学位論文要旨



No 126651
著者(漢字) 中村,大輔
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ダイスケ
標題(和) テラヘルツ伝導度測定を用いた銅酸化物および鉄系超伝導体の研究
標題(洋)
報告番号 126651
報告番号 甲26651
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1068号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 深津,晋
 東京大学 准教授 加藤,雄介
内容要旨 要旨を表示する

本研究ではテラヘルツ伝導度スペクトロスコピーにより超伝導体薄膜の低エネルギーの素励起について知見を得ることを目標として、低温かつゼロ磁場および磁場下で測定可能な透過型の時間領域分光法によるテラヘルツ伝導度の測定系および解析プログラムを一から作り上げた。本測定方法は近年発展の著しい分野ではあるが、当研究室においては知識の蓄積もなく、文字通り手探りの状態で研究を開始した。

測定試料は近年発見されて盛んに研究の行われている鉄系超伝導体のうち、比較的良質な薄膜が作製されているFeSe1-xTexとBa(Fe1-xCox)2As2と、高温超伝導体のうちドープ量を精密に変化させることができて高温超伝導体の電子相図を解明するのに有用と考えられる La2-xSrxCuO4 (LSCO)である。

当研究室で作製された鉄系超伝導体FeSe1-xTex 薄膜については、Tc が低いこと(~10 K)、そして超流体密度が Tc 近傍ではBCS超伝導体よりも小さくなるような温度依存性を示すことなどにより、常伝導キャリアの寄与が顕著に観測された。そのため、測定の最低温度(~8K)で伝導度の実部の周波数依存性に明確な超伝導ギャップ構造を観測することはできなかった。しかし、複素伝導度の虚部の周波数依存性が超伝導ギャップのエネルギースケール近傍のふるまいを示すことに着目し、マイクロ波領域のデータと比較することにより、超伝導ギャップエネルギーを0.6 meV程度と見積もることに成功した(下図)。

鉄系超伝導体Ba(Fe1-xCox)2As2については、最適ドープ試料において逆格子空間のM点周りに存在する電子的なフェルミ面に開く超伝導ギャップ(2.8meV)の存在を示唆する超伝導状態での透過率の変化を観測した(下図)。また、超伝導相と反強磁性相が共存する不足ドープ領域の試料については、反強磁性相で複素伝導度の虚部が急激に減少するふるまいを観測した。この結果は、反強磁性相転移温度でフェルミ面の一部にできるとARPESにより報告されているDirac coneのキャリアの応答に起因するものではないかと考えられる。また、いくつかの試料を測定してみたところ、全体的に残留伝導度が特に低周波側で大きく観測されるような傾向があった。この結果は他のグループによる高周波伝導度測定でも報告されたおり、FeSe1-xTexでも光学領域でバンド間遷移とみられる自由電子以外の伝導度への寄与が大きく観測されることと併せて考えても、鉄系超伝導体の伝導度スペクトルを議論するにはより広い周波数レンジで同一試料を測定することが重要ではないかと感じた。

銅酸化物高温超伝導体LSCOについては、マイクロ波伝導度とネルンスト効果で超伝導ゆらぎが観測される温度領域が大きく異なるという問題について、不足ドープ領域から過剰ドープ領域に至る様々なドープ量のLSCO薄膜試料を用いてTHz伝導度測定を行った。

特に複素伝導度の虚部の温度依存性に着目し、ゼロ抵抗を示す温度Tczero よりもどの程度高温から複素伝導度の虚部の急激な増加が見られるか、という観点から調べたところ、マイクロ波伝導度測定の解析により得られた結論と定性的に同じ温度領域であることが分かった。さらに、超伝導状態における複素伝導度の実部の温度依存性がキャリア量とともにどのように変化するかという見地から、超伝導状態および超伝導ゆらぎが観測される温度領域におけるドープ量依存性について比較したところ、以下のような傾向が得られた。(下図)

● 不足ドープ領域(x=0.07, 0.10, 0.12) : x=0.07では複素伝導度の実部はTc 直上で増加するが、これは直流伝導度の温度依存性と対応している。超伝導状態ではT → 0で Tc直上の値にからほぼ単調に減少する。複素伝導度の虚部は最大でT=2 Tczeroから急激に増加し、その温度依存性はBKT転移によるuniversal jumpが高周波でなまったものとして説明することが可能である。

● 最適ドープ領域(x=0.15, 0.16) :複素伝導度の実部はTc 直上で増加しない。超伝導状態ではT → 0でTc 直上の値に比べ抑制されるが、温度依存性にブロードなピーク構造を有する。複素伝導度の虚部は最大でT ~1.2 Tczeroから急激に増加し、3つのドープ領域の中ではもっとも超伝導ゆらぎが観測される温度領域が狭い。

