学位論文要旨



No 126617
著者(漢字) 入江,秀晃
著者(英字)
著者(カナ) イリエ,ヒデアキ
標題(和) 調停政策論 : 日本と米国における調停機関運営と調停実務の実態に関する研究
標題(洋)
報告番号 126617
報告番号 甲26617
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第254号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 教授 ダニエル,フット
 東京大学 教授 佐藤,岩夫
 東京大学 教授 高原,明生
 東京大学 教授 齋藤,誠
内容要旨 要旨を表示する

1.本論文のねらい

民間調停を拡充活性化する目的でADR法(裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律、2004年法律第151号)が2004年に成立し、2007年から施行されている。しかしながら、たとえば、申立件数という意味で、ADR法によって民間調停が活性化されたという結果に至っていない。

本論文では、民間調停に関する政策をどのように行うのがよいかを考える。そのために、民間調停機関の活動実態の内実に分け入って、それが「機能している」か「機能していないのか」を研究する。

本研究における第一の特徴は、調停の実態を捉えるために、(1)制度からくる制約と、制度による支援の仕組みと量(件数)に関する分析、(2)提供者(調停機関、調停人)側の調停手続提供の意図に関する分析、(3)調停の実務実態の分析、(4)利用者から見た調停手続へのニーズの分析、と4つそれぞれに分けて検討していく視点を持ったことである。つまり、調停を取りまく、制度、提供者、利用者という主体との調停実務の関係を分析することで、調停実務実態を浮かび上がらせようとした点にある。

第二の特徴は、和田仁孝『民事紛争処理論』(和田 1994)によって提唱されたプロセス志向の調停論の視点、棚瀬孝雄の『紛争と裁判の法社会学』(棚瀬 1992)で示された機能論等を参照し、調停機関が具体的に果たしている機能ステージモデルを新しく提案した上で、実態の分析を行う点にある。すなわち、「期待の調整」、「対話の支援」、「計画の調整(結論の創出)」、「履行の支援」という臨床実践レベルの4つのステージと、「機関運営」という合計5つの機能ステージを設定した上で、それぞれのステージにおける具体的な課題は何か、行われている工夫は何か、当事者にとってのメリットは何かを詳しく検討する。わが国における調停論では、筆者のいう「結論の創出」ステージに関心と議論が集中していた。その呪縛が形成された歴史的経緯を分析する(7章「戦前の調停論再評価の可能性」)と共に、呪縛から離れて調停の実態そのものを明確に捉えるためのアプローチとしての機能ステージモデルに従って、実際にわが国の調停実務事例を分析する。

第三の特徴は、上記の視点を持って、米国と日本の調停を比較分析したことである。わが国における調停と米国における調停は、対照的な側面が少なくない。しかし、異なっているから学べないということではなく、むしろ異なっているからこそ、わが国の課題が明らかになる効果が認められる。

2.米国の調停に関する歴史的制度的研究

まず、1部で米国での発展を歴史的制度的に検討する。量的にはどのように発展してきたのか(2章「制度及び量の面での考察」)、質的・理論的にはどのような議論が行われてきたのか(3章「調停政策の位置づけ」)、現況の実態はどうなっているか(4章「機関運営」5章「手続進行」)、を検討する。

このような分析過程を通じて、本当のところでわが国と米国はどの程度違うのかを改めて考える。実際には、日米で調停現場での悩みには類似性が認められる一方で、調停政策における理念、議論の状況は異なっている。

詳しく見てみると、米国でも最初から調停が現在のような活況に至ったわけではない。70年代には周縁的な存在にすぎなかった調停が、理論的な発展(代表的には、Menkel-Meadow、Bush、Mayerなど)や、制度的な発展(財政支援や、裁判所からの事件回付)を徐々に積み重ねていく課程で、大きな存在感のあるものに成長した。

