学位論文要旨



No 126607
著者(漢字) 須藤,康介
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,コウスケ
標題(和) 学校教育と学力の階層差に関する実証的研究 : 中学校の理数系教科に注目して
標題(洋)
報告番号 126607
報告番号 甲26607
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第177号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐藤,香
 東京大学 教授 本田,由紀
 東京大学 教授 橋本,鉱市
 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 准教授 勝野,正章
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、中学校の理数系教科に焦点を当て、学校教育と学力の階層差の関係を実証的に示すことである。序章「学力問題へのアプローチ」においては、本論文の問題設定や学問的位置づけ、研究手法などを示した。

第1章「学力の階層差に関する実証研究の動向」では、日本とアメリカにおける学力の階層差に関する実証研究をレビューした。その結果、日本においては、2000年代以降に学力研究の蓄積が進んでいるものの、学力の階層差が生じる過程や、それを克服するための方策は十分には明らかにされていないことが分かった。いわゆる「効果のある学校」研究には、どうすれば「効果のある学校」になれるのかという問いに対する答えが明らかにされていないことなどの課題がある。また、それ以外の実証研究についても、分析におけるサンプルの限定性や因果推論の不確かさといった課題が残されている。

一方、アメリカは過去においても近年においても、学力の階層差に関する実証研究の蓄積が豊富であった。さらに、アメリカにおける実証研究の多くがパネル調査の分析に基づいたものであり、サンプルサイズも大きく、マルチレベル分析による精緻な多変量解析が主流となっているため、分析の信頼性は高いと言える。具体的な知見としては、学校と保護者の連携の陥穽、客観的成績評価の重要性、マイノリティ教師の存在意義、低学年教育の重要性、アカウンタビリティ政策の限界などが得られていた。

もっとも、アメリカで得られた知見が日本に適合するかどうかは、実際に検証してみなければ分からない。欧米の知見の安易な輸入は厳に慎むべきであるが、研究内容や手法の点で参考になる点が多く見出されるというのが結論であった。

第2章「学力とその階層差の実態分析」では、日本の中学生の理数系学力とその階層差の実態を、TIMSSとPISAの主に経年分析を通して明らかにした。その中で得られた主な知見は以下の三点である。第一に、2000年代において、平均値としての学力はごくわずかに低下しているか、概ね同水準を保っているかのどちらかである。一連の学力論争を経て学力重視の風潮が強まったためか、顕著な学力低下は進行していない。

第二に、2000年代において学力の階層差は拡大した可能性が高い。この理由は複数考えられるが、学力の階層差の拡大が2000年代初めで顕著に起こっていることをふまえると、学力論争によって学力低下不安が強まったことが一因と考えられる。すなわち、学力低下不安が強まる中で、階層上位の家庭は、通塾や中学受験といった戦略を採ったが、階層下位の家庭が、それらの戦略を積極的に採ることができなかった結果として、学力の階層差が拡大したという解釈である。学力論争の「意図せざる結果」とも読み取れる。

第三に、学力を規定する階層要因としては、親学歴と文化資本が特に重要である。親職業が重要な要因とならないのは、日本では職業が一つの社会集団として未成熟であることと関連しているのかもしれない。中学生の学力に関して「学歴・文化資本による分断」が生じているという視点を提示することができた。以上の基礎分析をふまえて、次章以降で学校教育が学力の階層差に与える影響の分析に進んだ。

第3章「授業方法が学力の階層差に与える影響」では、理科の授業方法が学力とその階層差に与える影響を明らかにした。TIMSS2003から、授業方法を旧学力観タイプと新学力観タイプに区分して分析を行ったところ、主に以下の三点の知見が得られた。第一に、旧学力観タイプの授業方法の中でも、聴講演習型は特に階層下位の生徒の学力向上につながるが、宿題試験型はすべての階層の生徒に学力低下をもたらす。宿題試験型では、新しいことを学ぶという行為が不足しがちになることが、理由の一つと考えられる。

