学位論文要旨



No 126644
著者(漢字) 観山,正道
著者(英字)
著者(カナ) ミヤマ,マサミチ
標題(和) 剪断流下におけるコロイド分散系の秩序と無秩序
標題(洋)
報告番号 126644
報告番号 甲26644
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1061号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々,真一
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 准教授 福島,孝治
 東京大学 准教授 加藤,雄介
 東京大学 教授 田中,肇
内容要旨 要旨を表示する

本研究では流れと秩序が混在する系での新奇な現象の探索と理解を目指す。巨視的な流れが存在する系は、非平衡系の代表例の一つである。流れのある非平衡系の秩序発現の例としては様々なものが考えられるが、本研究では粒子多体系が示す剪断流下の液-固相転移を考えたい。以下で固相とは、粒子配置の並進対称性と回転対称性を破る秩序相である結晶相を意味するものとする。結晶状態は自然界にありふれた物質の相であるにもかかわらず、系に巨視的な流れが存在する状況について、特にその相転移に関する知見には未解明な部分が多い。剪断流下の液-固相転移を探求することの重要性として、以下に述べる二点を強調しておきたい。

第一に、剪断流下の液-固相転移は、非平衡系における相転移現象の代表例であり、より広いクラスの相転移の理解に向けての重要な契機となり得る。剪断流下の現象は本質的に非平衡の物理であり、平衡統計熱力学のような系の詳細に依らずに適用できる普遍的な指導原理が現状では存在していない。平衡系における秩序相と無秩序相の間の相転移現象が平衡統計熱力学の完成に与えた寄与を考えると、非平衡系の普遍的な性質を探る試みの中で、特定の相転移現象について、深く理解することには大きな意義があると期待される。たとえば、平衡条件下における液-固相転移は一次相転移の一つとして理解されるが、剪断流下における秩序の発現は同様に一次相転移として見なすことができるだろうか。あるいは相転移の振る舞いには変化が見られるだろうか。このように平衡相転移との対比から様々な問いを考えることができ、これに一つ一つ答えていくことがひいては、非平衡の物理に迫る一つの重要なステップとなることが期待される。

第二に、結晶秩序が存在する系の剪断流下における構成方程式(剪断速度-剪断応力の関係)を探ることで、新奇な現象の発見が期待される。単純な流体の場合、与えられた剪断応力に比例する剪断速度を持って流れる、いわゆる、ニュートン則に従う。そして、ナビエ・ストークス方程式に代表される流体力学の成果は、主にニュートン則が成り立つ系に限定されている。非ニュートン流体の振る舞いを扱う学問分野としてレオロジーがあり、特に、粉体や高分子液体に代表されるソフトマターと呼ばれる物質群の流れの特性が近年注目されている。ソフトマターの非線形な流動特性は理論的な意義に留まらず、工学的な応用においても重要視されている。ところで、結晶と同じように固体として認識されるガラスについての流動特性には、降伏応力の発生など興味深い現象が観察される。翻って、結晶秩序が存在する状況ではどのような現象が期待されるか。たとえば、剪断流下では、流れそのものが結晶秩序を破壊したり、あるいは、秩序発現を助けたりといった効果を及ぼすことが容易に想像される。これに伴い、構成方程式などの流動特性に、ガラスとは異なる豊富な振る舞いの発現が期待できる。あるいは、ガラスと結晶の流れに対する応答の比較を通して、ガラス系のより深い理解に繋がる可能性も期待できよう。

さて、以上の問題意識に立って、結晶秩序を持ちうる粒子系における新奇な現象を探索することを考えたとき、本研究では剪断流下のコロイド分散系、特に、直径1μm 程度のコロイド粒子が通常の液体に分散しているコロイド懸濁液を具体的なモデル系に選んだ。適当な条件下で、分散媒中のコロイド粒子は分子結晶のように、結晶配置を取ることが知られている。そして、環境の変化に伴い、分子流体と同様に液体相と結晶相の間の相転移を示す。しかし、分子流体に比べ、直接的にも間接的にも秩序やレオロジー特性に関する測定が容易である。さらに、溶媒や粒子の種類、溶媒中のイオン濃度を調節することにより、コロイド粒子間の相互作用を多彩にデザインすることも可能である。このモデル系としての長所を鑑みて、本研究では剪断流下のコロイド分散系が示す秩序と無秩序について考えていく。

