学位論文要旨



No 126623
著者(漢字) 勝又,壮太郎
著者(英字)
著者(カナ) カツマタ,ソウタロウ
標題(和) 顧客関係管理の理論と実践
標題(洋)
報告番号 126623
報告番号 甲26623
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第296号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経営専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,誠
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 大森,裕浩
 東京大学 准教授 新宅,純二郎
 東京大学 准教授 天野,倫文
内容要旨 要旨を表示する

研究目的

本研究の目的は,企業の顧客関係管理について,その理論や基礎技術を概観・整理・統合し,実践・事例研究を通じて,企業の顧客対応意思決定に有用な指針を示すことである。本研究では、とくに、最終消費者を顧客とした企業における経営手法の1つである

「CRM(CustomerRelationshipManagement)」を主な論題をする。

近年,マーケティングの視点は単発的な取引の管理から顧客との関係の管理へと移行し,顧客との長期にわたる関係の構築と維持を主要な目標とする「リレーションシップ・マーケティング」が,大きな関心を集めている。リレーションシップ・マーケティングでは,パワー論に代表されるような相手を制御する方策を考えるのではなく,相手とともに協調的な行動をとることを目標におき,これまで取引理論から視点を大きく広げてきた。そして,このような協調的な関係を扱う議論を背景として、最終顧客との関係構築・関係維持を目標とする新しい経営手法であるCRMが提唱されるようになる。CRMは、これまでのマーケティングとは異なる消費者観を持ち,企業に大きな意識変革をもたらしたといえる。

CRMは,消費者を集団ではなく個として認識することで,新しい視点で市場を捉えることを提案している、マーケティングの歴史は,市場分類の歴史とも捉えることができ,市場全体を同質と仮定するマス・マーケティングから異質な消費者群を仮定したセグメンテーションにいたるマーケティングにおける消費者分類は,多様な分析手法の開発とともに進展し,企業のマーケティングに大きく貢献した。ただし,市場をいくら詳細に分類しても,セグメンテーションは個人の消費者を識別しているものではない。一方,CRMは,顧客個人との関係そのものを主たるマネジメント対象としており,顧客との取引を将来へつながる関係構築の一過程であると捉えている。すなわち,単発の取引における利益の最大化ではなく,過去から将来にわたる関係維持による総利益の最大化を目標としているのである。

また,企業による消費者との長期的な関係構築への試みは,別の観点からも,成熟した市場における既存のマーケティング手法から脱却を目指す企業の姿を見ることができる。マーケティングの大前提は,消費者に最大の便益を提供する製品を作り出すことであり,消費者に大きな便益を提供できる製品こそが市場で成功するといわれている。しかしながら,現代の市場において,消費者に大きな便益を提供できる製品が,必ずしも大きな成功を勝ち得ているわけではない。日本をはじめとした先進国の市場は,多数の製品であふれており,消費者が比較・評価できる限界を超えているのが現状である。多くの製品が市場に流通していても,消費者は自分に最適な製品を選び出せるわけではない。大量の製品をすべて評価し,その比較を行うことは不可能なのである。このとき,消費者の意思決定を支援するという新しいサービスが,消費者と企業の双方に利益をもたらすことが期待される。企業が,自社の持つ消費者との過去の取引履歴情報を参照し,消費者による正しい情報処理が可能になる程度まで選択肢を絞り込むことができれば,消費者側は最も効用の高い製品を手にすることができ,企業はその製品を最も望んでいる消費者に提供することができる。顧客関係を維持することで実現するものは,第1は企業の持続的な成長であるが,協調を目指すことで,同時に顧客に対しても大きな利得を与えることができる。

しかしながら,CRMにおいては,解決が求められている問題も存在する。企業がもつ情報の管理と,そこから有用な知見を獲得する価値創造は,CRMを行う企業における大きな課題の1つとなっている。企業が保有する情報の量と種類は年々充実しているが,その活用については,未だに満足のいく結果を得ていないという評価は多い。これを実現するのは,顧客の購買履歴を蓄積する情報システムとそこから有用な知見を得るための分析手法の開発であるが,分析手法の整備は発展途上であり,本研究が解決すべき問題もここにある。本研究で提示する顧客行動のモデルは,意思決定支援や顧客へのサービス向上に活用することが可能であり,企業と顧客の良好な関係構築に貢献するものである。