● 過剰ドープ領域(x=0.17, 0.225) :複素伝導度の実部はTc 直上で比較的鋭いピーク構造を持つ。超伝導状態ではT → 0でも残留伝導度が大きめに観測される。複素伝導度の虚部は最大でT=1.5 Tczeroから急激に増加する。

このような傾向に関して、過剰ドープ側では残留伝導度が大きいという結果はマイクロ波ブロードバンド測定でゆらぎの臨界指数が既存のモデルに合わないことと、LSCOの過剰ドープ側で相分離(超伝導になる組成とならない組成がミクロなスケールで分離している)が生じていることの2つの実験結果を関連付ける結果であると考えられる。

そして、0.5Tの磁場下での測定では、最適ドープ($x$=0.15)試料に関してTHz領域の複素伝導度はエラーバーの範囲内でほとんど変化を示さなかった。

これらの結果から、THz伝導度測定から得られた結果はマイクロ波伝導度測定での結論が正しいことを示唆するものである。ネルンスト効果の実験に対しては、超伝導ゆらぎ以外の寄与(異なる電荷秩序状態)を見ている可能性、磁場印加により超伝導ゆらぎが増加している可能性、非常に短い時間スケールの超伝導ゆらぎを観測している可能性などがあるが、ネルンスト効果による実験結果からTcよりもはるかに高い温度から超伝導ゆらぎを観測したという結論は、少なくともゼロ磁場での電子相図においては適用できないと考えられる。

図:鉄系超伝導体FeSe1-xTex 薄膜の複素伝導度の虚部の周波数依存性

図:鉄系超伝導体Ba(Fe1-xCox)2As2 超伝導ギャップの温度依存性

図:高温超伝導体LSCOの複素伝導度のTc付近の温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

物性物理学においては, 物理現象の起源となる「素励起」のエネルギースケールを知ることが極めて重要である。エネルギーの異なる電磁波をプローブとして素励起のエネルギースケールに対する知見を得るという測定手法(スペクトロスコピー)は古くから利用されている。しかし,マイクロ波や光学領域に比べてテラヘルツ帯の物性測定は,手軽に利用できるテラヘルツ帯の発振器及び検出器が近年まで開発できなかったことにより発展途上の領域といえる。

本論文はテラヘルツ領域における物性測定の新たな可能性を開拓することを目標として,テラヘルツ伝導度スペクトロスコピーによる銅酸化物高温超伝導体と鉄系超伝導体の薄膜を測定試料として用いた,低エネルギー素励起(超伝導ゆらぎや超伝導ギャップ)についての研究を報告している。

第1章は,研究の背景についての記述である。銅酸化物高温超伝導体,特に本研究の対象であるLa2-xSrxCuO4の物性についての概説と,他のグループによって行われた超伝導ゆらぎに関連する研究が記述されている。鉄系超伝導体については,本研究の対象であるFeCh (11系)とAeFe2As2 (122系)の物性について概説し, 様々な測定手法を用いて求められた超伝導ギャップエネルギーについてまとめている。そして,高周波の電気伝導度とテラヘルツ技術に関して本研究に関連する背景が記述されている。

第2章は,本研究の動機をまとめ,目的が記述されている。

第3章は,試料の作製方法,測定方法,および解析方法についての記述である。試料の作製方法としては超伝導体薄膜の作製に使用されたパルスレーザー蒸着法および透過分光測定に用いるための基板裏面の処理方法が記述されている。測定方法としては本論文の提出者が一から構築した透過型の時間領域分光法の構築方法,振動等の外来ノイズ除去の方法,そして低温測定方法について詳細に述べられている。解析方法では解析的なノイズ除去の方法,基板の厚み誤差を除去する方法などが詳細に記述されている。

第4章は,鉄系超伝導体FeCh (11系)の一種であるFeSe1-xTex 薄膜についての実験結果と考察の記述である。超伝導転移温度(Tc)が最も高くなるFeSe0.5Te0.5の組成の薄膜試料についてのテラヘルツ伝導度測定の結果が主に記されている。常伝導状態ではDrude 型の複素伝導度の周波数依存性を示すことが報告されている。超伝導状態では, Tc が低い(~10 K) ことと測定の最低温度が7.8 Kであることから, 超流体に凝縮するキャリアの割合が少なく超伝導の兆候を検出しにくいことが記述されている。複素伝導度の虚部をMatthis-Bardeen理論とマイクロ波領域の伝導度の値を用いて比較した結果, 超流体に凝縮するキャリアの割合が通常のBCS理論の50% 程度であると推察された。超流体密度の温度依存性がBCS 理論の示す値と異なるという最近の結果により, この結果についての説明ができたと記されている。結論として,この物質での絶対零度における超伝導ギャップエネルギーは~1.0 meVであると考察されている。

