学位論文要旨



No 126645
著者(漢字) 太田,洋輝
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,ヒロキ
標題(和) 間欠的集団動力学出現における普遍性の探索
標題(洋) Seeking universality in the appearance of intermittent collective dynamics
報告番号 126645
報告番号 甲26645
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1062号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々,真一
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 国場,敦夫
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 准教授 福島,孝治
内容要旨 要旨を表示する

この論文の目指す所は、ガラスやジャミング転移に伴う集団動力学の発現機構の普遍性についての理解である。しかしながら、そこに行き着くまでには多くの問題がある。見方が変われば、直面する問題の種類も変わるであろうが、少なくとも以下の3つの問題がある。

まず、スピングラス等の不純物のあるスピン模型において解析技術の発展により平衡状態の相図が明らかになっていく一方、それらの動力学の知見は、平衡状態のために発展した解析方法がそのまま適用不可能なためもあって、限られたものになっている。

また、拘束動力学という概念の導入により、動的側面からガラス的動力学の理解をしようという試みがある。近年、拘束動力学系の非エルゴード転移自体に対する知見は広がりつつあるが、転移付近の動力学に至っては確固たる知見は数えるほどしかない。

ガラス系においては、温度を時間とともに変えて行く等、非平衡条件下で興味深い現象が見られている。このようなガラス系の動力学を理解するためには、非平衡条件下の動力学の理解が必須となってくる。しかしながら、非平衡系における集団動力学の普遍性についても非平衡統計力学が存在しない今、知見は限られたものになってしまっている。

このような現状を受け、この論文では、典型的な不純物をもつ多体系、拘束された動力学をもつ多体系、非平衡条件下の多体系における具体的な間欠的集団動力学に焦点を当て、それらの発現機構の普遍性を探索する。また、それらの発現機構を捉えることのできる巨視的量で閉じた数理的表現を見いだす解析方法の構築を行う。つまり、ガラスやジャミング転移に伴う集団動力学の発現機構の普遍性を他のより単純な系で探索を行いながら、将来的には、ガラスやジャミング転移に伴う集団動力学の発現機構を捉えることができる数理的表現を見いだす足場を構築するのである。

具体的には、不純物をもつ単純な系として、希釈ボンドIsing模型とランダム磁場Ising模型のGlauber動力学に焦点を当てる。現象としては、希釈ボンドIsing模型のGlauber動力学においては、不純物の効果によりGriffiths相での緩和が、不純物がない系と本質的に異なることが報告されている。ランダム磁場Ising模型においては、ゼロ温度において平衡系の臨界点とは異なる環境変数における動力学異常が見いだされている。どちらの現象も、不純物の効果が本質的な現象であると言える。よって、2つの系の集団動力学を捉える数理的表現を見いだしていくことと同時に、不純物がある系に広く実行可能な解析方法を構築していくことが課題となる。

拘束された動力学をもつ単純な系としては、Fredrickson-Andersen (FA)模型に焦点を当てる。この系は、Bethe格子上で非エルゴード転移を起こすことが知られていて、そこに向かって、時間と空間尺度が増大して行くことが知られている。この現象も、拘束動力学特有の典型的現象と言える。よって、その機構の理解を進める数理的表現を見いだすことと同時に、拘束された動力学系に広く使える解析方法を構築していくことが課題となる。

単純な非平衡系として興奮性蔵本模型に焦点をあてる。この系では、集団興奮現象が起こる。この興奮現象も非平衡系特有の現象といえる。よって、その機構の理解を進める数理的表現を見いだすことと同時に、非平衡系に広く実行可能な解析方法を構築していくことが課題となる。また、希釈ボンドIsing模型は平衡状態への緩和過程であり、ランダム磁場Ising模型はゼロ温度の極小エネルギー状態への緩和である。FA模型は有限温度で定常状態として平衡状態以外の状態を持つ系である。よって、希釈ボンドIsing模型、ランダム磁場Ising模型、FA模型、興奮性蔵本模型と並べると、次第に平衡系から非平衡系に近づいていくという見方もできる。

また主に、スピン模型については主にBethe格子上に話題を絞り、蔵本模型については全結合に話をしぼる。このような限定は、常に実際の現象とはかけ離れた模型の「役に立たない」研究になるという危険性を持つ。しかしながら、この限定により得られる知見によって、今まで掴めなかった、ガラスやジャミング転移に伴う集団動力学の発現機構に関する普遍性の尻尾でもつかめれば、目標に向かって一歩前進することになるのである。次から簡単に、論文の各章の要約を行う。

