学位論文要旨



No 126660
著者(漢字) 西村,康宏
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,ヤスヒロ
標題(和) 高分解能液体キセノンガンマ線測定器を用いたμ+→e+γ 崩壊の探索
標題(洋) A Search for the Decay μ+→e+γ Using a High-Resolution Liquid Xenon Gamma-Ray Detector
報告番号 126660
報告番号 甲26660
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5605号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齊藤,直人
 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 准教授 横山,将志
 東京大学 准教授 川本,辰男
 東京大学 教授 柳田,勉
内容要旨 要旨を表示する

素粒子物理において,標準模型は素粒子の振る舞いを非常に良く記述している一方で,階層性問題等の不自然さを抱えている.これを解消するため,超対称性理論等の様々な拡張理論が提唱されている.現在知られる素粒子は,その質量により3 世代のフレーバーに区分される.これらはクォーク間では混合し,ニュートリノ間でもニュートリノ振動により混合が知られているが,荷電レプトン間ではこれまで混合が見つかっていない.しかし,提唱されている多くの拡張理論はこの荷電レプトン間の混合を測定できる範囲に予測している.荷電レプトンの1つであるミュー粒子μの二体崩壊,μ→eγは,荷電レプトンフレーバーを混合する事象の1つであり,現在まで観測されていないが,拡張理論の多くは現在得られている分岐比上限値辺りに予測している.この崩壊が見つかった場合,新たな物理の存在する証拠となり,見つからない場合でも現在提案されている物理モデルの可能性に制限を課す事ができる.

MEG 実験では,スイスのポール・シェラー研究所(PSI)にてμ+→e+γ 崩壊の探索を行っている.非常に稀なこの崩壊を多くのμ崩壊の中から見つけ出すため,900 リットル液体キセノンガンマ線測定器,特殊な磁場勾配を持つ陽電子スペクトロメータ,高速なギガヘルツ波形取得回路が新たに開発された.2008年には3ヶ月に亘る最初の測定を終え,様々な改良が加えられた後,2009年には2ヶ月間の測定を行った.

ガンマ線測定器はμ+→e+γのバックグラウンドを抑えるため,特に重要な役割を果たす.本論文では,液体キセノン測定器の長期モニタと性能評価の手法を確立し,その結果をまとめた.多種の較正源をモニタする事で,2008年から2009年にかけてはキセノンの純化に伴いシンチレーション光量が2.5倍にまで回復した推移を,2009年では安定した運転を確認した.液体キセノンガンマ線測定器の性能評価は,μ+→e+γ からの53MeV ガンマ線に近いエネルギーとして,π-荷電交換反応後のπ0→γγ 崩壊で得られる55MeV エネルギーのガンマ線を用いて行われ,2.1%(σ)のエネルギー分解能,144ps(σ)の時間分解能と5mm(σ)の位置分解能が見積もられた.

ここで得られた測定性能やバックグラウンド分布は確率密度関数(PDF)として尤度関数に取り込まれ,μ+→e+γ崩壊数とバックグラウンド数を最尤推定量として最尤法により求める.崩壊数から分岐比に換算するため,必要なμの観測数を見積もる代わりに,ほぼ100%を占めるμ+→e+γvev-μ 崩壊からのe+ 数を陽電子検出器で数え上げる事により,相対的にμ+→e+γと比較し,分岐比を導出した.この相対的な規格化は,粒子停止率・検出効率や時間変動等の不定性を減らすために有用である.また,90%の信頼区間を導出するため,頻度主義に基づきPDFを用いた多数回の実験シミュレーションを行う事で実験自体のふらつきを見積もり,実際の2009年実験と比較した.

この手法で,2009年に得られた測定器性能とデータ分布から,分岐比上限に対する実験の感度S2009をと見積もった.これは,現在得られている上限値(1.2 ×10(-11))より低く,今後測定を続ける事により更に感度が一桁程向上すると見積もった.

本論文では,2009年の測定からμ+→e+γ 崩壊分岐比,Br(μ+→e+γ)の上限値を90%の信頼度でと結論付けた.下限値はμ+→e+γも矛盾しない結果となった.

MEG 実験は今後数年に亘る長期測定を控えた初期段階にあり,解析手法は一通り確立されたものの向上の余地が残されている.また,少ないデータ取得量がここで得られた感度を制限している.今後の継続した測定により,最終的には崩壊分岐比10(-13)の範囲まで探索が可能である.

審査要旨 要旨を表示する

本文は、6部構成になっている。第1部では、本研究のテーマである素粒子ミューオンの陽電子と光子への稀崩壊過程の素粒子物理学における位置づけを説明している。この過程は素粒子の標準模型では、非常に小さい確率でしか起こらない為に検出は不可能である。一方、超対称性等の標準模型を超える物理の存在により、検出可能な領域に入ってくることが自然に予想される。新物理発見については、欧州素粒子原子核研究機構での大型ハドロン衝突型加速器LHCでのエネルギーフロンティアにおける実験が主要な役割を果たすことが大きく期待されている。ミューオンの稀崩壊過程の探索はそのようなエネルギーフロンティアの実験と相補的な関係にあることが強調されている。このあたりについての記述は標準的であるものの、短くよくまとめていると評価出来る。

第2部は、実験の詳細な記述にあてられている。2章で実験の信号検出原理とそれを反映した実験セットアップの概観が述べられている。3章は、検出器、ビームライン、この実験の特徴の一つとも言える特徴的な電磁石COBRA、フレームレスのドリフトチェンバー、さらに高性能液体キセノン検出器の詳述にあてられている。全体的に信号検出原理から、それぞれの検出器の持つべきパフォーマンス・性能について論理的に結びつけている点が評価出来る。また、それぞれの検出器について写真や図表を用いて効果的に記述されていると言える。

4章では、各検出器のデータを用いた事象再構成について述べられ、5章では実験データ収集過程について検出器の稼働状態等も含めて、詳細に記されている。

第3部では、この実験の要の検出器の一つ、液体キセノンγ線検出器について詳述されている。6章で液体キセノン検出器の較正方法とモニター、7章ではその性能の実際について詳細に記されている。複数の手法により念入りにクロスチェックを掛けながらエネルギー測定の較正が行なわれている、またその記述も複雑にならざるを得ないが、論理的な流れは失われないように配慮されていると言える。一方、事象の空間的分布については、モンテカルロ計算と若干の違いをみせているものの、今後の統計の改善により、双方の違いはよく理解され、解消していくと考えられる。

第4部は陽電子のデータ解析とγ線解析との統合解析について、8章と9章にわけて記述している。最終的に最尤度法によって、事象の探索、またこの稀崩壊過程の分岐比の制限を得るので、関連する多くの測定量についての説明が必要である。それぞれの測定量について根気づよく説明していることが伺える。

第5部では、3部と4部で明らかにしたそれぞれの検出器の性能評価に基づき、稀崩壊過程の信号探索の詳細について述べられている。信号探索領域を複数の測定量の多次元空間に設定して、その領域のデータを見ること無くデータ解析を最適化の後に、初めて信号領域にデータが存在するかどうかを判定すると言ういわゆる"ブラインド解析"をもちいることで、考えうるバイアスを極力排除しようと努力している。

第6部では結論とともに、今後のデータ収集、解析の見通しについて簡単に触れられている。

全体として、長年にわたって準備されて来た実験において、自分の貢献をはっきりさせながら実験全体についても十二分な理解を深めて書かれた博士論文であり、論文提出者の寄与が充分であると判断できる.

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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