学位論文要旨



No 126636
著者(漢字) 野嶋,純
著者(英字)
著者(カナ) ノジマ,ジュン
標題(和) アミロイドβを発現させた米の経口投与によるアルツハイマー病の治療
標題(洋)
報告番号 126636
報告番号 甲26636
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1053号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 教授 豊島,陽子
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(Alzheimer's disease, AD)は、主な症状としては認知症である。アルツハイマー病には神経病理学的には、脳組織内に認められる老人斑、神経原線維変化、神経細胞の脱落を特徴とする。老人斑は神経細胞外にアミロイドβタンパク質(amyloid β-protein, Aβ)と呼ばれるタンパク質が凝集したものである。神経原繊維変化は神経細胞内にリン酸化されたタウ(tau)がフィラメント状に蓄積したものである。最近のアルツハイマー病の研究では、先に老人斑ができ、その後神経原繊維変化が起きるとされている。さらにこの老人斑の主成分であるAβの蓄積がタウのリン酸化及び蓄積を促し、この一連の流れが神経細胞の脱落を引き起こすと考えられている。この考え方はアミロイド仮説を呼ばれていて、Aβが蓄積することがアルツハイマー病の引き金となり、発症するというもので、この仮説をもとにAβをターゲットとした治療研究が行われている。

以前、私たちは腸管免疫の特性を生かし、ピーマンの葉にAβを発現させ、それをCTBとともにアルツハイマー病モデルマウスTg2576に経口投与した結果、Aβに対する抗体価は上昇し、かつ産生されたIgGのサブタイプ解析結果から非炎症性の免疫応答が誘導されたことを報告した。さらに脳内に存在する可溶性と不溶性Aβの量を減少させることに成功した。ただし、発現させたピーマンの葉はヒトへの経口投与は難しく、保存方法も室温で適していないと考えられる。そこで本研究では、室温で長期保存が可能で、かつ食するのに適した米にAβを発現させ、新規の食物ワクチンの開発を試みた。

米に発現しているGFP-Aβ量を定量したところ、1 gにつき120μgの発現量を確認することができた。野生型B6マウスへこのGFP-Aβ米を経口投与した結果、何も発現していない米(WT)を食べさせたグループと比較して、Aβを発現させた米を経口免疫したマウスグループで1.5倍近くまで有意に抗体量が増加していた。しかし、経口投与は免疫力を上げるためにコレラトキシンBサブユニット(CTB)を共に経口投与しているため、Aβに対する抗体だけでなく、米に含まれるタンパク質に対する抗体(以下、抗米タンパク質抗体と称す)も産生されている可能性があり、実際に抗米タンパク質抗体の量が免疫前と免疫後を比較して、3倍近くまで増加していることが分かった。

そこでマウスに米タンパク質に対する免疫寛容を起こさせることを考えた。免疫寛容は母親マウスからの授乳を通して子マウスへ誘導することができるという報告をもとに、授乳中の母親マウスに何も発現していない米を経口投与し、子マウスに免疫寛容を誘導させたうえで、Aβを発現させた米を用いた免疫を開始した。その後の解析結果から、CTBを一緒に経口投与した場合でも、米タンパク質に対する免疫寛容を誘導したマウスにおいて、米に含まれるタンパク質に対する抗体産生を2倍以上抑制しつつ、抗Aβ抗体を産生することができることが明らかになった。これは日常的に米を食べているヒトでは、米タンパク質に対する免疫寛容は誘導されていると考えられ、ヒトにCTBと混ぜて経口投与した場合、マウスの結果と同様に、抗Aβ抗体のみを産生することができる可能性がある。

また米にCTBを発現させた場合、マウスやサルにおいて抗CTB抗体は産生されるけれども米に含まれるタンパク質に対する抗体は産生されないという報告があり、私は次に米の中にCTBをAβに融合して発現させた食物ワクチンの経口投与を行った。まずこのCTB-Aβ米のCTB-Aβの発現量を定量したところ、1gにつき、3mg近くの発現量を確認することができた。この米を使用し免疫を開始したところ、何も発現していない米(WT)を食べさせたグループと比較して、ここでもCTBを外から混ぜて免疫した場合、やはり抗米タンパク質抗体は産生されていたがCTB-Aβ米を経口投与したグループで抗Aβ抗体が2倍以上産生された。さらに、ここでもCTBを外から混ぜて免疫した場合、やはり抗米タンパク質抗体は産生されていたが、CTB-Aβ米の免疫では、米に含まれるタンパク質に対する抗体産生を約3倍抑制することができ、Aβのみにアジュバント効果が発揮された。

さらに抗原をどの部位に発現させるかも食物ワクチンには非常に重要であり、GluB1 promoterを使用することでタンパク質小体に特異的に発現させた場合、ペプシンなどの分解酵素に抵抗性をもつことが示唆された。これは抗原を腸管に届かせるためには、胃を通らなければならないが、GluB1 promoterを使用することで胃でのタンパク質消化から免れ、効率よく腸管にまで抗原を送ることができると考えられる。