しかし、4章で見るコミュニティ調停の実際(4章1節「コミュニティ調停の現在」参照)にしても、5章で見る<情報を得た合意>の問題にしても、まだまだ課題は多く、それぞれの課題に対して実務に取り組みながら、理論化も試みるといった状況にある。たとえば、裁判所からの支援を得つつ、裁判所の文化とは異なる固有の価値を守ろうとしていること。多様性を追求しつつも、合理的で効率的な機関運営を行おうとしていること。紛争の個別性に寄り添い、当事者の自己決定を最大化しようとしつつも、公正さ確保の観点で並々ならぬ努力が払われていることを見る。このように、現在でも様々な葛藤の中で工夫が積み重ねられ、少しずつ成長している。理想的でない実態の状況も含めて、動態としての米国の調停実務を考察する。

3.わが国の調停に関する歴史的制度的研究

2部における、わが国の民間調停の研究に関しても、制度、提供者、利用者との関係で見ていく。つまり、はじめに制度及び量の面の考察によって沿革を整理する(6章「制度及び量の面の考察」)。ここでは、民間調停に限らず戦後の調停制度の概括的な沿革を見た後、民間調停活性化を建前とするADR法形成過程を分析する。特に、財政面と弁護士法・弁護士会関係の問題などの重要な問題が、どのように積み残されたかを見る。その上で、わが国の司法調停のプレゼンスの大きさと、民間調停のそれの小ささを見る。

続いて、調停の位置づけに関する理論的検討を行う。本研究のひとつの特徴は、この検討を大正期に遡る点にある。戦前の調停論は、民間調停ではなく司法調停を対象とするが、調停の政策的位置づけを決定づける「考え方」には大きな影響をいまなお与え続けている。具体的には、穂積重遠と牧野英一という2人の調停に関するイデオローグの思想的相異を軸に、わが国の調停観の変遷を検討し、その今日的意義を探る(7章「戦前の調停論の再評価の可能性」)。

わが国の調停の実務に関しては、筆者が行ったフィールドワークの成果を8章と9章にまとめている。弁護士会、司法書士会、市民団体の調停機関をケーススタディとして取りまとめ、その概況を見る(8章1節「わが国の民間調停機関のケーススタディ」)。また、弁護士会の実際の料金体系などの実データを使ってコスト構造を分析する(8章2節「民間調停機関のコスト構造の分析」)。ここでは財政面で見た厳しい運営実態を浮かび上がらせられよう。米国の調停の進展の経緯と決定的に違う点がこの財政面の下支えの問題であり、わが国の民間調停機関運営者には自覚されていた課題とは言え、これまでどちらかと言えば避けられてきた問題を正面から見据えようと努力する。

個別の事例に関して、前述の機能ステージ別に見た実証研究結果をまとめる(9章「事例に見る民間調停活動の課題と成果」)。さまざまな制約から来る現実的な課題を具体的に見た後、にもかかわらず、当事者にとっても社会にとっても確かに価値をもたらしている活動が存在する点を分析する。民間調停の利用が進まない原因の中心は、一般市民からの認知度が低いといった理由よりもむしろ、弁護士その他の専門家の手続きへの信頼が低いという点にある。その信頼性の低さの背景には、民間調停手続自身がたとえば司法調停に比べて充実していないためという側面もあるが、弁護士その他の専門家が現実に民間調停が生み出している価値を正しく理解していないという側面もある。こうした実態は、政策的選択肢の優先順位を見直す必要性を示唆している。

実証研究の最後のパートは、利用者側から見た分析である。つまり、どんなニーズが存在するのか(10章2節「調停手続に対する期待の構造」)、実際に利用した者はどのような評価を加えているのか(10章3節「調停手続の満足・不満足の構造-岡山仲裁センターの利用者アンケートデータ分析」)を研究する。これらの利用者側からの評価には、量的研究手法を採用している。従来、調停の進め方に関する議論は、ともすれば水掛け論的で、実際に調停に携わる実務家は現状追認的になり、携わっていない者は現状批判的になりがちであった。利用者側から見たニーズと満足度の分析を詳細に行うことにより、利用者が手続きを現実にどのように評価しているかを明らかにできる。こうした分析は、利用者満足度の向上につながる形で実務を規律するためには、必須のはずであるが、現実にわが国ではこれまでほとんど行われてこなかった。本研究により、たとえば不利な結論となる側の当事者から満足度を下げないために、どのように調停進行上留意すればよいかを同定できる。