論文の構成

本研究は大きく分けて4部からなる。まず,第1部は第2章,第3章からなり,以降の部で議論する実証分析の基礎となる理論的な背景を解説している。第2章では,先行するマーケティング理論の展開からCRMを再定義し,その課題を提示したものである。多様な背景をもつCRMについて,その定義を整理・統合することで,CRMが扱う領域を明らかにしている。また,CRMに関わる業務プロセスを統合した概念フレームワークから,正常に機能しているプロセスと改善が求められるプロセスを切り分け,CRMにおける課題を提起し,本研究の方向性を示している。これによって,以後の章を通して,企業が取り組む顧客対応戦略に関する効果的な問題解決を提示することができる。

続いて,第3章では,CRMの分析モデルとして幅広く応用されているベイズ統計モデルに関して,マーケティングの観点から主要な事項をまとめている。ベイズ統計モデルは,マーケティングをはじめとした多くの分野で活用されているが,それぞれ異なる問題意識を持ち,求められる側面も異なる。この章では,マーケティング分野で必要な知識や概念を中心にベイズ統計モデルの解説を行っている。この章でまとめた事項は,以後の章で議論する多様な問題を解決するモデルの基礎となる知識であり,これを踏まえて事例を分析していく。

第II部は,企業が保有する顧客データを扱った事例を取り上げる。第4章および第5章は,多数の製品が存在する市場における,顧客個人の嗜好を推定するモデルを構築したものである。現代の,とくに先進国などの成熟した市場では,消費者が適切に選択肢を評価し,選択の意思決定を行うことは困難であることが多い。このとき,情報技術の援用によって,消費者個人の行動を適切に推測し選択肢を大量の製品群から絞り込むことで,消費者はより満足度の高い製品を手にすることができ,企業は販売機会を逃さずに売り上げを確保することができる。さらに,この章で提案したモデルは階層構造を持ち,推定結果の頑健性,見込み顧客に対する示唆など,多くの利点を持っている。この章では音楽市場を扱っているが,同様の問題を抱える多くの市場への応用が期待できるモデルである。

続く第6章および第7章では,消費者の意思決定を分離することで,製品の選択原理をより詳細に考察できるモデルを提案している。観察できる行動結果だけでなく,その行動の要因を分解して推定することで,顧客の理解をさらに深めることができる。欠損補完や潜在変数導入を得意とするベイズ統計モデルの活用によって,ID付きPOSデータなどの購買行動結果データから消費者の購買意思決定過程を分析したもので,企業の顧客戦略へ重要な示唆を与えるものである。

第8章では,空間を考慮した階層モデルを構築し,店舗選択行動への応用を試みたモデルを提案している。個人の異質性とマクロの時間要因に加えて,空間の要因を購買行動に含めることで,既存の顧客をはじめとして,潜在顧客や購買回数の少ない顧客などに対しても十分活用可能なモデルを提案している。会員顧客だけでなく,大量の非会員顧客を抱える店舗の運営などにおいては,企業が購買行動を把握している既存の顧客のみではなく,新規顧客を常に呼び続けることが重要になってくる。この章で提案したモデルは,このような,大規模店舗の抱える問題への解決策を提示することができる。

第III部,第9章および第10章では,これまで多用されてきた顧客のID付き購買履歴データではなく,インターネット上で蓄積したデータの活用について議論している。第9章は,企業が保有するアクセスログデータから,訪問者の行動を解析したものである。また,併せて,訪問者の行動観点から企業ウェブサイトのコンテンツを評価することができるモデルを提案している。この章で提案したモデルによって,企業が保有する情報であるウェブアクセスログの活用が期待できるほか,消費者とのコンタクトポイントの1つであるウェブサイトの運営に関する有効な示唆を与えることができる。

第10章は,CGM(ConsumerGeneratedMedia)を分析対象としたものである。広く公開されている一般消費者のプログ発言数を扱ったもので,企業内部の情報を活用するものではないが,公開されている情報もまた,自社内の情報と同様に活用できる可能性を持っている。顧客戦略を考えるならば,自社内で把握している既存顧客の管理だけではなく,常に市場に存在する多数の非会員顧客や見込み顧客の獲得を目指していかなければならない、本章で提示するモデルによって,新規顧客獲得に活用できる情報を得ることができる。また,CGM発信は購買行動ではなく,顧客の購買前後の内的な状態が表面化したものであるといえる。すなわち,購買行動データからは得られない貴重な行動情報であり,購買までの過程や購買後の行動を推測するために利用することができる。

