No | 126666 | |
著者(漢字) | 池邊,洋平 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イケベ,ヨウヘイ | |
標題(和) | テラヘルツ偏光分光法による量子ホール効果及び異常ホール効果の研究 | |
標題(洋) | Terahertz polarization spectroscopy of quantum Hall effect and anomalous Hall effect | |
報告番号 | 126666 | |
報告番号 | 甲26666 | |
学位授与日 | 2011.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5611号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 2次元電子系や強磁性体ではそれぞれの系の性質を反映した特異なホール効果を生じる.2次元電子系では電子がポテンシャルに閉じ込められて伝導に寄与しなくなり,ホール抵抗が普遍定数に量子化される(量子ホール効果).この量子化抵抗は磁場またはキャリア密度を変化させても一定値を取る(プラトー構造).またその値は量子化抵抗値h/e2の整数分の1倍をとる(整数量子ホール効果).一方強磁性体においてはスピン軌道相互作用が伝導に寄与し,磁化によってホール効果を生じる(異常ホール効果).両者はともに電気伝導に波動関数のトポロジカルな効果の現れる現象とみなすことができ,散逸のない電流として改めて注目されている.ともによく調べられてきた現象だが,以下に述べる未解明の問題がある. 量子ホール効果は局在現象の観点から,これまでにホール伝導度のプラトー間の幅,また縦伝導度のピーク構造の幅について,温度,試料サイズ,また周波数依存性が論じられてきた.周波数に対してはこれまでにギガヘルツの領域までの測定が行われ,スケーリング則に従う振舞いが得られている.一方テラヘルツ周波数は,ランダウ準位間の遷移エネルギーに相当し,低周波数の外挿からプラトー構造を類推することは出来ない.この周波数領域でのプラトー構造の有無は依然不明であった. 異常ホール効果は,その機構についてKarplusとLuttingerに端を発するバンド間遷移に基づくIntrinsic な機構と,Smit やBerger が提唱した不純物散乱に基づくExtrinsic な機構の異なる2つの起源が考えられてきた.遍歴電子強磁性体SrRuO3はRu4+ 原子の4d t2g 軌道に電子を有し,強いスピン軌道相互作用を示す.また異常ホール抵抗は温度によって符号を変える特異な振舞いを示し,この系の異常ホール効果に主要な寄与を与えるのがIntrinsicとExtrinsicのどちらの機構であるかが議論されてきた.近年Intrinsic な機構ではバンドの反交差点において伝導に支配的な寄与を与え,SrRuO3の特異な振舞いを再現することが示唆された.このバンド反交差点における寄与は,ギャップエネルギーに相当するテラヘルツ周波数の応答において特に顕著になり,ホール伝導度スペクトルに大きな構造を与えることが予想されている.このためテラヘルツ周波数領域のホール伝導度スペクトルを明らかにすることはこの系の機構を決定付けるために非常に重要である. このようにこれらの特異なホール効果を特徴付けるエネルギーは共にテラヘルツ周波数領域に存在する.光周波数領域ではホール伝導度σxy(ω)は磁気光学効果による偏光の回転と結びついている.十分薄い薄膜試料が屈折率nsubを持つ基板上にある場合には,ファラデー回転角θ(ω)と楕円率η(ω)はσxy(ω)に比例する〓,(1)と表される.ここでcは光速,20は真空の誘電率,dは薄膜の厚さである.量子ホール効果や異常ホール効果はmrad 程度のファラデー回転角を与える.しかしながらテラヘルツ周波数領域ではこのような高感度な偏光測定の手法は確立されていない.このため本研究では高感度テラヘルツ偏光分光測定系を開発し,局在現象やスピン軌道相互作用がホール伝導度に与える寄与を明らかにすることを試みた. 