第5章は,鉄系超伝導体AeFe2As2 (122系)の一種であるBa(Fe1-xCox)2As2 薄膜についての実験結果と考察の記述である。最適ドープ領域の試料に対する測定から,常伝導状態のキャリアはDrude 型伝導度の周波数依存性を示すことが明らかにされた。超伝導状態では, Tc 直上の値で規格化した透過率スペクトルから, 超伝導ギャップの存在を捉えたと記されている(Δ(T=0)=2.0-2.8 meV)。この物質が強結合超伝導体であると仮定した場合, 2Δ/kBTc=3.6±0.6となり, 角度分解光電子分光実験により報告された逆格子空間のM点周りの電子的なフェルミ面に開いた超伝導ギャップエネルギーによる2Δ/kBTc=4.1と近い結果であることが記されている。また,不足ドープの試料では, 反強磁性相転移温度付近で複素伝導度の虚部が急激に減少し, 非Drude 的な周波数依存性を示す結果が得られたと報告している。このふるまいは散逸の非常に少ないキャリアの輸送特性が付加されたとみなすことができ, Dirac cone 上のキャリアの特異な輸送特性と関連している可能性があると考察されている。

第6章は,銅酸化物高温超伝導体の一種であるLa2-xSrxCuO4薄膜についての実験結果と考察の記述である。マイクロ波伝導度とネルンスト効果で超伝導ゆらぎが観測される温度領域が大きく異なるという問題について, 様々なドープ量のLSCO 薄膜試料を用いてTHz 伝導度測定を行った結果が記されている。特にゼロ抵抗を示す超伝導転移温度よりもどの程度高温から伝導度の虚部の増加が見られるか,という観点から調べたところ, マイクロ波伝導度測定の解析により得られた温度領域と定性的に同じであると報告している。さらに, 複素伝導度の温度依存性にはTc付近および超伝導状態で顕著なキャリア濃度依存性が観測され, マイクロ波伝導度のスケーリング解析の結果と深い関係にあると考察している。さらに0.5 Tの磁場下での測定では, 最適ドープ試料を用いてネルンスト信号は増大し始めているが高周波伝導度スペクトルでは超伝導ゆらぎが観測されない温度領域において測定を行った結果, THz 領域の複素伝導度はエラーバーの範囲内でほとんど変化を示さないことが記されている。これらの結果から,ネルンスト効果で観測される特徴的な温度領域は超伝導ゆらぎ以外の秩序状態を反映したものを観測している,という解釈が妥当であると考察している。これにより, ゼロ磁場の電子相図上では超伝導ゆらぎが観測される温度領域は最大でもゼロ抵抗を示す温度の2倍程度であるという明確な結論が報告された。

第7章は本論文のまとめの記述である。第4章,第5章,第6章で得られた結果と総括がまとめられている。

第8章は今後の展望の記述である。本研究で得られた結果を踏まえて,より高感度かつ広い周波数レンジを持つ測定系を構築するための展望と,テラヘルツ領域で興味のある物性が観測されることが期待されるいくつかの物質について述べられている。

以上をまとめると,超伝導物質に対して多様なテラヘルツ領域の素励起現象(超伝導ゆらぎ, 超伝導ギャップ, 反強磁性相での特異な伝導度スペクトルなど)を観測し, テラヘルツ技術の分野で物性測定への応用の枠組みを更に広げることに本論文は成功している。さらに, 第3章に記述された薄膜試料に対して基板の寄与を解析的に除去する手法は, 超伝導体以外でも金属的な応答を示す物質に関して有効であり, 反射型測定など異なる配置の測定系においても一般的に使用できる。そのため,解析上の困難を克服できるという点で波及効果が大きい。従って,高周波の電磁波応答が物質の素励起のプローブとして有用であることを, テラヘルツ帯においても明らかにしたという点で, 本論文が物性物理学の進展に果たした役割は大きく評価できる内容である。

なお,本論文における研究成果は,本学大学院総合文化研究科の前田京剛氏,今井良宗氏,田中遼氏,高橋英幸氏,秋池孝則氏,渋谷雄輝氏,鍋島冬樹氏,東京工業大学応用セラミックス研究所・フロンティア研究センターの細野秀雄氏,平松秀典氏,片瀬貴義氏,電力中央研究所の塚田一郎氏,小宮世紀氏との共同研究であるが,論文の提出者が主体となって遂行したもので,論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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