学位論文要旨



No 126654
著者(漢字) 坂井,賢一
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ケンイチ
標題(和) 南極周回気球実験による太陽活動極小期の宇宙線反陽子スペクトラム測定
標題(洋) Measurement of comic-ray antiproton spectrum at solar minimum with a long-duration balloon flight in Antarctica
報告番号 126654
報告番号 甲26654
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5599号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蓑輪,眞
 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 教授 高橋,忠幸
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 准教授 浅井,祥仁
内容要旨 要旨を表示する

宇宙線反陽子エネルギースペクトルの精密観測および宇宙線反物質の探索は、初期宇宙における素粒子描像の理解を深める上で重要な役割を果たす。しかし、これらの宇宙線は他の宇宙線粒子と比較してその流束が極端に少なく、測定には高精度な粒子識別能力を持つ測定器と、大面積立体角・長時間の観測が不可欠である。BESS 実験では大面積立体角を有する超伝導スペクトロメータを気球に搭載し、1993年の実験開始から現在まで計10回のフライトを成功させ宇宙線反陽子、陽子・ヘリウムなどの精密測定、反ヘリウム探索を行ってきた。

宇宙線内の反陽子の主な起源は、6GeVを超える一次宇宙線(陽子)と星間物質(陽子)の衝突により生成される二次起源と考えられている。宇宙線伝播モデルから予測される二次起源反陽子のスペクトルは2GeV付近に鋭いピークを持ち、低エネルギーになるにつれて、衝突時の運動学的な理由により反陽子の生成確率が低下する。一方、一次起源反陽子は運動学的な抑制を受けない為に、低エネルギー領域の成分が顕著に現れる可能性がある。初期宇宙の激しい擾乱により形成される原始ブラックホール(PBH)の蒸発過程で、Hawking 輻射により放出される反陽子は、一次起源反陽子の有力候補の一つであり、その流束は低エネルギー領域で平坦なスペクトルを有すると予測される。

以前の太陽活動極小期に得られた反陽子流束(BESS'95+'97)は、低エネルギー領域において二次起源モデルよりも平坦な構造をしていた。これはPBH起源反陽子の存在を示唆していたが、データの統計精度が十分ではない上に、モデルの不定性も大きく、結論を導くには至らなかった。

BESS-Polar 実験の研究目的は、統計精度をあげた反陽子流束を測定する事で、BESS'95+'97 観測結果から示唆されている一次起源反陽子の存在を検証し、結論を導く事にある。研究目標を達成する為の手段は、「高精度かつ大面積立体角を有する検出器」と「南極周回による長時間観測」、「太陽活動極小期」の三つの条件を満たす事で、圧倒的な統計量の宇宙線事象を検出する事にある。BESS 実験からBESS-Polar 実験への移行に際し、1日観測から10日間以上の連続観測への観測時間長期化と極低エネルギー反陽子を検出する為の物質量の大幅削減が行われた。2004年12月に実施されたBESS-Polar I 実験の結果を踏まえて、BESS-Polar II 実験では、連続観測の更なる長期化(20日間以上)、検出器の性能向上、構造体の改良が、測定器の全面的な新開発により達成された。図2に測定器概念図を示す。

太陽活動極小期である2007年12月から2008年1月にかけて実施された南極周回飛翔実験BESS-Polar IIでは、高度約36kmで24.5日間の連続観測を行い、46億宇宙線事象を記録する事に成功した。得られたデータは、前回太陽活動極小期のデータ(BESS'95+'97)の約14倍の統計量(<1GeV)に匹敵する。

フライト中、安定したデータ取得が行われる一方で、中央飛跡検出器の高電圧が不安定になる事態が発生した。この問題は運動量測定精度の悪化を招いたが、高電圧の不規則な時間変動に対応する較正方法を開発する事で、BESS-Polar II 実験で取得された90%近くのデータにおいて、従来と同等の性能を獲得した。質量同定から総数7997個の反陽子識別に成功し、太陽活動極小期の流束が得られた(図4)。

BESS'95+'97と同様に太陽活動極小期に観測されたBESS-Polar II 反陽子流束は、その統計量の違いだけではなく、BESS'95+'97の低エネルギー領域での平坦な構造に対し鋭い下降勾配を示すなどの違いが存在している(図5)。BESS-Polar II 反陽子流束を用い、研究目的の物理も含め、以下の3つの議論を行った。

(A) 二次起源モデルとの比較

(B) 宇宙線伝播モデルの考察

(C) 一次起源反陽子の評価

(A) 二次起源モデルとの比較

宇宙線反陽子の主成分と考えられている二次起源反陽子は、次のモデル計算により導かれる。一次宇宙線陽子が銀河内を伝播している過程において、銀河磁場による拡散、対流、星間ガスによる加速を受けながら、衝突反応により反陽子を生成する。そして地球近傍で観測される全ての銀河宇宙線は太陽圏内において太陽磁場の擾乱により変調を受ける。二次起源反陽子モデルは、銀河内伝播の物理過程を記述する宇宙線伝播モデルと、太陽活動の影響を記述する太陽変調モデルの結果を掛け合わせた物となる。図6は、代表的な二次起源反陽子モデルとBESS-Polar II 反陽子流束の比較を示す。それぞれの二次起源反陽子モデルでは、仮定している宇宙線伝播モデルと太陽変調モデル、また各種反応断面積などの設定値が違うにもかかわらず、BESS-Polar II 反陽子流束は様々な二次起源反陽子モデルと良い整合性を示した。