高感度磁場下テラヘルツ偏光分光測定系の開発 上述のmrad 以上のファラデー回転角の検出感度を得るために,高感度テラヘルツ偏光分光測定系の開発を行った. 分光測定の手法にはテラヘルツ時間領域分光法を採用した.テラヘルツ時間領域分光法(THz-TDS)では電場の時間波形E(t)を得ることが可能であり,フーリエ変換を行うことで周波数表示したE(ω)を得ることができる(図1).偏光の変化が小さい場合には透過電場の入射水平成分Ex(ω)と垂直成分Ey(ω)の比はθとηに対しEy(ω)/Ex(ω)~θ + iηで与えられる.一方FTIRでは電磁波のパワーを測定し,微小な偏光の変化に対し,その2 乗量を観測することになる.よってFTIRに比べTHz-TDSは微小ファラデー回転角の決定に有利である.また高いダイナミックレンジを得るために,テラヘルツ電磁波の発生にはp 型InAs(111) 面からの放射,検出にはZnTe(110) 面によるEO samplingの手法を用いた.これにより最大0.3-2.5 THz(1.2-10.0 meV)の周波数領域において8 桁程度のダイナミックレンジを達成した.図2は開発した測定系を用いて,透過電場の垂直成分Ey(ω)の測定10 回の揺らぎを取り,水平成分Ex(ω)で割ったものであり,ファラデー回転角の検出感度を表す.0.5 mrad 以上の検出感度を達成されていることを示している. GaAs/AlGaAs 変調ドープへテロ構造2次元電子系における光学量子ホール効果 量子ホール系のテラヘルツ周波数領域における局在現象の寄与を明らかにするために,開発した測定系を用いてGaAs/AlGaAs へテロ構造2次元電子系の偏光測定を行い,プラトー構造の有無を調べた.図3(a)は偏光子により切り出された透過電場の垂直成分の時間波形Ey(t)である.入射したテラヘルツパルスよりも遥かに長寿命の振動構造を示した.この振動はサイクロトロン共鳴(ωc=eB/m*)を由来とする自由誘導減衰によるものであり,長い振動寿命は2次元電子系の高い移動度を反映する.振動の減衰率と周期から移動度と有効質量が得られた. 測定した透過電場の水平,垂直成分をフーリエ変換し,Ey(ω)/Ex(ω) からθとηの決定を行った(図3(b)).θとηに観測された分散型,共鳴型のスペクトル構造は共にサイクロトロン共鳴によるものである.得られたθとηは広い磁場,周波数領域で実線で表されたDrude モデルと一致する構造を示したが,ランダウ準位の占有数2(~5.6 T) 近傍の低周波数の領域においてDrude モデルから僅かにずれることを見出した.図4はこの領域における回転角を詳細に測定した結果である.5.6 T近傍において点線で表されたDrude モデルからずれる振舞いが見られた.一方,破線は直流領域との類推から占有数を整数値に量子化した量子ホール的な極限のモデルである.5.6 T近傍では回転角がこのモデルに一致することが分かった.量子ホール的な極限においてファラデー回転角は微細構造定数を用いて表されるため,このことはまた微細構造定数で表される回転角の観測を示唆する。 次にファラデー回転角から式(1)によりホール伝導度を決定して占有数の関数としてプロットした結果を図5に示す.ホール伝導度はサイクロトロン共鳴由来の周波数因子を除去した〓,(2)をプロットした.図より5.4-5.6 Tにおいてプラトー構造が観測された.これによりテラヘルツ周波数領域においても局在現象の効果が現れることが明らかになった.局在現象は直流あるいは低周波数の領域では系を特徴付ける長さと局在長との大小関係によって表される.この関係がランダウ準位間遷移周波数近傍のテラヘルツ周波数領域においても成立すると考えれば,得られた結果は系を特徴付ける長さがこの周波数領域においても局在長より長いスケールを持つことを意味する. 遍歴電子強磁性体SrRuO3における光学異常ホール効果 遍歴電子強磁性体SrRuO3について,バンドの反交差点でのエネルギーギャップに相当するテラヘルツ周波数領域のホール伝導度スペクトルを直接測定し,Intrinsic な機構が異常ホール効果に与える寄与を調べた. 