課題を整理した。本研究では,他者の言葉との「内的対話」に着目することで,従来可視化されなかった聴くという行為が,児童,話し合いの対象となる課題,両者を媒介する教師という3者の相互作用の中で形成される様相を明らかにした。さらに本研究では,発言しない児童も含めて聴くという行為の特徴を明らかにすることで,教室談話の持つ意味や機能を聴き手との関係において明らかにした。今後の課題として,教師の教材観や授業計画と話し合いの展開および聴くという行為の関係を検討することや,直後再生課題と他の方法の併用により聴くという行為を複眼的に検討することなどが残された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、小学校での話し合いを中心とした授業に焦点を当て、教室談話の特徴による児童の聴取内容およびその聴き方の相違を教師ならびに児童の参加のあり方から分析検討し考察している。論文は5部9章から構成されている。

第1部第1章では、教室談話に関する先行研究を整理し、児童の聴取内容と聴き方が教室談話に位置づけられて考察されていない点を指摘し、6点の分析すべき課題を具体的に導出し、聴くことを他者の言葉に媒介された内的対話として捉えるバフチンの対話論を分析の理論的基盤として述べている。第2章では、聴く行為を捉える研究方法を整理し、分析課題に応じて、授業観察、直後再生課題、内容理解テスト、聴くことへの教師調査ならび半構造化面接法を組み合わせた、本論文全体の研究方法が論じられている。

第2部第3章では、聴くことが苦手と担任教師から認識される1名の児童の発言の12時間の観察による質的分析から、話し合いの流れを捉えていない点と話し合いを志向していない点を導き出している。そして第4章では、同学年2学級10時間の授業観察の分析から、聴くことが苦手とされる2名の児童の、知識共有型、理解交流型という異なる課題構造における聴き方の相違を、彼らの発言の特徴から明らかにしている。

第3部では、授業観察に加えて直後再生課題を用いることで、教師評定による聴く能力の高・中・低群間での相違を、授業中発言しない児童も含めて検討している。第5章では同学年2学級を対象に、高群児童が他群に比べて言い換え、要約、発言者名の記憶といった聴き方をしていること、ただし知識共有型と理解交流型と言う課題構造、学級による教師のリボイシング方法が児童の聴き方の相違に影響を与えることを示している。第6章では、知識共有型授業での教師の聴くことへの支援を検討し、リボイシングの差異が児童の再生や内容理解に影響を及ぼすことを指摘している。また第7章では、理解交流型授業での教師の支援を検討し、リボイシングだけではなくテキスト参照や他児発言への言及に関する支援を行なっていることを明らかにしている。

第4部8章では、第2部で取り上げた学級の2年間の時系列比較により、小学校高学年でテキスト引用や他児発言への言及などに加え、自らの言葉で能動的に統合して推論し聴くことが習得されていくことを明らかにしている。そして第5部9章では、論文を総括し、本研究の意義と今後の課題を論じている。

本論文は、聴くという行為に焦点を当てることで、非発言児童も含めて授業の文脈や状況と児童の理解とのダイナミズムを記述した点で独自性が高い学術論文であり、授業研究に対する新たな視座を提示した論文であると評価された。よって本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに十分にふさわしい水準にあるものと判断された。

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