(B) 宇宙線伝播モデルの考察

全体として良い整合性を示した二次起源反陽子モデルの中において、流束形状の違いに着目し、各二次起源反陽子モデルが採用している宇宙線伝播モデルの違いについて考察を行った。太陽活動極小期の宇宙線反陽子に対する太陽磁場の擾乱の効果が非常に小さく、太陽変調モデルの違いが見えにくい事を前提に、二次起源反陽子モデルの低エネルギー成分とBESS-Polar II 反陽子流束の比較を行った。その結果、二次起源反陽子モデルの中でも、低エネルギー反陽子の過剰成分を含まないモデルの方が観測結果とより良い整合性を有する事が判明した。図8は、非弾性散乱によるエネルギー損失により、低エネルギー反陽子の主成分になりえるTertiary 反陽子の寄与を抑制したモデルの方が、整合性が良い事を示す。

(C) 一次起源反陽子の評価

二次起源反陽子モデルからの過剰として議論される一次起源反陽子、特に低エネルギー領域においてその寄与が顕著に現れる可能性があるPBH 起源の反陽子流束の評価を行った。評価方法は、BESS-Polar II 反陽子流束から、二次起源反陽子モデルより計算される流束を差し引き、その差分を説明できるPBH 起源反陽子流束の絶対量を見積もり、蒸発率Rで記述する。従って、PBH 起源反陽子流束の評価結果は、二次起源反陽子モデルの選択に依存する。二次起源反陽子モデル不定性の影響を考慮する為に、数種の二次起源反陽子モデルについて計算を行い、PBHの蒸発率Rの上限値を求めた。その一例を、図7に示す。BESS-Polar II 反陽子流束から予想されるPBH 起源反陽子流束は赤破線で示してある。蒸発率Rの確率密度関数を確認する事で、以下の結論が導かれた。

BESS'95+'97の低エネルギー反陽子流束の過剰を説明できるレベル、即ち蒸発率R=3:6×10-3pc-3yr-1で蒸発するPBHを起源とする一次起源反陽子は確認されず、統計精度を一桁以上高めたBESS-Polar II 実験から上限値R=1:0×10-3pc-3yr-1 90%C.L.) が得られた。

図1 BESS'95+'97 反陽子流束とPBH 起源の予想スペクトル(点線)

図2 BESS-PolarII 測定器概念図

図3 BESS-Polar II フライト軌跡

図4 BESS-Polar II 実験における反陽子識別図(反陽子数:7997個)

図5 BESS-Polar II 反陽子流束

図6 二次起源反陽子モデルとの比較

図7 [上]BESS-Polar II 観測結果とBESS'95+'97 観測結果から予想されるPBH 起源反陽子流束[下]PBHの蒸発率Rの確率密度関数

図8 BESS-Polar II 反陽子流束と二次起源反陽子モデルの比較: [1]Tertiary反陽子の寄与が大きいモデル[2]Ter-tiary 反陽子の寄与を抑制したモデル

審査要旨 要旨を表示する

この論文は、気球搭載型の超伝導スペクトロメータ、Balloon-borne Experimentwith a Superconducting Spectrometer(BESS 実験)により、南極地方において1GeV以下の低運動エネルギー領域において精密な反陽子流束の測定を行った研究の結果をまとめたものである。

論文は全9章からなり、第1章では、導入としてこれまでのBESS 実験について概説している。第2章では、実験装置の詳細について記している。第3章では、南極地方における観測の実際について述べられている。第4章で、検出器の較正について記述した後に、新たに工夫した較正の方法とその効果が記されている。また、第5章では取得したデータから反陽子事象を選り出すための解析方法の実際が述べられており、第6章で観測した反陽子の流束を計算し、第7章でその結果をまとめている。最後に第8章で宇宙線中の反陽子の起源について、各種理論モデルの検証を行い、第9章で結論を導いている。

宇宙線内の反陽子の主な起源は、一次宇宙線と星間物質の衝突により生成される二次起源と考えられている。一次宇宙線のスペクトラム及び生成時における運動学的理由から、そのスペクトルは2GeV 付近に鋭いピークを持ち、その両側で急激に減少する形状を持つ。一方、初期宇宙の密度揺らぎ等の擾乱により形成される原始ブラックホール(PBH) 蒸発等からの寄与である一次起源反陽子は、運動学的な抑制を受けない為に、低エネルギー領域で平坦なスペクトルを有する可能性がある。

以前の太陽活動極小期に観測された反陽子流束(BESS'95+'97)は、低エネルギー領域において二次起源モデルよりも平坦な構造をしていた。これはPBH 起源反陽子の可能性を示唆していたが、データの統計精度が十分ではない上に、モデルの不定性も大きく、結論を導くには至らなかった。

南極地方におけるBESS-Polar 実験の研究目的は、統計精度をあげた反陽子流束を測定する事で、一次起源反陽子の存在を検証し、結論を導く事にある。それには、圧倒的な統計量の宇宙線観測実現の必要があり、「高精度かつ大面積立体角を有する検出器」と「南極周回による長時間観測」、「太陽活動極小期」の三つの条件を満たす事が出来る測定器の開発、実験準備が進められた。

論文提出者は、実験準備、実験実施、観測データ解析のすべての段階で深く貢献し、反陽子の低エネルギースペクトラムをこれまでより1 桁以上高い圧倒的統計精度で決定した。これにより、宇宙線中の反陽子が二次起源であるというモデルを支持する結果となった。

この論文は、学問的に大変有用なものであり、また論文提出者の独創性も十分であると認められる。また、この論文はBESS 実験グループの他の共同研究者との共同研究に基づくものであるので、論文提出者がどのような主導的な寄与があったのか審査委員会において念入りに審査した。その結果、この研究は、論文提出者が中心となり行なったものであることが明らかであることから論文提出者の主導性が十分であると判断した。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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