測定には510 μmのLSAT 薄膜上に成長させた厚み10nmの薄膜試料を用いた.キュリー温度は150 Kであり,直流ホール抵抗は100 Kにおいて符号反転を示した(図6).強磁性体のホール抵抗は磁場を印加した際に生じる正常項と磁化のもとで存在する異常項が共存している.このうち磁化のもとで存在する成分のみを抜き出すために,2Tの磁場で磁化の方向をそろえた後に消磁し,ゼロ磁場,有限磁化の下で測定を行った. 透過測定により得られたテラヘルツ周波数領域の複素縦伝導度スペクトルを図7(a,b)に示す.この縦伝導度スペクトルと,偏光測定で観測されたファラデー回転角と楕円率から複素ホール伝導度スペクトルを決定したものが図7(c,d)である.10 Kで実部において3 meV 近傍で負のピーク構造が観測され,また高周波数でゼロに漸近していく様子が観測された.さらに実部は直流測定と同様に100 Kにおいて符号反転を生じた.一方虚部においては3 meV 近傍において負の値に急峻に変化し,ピーク構造を生じる様子が得られた. 得られた構造がIntrinsic な機構に基づくものなのか明らかにするために,2 バンドモデルを用いて久保公式からバンド交差点近傍で生じるホール伝導度を導いた結果と比較した(図8).バンド交差点を基準とする化学ポテンシャルをμとするとhω=2μのエネルギーにおいてホール伝導度の実部にピーク構造を与え,μ=2.0 meVにおいて実験結果を再現する結果が得られた.この周波数帯にピーク構造が現れることからSrRuO3のホール伝導度がIntrinsic な機構を主要な寄与として生じるものであると結論した. 総括 量子ホール系と異常ホール系はテラヘルツ周波数領域においてランダウ準位間遷移やスピン軌道相互作用によるバンド分裂といった,系を特徴付けるギャップのエネルギーを持つ.本研究ではこれらの系においてテラヘルツ偏光分光測定を行い,バンド或いはサブバンド間の遷移が生じる場合におけるホール伝導度スペクトルを観測することに成功した.これによりこれらのホール効果における局在現象やスピン軌道相互作用の寄与について新たな知見を得ることに成功した. 図1: (a) 測定に用いたテラヘルツ電場の時間波形(b)時間波形をフーリエ変化して得られたパワースペクトル. 図2: 透過テラヘルツ電場の垂直成分Ey(ω)を10 回測定した際の揺らぎを水平成分Ex(ω)で割ったもの[1].回転角の検出感度を表す. 図3: (a)T=3 Kにおける垂直偏光の時間波形の磁場依存性[2].実線:自由誘導減衰振動のフィッティング.(b) ファラデー回転角θと楕円率ηの磁場依存性.実線:Drude モデルによる計算値. 図4: ランダウ準位占有数2 近傍の(a) ファラデー回転角θのエネルギー依存性[2].点線:古典的なDrudeモデルによる計算値.破線:量子ホール極限における計算値. 図5: ホール伝導度の占有数ν 依存性[2].サイクロトロン共鳴由来の周波数構造を除去している. 図6: SrRuO3の(a) 磁場H=0.005 Tでの磁化,(b) 縦抵抗率,(c) ゼロ磁場でのホール抵抗率の温度依存性. 図7: SrRuO3のテラヘルツ周波数領域の(a,b) 縦伝導度スペクトルと(c,d) ホール伝導度スペクトルの温度依存性.周波数ゼロに直流測定の結果を付記. 図8: SrRuO3のホール伝導度をバンド交差点近傍でのIntrinsic な機構の寄与でフィットした結果.μ:化学ポテンシャル. | |
審査要旨 | 本論文は、「テラヘルツ偏光分光法による量子ホール効果及び異常ホール効果の研究(Terahertz polarization spectroscopy of quantum Hall effect and anomalous Hall effect)」と題した実験研究を5章からなる和文で記述したものである。第1章で序論として背景と本論文の目的・構成を述べ、第2章で高感度テラヘルツ偏光分光測定系の開発・性能評価と定式化を述べている。第3章でGaAs/AlGaAs変調ドープへテロ構造2次元電子系における光学量子ホール効果の実験、第4章で遍歴電子強磁性体SrRuO3における光学異常ホール効果の実験について述べている。