学位論文要旨



No 126633
著者(漢字) 上野,真弓
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,マユミ
標題(和) 認知・行動的側面からみた抑うつと攻撃性の関連 : 攻撃の表出性に焦点をあてて
標題(洋)
報告番号 126633
報告番号 甲26633
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1050号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石垣,琢麿
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 岡ノ谷,一夫
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 要旨を表示する

博士論文の背景と目的

うつ病は,病気の診断を受けていない健常者の抑うつとの間に連続性が仮定されていることから(e.g., 坂本・大野, 2005),うつ病の原因解明や治療法研究のために健常者を対象としたアナログ研究が盛んに行われている。本研究では健常者の抑うつをうつ病の前段階として捉え,研究を行った。

DSM-IV-TR(American Psychiatric Association, 2000)によると,うつ病の特徴として強い自責感,希死念慮,自殺企図などがあげられている。このことから,うつ病,抑うつの高い者は本来他者へ向けるはずの攻撃性が自分に向けられていると考えられてきた(e.g., Biaggio & Godwin, 1987)。しかしながら,うつ病者が他者に怒りを表した報告も成されており (e.g., Friedman, 1970;鈴木・安齋, 1999),現在のところうつ病患者,健常者の抑うつを対象とした実証的研究において,「抑うつの高い者は自責的で攻撃もしない」ことを示す結果が一貫して得られているわけではない。臨床的にも抑うつと攻撃性の関連は指摘されていおり,最近ではうつ状態でありながら他責的で,慢性的に焦燥感が強い「非定型うつ」(e.g., Parker, Roy, Mitchell, Malhi, & Hadzi-Pavlovic, 2002; 横山, 2006; Chopra, Bagby, Dickens, Kennedy, Ravindran, and Levitan, 2005)に代表されるような,うつ病のサブタイプが提唱されている。これらのことから,うつと攻撃性との関連はさらに複雑化していると考えられる。そこで,本研究では攻撃性の中でも特に認知的側面と行動的側面に焦点を絞り,それぞれの側面と抑うつとの関連を検討した。さらに,攻撃性を他者に見えるように表す表出性攻撃と,他者には見えないように怒りを心の中にとどめる不表出性攻撃という2種類に分けて考え(坂井・山崎, 2004),抑うつとの関連を明らかにし,さらには攻撃性を踏まえたうつ病治療への提案を行うことを目的とした。

博士論文の構成

本博士論文は4つの章と7つの研究から構成される(Table 1)。

第1章 抑うつと攻撃性との関連

第1章では,抑うつと攻撃性全体との間にどのような関連が見られるのかについて,攻撃性の強さと表出傾向を通して検討することを目的とした研究を行った。研究1では,抑うつと攻撃性全体との間の相関を確認し,抑うつ者はある程度強い攻撃性を持っていることを示した。また,抑うつ者は他者に対する敵意は高い一方で,それを表出できない傾向があることが示唆された。研究2では,抑うつと特性として見られる怒り表出傾向の関連について検討し,抑うつ者は怒りを表出しない傾向があるというよりも,怒りを他人に知られないように隠そうとする傾向が強く,隠した怒りを静めようとする傾向も低いことを明らかにした。これらの結果から,抑うつとは表出性攻撃よりも不表出性攻撃が強い関連を持っている可能性が示唆された。

第2章 抑うつと攻撃表出に関わる信念

第2章では攻撃性の認知的な側面に焦点をあてた研究を行った。研究3では自己記入式の尺度によって測定したこれらの信念と抑うつとの関連を検討し,抑うつ者は怒りを抑制することに対する信念よりも,怒りを表出することに対する信念を強く持っていることを明らかにした。さらに,怒りを表出することが自分にとって良くないことだという信念と,怒りを表出することが自分にとって良いことだという信念という,矛盾した2つの信念を強く持っている可能性が示唆された。研究4では研究3の結果から,怒りの表出と抑制に関する信念のうち,表出に関する信念のみを取り上げ,怒り表出に関する信念と怒り表出傾向と抑うつの関係を探索的に検討した。その結果,抑うつ者は「怒りを表出することはいいことだという信念を持ち,怒りを感じてもそれを解消したりしようとはしない」傾向と,「怒りを表出することは悪いことだという信念を持ち,他人に感じた怒りを絶対に見せないようにする」傾向を持っている可能性が示唆された。これらの結果から,抑うつと不表出性攻撃との関連には,怒りの抑制に関する信念ではなく表出に関する信念が影響を与えていることを明らかにしたといえる。

第3章 抑うつと攻撃表出の方法

第3章では,攻撃性の行動的側面に焦点をあてた研究を行った。研究5では,怒りを感じたあとに取られる対処行動をその性質によって分類することを試み,一般の大学生にとられやすい表出方法の分類を行ったところ,強い情動性をもち表出性攻撃の性質を強く示す行動群と情動性が弱く目標志向的な不表出性攻撃の性質を示す行動群という2つの因子に分類可能であることを示した。研究6ではこの2つの行動群と抑うつとの関連を検討し,抑うつ者は怒りを感じた際に,情動性が強く表出性攻撃の性質をもつ行動ではなく,情動性が弱く不表出性攻撃の性質をもつ行動を取りやすい傾向があることを示した。行動的な側面から検討しても,抑うつ者は不表出性攻撃との関連が強いことが示唆されたといえる。

