学位論文要旨



No 126629
著者(漢字) 裴,寛紋
著者(英字)
著者(カナ) ベ,カンムン
標題(和) 『古事記伝』の「皇国」 : 注釈がつくる世界の物語
標題(洋)
報告番号 126629
報告番号 甲26629
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1046号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 徳盛,誠
 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 准教授 齋藤,希史
 東京大学 教授 黒住,眞
 明治大学 特任教授 神野志,隆光
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、『古事記』注釈書として知られる本居宣長『古事記伝』を、注釈を通して新たな神話を成り立たせたテキストとして見るものである。

『古事記』三巻の読解のために、宣長は全四十四巻に達する膨大な注を必要とした。にもかかわらず、そのことの意味について従来の宣長研究史は未だ充分に答えていない。とりわけ『古事記伝』に対する研究は、今までそれぞれの分野で別個に行われてきた。一方の国文学研究側においては、宣長の思想は措いて専ら『古事記』研究のための参考として本文の注釈内容に触れ、他方の日本思想史研究側においては、常に『古事記伝』一之巻の『直毘霊』という、イデオロギー的性格の強い総論部を取り上げてきた。『古事記』注釈の作業が『直毘霊』に示されている方法及び「道」をめぐる思想を前提になされたことは疑えない。しかし肝心なのは、宣長自らが表明した方法論で、実際『古事記』をいかに解読したのかを、『古事記伝』そのものに即してみることである。すなわち、『古事記伝』がつくり出した〈古事記〉という視点である。

そもそも漢字表記の連続からなる『古事記』に対し、正しい読み方を示そうとする『古事記伝』の営みは、あるべき「古言」を見出すといった側面をもつ。しかも『古事記』本文の一字一字を読むということは、必然的に前後の文脈理解を前提にせざるを得ず、そこには既に一定の解釈が含まれるのである。したがって本研究で着目したのは、『古事記伝』の読みが『古事記』と最も乖離しているところである。

第一章で取り上げた『古事記伝』の「外国」論は、その代表例である。「外国」についてほとんど語ることのない『古事記』に対し、『古事記伝』は朝鮮半島の「新羅国」「百済国」を含む諸「外国」の神話的起源を求め、「常世国」という神話の上の世界を「外国」に結び付ける。『古事記』そのものからは直ちに導き出しがたい、『古事記伝』によって拡大された世界像である。それは要するに、注釈がつくる世界といえる。

問われるのは、『古事記伝』の解釈の正否ではなく、宣長自身が無理を承知しながらも、そのような解釈を通そうとした理由である。宣長の世界認識の基盤について検討するために用いたのは、『古事記伝』十七之巻の附巻『三大考』である。ここでは世界の成り立ちの時点において「外国」と「皇国」を区別して語り、また球体としての世界を描いた概念図では、万国の上に立つ「皇国」を図式化して提示している。後に宣長の門人の間では『三大考』をめぐる一大論争も引き起こされるが、彼らは、直面した新しい世界像を納得し得る説明の根拠を「皇国」の古伝説に求めた。換言すれば、彼らにとって『古事記』を読むということは、今現実の世界を合理的に理解できる、新たな神話を読み出すことであった。『古事記伝』のつくった「外国」の物語は、こういった世界の問題として考えるべきであり、それが本論文の出発点である。

第二章では、『古事記伝』の「外国」から始まった第一章の問題意識を引き受け、「カラ国」の問題を経由することで、そこから逆照射される「皇国」という物語の創出を見定めようとした。「カラ国」に対抗して「皇国」を語ろうとする宣長は、「カラ国」をいかに克服したのか。「カラ」は「漢」でもあり「韓」でもある。ただ宣長からすれば、「韓」は「漢」のなかに収斂される存在でしかなかった。

