学位論文要旨



No 126650
著者(漢字) 滝口,雅人
著者(英字)
著者(カナ) タキグチ,マサト
標題(和) 光ナノファイバーを用いた分光系の開発
標題(洋)
報告番号 126650
報告番号 甲26650
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1067号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 教授 深津,晋
 東京大学 准教授 斎藤,晴雄
 東京大学 准教授 松田,恭幸
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、低損失光ナノファイバーを作製し分光系の開発を行った。実験では光ナノファイバーを用い、10 mW程度の低パワーでアセチレン分子の飽和吸収分光を成功させた。また、その飽和信号から、分光系の周波数分解能の評価を行った。さらに、今後の応用実験を見据え、光ナノファイバーを用いたマイクロリング共振器を作製し評価を行った。

光ナノフィアバー

光ナノファイバーとは、通常の光ファイバーの一部をサブミクロン領域までテーパー状に細くしたファイバー素子のことである(図1)。通常の光ファイバーは屈折率の大きなコアと屈折率の小さなクラッド部分からなり、入射された光はそのコアの部分を全反射の条件を満たしながら伝播する。光ナノファイバーの場合、そのテーパー領域ではシリカガラスをコア、空気(真空)をクラッドとし、エバネッセント光と呼ばれる光の染み出しを伴いながら伝播する。この時、光ナノファイバーの径を適切に選択することで、通常では作り出すことが困難である極限的な光強度を実現することが出来る。さらに、長いテーパー領域のファイバーを作製すれば、原理的にはいくらでも長距離にわたり高い光強度を維持することが出来る。したがって、もし光ナノファイバーの周囲に物質があれば、光と物質の強い相互作用を容易に得ることが出来る。また、この素子は通常(市販)の光ファイバーを用いて作製するため、他のファイバー素子との一体化が容易であり、安価で簡便な光学系の構築を可能にする利点もある。このことから、基礎物理実験のツールとして利用だけでなく、ファイバー素子としての応用分野にも多く利用されている。

光ナノファイバーの作製

我々は、40mmのセラミックヒーターを用いて光ナノファイバーを作製した。光ナノファイバーの径が400nmに対し透過率が95%(波長:780nm および 1550nm)という世界でもトップクラスの低損失光ナノファイバーの作製し、その技術を確立した(図2)。さらに、そのファイバーの形状を調べるために、光学顕微鏡や電子顕微鏡を用い光ナノフィアバーの径を直接測定した。一方で、これは光ナノファイバーの破壊測定となるため、光ナノファイバー作製しながら、短波長(波長:532nm)の入射光の透過率を測定することでファイバー径を見積った(図3)。このファイバーは十分断熱的にテーパー形状になっているため、780nmの入射光に対してはファイバーのどの位置でもシングルモードで伝播する。しかし、532nmの入射光に対してはマルチモードで伝播するため、ファイバーが細くなるにつれて、伝播可能なモードが制限され透過率が下っていく。この実験結果と、理論的な伝播可能モード数と比較しファイバーの径を見積もった。

光ナノファイバーを用いた分光系

次に、光ナノファイバーを用い、簡便でコンパクトな分光系を構築し、アセチレン分子の分光実験(飽和吸収分光)を行った。ここでは、この光ナノファイバーが物質との強い相互作用を引き起こすのに強力なツールになることを確認できた。さらに、光ナノファイバー分光器としての性能を調べるために周波数分解能を実験で得られた線幅から見積もった。今回の実験で用いたアセチレン分子は、通信波長帯に多数の吸収線を持ち、この波長帯における周波数標準の一つになっている分子である。アセチレンの遷移双極子モーメントは弱く、飽和効果を観測するためには強いレーザー強度と相互作用距離が要求される。そこで、通常、アセチレン分子の飽和吸収分光実験では、ファイバーアンプや共振器など入射パワーを増幅したり実効的な相互作用長を稼ぐことで実現されてきたが、装置が煩雑であったり、高価であったりした。今回、我々は光ナノファイバーのもつ強い光強度と長い相互作用距離を利用し、アセチレン分子のナノディップと呼ばれる飽和信号を検出した。

実験配置は図4のようになっている。光ナノファイバーは真空装置の中にインストールし、ロータリーポンプで空気を排気した後にアセチレンガスを200 Paまで注入した。実験系は、ほぼファイバーインラインの配置になっている。入射した光は、ファイバーサーキュレーターを通し、光ナノファイバーを通る。この時、光ナノファイバーから染み出すエバネッセント光によって分子を励起する(ポンプ光)。その光はそのままミラーで折り返し、さらに同じ経路をとおる(プローブ光)。再びサーキュレーターで分離しフォトダイオードで検出している。図5は得られたラムディップであり、その線幅は51 MHzとなった。また、圧力幅、飽和広がり、光源の線幅を差し引き、相互作用時間幅を31 MHzと見積もった。これは、この分光器の原理的な周波数分解能の限界値となっている。これは、NISTから市販されている周波数標準器(13- 130 MHz)と比較しても同等の周波数分解能を有している。