2章では、Bethe格子上の希釈ボンドIsing模型のGlauber動力学を扱う。この系には、ボンドが繋がる確率pと温度Tによる相図があり、低温にはGriffiths相がある。主にこのGriffiths相の動力学に焦点を当てる。まず、あるサイトに着目して周りのスピン配置の情報を取り入れた有限個の変数を導入し、それらの変数で閉じた時間発展方程式を近似的に導出した。ちなみにこの方程式の定常状態は厳密である。この方程式を数値的に解くことにより、ボンドパーコレーションが起こっていないGriffiths相の低温領域では磁化が多段階緩和することがわかった。これはMonte Carlo (MC)シミュレーションとも矛盾がない。また、MCシミュレーションが困難な他のいくつかのBethe格子の結合数に関しても、式を解くことに依って同様な磁化の多段階緩和が見られることを発見した。さらにこれから、この段階の数は、Bethe 格子の結合数cそのものであることが示唆された。先行研究では, この多段階緩和が起きる領域の動力学の異常性が観測されていたが、この研究により、その異常性が実際多段階緩和であることが明らかになったと言える。

3章では、Bethe格子上のランダム磁場Ising模型のゼロ温度Glauber動力学を扱う。この系には、Gauss分布するランダム磁場の分散と平均による相図があり、スピノダル線の端点は有限の平均磁場にある。この研究では、初期時刻に全てのスピンが下向きに揃った条件における、スピノダル端点(平衡の特異点でない)付近の動力学に焦点を当てる。まず、少数自由度で閉じた時間発展方程式を導出するために、あるサイトを固定した元の系とは異なる系(模擬系)を用意する。次に、模擬系において、固定したまわりの上向きスピンの確率に着目する。すると、そのサイトが固定されているため、その変数に関していわゆるBethe解析が可能となる。結果、模擬系に対して1変数(秩序変数)で閉じた時間発展方程式を厳密に導出できる。実は、元の系の反転できないスピン密度は、模擬系での秩序変数と1対1の対応関係で結ばれる。これにより、元の系の反転できないスピン密度の時間発展方程式を厳密に導出することができる。この方程式を解くことにより、スピノダル線はサドルノード分岐であることがわかり、スピノダル線の端点は2つのサドルノード分岐がぶつかる所であることがわかった。この方程式を端点付近で展開することにより、各種臨界指数を求めることができた。当然、各種臨界指数はMCシミュレーションと矛盾しないことも確認している。環境変数の準静的変化に関する研究は多く存在するが、この研究により、少数自由度の時間発展方程式を厳密に導出し、時間に関する臨界指数も明らかにすることができたと言える。

4章では、Bethe格子上の拘束動力学模型(FA模型)を取り扱う。この系は温度を変えて行くと非エルゴード転移が起こることが知られている。このエルゴード転移付近の動力学に焦点を当てる。まず、2章と同様にあるサイトに着目し、周りのサイトの情報を取り入れた変数を定義し、その変数で閉じた時間発展方程式を近似的に導出する。また、情報を取り入れるサイトを徐々に広げ、それらに関する近似時間発展方程式も導出する。つまり情報を取り入れる距離に関する摂動解析を行う。ちなみに各摂動次数の時間発展方程式は、転移点より高温で正しい定常状態を持つ。摂動次数を上げると、導出した時間発展方程式は系統的にMCシミュレーションに近づいていくことを確認した。また、この複数の方程式の摂動次数に対する移り変わりとグラフの手の数cを考慮し、各摂動次数の力学系の緩和時間が、cに依存しない普遍的関数に従うことを見いだした。これから動的臨界指数が、拘束動力学が同じであれば、cに依存しないという強い証拠を得ることができた。これまでの研究において非エルゴード付近の集団動力学とモード結合方程式との関係性がMC法により示唆されていた。この研究により、この非エルゴード転移の動的普遍性の一側面を、MC法と異なる方法で見いだすことに成功したことになる。

5章では、全結合の興奮性蔵本模型を取り扱う。この系はノイズ強度と興奮性強度による相図があり、興奮性強度が低い状態で低ノイズにすると、非同期-同期転移が起きる。また、その低ノイズにおいて興奮性の強度をあげると、同期状態から休止状態へ転移する。この同期-休止転移付近の動力学に着目する。まず、系が同期していることに着目し平均位相だけの1体の問題に落とす。その平均位相に対する経路積分を書き下し、振動数固定の最頻過程をEuler-Lagrange方程式の解として特徴づける。経路積分を、その振動数固定の最頻過程で評価すると、各振動数を取る確率が評価できる。その表式により、平均振動数、分散の興奮性強度依存性を評価できる。具体的には、この2つの量は興奮性強度の臨界点からの距離に関してベキ的に振る舞うことがわかり、それらの臨界指数を求めることができた。この臨界指数は、数値計算とも矛盾しないことも確認している。興奮性蔵本模型の同期-非同期転移の臨界的性質に関しては数多くの研究があり、それに対応する臨界指数も先行研究で既に導出されている。この研究により、同期-休止転移の臨界指数の理論的導出も得たと言える。

