No | 126647 | |
著者(漢字) | 坂田,綾香 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | サカタ,アヤカ | |
標題(和) | 断熱的二温度系における適応的進化の統計力学的研究 | |
標題(洋) | Statistical mechanical study of adaptive evolution in partially annealed systems | |
報告番号 | 126647 | |
報告番号 | 甲26647 | |
学位授与日 | 2011.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第1064号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 進化という現象は,Darwinにより「種の起源」が著されて以来,様々な手法を用いて研究されてきた.本博士論文では,適応度地形上におけるダイナミクスとして進化を考える.適応度地形とは,各遺伝子型の環境適応度を地形として表したものであり,この描像は集団遺伝学において提案されたものである.これまで,いくつかの数理的研究において,遺伝子型の状態空間の写像として適応度地形を構成するモデルが開発されてきた.本博士論文では,この写像が一意ではなく,確率的に決まる場合を考える.具体的には,各遺伝子型から発現する表現型が,ある分布関数に従うと仮定する.これは,遺伝子型と表現型の断熱的な二変数系として進化を捉えている.つまり,表現型は遺伝子型により与えられる力学的な過程を経て発現するが,遺伝子型の単位時間内で緩和し,そして表現型の平衡分布に基づいて遺伝子型の適応度が決まるという状況を表している.このように時間スケールの離れた二種類の変数から成る系は,スピングラス模型において,partial anneal系として定式化されている.partial anneal系は,スピン変数と相互作用変数に関する断熱的な二変数系である.クエンチ系とは異なり,スピン変数だけではなく相互作用変数も力学変数と見なされる.ただし時間スケールは十分離れており,相互作用の単位時間内でスピンは緩和する.スピンと相互作用のダイナミクスは,それぞれスピン温度TS,相互作用温度TJとスピンのハミルトニアンHS,相互作用のハミルトニアンHJで与えられる. 本博士論文では,partial anneal系において,表現型をスピン配位に,遺伝子型を相互作用配位に対応させたモデルを構成する.そして,速い変数である表現型と,遅い変数である遺伝子型からなる断熱的な二温度系において,ある特定の表現型を獲得することが進化という現象であると見なす.つまり,特定の表現型が発現するか否かが,遺伝子型の生存に大きく影響すると考える.partial anneal系におけるモデル化の自由度は,二つのハミルトニアンの選び方である.partial anneal系を進化のモデルとして捉えると,スピンのハミルトニアンHSは表現型の発現ダイナミクスを与え,スピン温度TSはそのダイナミクスの過程で受ける熱揺らぎに対応する.またHJは遺伝子型の環境適応度に対応し,TJは自然淘汰の強さを表す.遺伝子型はHJを上昇させる方向へ進化していく.適応度地形の構造を決めるのは,HJとTSである.これらを変化させることで,いくつかの適応度地形を構成し,その地形上での進化を議論する.適応度地形の構造と,得られた相互作用配位の関係から,断熱的二温度系としての進化を明らかにすることを目的とする.これまでの先行研究では,表現型揺らぎに対応するTSが進化に与える影響や,遺伝子型の特徴づけ,またpartial anneal系におけるHJ依存性に関する議論が不十分である.断熱的二温度系としての進化を明らかにするためには,これらの疑問点を明確にする必要がある. このような問いに答えることを目的とし,本博士論文では,3つのpartial anneal系の模型についての結果を示す.第二章では,Sakata-Hukushima-Kaneko model(SHK model)についての結果を示す.第三章では,coupled mean-field modelについての結果を示す.第四章では,SHK modelを変形した模型について,レプリカ法により解析した結果を示す.各章では,フラストレーションを用いて相互作用を特徴づけ,スピンに関する転移と相互作用に関する転移の関係性や,適応度地形のHJ,TS依存性について議論する. 本博士論文を通して明らかにされることは,HJとしてスピン配位に関する物理量の期待値を選んだ場合と,自由エネルギーを選んだ場合では,相互作用の進化が全く異なるということである.その違いは,適応度地形の構造の違いから理解できることを示す.特に,HJとしてある配位が実現する確率を選んだ場合には,ある中間TS領域で,適応度が高く,エネルギーの低い相互作用が得られる.このような相互作用は,機能的に重要な部分についてはフラストレーションを持たず,その他の部分にフラストレーションを持つことから,local Mattis状態と呼ばれる.このlocal Mattis状態が得られる温度領域は,レプリカ対称性を持つスピングラス相に対応すると考えられる証拠を示す.また,この温度領域では,変異に対する頑健性が獲得される.適応度地形の解析を通して,変異に対する頑健性は,変異に対する頑健性という性質そのものにかかる淘汰ではなく,熱揺らぎに対する頑健性にかかる淘汰に基づく進化の副産物として獲得されるというシナリオを提示する.また,進化におけるレプリカ対称性の意味について考察し,レプリカ対称性とは,表現型発現に関して,大域的安定状態への緩和を保障するものであり,また異なる遺伝子型を持つ集団が,同じ表現型を発現するという状況に対応すると結論付ける.本博士論文により得られた結果は,先行研究において示されていた様々な概念に対して,スピングラス理論としての説明を与えるものである.また本研究で用いる数値計算手法や解析手法は,これまでのpartial anneal系を一段階拡張したものである.本研究により,断熱的二温度系の進化そのものに対する理解が発展しただけではなく,partial anneal系という考え方を様々な分野に応用するための新しい展望が開けた. | |