第二に、新学力観タイプの授業方法の一つである社会日常型は、階層上位の生徒の学力だけを向上させるため、学力の階層差の拡大をもたらすが、学力低下を引き起こすわけではない。また、同じく新学力観タイプの実験調査型は、すべての階層の生徒の学力をわずかに低下させる。これは、社会日常型ではバーンスティンの用語での精密コードが、実験調査型では限定コードが多く用いられることに由来すると考えられる。

第三に、社会日常型と聴講演習型が組み合わさると、学力に対して付加的な効果が生じる。つまり、両者を組み合わせることで、すべての階層の生徒に均等に大きな学力向上をもたらすことができる。ただし、実験調査型と聴講演習型が組み合わさると、むしろ負の相乗効果が生じる。以上の知見から、新学力観タイプの授業と旧学力観タイプの授業を二項対立的に捉える考え方から脱却し、多種多様な教育実践の中から、今後も有用と思われる教育実践(およびその組み合わせ)を見つけ出す必要があることが示唆された。

第4章「学習方略が学力の階層差に与える影響」では、学習方略と学力と階層の関係を数学について明らかにした。PISA2003の分析から、主に以下の三点の知見が得られた。第一に、学習方略の使用には階層差が見られるが、学習時間の階層差ほど顕著ではない。すなわち、学習方略はそれほど階層固定的ではない。

第二に、学習方略の中でも、定着確認方略と手順暗記方略は学力に正の効果であるが、応用関連方略は負の効果である。この理由は、定着確認方略や手順暗記方略と比べて、応用関連方略は個人で効果的に行うことが困難であるためと考えられる。

第三に、学習方略の効果にはかなりの階層差が見られ、定着確認方略は階層下位の生徒にとって効果が大きく、反対に応用関連方略は階層下位の生徒に大きな負の効果をもたらす。この理由は、応用関連方略を効果的に行うためには、各種の文化資本や社会関係資本が必要となるためと考えられる。応用関連方略の学習を推進することは、階層下位の生徒の学力を地盤沈下させる可能性がある。もちろん、以上の知見から、応用関連方略の意義を全否定してしまうこともおそらく正しくない。応用関連方略は学習への興味の喚起などにはつながっているかもしれないし、短期的には学力向上につながらなくても、長期的には効果をもたらすといったことは十分に考えられる。本分析が示しているのは、少なくとも現時点の生徒たち(特に階層下位の生徒たち)にとっては、応用関連方略が学力につながりにくくなっているということである。

第5章「習熟度別指導が学力の階層差に与える影響」では、数学の習熟度別指導の効果を分析した。TIMSS2007の分析の結果、中学生全体としての学力水準に対して、習熟度別指導は正の効果も負の効果も及ぼさないことが分かった。学力向上を目指すのであれば、習熟度別指導ではない他の方策を検討する必要がある。

そして階層という観点に立ったとき、習熟度別指導はわずかではあるが、階層上位にとって負の効果、階層下位にとって正の効果であった。したがって、習熟度別指導の実施は学力の階層差を縮小させる可能性がある。日本における習熟度別指導は、補償教育の側面を有しているのである。この知見は、アメリカにおける習熟度別指導に関する知見と正反対であり、基礎クラスに重点的に資源を配分する、日本型の習熟度別指導の特徴であると考えられる。すなわち、能力による差別・排除を忌避する日本の学校文化が反映され、このような習熟度別指導の効果が生じていると解釈できる。

また、習熟度別指導と学習意欲の関係についても分析を行ったところ、階層上位の生徒は、学習意欲が高まっているにも関わらず学力が低下しており、階層下位の生徒は、学習意欲が変化していないにも関わらず学力が向上していたことが分かった。このことから、生徒の学習意欲と学力を同一視して議論を進めることが、少なくとも習熟度別指導の効果に関する議論においては、適切ではないことが示唆された。

第6章「学校環境が学力の通塾格差に与える影響」では、どのような学校環境が生徒の学力に影響を与えるのかを、学習塾に通っている生徒と通っていない生徒の比較検討を通して明らかにした。文部科学省「全国学力・学習状況調査」の2007年X県データの数学の分析から、主に以下の三点の知見が得られた。第一に、学習塾に通っていない生徒は、通っている生徒と比べて、家庭環境や地域の社会経済状況によって学力が左右されやすい。つまり、学校教育による手厚い学力保証を必要としている。

