学位論文要旨



No 126670
著者(漢字) ,裕和
著者(英字)
著者(カナ) オダカ,ヒロカズ
標題(和) 天体におけるX線再放出のモデル化と観測的検証
標題(洋) Detailed Modeling and Observational Verification of X-ray Reprocessing in Astrophysical Objects
報告番号 126670
報告番号 甲26670
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5615号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 寺澤,敏夫
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 准教授 中村,典雄
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的(Chapterl,2)

深い重力ポテンシャルへの物質の降着は中性子星や恒星質量ブラックホールといった銀河系内コンパクト天体から活動銀河核(AGN)の超巨大ブラックホールまで広いスケールに存在し、宇宙における高エネルギー現象を駆動する重要な役割を果たしている。強重力天体の降着はきわめて効率の良いエネルギー解放機構であり、解放される重力エネルギーは物質の静止質量エネルギーの10%にも達する。宇宙X線の発見以来、X線はこの宇宙高エネルギー現象の最も重要な観測的プローブでありつづけてきた。1999年には、ChandraおよびXMM-Newtonという2つのX線衛星が点源天体に対してエネルギー分解能をE/ΔE~100-1000と飛躍的に向上させることで、降着天体近傍の環境の温度や密度、速度分布といった物理状態の情報をもたらした。また、降着の中心エンジンにせまるには10keV以上の硬X線の情報が不可欠である。2005年に軌道投入された日本のすざく衛星は0.5keVから数100keVの広帯域と低い検出器バックグラウンドという特徴を持ち、軟X線から硬X線までの広帯域X線スペクトルの変化をかつてない短い時間スケールで追跡することを可能にした。

こうした現代のX線天文台(Chandra、XMM-Newton、すざく)がもたらす高品質の観測データは宇宙で最も活動的な場所の情報を豊富に含むが、同時にそのデータの解釈は極めて困難である。それは、X線の放射において、天体の複雑なジオメトリの中でX線光子の再放出過程が重要な役割を果たしているためである。従来、球対称な形状や均一な密度、一様な温度などを仮定した単純化されたモデルにより観測データを解釈してきたが、実際の観測で得られる高分解能・高S/Nのデータから物理的な情報を引き出すためには、本来、天体の現実的な形状と物質の分布を考慮して放射輸送を解くことが必要である。

本論文では、モンテカルロシミュレーションに基づいてX線放射をモデル化する新しい枠組みを構築した。この枠組みは天体におけるX線光子の再放出を統一的に扱うことが可能で、X線で照らされた中性物質、コンパクト天体や活動銀河核周辺の光電離プラズマ、そして逆コンプトン散乱が卓越するような高温の降着プラズマに適用できる。この計算の枠組みとモデルの検証のために、最も明るい星風降着型の中性子星であるVelaX-1のすざく衛星による観測データを解析し、広帯域X線スペクトルの短時間変動のモデル化を試みた。最後に、中性物質におけるX線再放出のモデルを銀河中心領域の巨大分子雲に適用した。

2.X線放射輸送のモンテカルロシミュレーションによるモデル化(Chapter3)

われわれはモンテカルロシミュレーションに基づいて天体おけるX線光子の輸送と相互作用を計算する枠組みを開発した。この枠組みは天体における光子の追跡と観測のデータの再現を行う汎用の計算コードであり、高エネルギー宇宙物理学における3つの重要な問題の計算方法を提供する。1つ目はX線に照らされた冷たい中性物質であり、X線連星における濃いガスやAGNを取り囲む分子トーラス、巨大分子雲に適用できる。2つ目は、強力なX線により光電離したプラズマで大質量X線連星における星風やAGNからの大規模なアウトフローにおける光電離プラズマに適用できる。3つ目はより中心天体に近い降着プラズマにおける逆コンプトン散乱である。これは恒星起源のブラックホールや中性子星に加えて、まだよくわかっていないAGNへの降着流を調べる鍵にもなる。

これらの3つの異なる物理環境におけるX線放射の問題はすべてX線再放出過程という統一的取り扱いにより計算が可能である。図1にこの計算の枠組みのアウトラインを示した。この計算は、天体を入力光子(または種光子)に対する線形な応答システムと見なすことにより、応答のシミュレーションと初期条件に基づく畳み込みに分離できる。われわれはモンテカルロシミュレーションを用いて宇宙X線観測を再現するための定式化を示した。