具体例としてあげたのは、『古事記』中にあらわれる「韓国」という孤例の語に対し、『古事記伝』が本文批判を通じて「韓国」は「空国」だと解釈した注である。宣長の解釈に従うと、この「韓国」は朝鮮半島とは無関係の言葉となってしまう。だからといって、宣長が否定的朝鮮観から意図的に「韓」にかかわって読む可能性を排除した、というような判断はできない。当該個所は『古事記』の「向韓国」のままだと前後の文脈に符合しないため、「韓国」を朝鮮半島とする読みの可能性を消したに過ぎない。あくまで文脈の整合性を優先した結果であった。

「韓」をめぐる論争として知られる、藤原貞幹『衝口発』に対する宣長の反論『鉗狂人』の場合においても、「韓」自体は彼らの主題ではなかった。問題の本質は「皇国」の起源論にかかっている。宣長の考えた「古代」とは、むしろ「韓」(「漢」)とはかかわらないところで成り立っていた。『古事記』が固有の「古代」を描こうとしたとすれば、宣長は、そのことをより徹底した形で示し出したともいえる。

「外国」を異質の存在として区別するときに初めて、「皇国」としての自己主張も意味をもつようになる。「皇国」が自国をあらわす用語として選ばれると、中国はもはや「中国」「中華」ではなく、「漢(土)」「唐(土)」「西土」などと呼ばれることとなる。内外の区別意識が強まっていくにつれ、宣長自身、以前に用いていた「本朝」「本邦」「吾国(邦)」なども、「日本」とともに完全に否定するにいたる。一般に、宣長は常に「皇国」「皇大御国」の語を用いたと強調されるのだが、実のところ、その用語は『古事記伝』執筆の過程において、「御国」から「皇国」へと概ね統一されていったものと見られる。両方とも同じミクニであることは間違いない。しかしながら、「皇」字の選択の意味は大きい。この用語の自覚とともに、『古事記伝』において「皇国」という新たな物語が完成されるのである。

第三章は、『古事記伝』中にあらわれる「皇国」の用例を中心に、実際に「皇国」の語がいかに用いられているかを追究したものである。「皇国」にいたりついた『古事記伝』の意味は、『古事記伝』のなかで探っていくほかない。

ここでは「皇国」の物語において核心となる皇統について、『古事記伝』のキミヤツコ(「君臣」)論を通じて考察を進めた。キミヤツコという「古言」の発見は、「皇国」には「君臣の差別」が厳存していたという「事」の証明につながる。古くから治める者と治められる者との「統(スヂ)」が定まっていた「事」は、「漢国」の君臣秩序と最も異なる特徴として、王朝の途絶えることのなかった「皇国」における「種」の継続を説明可能にする。それを宣長は『古事記』の読みから立証した。『日本書紀』に比べ、一見「帝王統紀」として整っていない『古事記』の書き方こそが、かえって「事」(実体)としての皇統を正しく示していることになる。いわば事実としての「古事」として、「古言」を媒介に解き明かされるのである。そうして、皇統を基軸に据えた「皇国」の物語は、神々の時代から断絶することなく、今現在の自分たちにつながる「実の事」とされる。宣長にとっては、「事」によって実体化される世界の意味は、すべて『古事記』に凝集されていた。その意味を担っているからこそ、『古事記』は世界を捉える原典となったといえる。

以上のように、宣長は、皇統の起源の物語として『古事記』を読むことに、誰よりも自覚的であった。『古事記伝』二之巻の「大御代之継継御世御世之御子等」と題する系図なども、宣長によって再構成された皇統譜として理解される。『古事記伝』において、本来のあるべき天皇記が完成されたのである。宣長より前に、『古事記』がそのような形で読み通されることはなかった。

『古事記』はいうまでもなく、八世紀の時点において天皇の正統性を説く物語であった。ただ、果たしてそれが、『古事記伝』の捉えたような「皇国」の物語であったかは疑問である。『古事記』では一般の人間のことを主題として扱っていないことが端的な例である。