第4章 抑うつのサブタイプ

第4章では尺度で測られる抑うつの強さという「量」ではなく,あらわれる特徴の違いという「質」に焦点を絞った研究を行った。研究7では抑うつのサブタイプに着目し,攻撃性との関連を検討した。その結果,抑うつ者の中にも対人関係により強く問題を抱えているグループと特にアパシーや全般的に落ち込んだ気持ちになりやすいグループという,特徴の異なるグループが存在することが示唆された。さらに,これらのグループは攻撃性の特徴にも違いがあり,対人関係に問題を抱えるグループは怒りを感じてもそれを主張しようとする傾向が非常に低く,その怒りを隠そうとする傾向が非常に高かったのに対し,落ち込んだ気持ちになりやすいグループは怒りを主張することに特別な抵抗を持たず,怒りを隠そうとする傾向もそれほど高くないという傾向が示唆された。このことから,抑うつ者の中にも,抑うつと攻撃性のそれぞれについて異なる特徴を持つグループが存在していることが明らかになった。

総合考察

本研究の結果から,(1)抑うつと攻撃性には関連があり,(2)特に表出性の攻撃とは関連がなく,不表出性の攻撃と関連が強いこと,(3)抑うつの中にも攻撃性の特徴が異なるグループがみられることが明らかになった。つまり,抑うつ者は認知的にも行動的にも,怒りを感じた際にその怒りを他人に知られないように隠す傾向をもっているが,抑うつ者の特徴の違いを踏まえると,攻撃性にも異なる特徴が見られる場合もあるということが示されたといえる。

この結果を踏まえて,攻撃性の一般モデル(Anderson & Bushman,2002)に抑うつの影響を仮定したモデルを提案した(Figure 1)。

本論文の結果から提案されたFigure 1のモデルでは,攻撃性のモデル内の個人要因とされる部分に抑うつが直接含まれると考えられる上,内的状態の認知と考えられる攻撃の表出に関する信念,取りやすい怒りの対処行動を決定する評価・決定過程部分に抑うつの影響が考えられている。さらに,行動の結果として得られる社会的接触によって,抑うつが強化されている可能性も考えられるが,このモデルについてはより詳細な検証が必要である。

また,本論文での議論から,攻撃性の信念・表出傾向・抑うつの関連には,「怒りの表出に関するポジティブな信念が強く,怒りを解消しようとしない傾向をもつことで抑うつにつながる」というタイプと,「怒りの表出に関するネガティブな信念が強く,怒りを隠そうとする傾向をもつことで抑うつにつながる」というタイプの2種類がみられることが明らかになった。このことから,それぞれのタイプに対応するような介入手段を提案し,攻撃性という新しい視点からのうつ病へのアプローチの可能性を示唆した。

一方で,本論文ではうつ病患者ではなく,アナログ研究から得た結果を議論している。そのため,本論文で得られた結論がうつ病患者にも適用可能であるのかについては,今後更なる検証が必要であると考えられる。また,本論文で提案された介入法の例についての信頼性や妥当性,さらにはうつと攻撃性の因果関係についても,より詳細な検証が重ねられる必要性があると考えられる。

Table 1 博士論文の構成

Figure 1 攻撃の一般モデル(Anderson & Bushman,2002)に抑うつの影響を仮定したモデル図。

審査要旨 要旨を表示する

うつ病の症状には、抑うつ気分、意欲低下、易疲労感などとならび、焦燥感、希死念慮、自殺企図など、攻撃性に関連するものが挙げられている(APA, 2000)。「うつ病患者は常に自責的で他者攻撃をしない」わけではないが、うつ病・抑うつと攻撃性との関連についての先行研究は散見されるだけで(Friedman, 1970; 鈴木・安齋,1999; Fava et al., 1991)、実証的な研究はほとんどされていない。この理由の1つは、うつ病と健常者の心理現象との連続性を考慮しなかったことにある。しかし、近年では、うつ病の症状は健常者の抑うつと、かなりの部分で連続すると考えられるようになった(坂本・大野,2005)。そのため、健常者を対象とした非臨床アナログ研究が盛んに行われるようになり、成果を上げている。こうした研究手法の利点の1つは、比較的大きな標本を用いて複雑な統計的分析を行うことができる点である。本研究の最終的な目的は、従来の研究手法の問題を乗り越え、うつ病・抑うつと攻撃性との関連を明らかにし、有効な支援の方法を開発することである。

本研究は次の7つの調査研究から構成されている。なお、本研究における「抑うつ者」とは、健常者のなかで抑うつ尺度得点の高いグループをさす。また、本研究では、坂井・山崎(2004)にならい、攻撃性を表出性攻撃と不表出性攻撃の2つに分けて検討している。なお、研究1は「パーソナリティ研究」誌上に公表済みである。