第IV部は結論と展望である。本研究全体を通しての結論と,残された課題・展望にっいて取り上げている。

審査要旨 要旨を表示する

近年の情報技術の発達により、購買データなどの消費者行動データは1人1人の顧客データを集計せずに容易に収集、保存できるようになった。例えば、POSシステムにフリークエント・ショッパーズ・プログラム(FSP)を組み合わせることによって、顧客の購買履歴を時系列的に収集することができる。またインターネットなどでは、顧客のとったアクション――カタログ請求、問い合わせ、購買――はもちろん、購入前に閲覧されたページ履歴までがログファイルに自動的に蓄積される。同時にITの進展は、企業のマーケティング活動を顧客ごとに最適なものにカスタマイズすることを容易にした。それによって、マーケティングの視点は単発的な取引の管理から顧客との関係の管理へと移行し、顧客との長期にわたる関係の構築と維持を目標とする新しい流れが生まれてきた。これはOne-to-One Marketingと呼ばれるが、より一般的に実務家の間では顧客関係管理(CRM)として知られており、学術、実務を問わず、従来のマス・マーケティングとは対照的な視点をもっている。

マーケティングが顧客を市場としてとらえるマス的な視点から個々人として認識するミクロ的な視点の変化を踏まえた上で、勝又博士論文は企業の顧客関係管理について、その理論や基礎技術を概観・整理・統合し、実践・事例研究を通じて,企業の顧客対応意思決定に有用な指針を示すこととを目的としている。その観点から、本論文は情報技術時代のマーケティングにおける早急な課題をアカデミックに分析し企業に有益な示唆をあたえるものであろう。

論文の構成は以下の図を参照すると分かりやすい。個々の章は単発の論文として、すでに査読付きアカデミック・ジャーナルへ掲載された質の高いものである。4章は2007年の『オペレーションズ・リサーチ』誌と英語版が2008年の『Annals of Business and Administrative Science』誌に、5章は2009年の『マーケティング・サイエンス』誌(共著)に、6章は2010年の『オペレーションズ・リサーチ』誌(共著)に、8章は英語版がInternational Workshop on Bayesian Statistics and Marketing (2010)のproceeding(共著)に、9章は2011年の『オペレーションズ・リサーチ』誌(近刊)に、10章は2010年の『マーケティング・ジャーナル』誌(共著)に、それぞれ掲載されている。

各モジュールの関係と位置付けを以下で紹介する。

第1章は博士論文の要旨である。

第2章ではマーケティングにおけるCRMの理論的な背景を整理している。マーケティングにおける関係パラダイムへのシフトと、それを実現させる情報技術と数理モデルの発展について概観する。同時に、CRMにおける課題を整理し、本研究が解決すべき問題を提起している。

第3章では、本博士論文を通して用いるツールである、ベイズ統計モデルとその推定法であるMCMC法の基礎的な解説を行っている。ベイズ統計が近年のマーケティング分析において必要不可欠なモデルとなっている理由として、下記の二点がある。

第一点として、MCMC法により、既存の計量経済モデルに加え、既存の手法では推定が困難なモデルであっても、パラメータの推定が可能となったという点がある。通常の線形回帰モデルをはじめとして、ロジットモデル・プロビットモデルなどの離散選択モデルや、観測値が打ち切られているトービットモデル、構造方程式、時系列モデルなど、ほぼ全ての統計モデルは、既存の手法に代わって、MCMC法によって推定することが可能である。加えて、既存の手法では推定に計算負荷の掛かるプロビットモデルや、階層化を施したモデルであっても、パラメータの推定ができる。第二点は、柔軟な拡張が可能であるという点である。最もよく知られているものでは、上述にあるモデルの階層化である。すなわち、個人単位の選好を推定するとき、個人別パラメータの事前分布にさらに構造を仮定することができるのである。階層モデルは、消費者の異質性を仮定しながらも、マーケットセグメンテーションの議論にあるような共通性を残しており、マーケティングにおける市場観との親和性が非常に高い。また、欠損補完や潜在変数の仮定などにおいても、理論的妥当性を損なうことなくモデルに組み込むことが可能である。さらに、複数のモデルを合成させることも容易であり、たとえば、時系列要素を含めた構造方程式を構築することもできる。

