学位論文要旨



No 126628
著者(漢字) 山根(神原),ゆうこ
著者(英字)
著者(カナ) ヤマネ(カンバラ),ユウコ
標題(和) 社会主義の残像のなかの『市民社会』 : 体制転換後のスロヴァキア村落における『東欧』と『西欧』の境界
標題(洋)
報告番号 126628
報告番号 甲26628
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1045号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 渡邊,日日
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京外国語大学 教授 篠原,琢
 盛岡大学 准教授 松前,もゆる
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、1989年に社会主義体制から民主主義・資本主義体制への体制転換を経験し、現在はEUの加盟国となったスロヴァキアを調査地とし、地域社会における体制転換後の政治的価値観の変容を文化人類学的に考察したものである。ここでいう体制転換後の政治的価値観とは、新しい時代の理念としての民主主義や、それに類する概念についての人々の理解に基づくものを想定している。

このような政治的価値観のありかたは地域差も大きく、一般的に村落は、体制転換後の時代から「取り残されている」と認識されがちである。本研究では、そのような「普通」の人々の政治的な価値観の変容を捉えるため、体制転換後の社会変容の最前線に立たされた西部国境(オーストリア国境)周辺の村落を調査地とし、その変容過程をひとつの地域社会の単位として観察することを試みた。

まず序章では、本論文の問題意識が、人々の政治的な価値観の変容であることを示し、体制転換の原動力となった市民運動を理解することを試みてきた市民社会の概念を考察した。東欧革命は、市民社会論に大きな影響を与えてきており、「国家に対抗する」市民とアソシエーションの力を重視した研究が蓄積されてきた。この場合、市民社会は基本的に国家から自律的な人々の空間として想定されてきたが、このような想定は、市民社会的な行動を取らない人々を考察の対象外としている。そこで、コーエンとアラートが提案する、政治と経済に分化した生活世界の間の空間としての市民社会の捉え方の有効性を指摘した。しかし、近年の市民社会論の展開は、ますます市民運動的なボランタリー・アソシエーション活動への注目に傾いており、文化人類学における市民社会の研究も、そのようなアソシエーション活動についての考察を中心に展開している。しかしながら、体制転換から20年近くを経た村落が、ローカルな「市民社会」、または市民社会的なるものすら存在しない空間であり続けたはずはない。そこで、本論文では、アソシエーションの意味を広義に捉え、(本来は市民社会を支えるとは捉えられていない)村落におけるアソシエーションの活動に注目し、コーエンとアラートの市民社会の概念を取りいれつつ、オルタナティブな「市民社会」のありかたについての考察を手がかりとして、政治的な価値観の変容を捉えることを問題として設定した。

具体的に、村落の人々の価値観の変容を探るにあたって、まず、体制転換以降の人々の生活の変容を把握することを試みた。そのため、第I部では、かつての「東欧」と「西欧」の間を移動する人やモノや思想様式によって、生活のありかたが揺らいでいる体制転換後の調査地の状況について考察を行った。第1章では、スロヴァキアに関する文化人類学の先行研究について、ポスト社会主義(=「東欧」)、ヨーロッパ統合(=「西欧」)、およびその間を揺れる現地の文化人類学といった複数の視点から検討し、その後の議論の土台とした。

第2章では、スロヴァキアの体制転換以降の政治状況を概観しつつ、まず村落と都市部の格差の存在を指摘した。国境地域は、体制転換以降の世界の変動の前線に位置し、ある程度経済的な恩恵を受けつつも、村落として社会主義時代に作り上げられたシステムにとらわれ、新しい時代に適応できない側面を残している。そのような国境地域の人々にとって、越境者の存在は社会のありかたを変容させるひとつの鍵であった。そこで、第3章では、労働移動をはじめとした実際に移動する人々の様態に焦点を当て、第4章ではこの地域に居住し、日常的に越境はしないが、国境地域交流等を通して「西側」に接している人々に注目した。数字の上では、日常的に越境する人よりも、越境しない人の方がはるかに多く、国境地域交流は、この両者をつなぐ役割を果たし、移動しない人々に「西側」と「接触」する機会をもたらした。人材が限られた国境地域の村落において、国境地域交流は必然的に村の多くの人々が関与するイベントとなる。村落では、社会主義時代から続くアソシエーション同士が連携して、行事の運営を担っており、「西側」との「接触」によって得られた知識、経験がこのような連携のなかで共有されてきた。このように村落には、接触の経験を共有化できる装置が機能しており、これらの経験は、スロヴァキアの村落のアソシエーションが自律性を持って活動するための契機を与えるものでもあった。