審査要旨 要旨を表示する

自然には様々なタイプの動的現象が見られる。着目した現象を理解するために、その運動を記述する微分方程式や確率過程などの時間発展法則が考えられてきた。その際、個々の現象の記載を超えて、物理学の基礎に位置づけられる法則まで昇華することで、物理学の発展に関わってきた。19世紀の電磁気学や流体力学の確立はその典型例だし、20世紀に入ってからの動的臨界現象の理解やより多様で広い自然現象に対する非線形動力学の手法による分類も同じ範疇にある。その延長上にある展開のひとつとして、近年、「稀に生じるミクロな動的事象の協同的動力学」への関心が高まっている。そのような現象は、ガラス、粉体、泡など、構成要素が不規則に混みいっている系で観測され、幾つかの証拠から既存の動的現象の分類に入らないことが示唆されている。

提出された太田洋輝氏の博士論文では、以上の背景を踏まえ、関連する複数の現象を具体的に解析し、個々の現象の機構を明らかにし、明晰な特徴づけを行うことにより、それらが真に新しいクラスとして理解されるのかどうかを問題にしている。第1章で、その問題意識が整理された後、第2章、第3章、第4章、第5章でそれぞれ異なる現象が解析される。第6章のまとめと併せて、それらの内容が87ページにまとめられている。

具体的に、第2章では、希釈ボンドイジング模型の動力学が解析される。ランダムグラフ上で定義された模型を考えることで、自然な集団変数が定義される。平衡統計力学の場合と異なり、ランダムグラフ上の模型でも集団変数の動力学を厳密に書き下すことはできない。しかし、それでも、そこで導入された集団変数により、多段階緩和を含む奇妙な動力学が見出される。また、第3章と第4章では、この方法と類似の考えを使って、ランダム磁場イジング模型と運動論的拘束模型がそれぞれ解析される。

第3章では、特別な集団変数を介在することで、ある初期条件での磁化の時間発展を記述する発展方程式が厳密に閉じることが示される。その結果として、磁化の動力学の分岐解析が厳密に行なわれ、先行研究で「乱れによって誘起された臨界点」と呼ばれていた点が、ふたつのサドルノード分岐の合体点として捉えられる。その点のまわりのゆらぎの動的過程の解析により、臨界的異常性が定量的に特徴づけられる。それに対し、第4章では、少数の集団変数による記述では特異性を明白に捉えることができないことが示される。その場合でも、系統的な近似列が構成され、動的指数についての非自明な予想が提出される。

第5章では、ニューローナルアバランチと呼ばれる現象が念頭におかれ、サドルノード分岐する要素が大域結合する多体系が考察される。出発点となる模型の単純さのため、集団変数のゆらぎの動力学の臨界的性質を特徴づける指数が厳密に導出される。第3章で考察した模型においてサドルノード分岐する領域に着目した場合と同じ結果になるが、新しい解析方法にもとづいた議論がなされている。

一見すると、第2章から第5章までの各章で扱った対象に統一性がないように思われるが、「実現しにくい条件をひとたび満たすと、動き始めることができる要素」の集まりが作る集団的動力学を解析しているという点からは、全て同じである。しかし、第5章の模型と第3章の模型のあるパラメータ領域がサドルノード分岐で書けていることを除いて、それぞれの章の模型の振る舞いに定量的な共通性があるわけではない。また、第2章から第4章までの解析手法に共通する部分はあるが、よく記述できる程度が質的に異なっている。つまり、興味ある現象群を分類し、明晰な特徴づけを行い、真に新しいクラスがあるかどうかを明らかにしようとする課題に対して、完全な答えを提出しているわけではない。それでも、第6章で議論されているように、予期せぬところからのつながりも見えつつあり、最終的な答えに向かっている様子は十分に理解される。

以上のように、太田洋輝氏はその論文において、いくつかの現象に関して、稀に生じるミクロな動的事象の協同的動力学を記述した。特に、第3章において提示された明晰な解析方法は、今後の研究のひとつの拠点を与えるのは間違いないと思われる。また、第4章で議論された系のように、特異性の記述が難しい場合には、今後も更なる検討が必要であろうが、その解析手法によって到達できる限界点が明示的にされたことは将来の検討の前提になるだろう。すなわち、本論文は、新しいタイプの集団動力学の理解を目指した試行錯誤の総体として重要な意義を持っていると判断される。

なお、本論文の内容は、第2章、第3章、第4章、第5章がそれぞれ論文として出版されている。第3章、第5章の内容は、共同研究の結果であるが、申請者が主体的に取り組んで得たものである。第2章、第4章の内容は申請者の単独研究で得た知見である。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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