第4章では、大量の製品群が存在する市場における購買予測と、消費者意思決定支援(レコメンデーションシステムなど)へ利用を可能とするモデルを構築している。実証においては、音楽CDの購買履歴データを用いて、500アーティストに対する各顧客の選好を階層ベイズモデルの枠組みで推定している。各顧客の購買アーティストを高い精度で予測できるだけでなく、併買やセルアップに効果的なレコメンデーションへ・システムへの応用も提案している。ここでの大きな貢献は、離散的選択モデルは500もの選択肢がある場合には使えないため、因子分析の概念を導入してアーティストの属性と顧客の選好を同一の多次元空間に表したことである。

第5章では、4章のモデルを改善、拡張して、音楽(アーティスト)に対する顧客選好の動的変化を考慮したモデルを構築している。顧客嗜好を、時間変化をする部分と変化しない部分とに分解することで、顧客個人の購買行動を、より精緻に表現して、当てはまりや予測精度が向上していることを検証した。

第6章では、個人単位の分析から、さらに一個人内における意思決定レベルまで分析の粒度を細分化するモデルを構築している。このモデルを用いることによって、意思決定が異なるときの要因の差異を考察することができるようになる。具体的には、夕食時の食材の選択を、外食か内食か、そして内食であればどの食材を使うかという2段階の意思決定に分解し、階層化された多変量プロビットの枠組みでモデル化している。

第7章では、6章のモデルを発展させて、マクロレベルのトレンドを状態空間モデルでとらえる構造を仮定し、個人の意思決定だけでなく、外的な影響の時系列変化を追うことができるようになっている。技術的には階層化されたカルマン・フィルターの状態空間モデルをMCMC法で推定するという、高度な手法が用いられている。

第8章は、複数の店舗を持つ百貨店のID付きPOSデータを用いて、店舗運営に有用な示唆を与えることのできるモデルを提案するものである。月次の各顧客の購買金額と3店舗への購買回数を、階層化された状態空間モデルで表しており、顧客の異質性、時系列的マクロ変化、地理的な空間の相関という3点を考慮している。

第9章は、ウェブページのアクセス履歴データを対象に、消費者のウェブサイトに対する効用という観点からモデル化・分析を行い、消費者のウェブサイトに対する行動傾向について考察することを目的としている。また、単純な訪問した/しないというページビュー(Page Views, 以下PV)だけではなく、滞在時間もモデル化の対象とし、より豊富な情報を持つモデルの構築を行う。技術的には階層化された多変量トービットモデルをMCMC法で推定している。

第10章は、近年注目されている、CGM (Consumer Generated Media; 消費者発信型メディア)の発信量の要因を分析したものである。マーケティング活動の場としてのインターネットは積極的に研究されているが、ほかにも、市場調査の場として活用できる可能性を持っている。インターネット上の情報発信において圧倒的多数を占めるのは、一般の消費者による製品利用体験や評価である。このような、インターネットにおけるCGMの動きは、情報技術の援用によってリアルタイムで把握することができるようになり、企業の情報収集に大きな貢献をもたらす可能性を秘めている。製品を提供する企業が消費者の動向に注目し、いち早く製品評価の情報を収集することができれば、迅速に確度の高い意思決定を行うことができる。ここでは、設計された市場調査による値とCGM発信量の関係性の有無や程度、および要因を分析している。

以上、勝又論文をまとめると、情報技術の進展により従来のマス・マーケティングに新しい視点をもたらした顧客関係管理という新しい分野において、ベイズ統計に基づいた共通の枠組みに基づいて学術的にも実務でも有益なモデルを提案し、実データを用いて検証したことは、博士論文として十分な評価に値する。細かい点ではいくつかの限界が見られるが、その多くは計算機やデータ自体の問題であり、研究の本質的な部分はロバストである。平成22年11月25日に論文の提出を受けて審査委員会(審査委員:高橋 伸夫、大森 裕浩、新宅 純二郎、天野 倫文、阿部 誠(主査)、)が設置され、提出論文について検討した。平成23年1月26日に口頭試問を行い、慎重に審議し、その結果、審査委員一同、勝又壮太郎氏に博士(経済学)の学位を授与するのが妥当であるとの結論に達した。

UTokyo Repositoryリンク