第II部では主として、第I部で示した体制転換後の変容する社会のありかたを前提としたうえで、村落部の人々にとっての体制転換以降の政治的行動に焦点をあてて考察を進めた。第5章では、現在の村落における自律性が発揚する場として、第I部の後半から注目してきたアソシエーション活動について、スロヴァキアにおける「市民社会」の復活の議論への取り込みを指摘した。スロヴァキアの「市民社会」論において、戦間期は回帰すべき理想の時代であった。当時は、村落のアソシエーションも確固たる立場を持っていたが、体制転換後のスロヴァキアで想像された市民社会を支えるアソシエーションとしては顧みられなかった。一方で、社会主義時代と決別したアソシエーション活動のありかた―すなわち、サードセクター構成団体型アソシエーションが評価されたのである。本論文では、社会主義時代から続く村落のアソシエーションと、体制転換後に主として都市に拠点を構える欧米の大規模NGOに近いサードセクター構成団体型アソシエーションを、異なるものと認識しているが、それは前者が市民社会を支えるに足らないと指摘しているわけではない。むしろ、村落における「市民社会」を考察するにあたっては、ローカルな場に適した新たな基準が必要であると考えられる。

このような歴史を前提として、第6章では、体制転換以降の世界の始まりとなった「革命」について、村落での「革命」活動に賛同した人々の語りから、新たな「市民社会」の時代の村落における根源を描くことを試みた。しかし、現実の「革命」活動は村落内に亀裂をもたらすものであり、当時の状況を肯定的に語る人は限られていた。体制転換以降のスロヴァキア村落部の経済状況は厳しいものであり、何よりもまず生活していくことが至上の課題となるなかで、体制転換派は徐々に存在感を失っていった。しかし、それは必ずしも現状に絶望したわけでなく、体制転換以後の世界では、村落の政治以外にも社会的活動に関わる場の選択肢が広がったという、新たな背景を指摘できる。第7章では、進行が加速する地方分権化と、村落における「自治」の拡大を受け入れる村落の人々の反応について分析を行った。地方分権化には、国家からの自律性が促進されるという一面がある一方で、その裏にある国家財政の負担軽減の意図を隠すことはできず、結果として村落部の人々の生活が、ますます苦しくなるのは容易に想像できる。実際に、「自治」を通してネオリベラリズム的なシステムが村落にまで浸透したことにより、自らの厳しい生活から逃れる術を見いだせず、資本主義そのものを嫌悪する高齢者を中心としたいわゆる社会的弱者が、村落からも分断される危険性が生じ始めた。ただし、そのような高齢者は排除された存在であるとは限らず、与えられた「自治」に適応するために努力する村落政治を担う人々に対し、年金受給者会を母体として抗議活動を行った。体制転換後の価値観から、もっとも遠いと認識されてきた高齢者が、体制転換後に蓄積してきた社会に対する態度が、アソシエーションのなかで共有され、それが政治的な行動となった。ここに「市民社会」の萌芽をみることができるだろう。

これらの議論を踏まえて、終章では序章で提起した問題の答えとして、以下の3点を結論として提示した。まず、現在の村落においては、都市部とは異なるローカルな「市民社会」的なるものが形成されつつあり、それは体制転換後の村落の状況によってそれぞれ異なる経路から導かれるものであることが指摘できる。その変容は、村落の人々の政治的な価値観の変化によって引き起こされたものであり、その価値観の変化は、「革命」を経験した人々の村落への関わり方の多様性や、「自治」の導入に際する反発の主体としてのアソシエーション活動などの局面を通して観察することができた。ここにおいて、国境地域交流を通したアソシエーション活動の自律性の芽生えもまた「市民社会」の萌芽を形成する重要な要素であった。二つ目に指摘したのは、これらの価値観の変化は、社会主義時代に培われた価値観の上に積み上げられるかたちで引き起こされたことである。「普通」の人々にとっての社会主義時代の価値観は、よりよい生活を求めるための自律的な活動の土台となっており、それを土台として、人々が体制転換後の現実の問題に対応する過程を経て、「市民社会」的思考は形成されてきたのである。最後に、以上のような変容を経て、都市/村落、「東欧」/「西欧」の分類概念は有効性を失いつつあり、このことが村落の政治のありかたについての、分析者側の認識の変化に影響を与え始めていることを指摘した。もともと、これらの境界を越えて人やモノは往来していたが、「市民社会」的思考が、村落に持ち込まれ、自律性が育まれることにより、この分類が伴ってきた中心-周縁性も失われ始めている。特に村落に「自治」が導入された2000年以降、その傾向は強くなりつつあり、ローカルな「市民社会」と市民社会の関係もまた、今後変化することが予想される。

審査要旨 要旨を表示する

山根(神原)ゆうこ氏の論文「社会主義の残像のなかの『市民社会』-体制転換後のスロヴァキア村落における『東欧』と『西欧』の境界-」は,オーストリアとの国境地域のスロヴァキア村落部に於けるフィールドワーク(2007年2月から2008年10月にかけて断続的に行った計12ヶ月間)に基づいた民族誌である。これは,1989年に東欧で生じた脱社会主義という体制転換を,その後のEU加盟という転換も含め,文化人類学的に解明しようとした論考であり,特に市民社会を文化人類学の脈絡で如何に論じ得るのかを検討したものである。

本論文は,序章,第I部「『東欧』と『西欧』の境界の跡地より」,第II部「『民主主義/デモクラシー」の時代の一員として生活するということ」,終章,巻末資料,参考文献から成り立っている。