第二章では、剪断流下における秩序相と無秩序相の振る舞いが、平衡の結晶相と液体相のそれとどのように異なるかに着目した。具体的には、定常状態における秩序変数の振る舞い、特にその時系列における揺らぎの振る舞いに注目した。ここでは、結晶秩序を同定する秩序変数の一つとして、並進対称性の破れに相当する静的構造因子に着目した。この量は、レーザー光散乱の実験で観察されるブラッグピークやデバイ・シェーラー環の光強度に対応する量であり、熱力学極限において結晶秩序が存在する場合、結晶格子から決まる特徴的な波数ベクトルにおいて、デルタ関数状のピークを持つ。しかし、実際の数値実験系では有限のサイズの系を扱っているため、デルタ関数よりも緩やかなピークを持つ。そこで、秩序発現の簡便な同定のため、その第一ピークの大きさに注目し、剪断流下におけるその時系列を観察した。すると、平衡系においては、秩序の有無にかかわらず熱揺らぎに相当するホワイトノイズが観察されるが、剪断流下の無秩序相については、平衡系同様に周波数に依存しない揺らぎが観察された。これに対し、剪断流下の秩序相においてはそのパワースペクトルがベキ的な振る舞いを見せ、その指数は短時間側で-2、長時間側で-1という特異的な振る舞いを見せた。これこそが本質的に剪断流下と平衡条件下の違いの一つであると考えられ、また、剪断流下の相転移には何らかの臨界的な性質が潜んでいることが示唆された。

第三章では、先行研究であまり扱われてこなかった剪断流下の相転移の性質に踏み込む。第二章で示唆されたように、剪断流下においては臨界的な振る舞いが生じうることが期待され、一つの予想として、剪断流下の液-固相転移は平衡系における二次相転移のように相転移点近傍で臨界現象が観測される可能性に注目する。具体的には、結晶秩序を持つ粒子配置を初期条件に取り、事前の数値実験により定常状態で秩序を持たないパラメタ領域に設定したとき、剪断流下で秩序を失うまでの融解時間を測定した。この融解時間は、平衡系においては相転移点に向かうにつれ、フォーゲル・ファルチャー則に従う発散を示すことが現象論的に理解されており、本研究で用いた系においてもこれは確認された。しかし、剪断流においては、フォーゲル・ファルチャー則ではなく、定常状態への緩和時間は相転移点に近付くにつれて、ベキ則に従って発散する結果が得られた。さらに、その発散が見られる近傍のパラメタ領域について、定常状態における秩序変数の相関時間を測定すると、緩和時間の発散と同じ指数を持つベキ的な発散の存在が確認された。従って、剪断流下のコロイド分散系においては、平衡条件下における無秩序領域の均一核生成のシナリオから離れた臨界揺らぎの存在が支配的になっていると考えられる。

第四章では、秩序の発現と構成方程式(剪断率-剪断応力の関係)との関係について述べた。コロイド分散系における構成方程式の研究については、ガラス化やゲル化といった文脈で考えられることが多かったが、結晶秩序の存在がどのような影響を及ぼすかについての試みは数少ない状況であった。そこで、本研究では、特にリー・エドワーズ周期境界条件の下での構成方程式と秩序構造の発現との関係について注目した。剪断流が強くなるにつれて、結晶秩序は失われていく。秩序が完全に失われる特徴的な剪断率の前後で、構成方程式が変化することをまず発見した。剪断率はそもそも時間の逆数の次元を持つので、この特徴的な剪断率が系のどの時間スケールと関係があるのかについて次に注目した。一つの例として、まず、ガラス系で注目される平均二乗変位や中間散乱関数といった量から決まる時間スケールについて考えた。しかし、これらの量が特徴的な振る舞いを示す時間スケールは流動特性の振る舞いに現れる時間スケールよりも短時間側にあることが分かった。そこで、結晶秩序の局所構造に注目した物理量として、ボンド配向秩序変数から定義された結晶性ボンド(粒子配向が似通っている最近接粒子のペア)の数の時系列変化に着目した。すると、その時系列の揺らぎが最も大きくなるところが、流動特性に特異的振る舞いが見られる時間スケールに対応することが分かった。

第五章では、本研究で得られたいくつかの興味深い結果に関してまとめ、これを踏まえた今後の展望について述べる。本論文の主要な結果として、剪断流下のコロイド分散系の相転移点近傍における臨界現象の存在を示唆する結果が得られた。臨界的な振る舞いの証拠として、本論文では時間スケールにおけるベキ的な発散に注目したが、対応する長さスケールの発散について、今後の研究が待たれる。さらに、これを踏まえて、たとえば、粒子系の秩序変数の振る舞いを粗視化した玩具模型を扱うことでベキ発散の指数を解析的に得られる可能性がある。時間スケールならびに長さスケールの発散指数が理解された暁には、注目した現象が属するユニバーサリティクラスが分かり、これは非平衡系における相転移現象の普遍的な理解に向けての大きな一歩となることが期待されよう。さらに、剪断流が結晶秩序に与える影響を考える上では、欠陥の動力学を微視的に分析することが、現象論の構築の過程では必要となるであろう。特に、トポロジカル欠陥の同定が可能であるか、そして、それが剪断流下の秩序の動力学にどのような影響を与えるかを考えることは、結晶秩序が存在する状況での剪断流下の相転移、ならびに流れの特性の双方に深い関係がある可能性を最後に指摘する。