審査要旨 | 適応進化の理論的研究は集団遺伝学に端をなし,数理生物学等では確率過程を用いたダイナミクスを議論することが多く,また力学系の観点から多くの知見が得られている.本論文では,適応進化の静的な性質に注目し,単純化されたモデルとして,環境への適応度の対象となる表現型と世代間継承を担う遺伝子型の自由度を持つ統計力学的なスピンモデルを導入した.それらの自由度の時間発展に伴う時間スケールを完全に分離する理想極限を考えることによって,ある種の平衡統計力学的記述が可能となる.この理想化の元で,適応可能条件や進化で重要とされる頑健性の獲得可能性とその機構,またそれらへのゆらぎの影響を明らかにすることが,本論文で考察される主な問題である. 本論文は五章と付録からなり,第一章では進化研究の歴史を概観し,本論文の立場を明確にしている.第二章では,前章を受けて導入された単純化された進化の統計力学的モデルの数値的研究がまとめられている.また,第三章では,第二章で調べた理論モデルと同じグラフ構造を持つ系の平均場解析を行い,適応度関数の重要性を指摘する.さらに,第四章ではスピングラス理論におけるレプリカ対称性の破れが進化モデルにおいて,相構造を特徴付ける可能性を具体例を用いて示し,最後に,第五章で,本論文のまとめと展望が丁寧に述べられている.付録には,本文で用いた理論及び数値計算での技術的な点がまとめられている. まず,第一章では,これまでの進化研究の中で,特に本論文に関連する先行研究が紹介され,適応度地形などの重要な概念が説明される.また,先行研究で調べられた数理モデルにおける遺伝子型と表現型の二重の時間発展が断熱近似の理想極限においてスピングラス理論での部分的除冷系と形式的な類似性があることを指摘する.この類似性より,本論文で展開されるように平衡統計力学で培われた様々な技法を用いて,進化モデルの統計力学的性質を議論できる.ここで,本来はダイナミックな進化過程をある種の平衡系ととらえる本論文の立場を明らかにし,議論すべき問題を表現型のゆらぎの進化におよぼす影響や進化を通じて出現する頑健性の獲得機構の解明とすることが述べられる.また,それらをスピングラス理論での相転移や自由エネルギー地形の言葉で説明することで,新たな知見を得ることを目的として挙げている. 第二章では,表現型と遺伝子型をそれぞれスピンとスピン間相互作用としたモデルを導入する.そのモデルでは,スピンを速い変数,相互作用を遅い変数と考え,スピン配位のある一部分に設定された適応度の平衡状態での期待値を参照しながら相互作用を進化させる.実際に,これを実現する二重のモンテカルロ・シミュレーションを行い,二つの自由度のゆらぎを制御する温度を変数とした相図を明かにした.その結果,スピン,すなわち表現型の温度が,ある中間の温度において興味深い相互作用(遺伝子型)が進化することがわかった.それは,スピン系の概念であるフラストレーションの極端に少ない相互作用として特徴づけられる.この性質が表現型発現に伴うゆらぎに対する頑健性の獲得をもたらし,また同時に突然変異のような遺伝子型に直接作用するノイズに対しても頑健であることが示された.この二種類の頑健性が互いに関係することはこれまでに議論されてきたが,統計力学モデルを用いてその特徴を定式化したことは本研究が初めてである. 第三章では,前章で見出された頑健な遺伝子型の出現機構を探るために,同じグラフ構造を持つ同様な進化モデルの平均場解析をレプリカ法を用いて行った.特に,表現型として,一部のスピンには予め特定の配位を埋め込んだ上で,それをとりまく相互作用の進化による影響を考察した.ここでは,解析の都合上,適応度関数をスピン系の自由エネルギーとした.その結果,温度の低下に伴い,フラストレーションの減少を導くことはできたものの,ゆらぎが特別な役割をするわけではなかった.このことから,適応度関数の選択が中間温度における頑健な遺伝子型の出現に重要であることがわかった. 続いて,第四章では,適応度関数に表現型の局所性を陽に取り込み,かつ,レプリカ法で解析可能なモデルを見出し,その相図を明らかにした.その結果,適応可能な相の中に二つの相が現れることがわかった.一つはレプリカ対称な適応相であり,先に導いた頑健な遺伝子型が出現する温度領域と対応していると考えられる.実際に,フラストレーションがその相内で減少していることが導かれた.もう一つはより低温に現れるレプリカ対称性の破れた適応相である.この相の内部の熱力学的性質はまだ明らかにはされていないが,スピングラス理論からの類推によれば,この相は複雑な適応度地形を持つと想像される.このことから,適応可能で頑健な遺伝子型の出現のためにはゆらぎが少ないことが必要であるが,ゆらぎが小さすぎると,このレプリカ対称性の破れた適応相になり,高い適応度に到達が困難になるという描像が得られた. 以上のように,本論文は,適応進化の研究として平衡極限からの新たなアプローチを提案し,適応進化において表現型発現時のゆらぎの役割と重要性を理論的に示したものであり,進化の数理的研究の進展に重要な寄与をし,またスピングラス理論の新たな展開としても意義があるものと認められる. なお,本論文の内容の一部は,金子邦彦氏,福島孝治氏との共同研究であるが,論文提出者が主体になって解析を行ったものであると判断される.また,本論文の第二章及び第三章の内容は学術論文として出版されており,第四章と付録の内容は投稿準備中である. したがって,本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した. | |
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