学位論文要旨



No 126634
著者(漢字) 笹邊,俊和
著者(英字)
著者(カナ) ササベ,トシカズ
標題(和) ドーパミンD2受容体の選択的スプライシング調節機構
標題(洋)
報告番号 126634
報告番号 甲26634
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1051号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京大学 准教授 坪井,貴司
内容要旨 要旨を表示する

背景

ドーパミンは、報酬効果、情緒、注意や作業記憶などの認知機能、随意運動などの調節に中心的な役割を果たすモノアミン系の神経伝達物質である。そのため、ドーパミン神経系の障害は薬物依存、統合失調症、注意欠陥多動性障害(ADHD)、パーキンソン病などの多様な疾患の要因となっている。ドーパミンの受容体には5つのサブタイプがあり、中でもD2受容体は脳内に最も豊富に発現している主要な受容体である。

ドーパミンD2受容体の遺伝子は8つのエクソンから成るが、そのうち6番目のエクソンが選択的にスプライシングされるため、アミノ酸配列が長いD2Lと短いD2Sの2つのスプライスバリアントが生成される。このエクソン6はD2受容体の細胞内第3ループ部分に相当する29残基のアミノ酸をコードしているため、D2LとD2Sはタンパク質レベルで異なった性質を有することになる。例えば、D2LとD2Sではシグナルの下流に位置するタンパク質が異なることや、脳の部位によって発現量が異なることなどが報告されている。また、D2LとD2Sの両方を持たないマウスでは薬物に対する嗜好性が低下するが、D2Sのみを持っている場合では嗜好性が低下しないことなどから、個体レベルでも2つのスプライスバリアントは異なる機能を担っていることが知られている。

これらのことから、D2LとD2Sの量比のバランスはドーパミン神経系の機能にとって重要であると考えられるが、それを規定している選択的スプライシングがどのように調節されているかについてはほとんど分かっていない。そこで、本研究ではドーパミンD2受容体の選択的スプライシングを調節している分子メカニズムを解明することを目的として実験を行った。

材料と方法

選択的スプライシングの調節機構を調べるため、minigeneを用いたRT-PCR法を行った。minigeneとは、遺伝子配列の一部をイントロンを含んだ状態でクローニングしたものである。今回のドーパミンD2受容体のminigeneでは、選択的なエクソン6と、その前後のエクソンまでを含む配列を用いた。また、ドーパミンD2受容体の選択的スプライシングに関わるタンパク質を調べるために、過剰発現用のコンストラクトやノックダウン用のsiRNAを用いた。

結果

まず、スプライシングを調節することが知られている11個のRNA結合タンパク質をドーパミンD2受容体のminigeneとともにHEK293細胞に発現させたところ、PTBP1を発現させた時にのみD2Sの割合が減少することが分かった(次ページの図を参照)。次に、HEK293細胞とSH-SY5Y細胞を用いて、PTBP1の発現をsiRNAによってノックダウンさせたところ、D2Sの割合が増加したため、内在のPTBP1が確かにドーパミンD2受容体の選択的スプライシングに影響していることが確認された。これらのPTBP1による効果はSH-SY5Y細胞における内在のドーパミンD2受容体に対しても同様であることも確認した。また、minigeneの配列の一部を欠失させた際のPTBP1の効果を調べた所、選択的なエクソン6に隣接する上流と下流のイントロンを欠失させた場合にはPTBP1の効果が消失することが分かった。

さらに、外部刺激としてエタノールを添加したところ、PTBP1を過剰発現させた際と同様にD2Sの割合が減少することが分かった。

考察

本研究では、ドーパミンD2受容体の選択的スプライシング調節に関与するタンパク質を初めて明らかにした。PTBP1の過剰発現によってD2Sの割合が減少し、PTBP1のノックダウンでD2Sの割合が増加することから、PTBP1はエクソン6の挿入を促進していると考えられる。欠失を導入した結果からは、PTBP1が作用しているドーパミンD2受容体の配列が同定され、他のスプライシング調節タンパク質による関与も示唆された。

また、先行研究と同様に、エタノールによってもドーパミンD2受容体の選択的スプライシングが変化することを示した。エタノールの添加によってリン酸化酵素PKAが活性化されることが知られているが、加えて、PKAはPTBP1をリン酸化することも報告されている。そのため、エタノールによる選択的スプライシング調節のメカニズムとして、PKAを介したPTBP1のリン酸化状態の変化が考えられる。

先行研究の結果から、D2Sの割合が低くなるとアルコール依存症などの薬物依存症になるリスクが高まることが予測される。そのため、エタノールやPTBP1によるD2Sの減少が薬物依存症の発症メカニズムの一端を担っている可能性が考えられる。その場合、PKAやPTBP1が薬物依存症の治療標的として利用できることが期待できる。

図.PTBP1によるドーパミンD2受容体の選択的スプライシングへの影響

A.ドーパミンD2受容体のminigene.エクソン5からエクソン7までの配列がEYFPと融合して発現するように設計ざれている.B,C.スプライシング調節タンパク質と同時にminigeneを発現させた際のRT-PCRの結果.PBP1を発現させた場合のみD25の割合が減少した。