シミュレーションコードでは、複雑なジオメトリを構築し光子の追跡を行う部分に素粒子実験や宇宙実験でよく使われているGeant4ライブラリを利用した。一方、物理プロセスの実装は、高分解能分光や複数回散乱の影響を受ける硬X線観測のデータ解釈に耐える正確なモデル化を行う必要があるため、既存のライブラリでは不十分であり、新規に開発を行った。中性物質では光電吸収に加えて、水素とヘリウムに束縛された電子による散乱が重要である。これらは自由電子によるコンプトン散乱と異なり、コンプトン厚AGNや分子雲における鉄蛍光X線のコンプトンショルダーのモデル化に大きな影響があるため、その物理過程を正確に取り込んだ。光電離プラズマ中の光子とイオンの相互作用においては、従来、水素様およびヘリウム様イオンのみのモデル化が行われてきた。リチウム様イオン以降はかかわる電子状態数が劇的に増大し、放射崩壊と競合して自動電離が起きるためプロセスが非常に複雑になる。われわれはこれらの低電離イオンについても原子物理データを用意して物理過程を実装し、それをVelaX-1のスペクトルに適用することでその妥当性の検証をおこなった。また、降着プラズマ流における逆コンプトン散乱の計算では熱的電子および降着流のバルク運動によるコンプトン放射を同時に取り扱い、解析的手法では困難だった複雑なジオメトリにおける光子の脱出の正確な取り扱いを可能にした。これらを系統的に扱い、実際の天体からの放射と直接比較することができるようになったのははじめてである。

3.すざく衛星による中性子星連星VelaX-1の観測(Chapter4-7)

VelaX-1は1012ガウスに達する強磁場を持つ中性子星とB型超巨星からなる大質量X線連星であり、星風降着型X線パルサーの中でも最も明るく、降着エネルギーと周辺環境の相互作用や強磁場星への降着機構を観測的に研究する上で最も適した実験室を提供する。こうした降着駆動型パルサーからのX線放射は宇宙X線観測の黎明期から詳しく研究されてきたにもかかわらず未だに解明されていない。すざく衛星はVelaX-1の露出時間100ksにおよぶ観測を行った。われわれは、すざく衛星の広帯域と低バックグラウンド性能を活かすことで、強磁場を持つ中性子星からの放射の軟X線から硬X線までの広帯域スペクトルの変動を2ksというかってない短い時間スケールで取得することに成功した。

広帯域スペクトルの解析にはX線CCD検出器XISと硬X線検出器HXDを用いた。VelaX-1はきわめて明るいためCCDの光子パイルアップによりスペクトル評価に影響がでる。この解析ではその影響を見積もり、スペクトルの評価にバイアスがかからないようなイベント解析を行った。

中性子星からのX線放射の物理的な機構は明らかになっていないため、これまで現象論的なスペクトルモデルによる評価がなされてきたのみである。われわれはよく用いられているスペクトルモデルを検討し、その中から2つのべき関数を組み合わせたNPEXモデルが広帯域スペクトルの時間変化を追跡する目的において適していることを見いだした。図2はNPEXモデルを用いて評価したVelaX-1の広帯域スペクトルの時間変化を示す。実時間にして140ksにわたりこれまでにない短時間スケールでスペクトルの変動を決定することができている。

VelaX-1などの中性子星からのX線放射は降着プラズマ流における逆コンプトン散乱によるものだとする仮説が有力であるが、確立しくた物理モデルは存在していない。これはX線パルサーにおける物理が0.5c(cは光速)に達する降着流の強磁場、強放射場かつ強重力場という極限環境におけるタマナミクスであり、きわめて複雑で解明されていないためである。われわれは、現象論的モデルに物理的な裏付けを与えるために、球対称プラズマの熱コンプトン散乱という単純なモデルをモンテカルロシミュレーションにより構築し、NPEXモデルの光子指数がプラズマの光学的厚さのよい指標となっていることを示した。さらにNPEXモデルの2つのべき関数の規格化定数の比も同時に光学的厚さのよい指標であることを見いだした。すなわち、熱コンプトン散乱において光子指数と規格化定数比は強く相関する。実際にわれわれはすざくXIS/HXD同時解析によって得られたこの2つのパラメータの相関が熱コンプトン放射モデルによる予測によく一致することを発見し(図3)、VelaX-1からのX線放射スペクトルの生成に熱コンプトン散乱が重要な役割を果たしている証拠を捉えた。さらに強磁場中の光子散乱を近似的にモデル化し、降着流のダイナミクスを仮定することでX線放射の自己無撞着なモデルを構築した。これは散乱断面積のエネルギー依存性と方向依存性を考慮したはじめての計算で強磁場・強重力場におけるプラズマのダイナミクスの観測的研究に光明を当てるものである。

4.銀河中心領域の巨大分子雲からのX線反射(Chapter8)

われわれの銀河中心に存在する超巨大ブラックホールSgrA*は400万太陽質量という巨大質量にもかかわらずX線放射は異常に暗く、その小さな質量降着率の物理的要因は解明されていない。SgrA*が恒常的に低い活動性を保っているのかは重要な問題であるが、過去の活動性の情報は100pc離れた巨大分子雲SgrB2からもたらされた。SgrB2の等価幅1keVにもなる強い鉄蛍光X線はSgrA*の数百年前の巨大フレアの反射であると解釈するのが最も自然であり、近年すざく衛星が発見した鉄蛍光の時間変化はその解釈を強く支持する。

