学位論文要旨



No 126664
著者(漢字) 山口,頼人
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヨリト
標題(和) 核子あたり200GeVの重陽子+金衝突における仮想光子法による直接光子測定
標題(洋) Direct photon measurement with virtual photon method in d+Au collisions at =200GeV
報告番号 126664
報告番号 甲26664
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5609号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳宿,克夫
 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 准教授 浅井,祥仁
内容要旨 要旨を表示する

本論文は米国ブルックヘブン国立研究所の衝突型重イオン加速器(RHIC)を用いた、核子あたりの重心系エネルギー200GeVの重陽子+金衝突(d+Au)における直接光子生成に関する研究を記述したものである。

量子色力学(QCD)はグルーオンをゲージ粒子とした強い相互作用を記述する基礎理論である。QCDに基づく理論計算によるとエネルギー密度1 GeV/fm3 以上、温度150~200 MeV 以上の高温高密度下で通常の原子核物質からクォークが閉じ込めから解放された物質相であるクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP) 相への相転移が起こると予想される。

QGP 相を実験室で実現し、その性質を調べるのに高エネルギー重イオン衝突は有用な手段である。高エネルギー重イオン衝突で生成される高温高密度物質は時空発展を行い、時空発展の各段階で生成された粒子はその後で通過する媒質の影響を受ける。故に、QGPを含めた各段階の特徴を捉えるのに敵した様々なプローブの測定によって、各段階の媒質の特性を理解することが重要である。

直接光子は生成後強い相互作用をせずに高エネルギー重イオン衝突で生成された媒質中を通過するので、生成媒質の性質を直接的に外に持ち出す。直接光子は初期衝突から化学平衡に至るまでの各段階で生成され、実験で測定される直接光子はそれらの総和であるが、その横運動量から生成起源を推定することが可能である。特に、中心rapidity 領域(|y| < 0.35)において1 < pT < 3 -5 GeV/cの低横運動量領域ではQGP 相からの熱光子が支配的であると考えられている。QGP 相からの熱光子はQGP 相生成の直接証拠であるだけでなく、その横運動量分布からはQGP 相の温度を決定できるので、非常に重要なプローブである。

直接光子測定において、ハドロン崩壊から来る光子(主にπ0 → 2γ) が大量にあるため、これらの光子を正確に取り除くことが重要なポイントである。RHIC 加速器で行われている大型実験の一つであるPHENIX 実験では、1 < pT < 3 -5 GeV/cの低横運動量直接光子収量を決定するために、電磁カロリメータを使用した実光子測定が行われたが、低エネルギー領域での電磁カロリメータのエネルギー分解能が不十分であるために直接光子とハドロン崩壊からの光子を区別できず、低横運動量直接光子の測定が困難であった。この困難を克服するためにγ* → e+e-を利用した測定(仮想光子法) が行われた。e+e- 質量分布においてハドロン崩壊からのe+e-(π0 → γe+e- など)は親ハドロンの質量を越えることが出来ないが、仮想直接光子からのe+e-はそのような制限を受けない。仮想光子法では、この性質を利用して、直接光子シグナルの優位性が大幅に改善されるπ0質量(135 MeV) 以上のe+e- 質量領域で仮想直接光子γ* → e+e-による増加分を評価し、直接光子収量を決定する。仮想光子法により、衝突エネルギー√sNN=200 GeVでの金・金衝突実験と陽子・陽子衝突実験において、1 < pT < 5 GeV/cの低横運動量直接光子の測定に成功した。金・金衝突実験結果では、陽子・陽子衝突実験結果から予想される収量よりも明らかな超過収量が観測され、この観測された超過収量はQGP 相からの熱光子の存在を示唆するものである。

しかし、原子核効果が金・金衝突時には含まれるが陽子・陽子衝突時にはなく、金・金衝突時に観測された超過収量に原子核効果がどの程度寄与しているかを評価しなくてはならない。従って、重陽子・金衝突実験を通じて重イオン衝突時の原子核効果の寄与を決定することが重要であり、本研究では重陽子・金衝突実験でのe+e- 電子対を利用した直接光子測定を行い、横運動量領域1~6 GeV/cにおける直接光子収量を決定した。