審査要旨 要旨を表示する

ドーパミンD2受容体はドーパミン受容体の5つのサブタイプの中でも脳内に最も豊富に発現している主要な受容体であり、ドーパミン神経系は報酬効果、認知制御、随意運動の調節などを司っている。そのため、ドーパミンD2受容体の発現の変化は、薬物依存、統合失調症、注意欠陥多動性障害(ADHD)、パーキンソン病など様々な疾患の発症要因になると考えられている。

ドーパミンD2受容体の発現制御に関しては、発現の全体量だけでなく、スプライスバリアントの量比の制御も考慮する必要がある。ドーパミンD2受容体の遺伝子は8つのエクソンから成るが、そのうち6番目のエクソンは選択的スプライシングによって挿入される場合と除外される場合があり、その結果、アミノ酸配列が長いD2Lと短いD2Sの2つのスプライスバリアントが生成される。このエクソン6はD2受容体の細胞内第3ループ部分に相当する29残基のアミノ酸をコードしているため、D2LとD2Sはタンパク質レベルで異なった性質を有することになる。例えば、D2LとD2Sではシグナルの下流に位置するタンパク質が異なることや、脳の部位によって発現量が異なることなどが報告されている。また、D2LとD2Sの両方を持たないマウスでは薬物に対する嗜好性が低下するが、D2Sのみを持っている場合では嗜好性が低下しないことなどから、個体レベルでも2つのスプライスバリアントは異なる機能を担っていることが知られている。

論文提出者は、ドーパミンD2受容体遺伝子に存在するある一塩基多型(rs1076560)のうち、アレルTを有する方がアルコール依存症になるリスクが高いことを以前に報告した(Sasabe et al., Neuroscience Letters, 2007)。その後、アレルTを有する方がD2Sスプライスバリアントの発現量の割合が少ないことも報告されている。

これらのことから、D2LとD2Sの量比のバランスはドーパミン神経系の機能にとって重要であり、その変化が薬物依存症などの疾患を発症する一要因になることが考えられるが、それを規定している選択的スプライシングがどのように調節されているかについてはほとんど分かっていなかった。論文提出者は、学位請求論文において、ドーパミンD2受容体の選択的スプライシング調節に重要な遺伝子配列と、選択的スプライシング調節を担うタンパク質の同定をおこなった。

論文提出者は、選択的スプライシングの調節機構を調べるため、minigeneを用いたRT-PCR法を行った。minigeneとは、遺伝子配列の一部を、イントロンを含んだ状態でクローニングしたものである。今回のドーパミンD2受容体のminigeneでは、選択的なエクソン6と、その前後のエクソンまでを含む配列を用いた。これをHEK293細胞にトランスフェクションし、細胞内で産生されるD2LとD2Sの割合を求めた。

まず、ドーパミンD2受容体の選択的スプライシングに関わるタンパク質を調べるために、過剰発現用のコンストラクトやノックダウン用のsiRNAをドーパミンD2受容体のminigeneと同時にトランスフェクションした。神経系においてスプライシングを調節することが知られている11個のRNA結合タンパク質を過剰発現させたところ、PTBP1(polypyrimidine tract-binding protein 1)を発現させた時にのみD2Sの割合が有意に減少することが分かった。次に、HEK293細胞とSH-SY5Y細胞を用いて、PTBP1の発現をsiRNAによってノックダウンさせたところ、D2Sの割合が増加したため、内在のPTBP1が確かにドーパミンD2受容体の選択的スプライシングに影響していることが確認された。これらのPTBP1による効果はSH-SY5Y細胞における内在のドーパミンD2受容体に対しても同様であることも確認した。また、minigeneの配列の一部を欠失させた際のPTBP1の効果を調べたところ、選択的なエクソン6に隣接する上流と下流のイントロンを欠失させた場合にはPTBP1の効果が消失することが分かった。

さらに、minigeneをトランスフェクションしたHEK293細胞に、外部刺激としてエタノールを添加したところ、PTBP1を過剰発現させた際と同様にD2Sの割合が減少することも分かった。

本研究では、ドーパミンD2受容体の選択的スプライシング調節に関与するタンパク質を初めて明らかにした。PTBP1の過剰発現によってD2Sの割合が減少し、PTBP1のノックダウンでD2Sの割合が増加することから、PTBP1はエクソン6の挿入を促進していると考えられる。欠失を導入した結果からは、PTBP1が作用しているドーパミンD2受容体の配列が同定され、他のスプライシング調節タンパク質による関与も示唆された。

また、先行研究と同様に、エタノールによってもドーパミンD2受容体の選択的スプライシングが変化することを示した。エタノールの添加によってリン酸化酵素PKAが活性化されることが知られているが、加えて、PKAはPTBP1をリン酸化することも報告されている。そのため、エタノールによる選択的スプライシング調節のメカニズムとして、PKAを介したPTBP1のリン酸化状態の変化が考えられる。

先行研究の結果から、D2Sの割合が低くなるとアルコール依存症などの薬物依存症になるリスクが高まることが予測される。そこで、本研究の結果から、エタノールやPTBP1によるD2Sの減少が薬物依存症の発症メカニズムの一端を担っている可能性が考えられ、PKAやPTBP1が薬物依存症の治療標的として利用できることが期待できる。

以上の結果は、ドーパミンD2受容体の発現制御について新しい知見を加えたものであり、したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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