しかし、宣長は、天皇の統治につながる「神の道」を「人の道」に適用して読もうとした。「皇国の道」は、何よりも「人の情」に適うが故に、正しい「真の道」として高められたことに注意すべきである。つまり、それは人間世界の総体を問うものであり、必ずしも「天皇の天下しろしめす道」にかかわる政治思想の問題には還元できないものとしてある。『古事記伝』において「皇国」とかかわって述べられている上古の「事」は、神代からの具体的な「風儀」「礼儀」「制」などを指している。それは皇室をはじめ、民間にまで及ぶ風習的なものを総括したものである。このように、神代が「事の跡」として現存する事実を、『古事記』のなかに見出し、それをもって「皇国」の「古事」の真実性を主張する。そうして確認される神代と現代との連続性は、古伝説と地球説が合致するという理解と同様、宣長の関心が常に現代に向けられていたことを示している。『古事記』注釈はそういった彼の自己確証の営みに他ならず、「皇国」とは、まさにそこにおいて、今現在の世界を見据えた上で選び取った自国表現であった。『古事記』そのものとはまた異なる、『古事記伝』がつくった〈古事記〉のなかの世界である。

近代日本において「皇国」という語が、その意味合いはともあれ、長く用いられてきたことは、宣長の排外思想のみが拡大解釈され、ある固定化した宣長像が普及していく過程と決して無関係ではない。『古事記伝』に立脚して宣長の「皇国」という問題を考えようとした本研究は、これまで偏狭な「皇国」主義者の典型として無批判に論じ続けられてきた宣長言説に対する問い直しでもある。

審査要旨 要旨を表示する

裴寛紋氏の博士学位請求論文「『古事記伝』の「皇国」--注釈がつくる世界の物語」は、本居宣長『古事記伝』(1798年成稿)に正面から取り組み、それを読み解きながら、この注釈を成り立たせたものは何か、その本質を問う試みである。この論文の意義は何よりもまず『古事記伝』読解に挑み、その全体の意義を問うた点にもとめられる。

宣長の主著『古事記伝』は現在の『古事記』研究においても第一に参照すべき文献であり、その一部は宣長の思想的表現としてもしばしば取り上げられる。しかしながら、この大著そのものの思想的意義がその叙述に即して問われることはいまなお少ない。このような現状をかんがみる時、本論文の試みは困難ではあるが、きわめて意欲的かつ重要なものとして評価しうる。

本論文のキー・ワードである「皇国」という語も、宣長の思想を特徴づける概念としてしばしば引かれながら、『古事記伝』においてそれがどのような意味をもつかは不問に付されてきた。論者は、宣長が「御国」などの語に代わり「皇国」を選択したのが、『古事記伝』を執筆する過程であったことをたしかめた上で、その選択が、宣長の『古事記』理解にどうかかわっていたかを、『古事記伝』の叙述に即して明らかにしていく。このような方法は、『古事記伝』に結実した宣長の営為を理解するために必須であり、本論文中に見出された問いは『古事記伝』の本質に迫りうるものとして高く評価できる。

以下、論文の内容を概括しながら、審査による評価を記す。

序章では、『古事記伝』の読解と分析を中心とする本論文全体の問題設定と全体の構成、さらに本論文における『古事記伝』読解の焦点となる「皇国」の問題性が示される。なお叙述の日本語の的確さと構成の明快さとは、本論文を、重大なテーマを扱いながらも、きわめて読みやすいものにしており、審査委員が一致して高く評価するところであった。

第一章は、宣長が『古事記』の解釈を通じ、しかし『古事記』から離れて新たな物語をかたりはじめる過程を、『古事記』の「常世」という語に付された詳細な注釈を出発点として分析する。それによれば、宣長は、「常世」の語義の分類から『古事記』中の「常世国」を「外国」と見なす解釈を導き出し、それを『古事記』全体の理解に組み込むことで、『古事記』から、十八世紀当時の世界認識にも適合しうる世界像をつくりだした。本論文は、宣長在世時の、地球的世界観というべき認識の浸透を概観した上で、『古事記伝』附巻である服部中庸『三大考』を中心とする分析によって、宣長自身にそうした世界認識と『古事記』とを繋げる志向を確認しつつ、『古事記伝』によって創出された、『古事記』そのものの世界観とは異なる世界像を明らかにする。それは、絶対的な中心である「皇国」とそれ以外の「外国」とからなる地球的世界であった。「皇国」という語から宣長の思想を裁断するのでなく、『古事記伝』執筆当時、すでに共有されつつあったこの語を、宣長がいかなる論理でどのような位相の下に獲得したかを、具体的に理解する糸口を示しえており、そのオリジナリティとともに高く評価できる。