4.民間調停の促進政策に関わる選択肢

3部では、これら1部での米国の分析、2部での日本の分析を受けて、政策的選択肢を整理する。11章でステークホルダ別に見た調停政策を検討(社会レベルの課題)し、12章でスキルと箱モノの中間領域の研究必要性を述べ(機関レベルの課題)、最後の13章で調停トレーニングの方法論(調停人個人レベルの課題)を扱う。

財政面と弁護士法・弁護士会関係の問題という簡単には超えられそうにない壁への考え方・認識を変化させる手がかりを模索すると共に、既に活動している様々な担い手が社会から認められ力を蓄えるためにどのように動いていく余地があるかを検討していく。

ここで、民間調停は、民間型裁判外紛争解決手続としての「和解の仲介」活動の総体を指す。

棚瀬, 孝雄 (1992) 紛争と裁判の法社会学, 法律文化社和田, 仁孝 (1994) 民事紛争処理論, 信山社.
審査要旨 要旨を表示する

本論文「調停政策論:日本と米国における調停機関運営と調停実務の実態に関する研究」は,裁判外紛争解決制度(ADR: Alternative Dispute Resolution)の思想,理論,実態,及び法政策について,民間調停機関を中心として,日本およびアメリカ合衆国を比較対象として遂行した本格的かつ包括的な法社会学研究である.

司法制度改革審議会意見書(2001年6月12日)における「ADRが,国民にとって裁判と並ぶ魅力的な選択肢となるよう,その拡充,活性化を図るべきである」との意見を受けて2004年に「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」(2004年法律第151号,以下「ADR法」と呼ぶ.)が制定された.しかし,2007年4月の施行後3年以上を経過したが,裁判所内の手続である司法調停(民事調停並びに家事調停)及びごく一部の民間型ADRを除けば,日本における民間型ADRのほとんどでは,処理件数が低迷しており,活性化がなされたとは言い難い状況である.その原因とあるべき政策を探るべく,本研究は民間型ADRとしての「和解の仲介」活動の総体としての「民間調停」を中心的な対象として研究している.

本研究は,民間調停による紛争解決及び調停トレーニングの実践に携わっている著者が,日本のADRを活性化させたいという政策的志向を背景としつつ,アメリカ合衆国および日本のADRについて,その発展の歴史的経緯及び現状の実態を社会科学的に解明するために,法社会学的な理論枠組みを構築し,実証研究を行った成果である.今後のADR研究において必ず参照されるべき本格的研究であるということができる.

本論文は,文献目録,索引,付属資料(実施した種々の質問票調査のアンケート調査票など)を含めてA4(1頁あたり1600字)で323頁の長大な作品である.論文構成としては,理論枠組みを提示する「序」,アメリカ合衆国の調停に対する歴史制度的分析を行う第一部,日本の調停に対する歴史制度的分析及び実証的調査研究を行う第二部,以上の研究成果を受けて民間調停の活性化政策に関わる選択肢を論じる第三部,および「希望としての調停」と題する結語から構成されている.

以下では本研究の概要をかいつまんで説明する.

「序」では本研究の方法論と理論枠組みが提示される.

本研究の目的は,未だ低調な民間調停を活性化するためにいかなる法政策をどのように行うのがよいかを考えるための法社会学的基礎を築くことである.従来のADR研究が,ともすると理念論,裁判の結論(法的結論)とADRの結論との乖離の当否の問題,および,紛争解決スキル論に重点を置き過ぎていたのではないか,との問題意識から,現実の制度,調停人,調停利用者の実態を把握し,不活性であることの原因を実証的に解明することを研究の出発点とする.すなわち,現実の活動実態の内実と制度との関係を分析することで,何が真の阻害要因であり,何が真の活性化策であるかを明らかにしようとする.そのために,現在の調停実務を形作ってきた歴史制度的な切り口と,調停人や調停利用者への面接調査や質問票調査,事例研究などの実証的手法とを用いることになる.