図1に見られるように、得られた重陽子・金衝突実験結果は衝突核子数でスケールした陽子・陽子衝突実験結果と一致し、この事実は直接光子生成における原子核効果の寄与は非常に小さいことを示唆している。また、衝突核子数でスケールした後に重陽子・金衝突実験結果と金・金衝突実験結果を比較すると、pT < 2.0 GeV/cにおいて金・金衝突時に明らかな超過収量が見られた。従って、金・金衝突時に観測された超過収量はnon-initial effectsによることがわかった。この超過収量の起源が生成媒質からの熱放射であると仮定すると、生成媒質の初期温度は220±15±18 MeV よりも高い温度となる。

図1: 重陽子・金衝突実験結果と衝突核子数でスケールした陽子・陽子衝突実験結果の比較

図2: 重陽子・金衝突実験結果から予想される金・金衝突での直接光子収量と金・金衝突実験結果の比較

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる。第1章は序章であり、この研究のテーマである重陽子と重イオンの衝突からの光子生成断面積測定の背景と意義が述べられている。第2章では高エネルギー重イオン衝突の模型を議論し、過去の光子生成の測定をまとめた。第3章では測定に使った実験装置の詳細を、第4章は実験遂行の経過を述べている。第5章が論文の核となる章で、電子・陽電子対の検出と、そこから光子の断面積の測定に至るまでの解析手順の詳細が論述されている。第6章で得られた光子の生成断面積を提示し、第7章ではこの結果と、既に得られている重イオン・重イオン衝突での断面積との比較を行い、重イオン衝突で生成された高温高密度状態の考察を行っている。第8章はこれらの結果を受けて考察の全体のまとめになっている。

この論文は、核子あたりの重心エネルギー200GeVでの重陽子と金原子核の衝突事象からの光子生成断面積を測定したものである。高エネルギーの原子核・原子核衝突では、衝突後に拡がりをもった高温・高密度状態が生成されると考えられるが、それが通常のハドロンの集合状態か、クォーク・グル―オンのプラズマ状態になるかという議論が長年続いている。光子は強い相互作用をしないため、衝突後の光子生成を測定することで、状態を研究するよいプロ―プとなる。近年、金・金の原子核衝突で、横運動量(pT)で1-3GeV/c領域の光子が陽子・陽子衝突と比較して多く出ていることが報告され、それが熱的な放射であるとした場合に温度が220MeVに達していると議論されている。しかし、陽子・陽子衝突のデータと原子核衝突のデータを比較する上では、多くの仮定が必要となる。特に、原子核内の陽子や中性子は、自由な核子とは異なるのでその効果で類似の信号が出る可能性も考えられ、その場合は衝突で生成した状態からの放射を見ていることにならない可能性がある。そこで論文提出者は、衝突する片方の核子を重陽子に替えた衝突実験を行い、この結果と重イオン・重イオン衝突とを比較することにした。核内での変形などの効果は重陽子と重イオンの衝突にも現れるため、その分を加味した上で終状態の研究ができる。

重イオンを含む衝突では多数の粒子が放出されるために、その中から光子を検出するのは非常に困難である。論文提出者は、電子・陽電子対を検出することで仮想光子の生成断面積を測定しそれを実光子の断面積に変換するという手法を用いて測定を行った。電子・陽電子対の検出のために、チェレンコフ検出器を設置し、論文提出者はその測定器でトリガー判定をするシステムの開発を進め、それがこの研究に重要な役割を果たした。

重陽子・金衝突での光子測定は、これまでの陽子陽子での測定よりよい精度で行うことができた。それをもとに原子核衝突のデータを見ると、相変わらずpTが1-3GeV/c領域の光子に超過が見られることを確認し、これが反応の初期状態の原子核効果から来るものでないことを確認した。改めて、測定したデータを基に、放出光子の温度パラメータを測定すると220±15±18 MeVであり、重イオン衝突後に高温状態が形成されていることを示唆する結果を得た。

この研究は、重陽子という原子核としては最小のものの衝突を測定することで、重イオン・重イオン衝突の結果の解釈の不定性を大きく改善したもので、その物理的意義は大きく学位論文に値する。

本論文は、国際共同実験グループPhenixでの共同研究であるが、この解析は、論文提出者が主体となって進めている。論文提出者は、実験遂行において電子を検出してトリガーする手法の開発導入を行い、本研究を含め、重イオン衝突からの光子生成反応の研究を進める上での本質的な役割を演じた。以上により論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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