光ナノファイバーを用いたマイクロリング共振器の作製

最後にこの光ナノファイバーを用いて、マイクロリング共振器を作製した。共振器は実効的な物質と光の相互作用距離を長くし、信号のS / Nを大きくする。また、光ナノファイバー共振器は、ファイバーと一体化している素子であるので、使い勝手も良い。光ナノファイバー共振器の実現は、今後の応用実験の観点から重要になってくる。図6はマイクロ共振器の概念図である。一本の光ナノファイバーを丸めることで、共振器構造を作った。この構造は、ファイバー同士の静電気力によって接触しており、簡単に離れず安定している。今回得られた性能は、線幅(半幅)が10 GHz、Q値が40000程度であった(図7)。

まとめ

ファイバー径が400nmで透過率が95%という世界でもトップクラスの高性能光ナノファイバーを作製した。そして、そのノウハウを確立した。また光ナノファイバーの特徴である強い電場と長い相互作用距離を利用して、10 mW程度の低パワーでアセチレン分子の飽和吸収分光を行い、ラムディップを観測した。分光結果から分光器としての周波数分解能を31 MHzと見積もり、市販の分光系と比べても同程度の性能が得られていることを確認した。さらに、今後の応用実験や光ナノファイバー分光器としてのその性能を上げるために光ナノファイバー共振器の作製し、Q値が40000程度のものが得られた。

図1、光ナノフィアバーの概念図

図2、ファイバー径 vs 透過率

図3、ファイバー引き伸ばし中の透過率

図4、アセチレン分光の実験配置

図5、P(9) 遷移のラムディップ

図6、リング共振器

図7、共振器の透過スペクトル

審査要旨 要旨を表示する

光ナノファイバーとは、ファイバーの直径を伝播する光の波長以下にまで細くしたファイバーのことであり、その周囲にエバネッセント波と呼ばれる光電場がしみ出すという特徴をもつ。このため、光強度の高い領域を長距離保つことができる、集積化・インライン化が容易なため簡便で安価なシステムを構築できるなどの利点から、近年盛んに開発および研究が行われている素子である。滝口氏は本論文において、低損失な光ナノファイバーの作製法を示し、それを用いた通信波長帯における分光系の開発を行った。

具体的には、本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章は光ナノファイバーの理論についての概説にあてられている。第3章には、実際に光ナノファイバーを作成するための装置や、詳しい作成手法、手順などが記述されている。第4章では、作成した光ナノファイバーを使い、光通信波長帯において周波数標準の二次表現となっているアセチレン分子について飽和吸収分光を行った結果と、開発した分光系の基本性能の評価が行われている。第5章で、光ナノファイバーの新しい応用として、マイクロリング共振器の作成について議論し、第6章で全体のまとめをしている。

論文審査では、まず第2、3章の内容である、直径が125ミクロンの通常の光ファイバーを加熱しながら引き延ばすという光ナノファイバーの製作手法について、理論的なガイドラインの提示、そして実際の実験装置の紹介、作成した光ナノファイバーの基本性能について説明があった。ここでは、最終的な直径が、伝播する光の波長の半分程度である400ナノメーターでありながら、光の透過損失が3%程度という、世界的に見てもトップクラスの光ナノファイバーが安定的に作成可能となった点が評価された。

次に第4章の内容である、光通信波長帯におけるアセチレン分子の飽和吸収分光について説明があった。この波長域にあるアセチレン分子の吸収線は、周波数標準の二次表現に用いられており、波長多重通信を安定に行うための絶対周波数の参照ポイントとして重要な役割を果たしている。これまでも様々な手法により、吸収線の中心位置を精確に決める取り組みがなされてきているが、滝口氏が提示した光ナノファイバーを利用した分光系は、これまでの手法、装置に比べ、測定の簡便さ、装置のコクパクトさなどの点で優れている。その一方で、測定精度に関しては、大掛かりな実験装置を使った分光系には及ばない。しかし、米国の国立標準技術局から市販されている持ち運びができる装置にはひけを取らない性能であることが示され、総合的な性能という点で十分価値のあるものと判断された。

第5章では、光ナノファイバーをリング状に丸めた際にできる共振器について、簡単な理論的な見積もりと実際に作成した共振器についての測定結果が議論されている。理論と実験の整合性が明確に示され、光ナノフィイバーの新しい可能性が提示された。

以上のように本研究は、低損失な光ナノファイバーを安定して作成する技術を確立し、光通信波長帯における周波数基準点を簡便に確認できる分光系を開発したものである。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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