これらの結果は、食物ワクチンをどのように効率良く、腸管免疫を利用できるか、またヒトへの応用を考えた場合など、非常に重要な結果となるであろう。今後は米を使用した食物ワクチンがアルツハイマー病を治療できるかどうかをモデルマウスTg2576の解析により明らかにし、さらに遺伝性だけでなく、孤発性のアルツハイマー病にも効果があるのかどうかを調べていく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(Alzheimer's disease, AD)の主症状は認知機能の低下である。アルツハイマー病は神経病理学的には、脳組織内に認められる老人斑、神経原線維変化、神経細胞の脱落を特徴とする。老人斑は、神経細胞外にアミロイドβタンパク質(amyloid β-protein, Aβ)と呼ばれるタンパク質が凝集したものである。神経原繊維変化は神経細胞内にリン酸化されたタウ(tau)がフィラメント状に蓄積したものである。最近のアルツハイマー病の研究では、この老人斑の主成分であるAβの蓄積がタウのリン酸化及び蓄積を促し、この一連の流れが神経細胞の脱落を引き起こすと考えられている。この考え方はアミロイド仮説を呼ばれていて、Aβ蓄積することがアルツハイマー病の引き金となり、発症するというもので、この仮説をもとにAβをターゲットとした治療研究が行われている。

以前、私たちは腸管免疫の特性を生かし、ピーマンの葉にAβを発現させ、それをCTBとともにアルツハイマー病モデルマウスTg2576に経口投与した結果、Aβに対する抗体価が上昇し、かつ産生されたIgGのサブタイプ解析結果から非炎症性の免疫応答が誘導されたことを報告した。さらに脳内に存在する可溶性と不溶性Aβの量を減少させることに成功した。ただし、発現させたピーマンの葉はヒトへの経口投与は難しく、保存方法も室温で適していないと考えられる。そこで論文提出者は、学位請求論文において、室温で長期保存が可能で、かつ食するのに適した米にAβを発現させ、新規の食物ワクチンの開発を試みた。

【本論文の骨子】

1.野生型B6マウスへのGFP-Aβ米の経口投与

論文提出者は、GFP-Aβが発現した米を使用し、野生型B6マウスへ経口用アジュバントとしてコレラトキシンBサブユニット(CTB)とともに経口免疫を試みた。その結果、抗Aβ抗体の産生を確認した。しかし、この条件下ではCTBを使用しているため、米に含まれているタンパク質に対する抗体が産生され、食物アレルギーになる可能性が考えられた。そこで論文提出者は、マウスに米タンパク質に対する抗体を産生させないために、免疫寛容を授乳を通して誘導することをした。実際に子マウスへ授乳をしている母親のマウスに普通の米を経口投与することで子マウスの米タンパク質抗体産生を抑制しつつ、抗Aβ抗体価を上昇させることに成功した。ヒトは日常的に米を食べており、そのことで米タンパク質に対する免疫寛容が誘導されていると考えられるため、ヒトへCTBと共にGFP-Aβ米を経口投与した場合、目的とする抗Aβ抗体のみを産生することができる可能性を示唆したものと考えられる。

2.アルツハイマー病モデルマウスTg2576マウスへのGFP-Aβ米の経口投与

実際にGFP-Aβ米が食物ワクチンとしてアルツハイマー病に効果があるのかを、論文提出者はアルツハイマー病モデルマウスTg2576マウスへの経口免疫を試み検討した。

このTg2576マウスは年齢とともに、脳内にAβの蓄積が生じるため、治療の研究などで広く用いられているモデルマウスである。このマウスにGFP-Aβ米とCTBを6ヶ月齢から約1年間経口免疫をし、解析を行った結果、抗Aβ抗体価の上昇を確認した。さらに脳内に含まれる可溶性Aβと不溶性Aβがともに経口免疫によって減少することが示された。これは先行研究同様に食物ワクチンにおける治療の可能性を示唆し、より応用しやすい食物ワクチンへの開発につながると考えられる。

さらにこのマウスの学習機能低下に、その改善が見られるかをY-mazeにより確かめた。学習機能の改善について有意な差は見られなかったものの、経口免疫群では対照群(普通の米を経口投与した群)と比較して、上昇傾向が見られた。またこのテスト時にTg2576マウスは自発行動量が減少することが報告されているため、自発行動量も比較した結果、経口免疫で減少していることが確認された。現在、海馬に存在する嗅内皮質という部位にAβが蓄積すると自発行動量が増加するという報告がなされており、食物ワクチンによって嗅内皮質でのAβ蓄積を妨げることができたため、自発行動量の上昇を抑制できたのではないかと考察した。

3.抗Aβ抗体価を上げるための新規方法の開発

ここまではGFP-Aβ米を使用してきたが、より効率の良い食物ワクチンを開発すべく、GFPではなく、実験で使用してきたCTBを付加したCTB-Aβ米を用いて、野生型B6マウスへの経口免疫を行った。

発現時に使用するプロモーターはGluB1 promoterというものであり、これは米に存在するタンパク質構造体(PB)に特異的に発現させることができるものである。このPBに存在するタンパク質は酵素の分解を受けにくいという報告があるため、論文提出者はCTB-Aβ米の粉を強酸の緩衝液の中で分解酵素ペプシンと反応させ、分解を受けるかを確かめた。その結果、ペプシンが緩衝液の中に存在していても、分解されにくいことが示唆され、これは抗原を腸管まで効率よく届けることができるのはないかと考えられた。

さらにCTBを付加した状態ではGFP-Aβ米とCTBを混ぜて経口免疫した場合とは異なり、米タンパク質に対する抗体の産生は見られず、さらに抗Aβ抗体価の上昇を確認することができた。これは免疫寛容の有無を抜きにして、食物アレルギーになることを防ぎ、またCTB添加を必要としないため、さらなるコストダウンにつながる可能性が考えられた。

以上の結果は、アルツハイマー病治療に新しい知見を加えたものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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