第5章で本研究のまとめと今後の展望を述べている。 本研究では、2次元電子系の整数量子ホール効果や強磁性体の異常ホール効果など、特異なホール効果の物理における、テラヘルツ周波数帯での計測への関心の高まりを背景に、テラヘルツ時間領域分光法に偏光測定の手法を組み込んだ高感度テラヘルツ偏光分光測定系の開発を行った。テラヘルツ周波数領域におけるホール伝導度は、テラヘルツ波のファラデー回転に対応し、偏光回転の計測から決定することができるが、1 mrad 程度のファラデー回転角の検出感度が必要とされる。これまでこの性能は実現されていなかったが、今回の開発によりテラヘルツ波のファラデー回転角の検出限界として0.5 mrad以下の性能を達成した。 整数量子ホール効果では、磁場や電子密度の変化に対しランダウ準位占有数が整数値となる近傍でホール抵抗にプラトー構造が現れ、これは電子の局在長に対する非弾性散乱長や素子長などで決まる系のサイズの大小が局在・非局在状態を分かつためと理解される。高周波応答もギガヘルツ周波数まで測定され1周期内の電子移動距離が系のサイズを制限することが知られている。しかしテラヘルツ周波数帯での量子ホール効果の成立可能性や上記の局在描像の妥当性は未知であった。本実験では、GaAs/AlGaAs 変調ドープへテロ構造2次元電子系を対象に、テラヘルツ偏光分光法を適用し、時間領域のファラデー回転信号からフーリエ変換によりファラデー回転角および楕円率スペクトルを決定し、複素光学ホール伝導度を決定することに成功した。さらにサイクロトロン共鳴周波数の低周波数側のテラヘルツ周波数領域の光学ホール伝導度スペクトルを磁場の関数として詳細に調べ、ランダウ準位占有数2 近傍で、光学ホール伝導度が占有数に対してプラトー構造を示す整数量子ホール効果の出現を見出した。この結果は、テラヘルツ周波数領域においても、低周波領域と同様の局在効果描像が成立しうることを示唆し、系の特徴サイズと電子の局在長との大小関係がランダウ準位占有数2 近傍で入れ替わる現象を見たと解釈することが出来る。 強磁性体中の磁化による異常ホール効果の起源には、母体材料のバンド構造に起因する内因的機構と、不純物散乱を起源とする外来的機構の可能性がある。中でも遍歴電子強磁性体SrRuO3は、大きなスピン軌道相互作用を有し、必ずしも磁化に比例せずキュリー温度以下で符号を反転させる特異な異常ホール効果を示す興味深い系であり、その機構が何れに属するかが議論になっている。最近、内因的機構について、スピン分裂したバンド反交差点モデルに基づき異常ホール効果の増大を説明するトポロジカル理論を用いた定式化が発表されたが、このバンドの反交差点のギャップエネルギーはテラヘルツ周波数帯に相当すると予想され、この機構に因るならば、テラヘルツ周波数帯でホール伝導度スペクトルが大きな共鳴増強を示すことが予測されている。そこで、本研究では、遍歴電子強磁性体SrRuO3について偏光分光測定によりテラヘルツ周波数領域の光学ホール伝導度スペクトルを調べ、ホール伝導度実部のスペクトルが3 meVにピーク構造をもち高周波数でゼロに近づくことを見出した。観測されたスペクトル構造に対し、2バンド・反交差点モデル計算によるフィッティングを行い、スペクトル形状の概形を再現した。これらの結果から、SrRuO3 が直流で示す大きな異常ホール効果の起源として、テラヘルツ帯にあるバンド反交差点により増強された内因的機構が妥当な解釈を与えると結論した。 以上、本論文の内容は、テラヘルツ周波数領域における特異なホール効果に関して、意義ある実験事実と物理的解釈を新たに報告する物性物理研究であり、博士論文として十分評価に値すると判断される。 なお、本論文の研究内容は指導教官らとの共同研究であるが、測定系の開発、実験の計画と遂行、結果の解析など、研究の大部分は論文提出者が主体となって行ったものと判断される。 よって、論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認めた。 | |
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