第二章は、『古事記』天孫降臨の章に明記された「韓国」の注釈を基点とした考察である。宣長は古代朝鮮を指す「韓国」を、日本書紀を参照しながら、空虚不毛の地を意味する「空国」に改める。第二章第一節は、この改変を朝鮮軽視への批判に直結させるのではなく、改変をうながした解釈上のコンテクストを広範かつ丹念に追求することによって、改変が、『古事記』に「皇国」の始原の物語を読み込んでいく動きとかかわることを明らかにする。

当時の思潮をたしかめつつも、宣長の「韓国」解釈をそれへの同調と決めつけるのではなく、そうした解釈をうながす脈絡を広汎な注釈の分析から見きわめている。断片的、皮相的でない宣長理解を深めうる正当な態度としてみとめられる点である。

第一節に関連して第二章第二節は、宣長の古代朝鮮観、「カラ(クニ)」の用法を、古事記伝以外の著作も参照しながら検証する。古代朝鮮については文献を広く渉猟しつつも、「皇国」固有の「古代」を追求する中で、その「古代」史に整合的な朝鮮観を構築し、固有の「古代」と対立的な、朝鮮を包括した「カラ」像を構築する宣長を浮き彫りにしえている。

第三章は、「皇国」の根拠を、『古事記』の記述のうちに追求する営みとして宣長の『古事記』注釈を捉え、『古事記伝』以外のテキストとともに検証する。本論文によれば、それは中国の文化的制度の移入以前に存在したはずの原生的な諸制度であり、「皇国」のみに現存する「神代」の痕跡であり、その枢要なものとしての皇統であった。第二節では、『古事記』の尊重と意味づけそのものもそうした価値観の中に確立されていることが示され、ついで第三節ではあらためて宣長における「皇国」の選択の意味が、賀茂真淵や荻生徂徠などとも比較しながら問われている。

先の二章を受けて、『古事記伝』以外の宣長の著作も射程に入れつつ、宣長による「皇国」としての自国を確証する試みを解明しようとするものであり、論文構成上の意義は明確で、創見もみられる。ただし、宣長「皇国」論の核心にかかわるところで提起された、宣長における歌の意義、また「皇国」と「道」との連関については、きわめて重要な論点でありながら、未消化に終わっていることが指摘された。

終章は、宣長が確立した「皇国」観の宣長以降の動向を追求し、さらに前章まで探求してきた宣長理解を踏まえて、近代の宣長研究史の概観を試みる。とくに後者は、宣長における「皇国」信仰と近代的な実証的態度との並存を問題とするいわゆる「宣長問題」の再検討も視野に入っている点が注目される。本論文では、その問題の発端と史的展望を示すのみに終わっているものの、論者の問題意識の射程の長さを感じさせ、また、本論文のような『古事記伝』分析をベースとした問題の捉え直しは、この問題に重要な提起をしうることが期待できる。

審査では、宣長の注釈をそれ自体として理解するという立場が十分に自覚されていない箇所があること、言説の整理と解釈が粗雑である点もいくつか指摘された。しかし、これらもふくめ問題点は、今後なお続くはずの論者の『古事記伝』研究の中で解消されるべき課題であり、鋭い論点と明確な方法とによって宣長『古事記伝』を考える視座をひらいた本論文の価値を大きく損ねるものではないことが、審査委員のあいだで確認された。

以上の審査の後、審査委員全員による協議の結果、全員一致で本審査委員会は、本論文が裴寛紋氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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