研究1「抑うつと攻撃性4側面との相関」では、抑うつ尺度としてSDS(Self-rating Depression Scale)、攻撃性尺度としてBAQ(Bass-Perry Aggression Questionnaire)を用い、相関分析を行った。その結果、抑うつと表出性攻撃とは負の関連、不表出性攻撃とは正の関連があることが明らかになった。研究2「抑うつと攻撃の表出傾向との関連」では、SDSと攻撃性尺度のSTAXI(State-Trait Anger Expression Inventory)の重回帰分析から、抑うつと怒りの抑制には正の、怒りの制御には負の関連があり、怒りの表出とは関連しないことが明らかになった。つまり、研究1と2からわかることは、抑うつとは特に不表出性攻撃との関連が強いこと、抑うつ者は怒りを隠そうとする傾向が強いことである。

これらの結果から、攻撃性の認知的側面が抑うつと強く関連する可能性が考えられた。そのため、研究3「抑うつと怒り表出信念との関連」では、抑うつ尺度としてCES-D(the Center for Epidemiologic Studies Depression Scale)、怒りの表出に関する信念を測定する尺度としてBASQ(the Belief of Anger Expression Style Questionnaire)を用いて重回帰分析を行った。その結果、怒りを抑制することに関する信念と抑うつとは関連が無かったが、怒りの表出に関するポジティブな信念、ネガティブな信念両方と抑うつは正の関連がみられた。そこで、研究4「怒りの表出信念と表出傾向」では、抑うつの強さ、怒りの表出に関する信念、怒り表出傾向から構成されるモデルを作成し、CES-D、BASQ、STAXIの結果から探索的な共分散構造分析を行った。採用したモデルの適合度指数はいずれも高く、十分な適合度を有していると考えられた。このモデルからわかることは、抑うつ者が怒りを感じた場合、(1)怒りを表出することは良いことだと考え、怒りを解消しようとしない、(2)怒りを表出することは悪いことだと考え、怒りを他者に絶対に察知されないようにする、の2つのパターンが存在するということである。ただし、これらが個人によって違うのか、併存するのか、時期によって変化するのか、については今後の検討を必要とする。

次に、研究5「攻撃方法の分類」と研究6「抑うつ者の攻撃方法の検討」において、抑うつと攻撃性の行動的側面との関連を検討した。まず、大学生が強い怒りを感じたときに日常的にとる対処行動を調べるため、先行研究を参考にして「怒り喚起状況とその対処に関する質問紙」を作成した。因子分析によって「感情的表出因子」と「認知的不表出因子」の2つの因子を抽出した。この2因子と、CES-D、STAXIの相関分析を行ったところ、認知的不表出因子と抑うつ、怒りの抑制との間に有意な相関がみられた。つまり、抑うつ者は怒りを感じる際に、それを明らかな行動として表出せず、考え込む傾向がこの研究でも明らかにされた。

最後の研究7「抑うつのサブタイプと攻撃性」では、身体症状・対人関係・ポジティブ感情・抑うつ感情というCES-Dの4つの下位尺度に基づいてクラスター分析と二要因分散分析を行い、「低うつ群(1群)」、「高うつ対人関係群(3群)」、「高うつ身体・抑うつ気分群(7群)」という3つのクラスターを抽出した。次に、攻撃性尺度であるBAQとMAQ(Muller Anger Coping Questionnaire)の得点をこの3クラスター間で比較した。その結果、1群は攻撃性が全体的に低いが言語的攻撃は高い、3群は怒りと敵意が高く言語的攻撃は低い、7群は怒りと敵意が高く身体的攻撃と言語的攻撃には差が無い、という特徴が明らかとなった。つまり、症状や抱える問題によって2群に分けられた抑うつ者は、いずれも怒りや敵意を抱きやすいが、攻撃性の表出に関してはそれぞれに特徴がある。この研究は、先行研究が抑うつの「量」のみ扱っていたことに対して、抑うつの「質」の分類に基づく分析を行っており、その結果は心理的支援方法にも有益な示唆を与えるものである。

本論文の審査会において指摘された修正点は次の2つに大別できる。(1)攻撃性等用語の概念を明確にすべきである、(2)生物学的な分析および考察を行うべきである。(1)については、攻撃性の分類を複数の先行研究に基づいて行ったことを明示した。ただし、攻撃性概念は研究によって異同があるため、本研究での定義を明確に記述するよう修正した。(2)については特に性差の問題を指摘された。本研究の結果には性差が見られる部分もあったが、先行研究の知見(たとえば、湯川(2008))では、男女間では攻撃の方法に差があっても、怒りの強さに差は無いと考えられている。また、抑うつについては、一般に女性の方が男性よりも重いといわれているが、7つの研究のうち1つの研究で同様の性差が見られただけであった。これらのことから、本研究の結果における攻撃性と抑うつには性差はないと判断し、論文中に明示した。加えて、序論および総合考察に、生物学的検討として、神経伝達物質や性ホルモンと攻撃性についての記述を加えた。

以上の点を修正した結果、東京大学大学院総合文化研究科における博士学位授与に相応しい論文内容として審査員全員によって認められた。

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