われわれは本論文においてSgrB2のX線反射を利用した分子雲構造の診断法を提案する。これは鉄輝線の等価幅とコンプトンショルダーの構造に着目した高分解能分光および硬X線の強い透過力を利用した硬X線撮像によるもので、日本の次期X線衛星ASTRO-Hにより初めて可能になる。これらのモデル化は分子雲の構造を考慮して複数回散乱を取り扱う必要があり、モンテカルロシミュレーション以外の手法では困難である。図4はSgrB2のX線イメージの時間変化の分子雲の視線方向の位置による違いを示す。透過力の強い硬X線では鉄蛍光と異なる画像が得られ、分子雲の質量や構造のプローブとなることを示した。

図1:モンテカルロシミュレーションによるX線放射の計算の枠組み

図2:すざくXIS/HXDの同時スペクトル解析による2.5-50keV広帯域スペクトルのパラメータの時間変化

図3:VelaX-1のスペクトルの光子指数と規格化定数比の関係。熱コンプトン放射に特徴的な相関を示している。

図4:シミュレーションにより計算した巨大分子雲SgrB2からのX線反射のイメージの時間変化。鉄輝線と硬X線できわめて異なるイメージが得られる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、天体におけるX 線の吸収、散乱、再放射過程をモンテカルロ法によって取り扱う計算コードを開発し、それを用いて中性子星連星Vela X-1 近傍の降着流の解析や、我々の銀河系中心部の分子雲におけるX 線反射のモデル化を行ったものである。本論文は全体で9章から成る。第1章の総合的イントロダクションに引き続いて、第2章ではX 線の再放射過程の物理機構とその宇宙物理学的重要性についてまとめている。第3章はモンテカルロシミュレーションコードの開発について、考慮に入れた物理過程を含めて詳しく記述されている。第4章は観測データの取得に用いたX 線望遠鏡すざくのレビューで、第5章にVela X-1の観測データ解析が述べられている。第6章、7章がVela X-1 近傍の降着流と光電離プラズマについての議論、第8章が銀河中心部のX 線反射星雲についての議論で、第9章で全体をまとめる構成となっている。

強重力天体による物質の降着は中性子星から活動銀河核の巨大ブラックホールまで広いスケールに渡って存在し、そこからのX線放射の観測は、すざく、Chandra等で近年大きな進展を見せている。その結果、従来の単純なモデルや現象論的手法では十分に観測データを生かしきれない状況となっており、天体の現実的構造、物理状態を考慮して、X線輻射輸送問題を正確に解くアプローチが求められている。本研究ではモンテカルロシミュレーションによって、X線輻射輸送を計算する枠組みを構築し、観測と比較した。

モンテカルロシミュレーションコードは、コア部分に高エネルギー物理学実験等で用いられているGeant4というライブラリーを活用し、それに必要な物理過程を埋め込む形で開発した。水素とヘリウムに束縛された電子による散乱や、リチウム様イオン以降のイオンとの相互作用なども取り込んで、様々な環境でのX線再放射を取り扱えるようにした。それを、次に示すいくつかの系について適用した。

まず、中性子星近傍の降着流からのX線放射については、すざく衛星によって、2 ksというかつてない時間分解能で140 ksにわたって中性子星連星Vela X-1からのX線放射のスペクトルの時間変動を決定し、その結果を、開発したシミュレーションコードを用いて議論した。まず、球対称プラズマの熱コンプトン散乱という単純なモデルを作って、スペクトルをシミュレーションした。これまではNPEX (Negative-Positive Exponential)モデルが現象論的に使われてきた。シミュレーションの結果は、NPEXモデルでよくフィットできる。その時の2つの項の係数比(A2/A1比)は、たとえばPhoton indexΓと逆相関関係にある。これは、観測で得られた結果とよく対応しており、このことから、Vela X-1の降着流からのX線放射が熱コンプトン散乱で解釈できることが、第一原理的シミュレーションで確かめられた。さらに、降着流のダイナミクスを考慮して、観測されるスペクトルを説明するようなモデルを構築し、降着柱のサイズや物理状態について重要な情報を得た。本研究のアプローチは、現象論的なスペクトルフィットに物理的根拠を与えるものとして大きな意義があり、また、中性子星近傍の降着柱における物理過程の理解を進める強力なツールとなり得ると期待される。

次に、我々の銀河中心における分子雲からのX線反射に適用した。銀河中心核Sgr A*は現在は静かだが、かつて激しい活動性を示したと考えられていて、その時のX線が分子雲に反射して我々に届いている。この状況を開発したコードによってシミュレーションし、そのようなX線反射星雲におけるX線輝度分布を調べれば、X線放射天体と反射星雲との位置関係、雲の質量などを探ることができることを示した。

このように、論文提出者は、X線の再放出過程を取り扱う計算コードを開発し、それを上記の宇宙物理学現象に適用して新しい知見を得た。これらの研究は、指導教員や共同研究者の助言を得つつ、本人が自ら着想し実行したものであり、論文に対する本人の寄与は十分である。以上のことから、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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