まず,(A)制度からくる制約と,制度による支援の仕組みと量(件数)に関する分析(「制度と量」),(B)提供者(「調停機関,調停人」)側の調停手続提供の意図に関する分析(「提供者の意図」),(C)調停の実務実態の分析,(D)調停利用者から見た調停手続へのニーズの分析(「利用者からのニーズ」),という枠組みを設定し,手続過程(プロセス)そのものに注目した視点に依拠して検討する.

分析の方法論としては,上記(A)制度と量及び(B)提供者の意図の分析においては,アメリカ合衆国と日本の文献及び観察・面接を通じて蒐集したデータに基づいて,沿革的な進展を,定性的に分析する歴史制度的なアプローチを採用する.

上記(C)調停の実務実態の分析においては,民間調停の機能分析のために,臨床心理学の理論モデルを参考として,手続段階ごとに果たしている機能ステージを設定し,分析を加える視点で検討する.具体的には,「調停機関の機能ステージ」として,(1)期待の調整,(2)対話の支援,(3)計画の調整(結論の創出),及び(4)履行の支援からなる臨床実践レベルのステージと,(5)機関運営という全部で5つの機能ステージが構築されている.

(1)期待の調整ステージとは,当事者の調停手続に対する期待と,調停機関の提供する手続メニューの調整を行う機能ステージであり,相談,申立受付,相手方への参加呼びかけ(応諾要請)などを指す.(2)対話の支援ステージとは,両当事者のコミュニケーションを支援する機能ステージであり,両当事者が真に求めるもの(ニーズ)に配慮し,当事者間の事実認識の共通部分と相違部分を確認し,当事者間の気持ちの調整にも気を配りながら,対話を支援する機能を指す.(3)計画の調整ステージとは,両当事者が,当該紛争を含めて,これからどうしていくかを決めていくための調整作業のステージであり,端的には結論(アウトカム)の創出を指す.(4)履行の支援ステージとは,紛争解決のために約束を実行する活動を支援する機能ステージである.(5)機関運営ステージとは,紛争解決機関の内側のマネジメント及び外部機関との関係マネジメントの両面における活動全般を指す.この五段階機能ステージ・モデルを用いて調停の実務実態を解明することになる.データに関しては,紛争解決事例などフィールドワークによって入手した情報を中心にその実態に迫る質的研究と呼ばれる手法が採用される.

(D)利用者からのニーズの分析においては,観察調査及び面接調査に基づいて構築した質問票調査によって蒐集したデータ及び民間調停機関から提供を受けた利用者調査のデータなどの統計分析を行う.

以上の理論的枠組設定と方法決定を受けて,第一部では,まず,アメリカ合衆国の民間調停を検討する.すなわち「序」で提示された(A)制度と量,(B)提供者の意図,(C)調停の実務実態,及び(D)利用者からのニーズの枠組みで検討が進む.

(A)制度と量の分析としては,まず,日米の状況の概況比較によって,なぜ,あるいはどのようにアメリカ合衆国の民間調停を検討するかについての展望が示される(第1章).その上で,アメリカ合衆国の民間調停がどの程度盛んなのか,そこに至った制度変更には何があったのかを検討する(第2章).アメリカ合衆国の民間調停に対しては公的及び私的な財政的支援の手当てがなされ,調停人の供給にはボランティアリズム等による社会的仕組みが存在している.法的にも,調停手続で話された内容について調停人には守秘義務を課すだけでなく,逆に証言拒絶権等の秘匿特権を認めるようになっていること等を指摘している.