序章では,政治的価値観は如何に変容するのかという問題意識が示されたあと,アソシエーションを把握する視座と,コーエンとアラートの市民社会論とを組み合わせるという理論的立脚点が確保される。

第I部の第1章「ポスト社会主義と『ヨーロッパ』統合が重なり合う場所における文化人類学の可能性:現地の人類学を媒介にして」では,スロヴァキアに関する文化人類学の英米圏の先行研究が,ポスト社会主義・ヨーロッパ統合・両者の間に位置する現地の文化人類学の3つの視点から,詳細に検討され,現地の人類学者と調査対象の「普通の人々」との距離が,ふだん想定される以上に狭いことが指摘される。

第2章「フィールドとしてのポスト社会主義時代のスロヴァキア」では,体制転換後のスロヴァキアの政治経済的状況,調査地の特徴が概観される。

第3章「『東欧』と『西欧』の境界地域における人の移動とその変容について」では,オーストリアを主とした西欧への人々の移動について,社会主義時代の国境閉鎖,その後の開放,EU統合下という歴史的変遷の中で考察される。

第4章「国境地域としての新たなつながりの可能性:『移動しない人々』のアソシエーション活動」では,移動しない人々に焦点が当てられ,移動しなくても,「西欧」が意識され,アソシエーションの自律的な在り方が根付いた,と論じられる。

第II部の第5章「スロヴァキアの市民社会論の展開におけるアソシエーションの存在」では,スロヴァキアのアソシエーションの歴史が前社会主義期から記述され,現地での市民社会論の中でアソシエーションがどの様に位置付けられたのかが論じられる。現地での言説環境では,前社会主義期のアソシエーションが,市民社会の理念的基盤として言及され,社会主義時代以後の「西欧的」サードセクター型アソシエーションが市民社会の制度的モデルとして把握されているが,社会主義時代に村落で活動していたアソシエーションの社会構造的特性が社会主義時代以後に変容したのであって,この点を組み込んだ形でローカルな場に於ける市民社会論を組み替える必要がある,と主張される。

第6章「『革命』の経験にみる『民主主義/デモクラシー』の実践の試み」では,1989年の「革命」に関する村落部住民(特に「革命」参加者)の記憶と語りを通して,ローカルな環境への民主主義の「導入」が民族誌的に記述される。「革命」は,それに政治的観点から賛同する人々と,経済的困窮を不安視して「革命」から距離を置く人々へと村落を二分し,その結果,「革命」の語りは徐々に沈潜していった。だが,後者にあっても,前者の存在を通して彼ら彼女らと共に,体制転換後の民主化を経験したのであり,民主主義を自らのものにしていくプロセスがあった,と論じられる。

第7章「ネオリベラリズムの時代の自治/『自治』の可能性」では,地方分権化によって自治の範囲が拡大されながらも,同時に小さな政府化による緊縮財政という「自治」を被る村落部で,高齢者が社会的弱者となり,社会主義以後を批判的に捉えながらも,民主化の経験を自らのものとしていく過程が記述・分析される。高齢者は,自治と「自治」の間に挟まれた村落政治という環境のもと,年金受給者会を母体にして抗議活動を行った。この抗議活動に見いだせるのは,体制転換から遠い立ち位置にいると見なされがちな高齢者が,既存のアソシエーションに立脚し,戦略的にそれを用いながら,民主的手続きを通して異議を申し立てる営為であり,ここに,村落部に於いて「市民社会」への経路があると主張される。

終章では,これまでの分析がまとめられ,同時に,市民社会のローカルな生成により西欧と東欧,都市と村落という対照性が薄いものとなっていることも主張される。

本論文の学問的貢献は以下の3点にある。第一に,他のポスト社会主義圏と比べ数少ない,中東欧の民族誌的研究(英語文献と日本語文献)への貢献であり,スロヴァキア村落部に於ける政治変容を,民族誌的感受性を十分に備えて活写している。第二に,時によっては欧米型NPOの存在数でもって市民社会の成熟が議論されたり,社会活動団体を微視的に見ればそれだけで民主主義の民族誌とされたりするなか,アソシエーションとその社会的環境との相互連関の中で民主主義と市民社会の民族誌記述を展開したことで,奥行きのある議論になっていることが挙げられる。第三に,現地での研究を,単に自説を補強するための引用文献とするのではなく,それ自体を民族誌的記述の対象と設定することで,現代世界の一端を記述する民族誌のあるべき姿を示したこと,である。

とはいえ,本論文にも問題点が残ってはいる。審査委員からは,社会主義時代の社会構造への理解がやや一面的であること,コーエンとアラートによる市民社会理論と民族誌的データの解釈とのずれが幾つか見られること,調査地域の局所性に結論が限定される可能性があること(例えば,西欧と東欧の区分の消失がバルカンに応用できるか否か)が指摘された。だが,これらの問題点は,博士号請求論文としての本論文の存在意義を損なうものではなく,本論文は文化・社会人類学,特に政治人類学への重要な貢献と判断された。

従って本審査委員会は,本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしい者と,全員一致で認定する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53590