第二に、学校環境と学力の関連を見た場合、教師一人あたりの生徒数を少なくし、経験豊富な教師を多く集めることが、非通塾層の学力向上につながり得る。教師を増員することによって、教師生徒比を小さくすれば、教師がゆとりをもって授業準備や生徒対応をできるようになり、生徒の学力向上に資すると考えられる。一方、経験豊富な教師を多く集めることは容易なことではないが、現実的な方策としては、退職した有能な教師を嘱託として再雇用することや、若手の教師に対する研修を充実させることがあり得る。

第三に、教育実践(ソフトな学校環境)と学力の関連を見た場合、放課後に学習サポートを行ったり、教師が校内授業研究を積極的に行ったりすることが、非通塾層の学力向上をもたらす。若手の教師が増加することが予想される近い将来、校内での授業研究の重要性はますます増大するかもしれない。もちろん、これらすべてを可能にする条件として、教師の増員が考えられる。

終章「学力問題への示唆」では、以上の実証分析をまとめ、そこから導かれるインプリケーションを提示した。本研究が、階層の再生産論、学校効果論、実践的教育学、教育政策研究という四つの学問領域の中に位置づくことと対応させ、それぞれに対するインプリケーションを議論した。最後に今後の研究課題を示した。

審査要旨 要旨を表示する

2000年代に入ってから、国際的な学力到達度調査の結果などを受け、学力をめぐる問題が、教育にかかわる研究のなかで主要な課題となってきた。なかでも、社会的に大きな関心を集めたのは、学力の階層差が実証的に示されたことであった。本研究は、この学力の階層差の拡大・縮小にかかわる問題を、中学校の理数系教科に焦点をあてて、学校教育における授業方法や学習方法、学校環境との関係から明らかにした研究である。

本論文は8つの章と補論よりなる。序章で問題設定と位置づけ、使用される調査データが説明され、1章で日米の先行研究のレビューがなされている。米国の研究動向と比較した場合、日本の研究に明らかに不足しているのが大規模な学力調査データをもちいた実証的研究であることが示される。2章では、中学生の理数系学力およびその階層差の推移が示される。平均的な学力はわずかな低下あるいは同水準であるものの、2000年代を通じて学力の階層差が拡大したことが明らかにされる。

3章では教師による理科の授業方法が学力とその階層差に与える影響が、4章では生徒本人による数学の学習方略が学力とその階層差に与える影響が分析される。3章からは聴講演習型の授業が階層下位の生徒の学力向上をもたらすこと、宿題試験型・実験調査型はすべての階層で学力を低下させること、社会日常型の授業は階層上位にのみ学力向上をもたらすことが示される。また、社会日常型と聴講演習型の組み合わせは学力を向上させる一方、逆に実験調査型と聴講演習型の組み合わせは負の相乗効果をもつことも明らかにされる。4章からは定着確認方略と手順暗記方略が学力向上をもたらすこと、とくに階層下位の生徒にとって定着確認方略が学力向上に結びつく一方、応用関連方略は学力低下をもたらすことが示された。

5章では、数学の習熟度別指導の効果が分析され、全体としての学力にはほとんど効果がないが、階層下位の生徒には学力向上、階層上位の生徒には学力低下をもたらす傾向がやや認められ、補償教育の役割を果たしていることが明らかにされる。6章では、学習塾に通っている層と通っていない層との比較分析をおこない、学習塾に通っていない層では、教師生徒比や教師の平均年齢などの環境条件によって学力が影響されることが示されている。

これらの知見をもとに、終章ではインプリケーションと今後の課題が述べられる。ここで強調されるのは、出身階層によって学力が規定される部分はあるにしても、授業方法や指導する学習方略、学校環境によっては階層差が縮小されうる点であり、その諸条件が具体的に述べられる。

以上のように、本研究は、変数の制約など二次分析に特有の限界はあるものの、中学生の理数系教科の学力とその階層差について、学校教育が果たす役割を、精緻な解析手法をもちいた大規模な学力調査データの分析によって解明するとともに、その理論的な意義を示した点で、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと考えられる。以上により、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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