(B)提供者の意図の分析としては,様々に変遷・発達してきたアメリカ合衆国の調停理論について,そこでの調停政策の位置づけを,理論ないしイデオロギーの変遷として整理し,これが調停実務にどのような影響を与えたのかを検討している(第3章).いわゆるウィン・ウィン型の問題解決交渉の理論に基づく調停理論から,紛争当事者の自己決定を尊重する自主交渉援助型調停,さらには,紛争を顕在化させ紛争を噛み合わせる者として調停人を積極的に位置づける「コンフリクトエンゲージメントアプローチ」へと理論的発展が進められていることが紹介される.その上で,機関運営の方法論及び機関運営のケース・スタディ研究を整理検討している(第4章第1節).ここでは機関運営者が道徳的な動機で運営することの多いコミュニティ調停に着目してフロリダ州での取り組みが検討されている.

(C)調停の実務実態の分析として,調停の手続進行に関して,自主交渉援助型調停とはどのようなものかについて,調停トレーニング教材の分析を通じて解明している(第4章第2節).アメリカ合衆国の調停マニュアルにおいては,制度設営方法や財源開発(資金調達)方法など,組織論・経営論的なアドヴァイスも丁寧になされていることが指摘されている.その上で,自主交渉援助型調停が紹介される(第5章第1節).自主交渉援助型調停とは,調停人が両当事者の間に入り,当事者同士の対話が正しく成立するように援助し,その際に当事者間の対話のプロセスには支援介入するが,対話の内容への評価,話合いのアジェンダ設定,紛争解決合意形成には介入を差し控えるタイプの調停である.調停人にはコミュニケーション・スキルが求められる.次いで,自己決定を重視する自主交渉援助型調停において,公正さ確保のための「情報を得た同意(informed consent)」の問題をどのように扱っているかが検討・紹介される(第5章第2節).このように自己決定中心主義として紹介されることの多いアメリカ合衆国の調停においても自己決定と公正性のバランシングが追求されていることを明らかにしている.

アメリカ合衆国におけるADRを上記のように整理した上で,第二部では日本の民間調停を検討する.やはり「序」で提示された(A)制度と量,(B)提供者の意図,(C)調停の実務実態,及び(D)利用者からのニーズの枠組みで検討が進む.

(A)制度と量の分析として,日本の民間調停の沿革をこの見地から再整理する(第6章第1節).民間調停の他,司法調停や行政型ADRなどの沿革を戦後中心に概観し,戦後の調停制度の歴史の一つの特徴として,行政型ADRが,その時代に問題となった社会事象毎に個別に作られていったという点を指摘している.次いでADR法制定に関わる諸問題を検討する(第6章第2節).非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止(弁護士法72条)を根拠とする弁護士・弁護士会の対応がADR活性化に対する制約条件となっていることを指摘している.さらに民間調停と司法調停の比較を行う(第6章第3節).処理件数はもとより,安さや専門性でも優位に立つ司法調停に対して,民間調停のメリットとして若干の迅速さや手続の柔軟性などがあるとする.

(B)提供者の意図の分析として,調停の位置づけに関する理論的検討を行う.本研究のひとつの特徴は,この検討を大正期にまで遡って実施している点にある.戦前の調停論は,民間調停ではなく司法調停を対象とするものであるが,調停の政策的位置づけを決定づける「考え方」には大きな影響をいまなお与え続けているからである(第7章).本章での,穂積重遠の市民による市民のための紛争解決手続としての調停制度構想及び、牧野英一の実情主義,本人主義,及び素人主義の3つを中核に置く調停論に光が当てられている.戦後の調停制度の変遷・発展を概観し,そこに穂積的な調停観が伏流水として流れていたのではないかと指摘している.

(C)調停の実務実態の分析として,本研究が行ったフィールドワークの成果をまとめている.弁護士会,司法書士会,及び市民団体の調停機関に対してケース・スタディを実施している(第8章第1節).また,弁護士会の実際の料金体系などの実データを使ってコスト構造を分析し,民間調停機関の財政面で見た厳しい運営実態,とりわけ小規模紛争の処理における財政的な困難を浮かび上がらせている(第8章第2節).さらに,個別の事例に関して,「序」の五段階機能ステージ・モデルに沿って分析している(第9章).この第9章の内容は,全国の民間調停のベスト・プラクティスの整理・統合としての意義もあり,全国のADR機関に対する実務的価値も非常に大きいものである.