審査要旨 要旨を表示する

単純物質は平衡状態において固体、液体、気体の3相を示す。物質の種類が与えられたとき、それぞれの相変化は平衡統計力学で完全に記述される。とりわけ、液体から結晶への転移は、気体から液体への転移と異なり、空間並進対称性や回転対称性の破れを伴う1次転移であり、秩序の発現を伴っている。また、液体と気体は流体としてまとめられ、非平衡条件下での流れの様子は流体力学で完全に記述される。その基礎方程式は、密度、運動量、エネルギーの保存量に対する連続の式に局所的な熱力学と散逸に関する最小の補正を取り入れた形になっている。

提出された観山正道氏の論文では、以上の二つの現象、液体から結晶へ相変化するときの「秩序の発現」と液体の「流れ」の両方が関わる題材に焦点があてられる。この題材は、素朴でありながら、実験的にも理論的にも研究をすすめるのは簡単ではない。例えば、並進対称性が破れた結晶では並進対称性に付随する保存量である運動量が巨視変数にならない、と仮定すれば、二つの現象が同時に関わることはない。近年になって、この点についても真摯な検討がなされ始められており、決して自明でないことが指摘されている。また、ガラス状物質の流れについては、統計力学を踏まえた流体力学の構築もすすめられている。従って、秩序の発現と流れが関わる適切な設定さえできれば、そこに新しい知見を見出すことが可能な状況である。

本論文が取り上げている題材は、ずり流を示す溶媒中でのコロイド分散系である。コロイド分散系は、平衡溶媒中で、結晶相、液相、気相の3相を示すことが知られている。その系に対して溶媒を外側から流すことで、液相から結晶相へ変化するときの秩序の発現に対する流れの関与を具体的に調べることができる。この現象に対応する実験はこれまでにもなされているが、統計力学としての秩序発現に対する流れの影響は明らかにされていない。つまり、ずり流下のコロイド分散系を使って、非平衡条件下の秩序・無秩序転移を調べようとする提案が、本論文の第一の意義である。

具体的には、まず、液相領域において結晶が融ける時間が着目される。この際、回転対称性の破れを特徴づける秩序変数の時間変化によって融解時間が決められる。平衡溶媒下では、転移密度よりΔだけ小さい密度に対して、融解時間はexp(-A/Δ)のようにべき則よりもずっと強い特異性を示すが、ずり流下ではべき則に従う。前者は核生成の描像で理解され、後者は臨界緩和の存在を示唆している。この数値実験は短時間で実行できるため、結晶相への転移に関する流れの影響を調べるのに最適である。また、その質的な違いを明確な形で提出することに成功している。この結果を受けて、定常状態における秩序変数の時間相関の特徴的時間が調べられる。平衡条件下では相関時間は特異性を示さないが、ずり条件下では相関時間はべき的発散を示す。これは、平衡条件下での核生成描像とずり流下での臨界的振る舞いの描像と整合している。さらに、ずり流下での臨界的振る舞いが見える臨界領域が非平衡度に応じてべき的に小さくなっていくことが融解時間のスケーリングから議論され、平衡条件下の1次転移と矛盾なく接続されていることが示される。

これらの議論が第3章で展開されている。本論文はこの3章を主要部分として、5章113ページからなる。第1章で、論文全体の問題意識が述べられたあと、第2章では、ずり流下での秩序・無秩序転移における構造変化の長時間相関が議論される。この現象も本論文の動機から自然に対象となるものであり、そこで見つけられている現象もそれ自体として興味深いものである。しかし、この現象の機構をより明晰にするために論点を絞っていく必要があり、その結果到達したのが第3章だと位置づけることができる。第4章では、秩序・無秩序転移が生じたときの流体方程式の構築を目指して、その基礎となるべく構成方程式が議論されている。そこにも新たな特異性があらわれることが見出されている。第5章は全体のまとめにあてられている。

以上のように、観山正道氏はその論文において、平衡条件下で1次転移である秩序・無秩序転移がずり流下で臨界現象を示す可能性を提示した。幾つかの妥当な証拠を提出しているものの、主張が大胆なだけに、今後の研究で明らかにされなければならない点も多い。例えば、臨界現象の存在を主張するなら、相関長の測定は不可避である。技術的に難しい点があることは理解されるが、是非とも明らかにされるべきである。また、実験における測定可能性についても検討すべきであろう。さらには、このような現象が本当にあるならば、ずり流下のコロイド分散系に限定されるとは思えない。そのような現象のクラスを抽出することも課題となろう。すなわち、本論文だけをもってして、その主張が確定されたと判断するには至っていない。それでも、本論文は、秩序と無秩序の様相が平衡か非平衡の条件によって異なってくる新しい可能性を持ち込んだものであり、将来、大きく発展する可能性を秘めている。

なお、本論文の内容は、第2章と第3章の内容が2編の論文として出版されている。いずれの論文も連名論文であるが、問題設定から解決に至るまで申請者が主体的に取り組んで得た結果であると判断される。

したがって、本審査会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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