(D)利用者ニーズの分析として,民間調停制度が実際のADR利用者にその評価を質問した調査結果を検討している.具体的には「岡山仲裁センター」がその利用者に,そのニーズや満足度などに関する質問票調査を実施したデータの提供を受けて,それに対して統計分析手法を用いて研究している(第10章第1節,第3節).この実証研究によって,同席調停と別席調停のメリットとデメリットをめぐる従来の烈しい論争へ貴重な示唆が得られている.すなわち,確かに同席調停では当事者間の感情がこじれる割合が高いが,しかし同時に,すべて別席や別席中心の手続進行では,当事者の満足度が低くなり,調停人にはもっと相手を説得して欲しいとか,もっと事実を調べて欲しいといった調停人への依存心が膨らむという見過ごせないデメリットが見出され,可能な範囲で同席手続を進めることのメリットが確認されている.さらにこの実証研究によって,手続利用者の満足度を上下させる要因が特定され,その満足度を上昇させるための具体的な方策が示唆されるなど,法社会学的にも法政策的にも大きな成果が得られている.次いで,著者が実施した「紛争解決についてのアンケート調査」の結果を分析する.この調査は東京23 区と新潟市で各200 ずつ配布したシナリオ・スタディー(ヴィネット・スタディ)方式による質問票調査であり,かつ,4バージョンの要因計画法をリサーチ・デザインとする研究である.人々は「法律面の専門的助言」「事実究明のための調査」「自身の主張をよく理解してくれること」の三つを求めている反面,別席であるか同席であるかとか,解決結果の強制力とかについては,相対的に低い関心しか持たないということを明らかにしている.そして,人々は紛争解決制度に対して,法律に則って,事実を調べ,自身の主張を理解して欲しいという公正な手続期待を強く持っているとする(第10章第2節).

以上の第一部及び第二部の検討成果を踏まえて,第三部では,わが国における民間調停の拡充活性化の前提として必要な議論の項目の提示をしている.

まず,民間調停促進政策の選択肢については,市民,裁判所,行政機関,及び弁護士会の各ステークホルダとの関係ごとに調停政策の方向性を多面的かつ批判的に検討しつつ,それぞれのステークホルダごとの具体的な政策選択肢を指摘している(第11章).さらに調停における実務上の諸問題の批判的分析がなされる.すなわち,日本のADR機関の財政的脆弱性や組織的脆弱性などが問題提起される(第12章).そして,臨床心理学分野における「サイエンティスト・プラクティショナー・モデル」,すなわち,理論家と実務家を兼ねる者が反省的実践によって実務上有用な方法論を体系化するモデルの視点が,これからの民間調停の活性化のために求められるであろうとする.

次いで,調停人養成トレーニングの意義と方法が詳論される.弁護士会その他のADR機関において講師として調停トレーニングを実践している筆者だけに,調停トレーニングの理論と教程が,実務的・実践論的に論じられている(第13章).

本論文の結語として,実践者でもある筆者が,日本におけるADR,とりわけ民間調停の発展についての期待を論じて締め括っている.

以上が本論文の要旨である.本論文の長所としては,次の諸点を挙げることができる.

第一に,本論文では,日本におけるADR研究,とりわけ民間調停についての本格的研究として理論面,実証面,さらには政策選択肢にまで踏み込んで包括的に検討がなされている点が挙げられる.従来の研究がややもすると理念論とスキル論に傾きがちであった憾み無しとしなかった.それに対して,本研究は,法社会学研究者,紛争解決実践者,及び調停トレーナーとしてADRに多面的に関与する筆者によって初めて剔出できる視点と枠組み,すなわち歴史制度的分析と五段階機能ステージ・モデルが示されている.それによって民間調停の阻害要因と機能条件が相当程度解明されていると言える.そして,その成果が法政策的選択肢の提示において活用されているといえる.これらの成果は,他の追随を許さないものである.

第二に,多様で雑多なアメリカ合衆国におけるADR運動の沿革と現代の展開,及び多岐に渡る理論的発展について,簡にして要を得,かつバランスよく整理され,その全体像が州レヴェルにまで立ち入って紹介されており,今後のアメリカ合衆国ADR研究の基礎となるであろう点を挙げることができる.コミュニティ調停,同意を得た合意,調停合意における法の取扱い方など,日本においても議論されてきた古くて新しい問題への多大なる示唆を受けることができる内容となっている.

第三に,日本のADRについて批判的な視点も含めて反省的に検討していることも挙げることができよう.調停機関,機関運営者,調停人,利用者のそれぞれの視点,および裁判所や弁護士会との関係性(抵抗や支援)を重層的に分析し,日本における民間調停の機能阻害要因を説得的に同定している.さらに,従来の研究に比べて,財政的問題の分析,コスト構造の分析,組織運営上の問題の検討,利用者獲得の問題,合意の履行確保の問題等,これまで「同席か別席か」「法による調停か否か」などの手続内的な課題に比べると研究が手薄であった問題群を正面から検討していることは,今後のADRの制度運営と手続実践に対し,民間調停活性化のための法政策策定に対し,そして何より,ADR研究に対し大きな影響を与えるものと期待される.

第四に,制度設営者,手続主催者(調停人),そして何より民間調停の利用者に対して,参与観察,面接調査,質問票調査などによって,実証的データを手間暇かけて蒐集し,厳格な法社会学手法によって堅実に分析していることも長所としてあげなければならない.また,民間調停機関から利用者調査のデータの提供を受けることができた点や,コスト構造分析のための基礎資料の提供を受けることができた点などは,民間調停の実践や調停トレーニングを実施している筆者であるが故に,民間調停機関と深い信頼関係を築きあげることによって初めて可能となったことであると言える.ADRにおいては非公開手続きが採られることが通常であり,また,ADR機関がシステマティックに利用者満足調査等を実施することはほとんどないと言っていい現状に鑑みれば,本研究のアチーヴメントは特筆に価する.

もっとも,本論文にも短所といえる点が全くないわけではない.

第一に,第一部におけるアメリカ合衆国ADRの研究と,第二部における日本のADR研究との間に,理論面並びに叙述の点で若干のすれ違いが見られる点が挙げられる.とはいえ,日本固有のADR理論はそれほどは展開されておらず,むしろアメリカ合衆国の1980年代の議論の強い影響下に未だにあるとも言え,また,実践の面ではその事件数の僅少さに見られるように,アメリカ合衆国ADRとは比較すべくもない状況であり,さらには歴史的沿革も大きく異なっており,若干のすれ違いの程度で収めたことの手法を評価するべきかもしれない.

第二に,第一部及び第二部の法社会学研究の成果と,第三部における法政策的な検討の間にも若干の齟齬が見られる点がある.とりわけ調停トレーニングについての詳細を極める論述は,それ自体実務的にも理論的にも多大の価値があるとは言え,第一部及び第二部ではそれほど深くは触れられていない内容であり,若干唐突な印象をあたえる.もちろん,自らアメリカ合衆国の調停トレーニングを受講し,日本の種々のADR機関で調停トレーニングの講師として実践をしている筆者の熱い思いが反映したものであることは明らかであり,かならずしも短所として敢えて採り上げるまでもないかもしれない.

これらの短所は,いずれも本論文の学術的な価値を大きく損なうものではない.裁判外紛争解決制度(ADR)について,民間調停を中心に日本及びアメリカ合衆国での先行研究を渉猟し,実態を種々の実証的手法で解明し,問題点・課題とその原因を究明し,さらに進んで将来へ向けての政策的選択肢の検討にまで及ぶ本論文は,自立した研究者としての著者の高度の能力を示すものであることはもとより,日本の法社会学のこの分野の研究水準を飛躍的に向上させるものである点で,学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であると認められる.したがって,本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものであると評価できる.

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